時を超えて紡ぐショートストーリー
「お母さんですよ」
DBの教え子たちJanuary 2014
No.
Joyful Communication !
聖
マ
リ
ア
扶
助
者
SALESIAN
BULLETIN
J A P A N
12
ハンガリーの若きサレジオ会修道士
ステファン・サンドル
列福
Ciao! サレジオ家族探訪
星美学園
(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学)
新コーナー
もっとキミに伝え隊!!
今回の応援隊員
古木涼子 シスター
タイ
インタビュー連 載
大熊理津子さん
山田耕民さん
特
集
03 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
Contents
No.
January 2014
SALESIAN
BULLETIN
J A P A N 12
3 Message ● 「マリアさま、さあ始めましょうか」~ドン・ボスコの心、扶助者聖マリア大聖堂~
6 Essay ● 「ドン・ボスコと聖マリア」
10 Miracle story ● 「あの声は…」 語り手 : アンドリュー・ウォン
8 ドン・ボスコゆかりの地を巡る ● トリノ 扶助者聖マリア大聖堂
26 サレジアンが心を込めて贈るあなたへ応援メッセージ ● もっとキミに伝え隊
タイ
!!
22 Ciao! サレジオ家族探訪 ● 星美学園(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学)
16 世界のサレジオ家族ニュース
28 Info ● お知らせ
24 News ● ハンガリーの若きサレジオ会修道士
ステファン・サンドル列福
27 サレジアン小伝 ● ありがとう! 山口哲郎神父
サレジオ会員の誇りを胸に
31 読者プレゼント
もくじ
文:ノゾエ 征爾 絵:おむら まりこ
表紙の写真
星美学園(東京・赤羽)正
門前の扶助者聖マリア像のもと
に集まった、幼稚園から短大ま
での生徒と先生、サレジアン・
シスターたち。賑やかな雰囲気
が微笑みを誘う。
Message
サレジオ会日本管区長
アルド・チプリアニ神父
~ドン・ボスコの心、扶助者聖マリア大聖堂~
「マリアさま、さあ始めましょうか」
20 ショートストーリー ● お母さんですよ時を超えて紡ぐ
「ドン・ボスコの風」について ─ 「ドン ・ ボスコの風」は、喜びを共にし、サレジオ家族
の原点を見つめ、絆を深め、社会・世界に羽ばたいて、その実りを分かち合うためのコミュニケーショ
ン誌を目指しています。ドン・ボスコの精神を多くの方 と々共有し、新しいつながりに広げていくきっ
かけとしてご活用いただければ幸いです。皆様からの情報提供とご支援をよろしくお願いいたします。
ドン ・ ボスコとは?
「青少年の友」と呼ばれ、見す
てられた若者たちのために生涯
を献げた神父。1815 年イタリア
生まれ、名前はヨハネ(イタリア
語でジョヴァンニ。ドン・ ボスコは
「ボスコ神父」の意味)。青少
年教育に献身するサレジオ会を
創立。1888 年帰天。
サレジオ家族とは?
ドン・ ボスコの精神を受け継ぐ修
道者・信徒・協力者たち。世
界 130 以上の国で、30 団体、
40 万人以上のメンバーが、学
校、教会、社会生活のさまざま
な場面で青少年や貧しい人びと
のために奉仕している。サレジア
ンファミリーとも呼ばれる。
Joyful Communication !
4 特集 ● 扶助者聖マリア
1879 年、ドン・ボスコはフランスを訪れ、開設されて間もないマルセイユのサレジオ会の施設に滞在しました。貧しい子どもたちの教育事業のために資金が必要でしたが、寄付を呼びかける手立てもなく、何も道が開けないように見えたとき、ドン・ボ
スコは聖母に語りかけました。「マリアさま、さあ始めましょうか。」ほどなくイタリア・アスティ出身の女性が、故郷で有名な司祭
がマルセイユに来ていると聞きつけ、生まれつき足の不自由な息子を連れてドン・ボスコに会いに来ました。ドン・ボスコはその少
年に扶助者聖マリアの祝福を与え、立って歩きなさいと励ましました。すると少年は立ち上がり、駆け出しました。聖なる司祭ドン・
ボスコの評判は、瞬く間にフランス中に火のように燃え広がり、その後、フランスの人 を々魅了したドン・ボスコはたくさんの支援
を受けることとなりました。
ドン・ボスコの聖母への全面的信頼は、その出来事の10 年以上前に献堂されたイタリア・トリノの扶助者聖マリア大聖堂に
象徴されます。夢で示され、大聖堂の建立を聖母がお望みだと確信したドン・ボスコは、資金の目
め
途
ど
が全く立たない中、計画
に取り掛かりました。ドン・ボスコは聖母の道具となって建設を推進しましたが、多くの民衆が、聖母の恵みに応えて支え、協力
したのです。「大聖堂の煉
れん
瓦
が
一つひとつが恵みへの感謝のしるし」だとドン・ボスコが述
の
べたほど、日に日に恵みの報告は増え、
お金持ちから貧しい人に至るまで、数多くの人がマリアさまへの愛を表すために犠牲を払いながら協力し、この見事な大聖堂は完
成しました。
2015 年のドン・ボスコ生誕 200 周年に向け、このマリアさまの大聖堂の、正面壁の修復のため、ドン・ボスコの後継者チャー
ベス総長より献金が呼びかけられています。*
教会も、人類社会も、多くの困難や危機の中にある現代、聖母は変わらず私たちと共にいて助けてくださる方です。ドン・ボ
スコのように、決して希望を失わず、信頼をこめて聖母に呼びかけたいと思います。「マリアさま、さあ始めましょうか!」
2014 年 1 月 1日 神の母聖マリアの祭日に
サレジオ家族の皆様へ
Photo by Chihiro Okawa
11 Book Review ● 本のひととき
12 インタビュー ● ドン・ボスコの教え子たち
大熊理津子さん from 星美学園(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学)
山田耕民さん from サレジオ工業高等専門学校
*本誌とじ込みの払込用紙にて、ご寄付を受け付けています。
05 04SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
「
扶
助
者
」
と
い
う
呼
び
方
は
以
前
か
ら
存
在
し
た
が
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
生
き
た
19
世
紀
の
二
つ
の
出
来
事
を
通
し
て
よ
り
大
き
な
意
味
を
も
つ
も
の
に
な
っ
た
。
一
つ
目
は
教
皇
ピ
オ
7
世
が
1
8
1
5
年(
ド
ン・
ボ
ス
コ
の
生
ま
れ
た
年
)
に
ナ
ポ
レ
オ
ン
に
よ
る
幽
閉
か
ら
解
放
さ
れ
た
こ
と
を
聖
母
に
感
謝
し
て
5
月
24
日
を
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
の
記
念
日
に
指
定
し
た
こ
と
。
も
う
一
つ
は
1
8
6
2
年
に
、
イ
タ
リ
ア
中
部
の
ス
ポ
レ
ー
ト
と
い
う
町
の
古
い
教
会
の
聖
母
像
が
5
歳
の
少
年
に
話
し
か
け
、
特
別
な
奇
跡
や
恵
み
が
与
え
ら
れ
た
と
い
う
出
来
事
だ
っ
た
。
そ
の
話
は
急
速
に
広
が
り
、
大
勢
の
巡
礼
者
が
詰
め
か
け
た
様
子
を
見
て
、
時
の
教
皇
ピ
オ
9
世
が
そ
の
像
に
「
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
」
の
称
号
を
与
え
た
の
だ
。
実
は
ス
ポ
レ
ー
ト
は
ピ
オ
9
世
が
か
つ
て
司
教
を
務
め
て
い
た
場
所
で
あ
り
、
ま
さ
に
そ
の
こ
ろ
、
カ
ト
リ
ッ
ク
教
会
と
国
家
の
対
立
が
強
ま
り
、
教
皇
の
力
は
弱
め
ら
れ
よ
う
と
し
て
い
た
時
だ
っ
た
。
こ
の
出
来
事
は
、
聖
母
が
困
難
に
あ
る
教
会
を
助
け
る
と
い
う
象
徴
と
し
て
と
ら
え
ら
れ
た
。
そ
し
て
ピ
オ
9
世
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
を
理
解
し
、
サ
レ
ジ
オ
会
を
承
認
し
た
教
皇
で
あ
る
。「
困
難
に
あ
る
教
会
を
助
け
る
聖
母
」
と
「
苦
し
み
に
あ
る
青
少
年
た
ち
を
助
け
る
聖
母
」
が
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
中
で
一
つ
に
な
っ
た
称
号
が
こ
の
「
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
」
だ
っ
た
の
だ
。
特集
扶
助
者
冠
かんむり
幼
おさな
子
ご
イエス
笏
しゃく
赤い服と青いマント 聖
マ
リ
ア
カ
ト
リ
ッ
ク
の
学
校
や
教
会
で
必
ず
見
か
け
る
聖
マ
リ
ア
の
ご
像
。
様
々
な
姿
で
表
さ
れ
て
い
る
中
で
も
、
ド
ン・ボ
ス
コ
は
特
に
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
の
姿
に
親
し
み
、
信
頼
し
、
祈
っ
て
い
た
。
「
扶
助
者
」に
は
ど
ん
な
意
味
が
込
め
ら
れ
て
い
る
の
だ
ろ
う
か
。
取
材
・
文
・
写
真
●
編
集
部
その姿に込められた意味は?
誰の「扶助者」なのか?
「扶
ふ
助
じょ
者
しゃ
」の由来は?
富士の聖母を知ってる?
河口湖から富士山五合目に向かう
富士山有料道路「富士スバルライン」。
その途中の 2 合目(海抜 1,800m)
に扶助者聖マリア像がひっそりと
建っている。
今から 50 年ほど前の 1963 年 8
月 24 日、数名のサレジオ会司祭と
サレジアン・シスターは、小さな聖
母像を富士山五合目に安置した。そ
れは第二次大戦中、50 数名の子ども
たちと共に山中湖畔に疎開し、戦禍
を免れたことを聖母に感謝すると同
時に、全世界の子どもたちの幸せと
世界平和を願うためであった。
その後、1965 年 9 月に聖マリア
像建立の正式認可が厚生省からおり、
同 年 10 月 7 日 に 設 置 完 了。 高 さ
3m、重さ 2.5 トンもある大理石のイ
タリア製ご像である。後ろの壁には
世界平和の記念として各国から集め
られた石がはめ込まれている。
勝利者に与えられる栄誉の象徴である冠。
マリアは被
ひ
昇
しょう
天
てん
(神によって天に上げら
れた)の後、救い主イエス・キリストによっ
て冠を与えられ、天の元
げん
后
こう
と呼ばれる。子
であるキリストの冠は王としての権威を示
している。
聖マリアが人々から特別に愛され、尊敬さ
れるのは救い主イエスの母だから。子であ
るイエスが神であるゆえに聖マリアは「神
の母」と呼ばれる。優しい母を通して子
であるイエスに近づきたいという人々の
願いが、聖画やご像に込められている。
笏は力や支配権の象徴である。聖マリアは
天の元后として権威を持つ方であることを
表している。しかし聖マリアの力と権威は、
神に近い者であることから来る。そして聖
マリアの“力”は願いを取り次ぐ力である。
赤や青は聖マリアを象徴する色で、赤は
神の慈愛、そして青は空※、すなわち天国
=信仰を表している。(※諸説あり)
聖マリアの聖画やご像は様々な種類がある。
扶助者聖マリアの姿の特徴はどういうものか見てみよう。
ドン・ボスコの時代に起きた 2 つの出来事。
ドン・ボスコが「扶助者」に助けを願ったのは?
その他の有名なマリア像は、
「無
む
原
げん
罪
ざい
の聖母」、「ルルドの聖母」、
「ファティマの聖母」などがある。
その呼び方自体は 4 世紀から存在していた
ようだが、1571年のレパントの海戦の際に、
時の教皇ピオ 5 世が「キリスト信者の助け手」
の呼び名で保護を祈り求めたことから大きく
広まったと言われる。
◀イエスのカリタス修
道女会日本管区本部修
道院(東京・杉並)の
玄関にある扶助者聖マ
リアの、2m 程ある大
きな木彫のご像。イタ
リアのデメッツ社製。
無原罪の聖母
スポレートの聖母
レパントの海戦
ルルドの聖母 ファティマの聖母
07 06SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
聖
母
が
大
好
き
な
ド
ン
・
ボ
ス
コ
多
く
の
聖
人
が
そ
う
で
あ
る
よ
う
に
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
も
聖
母
マ
リ
ア
を
特
別
に
大
切
に
し
た
人
と
し
て
知
ら
れ
て
い
ま
す
。
単
純
に
「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
聖
母
マ
リ
ア
の
こ
と
が
大
好
き
だ
っ
た
」
と
言
っ
て
も
問
題
は
な
い
で
し
ょ
う
。
そ
れ
ほ
ど
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
聖
母
マ
リ
ア
に
信
頼
し
、
自
分
た
ち
の
事
業
の
先
頭
に
立
っ
て
い
る
の
は
聖
母
だ
、と
い
う
意
識
が
い
つ
で
も
あ
り
ま
し
た
。
も
ち
ろ
ん
、
彼
は
聖
母
を
神
(
そ
し
て
イ
エ
ス
)
と
同
列
に
置
い
て
い
る
わ
け
で
は
な
い
の
で
す
が
。
幼
少
期
に
学
ん
だ
こ
と
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
こ
の
聖
母
へ
の
信
心
は
ど
こ
か
ら
生
ま
れ
た
の
で
し
ょ
う
か
。
お
そ
ら
く
そ
れ
は
彼
の
幼
少
期
の
体
験
か
ら
出
発
し
て
い
ま
す
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
自
分
の
半
生
を
振
り
返
っ
て
書
き
残
し
た
「
オ
ラ
ト
リ
オ
回
想
録
(
ド
ン
・
ボ
ス
コ
自
叙
伝
)」
を
見
て
み
ま
し
ょ
う
。
幼
い
時
に
お
父
さ
ん
を
な
く
し
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
に
と
っ
て
、
母
の
教
え
は
と
て
も
大
切
な
も
の
で
し
た
。
「
わ
た
し
が
ま
だ
ほ
ん
の
子
ど
も
だ
っ
た
こ
ろ
、
祈
り
を
教
え
て
く
れ
た
の
は
母
自
身
で
し
た
。
兄
た
ち
の
仲
間
入
り
が
で
き
る
よ
う
に
な
る
と
す
ぐ
、
朝
夕
、
母
は
わ
た
し
を
兄
た
ち
と
い
っ
し
ょ
に
ひ
ざ
ま
ず
か
せ
ま
し
た
。
わ
た
し
た
ち
は
こ
う
や
っ
て
祈
り
や
ロ
ザ
リ
オ
の
一
環
を
み
な
で
唱
え
て
い
た
の
で
す
」。
そ
の
祈
り
の
中
に
は
、
聖
母
へ
の
「
お
告
げ
の
祈
り
」
も
含
ま
れ
て
い
ま
し
た
。
有
名
な
「
9
歳
の
夢
」
の
中
で
、
イ
エ
ス
と
思
わ
れ
る
人
物
に
幼
い
ジ
ョ
ヴ
ァ
ン
ニ
(
ボ
ス
コ
)
は
質
問
し
ま
す
。「
い
っ
た
い
ど
な
た
さ
ま
で
す
か
?
」
そ
れ
に
対
し
、
そ
の
人
物
は
こ
う
答
え
る
の
で
す
。「
日
に
三
度
あ
の
婦
人
に
あ
い
さ
つ
す
る
よ
う
君
は
お
母
さ
ん
か
ら
教
わ
っ
て
い
る
だ
ろ
う
。
わ
た
し
は
そ
の
婦
人
の
息
子
な
の
だ
」。
も
ち
ろ
ん
、
こ
の
「
日
に
三
度
あ
の
婦
人
に
あ
い
さ
つ
す
る
」と
は
、「
お
告
げ
の
祈
り
」の
こ
と
で
す
。
さ
ら
に
夢
の
中
で
、
こ
の
イ
エ
ス
ら
し
き
人
物
は
ジ
ョ
ヴ
ァ
ン
ニ
に
、「
君
に
女
の
先
生
を
つ
け
て
あ
げ
よ
う
」
と
言
い
、「
け
だ
か
い
姿
の
女
の
人
」
を
彼
の
「
先
生
」
と
し
て
紹
介
す
る
の
で
す
。
こ
の
女
の
先
生
が
聖
母
マ
リ
ア
で
あ
る
こ
と
は
明
白
で
す
。
こ
う
い
っ
た
小
さ
い
こ
ろ
か
ら
の
教
え
と
体
験
か
ら
出
発
し
て
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
聖
母
へ
の
特
別
な
意
識
を
少
し
ず
つ
育
ん
で
い
き
ま
す
。
サ
レ
ジ
オ
会
の
「
創
立
者
」
聖
母
司
祭
に
な
っ
て
、
貧
し
い
子
ど
も
た
ち
の
た
め
の
オ
ラ
ト
リ
オ
を
始
め
、
サ
レ
ジ
オ
会
と
扶
助
者
聖
母
会
(
サ
レ
ジ
ア
ン・シ
ス
タ
ー
ズ
)
を
創
立
し
た
後
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
こ
う
言
っ
て
い
ま
し
た
。「
お
と
め
マ
リ
ア
こ
そ
が
創
立
者
で
あ
り
、
私
た
ち
の
事
業
の
支
え
な
の
で
す
」。
彼
の
中
で
、
自
分
が
皆
を
導
い
た
、
と
い
う
よ
り
も
、
聖
母
こ
そ
が
自
分
た
ち
を
導
い
て
く
れ
た
方
で
あ
る
、
と
い
う
強
い
意
識
が
あ
り
ま
し
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
の
事
業
は
聖
母
が
先
頭
に
立
っ
て
始
ま
り
、
進
ん
で
い
く
も
の
な
の
で
す
。
私
た
ち
に
と
っ
て
の
「
母
親
」
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
い
つ
も
、「
私
の
学
校
に
入
っ
て
く
る
子
ど
も
た
ち
の
一
人
ひ
と
り
は
、
必
ず
マ
リ
ア
さ
ま
の
お
導
き
に
よ
っ
て
学
校
に
入
っ
て
き
て
い
る
の
で
す
よ
!
」
と
言
っ
て
い
ま
し
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
教
育
理
念
を
受
け
継
ぐ
サ
レ
ジ
オ
家
族
の
学
校
・
教
会
・
施
設
に
入
る
人
は
皆
、
聖
マ
リ
ア
の
導
き
で
周
囲
の
人
や
人
生
の
様
々
な
学
び
に
出
会
っ
て
い
る
と
い
う
こ
と
で
す
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
「
マ
リ
ア
さ
ま
は
、
私
た
ち
が
困
難
に
あ
っ
た
と
き
、
道
を
見
失
わ
ず
に
神
に
向
か
っ
て
歩
ん
で
い
け
る
よ
う
助
け
て
く
だ
さ
る
方
(
扶
助
者
)
だ
か
ら
、『
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
、
私
た
ち
の
た
め
に
お
祈
り
く
だ
さ
い
!
』
と
祈
る
よ
う
に
」
と
皆
に
勧
め
て
い
ま
し
た
。
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
に
信
頼
し
て
祈
る
こ
と
は
、
私
た
ち
が
「
母
親
」
に
見
守
ら
れ
て
い
る
安
心
感
を
素
直
に
受
け
入
れ
る
こ
と
に
な
る
の
で
す
。
Essay
「ドン・ボスコと聖母マリア」
文 ● 浦田慎二郎
浦田慎二郎 うらた しんじろう
サレジオ会司祭。サイテック館長。
ドン・ボスコの研究家。
「ドン・ボスコの夢に現れた聖母」
聖母に祈るドン・ボスコ
1880 年 トリノにて
「
す
べ
て
の
危
険
に
お
い
て
聖
母
の
お
助
け
を
願
い
な
さ
い
。
必
ず
聞
き
入
れ
ら
れ
る
こ
と
を
私
は
保
証
し
ま
す
」
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
こ
と
ば
09 08SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
大
聖
堂
の
設
計
と
実
現
設
計
を
準
備
し
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
、
承
認
を
得
る
た
め
に
そ
れ
を
ト
リ
ノ
市
の
役
所
に
提
出
し
た
。「
名
称
は
何
に
し
ま
す
か
」
と
聞
か
れ
て
、「
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
の
聖
堂
」
と
答
え
た
。
当
時
の
王
国
の
政
治
に
対
す
る
教
会
か
ら
の
挑
戦
だ
と
感
じ
た
担
当
者
が
「
古
め
か
し
い
名
称
だ
。
替
え
た
ほ
う
が
よ
い
」と
言
う
と
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
「
ま
ず
、
設
計
を
承
認
し
て
く
だ
さ
い
。
名
称
は
私
が
考
え
ま
し
ょ
う
」
と
言
っ
て
、
そ
の
ま
ま
に
し
て
お
い
た
。
工
事
を
始
め
た
時
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
手
元
に
は
資
金
が
無
か
っ
た
が
、「
み
摂
理
に
信
頼
し
て
」
度
重
な
る
苦
難
を
乗
り
越
え
、
1
8
6
8
年
6
月
9
日
に
無
事
、
献
堂
さ
れ
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
こ
だ
わ
っ
た
と
い
う
大
き
な
ク
ー
ポ
ラ
(
丸
天
井
)
上
に
は
聖
マ
リ
ア
像
が
置
か
れ
、
両
脇
の
鐘
楼
に
は
大
天
使
ガ
ブ
リ
エ
ル
と
ミ
カ
エ
ル
の
像
が
聖
母
を
守
る
よ
う
に
立
ち
、
前
者
は
聖
マ
リ
ア
に
王
冠
を
捧
げ
、
後
者
は
「
レ
パン
ト
」
と
書
か
れ
た
旗
を
持
つ
。
正
面
上
に
「M
aria
A
uxilium
christianorum
ora
pro nobis
」(
キ
リ
ス
ト
者
の
助
け
聖
マ
リ
ア
、
我
ら
の
た
め
に
祈
り
た
ま
え
)
と
書
か
れ
て
い
る
。
ま
た
、
聖
堂
内
の
正
面
祭
壇
上
に
飾
ら
れ
た
大
き
な
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
の
絵
は
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
「
教
会
に
対
す
る
聖
マ
リ
ア
の
助
け
を
表
す
ふ
さ
わ
し
い
絵
を
」
と
、
当
時
ト
リ
ノ
で
評
判
だ
っ
た
画
家
、
ロ
レ
ン
ツ
ォ
ー
ネ
に
描
か
せ
た
も
の
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
「
天
上
の
教
会
、
聖
マ
リ
ア
を
囲
む
使
徒
た
ち
、
預
言
者
、
聖
人
た
ち
、
ま
た
地
上
の
教
会
の
さ
ま
ざ
ま
な
歴
史
的
出
来
事
」
な
ど
、
構
想
を
説
明
し
た
と
き
、
ロレ
ン
ツ
ォ
ー
ネ
は
驚
い
て
、「
そ
れ
ほ
ど
の
大
き
な
絵
を
ど
こ
で
描
き
、ど
こ
に
飾
る
の
で
す
か
」と
言
っ
た
。
結
局
、
構
図
を
縮
小
し
、
現
在
飾
ら
れ
て
い
る
高
さ
7m
、
幅
4m
の
絵
を
描
く
た
め
に
、
3
年
間
、
ト
リ
ノ
市
の
城
の
一
番
大
き
な
部
屋
を
借
り
た
。「
私
の
手
を
導
い
て
く
れ
る
ど
な
た
か
が
い
る
と
感
じ
ま
し
た
」
と
ロレ
ン
ツ
ォ
ー
ネ
は
語
っ
て
い
る
。
混
迷
の
時
代
の
支
え
こ
の
大
聖
堂
建
設
の
後
に
も
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
サ
レ
ジ
オ
会
員
は
休
む
こ
と
な
く
、
扶
助
者
聖
母
会
(
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
)
の
創
立
、
宣
教
師
の
派
遣
な
ど
次
々
に
必
要
と
さ
れ
る
取
り
組
み
を
実
現
し
て
い
く
。
そ
の
事
業
の
す
べ
て
に
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
の
信
心
が
息
づ
き
、
今
や
そ
の
信
心
は
世
界
中
に
広
ま
っ
て
い
る
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
サ
レ
ジ
オ
会
は
、
混
迷
の
時
代
に
置
き
去
り
に
さ
れ
た
貧
し
い
青
少
年
た
ち
の
た
め
に
、
そ
し
て
教
会
の
た
め
に
、
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
の
庇ひ
護ご
の
下
、
そ
の
事
業
を
広
げ
て
いっ
た
の
で
あ
る
。
教
会
に
と
っ
て
の
困
難
な
時
代
今
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
で
は
教
会
離
れ
の
現
象
が
起
こ
っ
て
い
る
。
フ
ラ
ン
ス
、
オ
ラ
ン
ダ
、
イ
ギ
リ
ス
な
ど
で
教
会
に
通
う
信
者
は
少
数
で
あ
り
、
教
会
の
教
え
に
反
す
る
法
律
が
制
定
さ
れ
て
い
る
。
こ
の
現
象
の
根
は
フ
ラ
ン
ス
革
命
に
ま
で
さ
か
の
ぼ
る
。
当
時
、
多
く
の
聖
職
者
が
殺
さ
れ
、
修
道
院
が
閉
鎖
さ
れ
た
。
次
い
で
ナ
ポ
レ
オ
ン
は
、
教
皇
ピ
オ
7
世
を
フ
ラ
ン
ス
に
連
行
、
幽
閉
し
た
。
ま
た
、
教
会
が
設
立
し
た
大
学
、
教
育
施
設
を
国
有
化
し
、
修
道
院
を
没
収
し
た
。
こ
の
運
動
は
イ
タ
リ
ア
に
も
広
ま
っ
た
。
理
由
の
一
つ
は
、イ
タ
リ
ア
統
一
運
動
の
妨
げ
と
な
っ
て
い
た
教
皇
領
土
の
存
在
で
あ
っ
た
。
そ
の
中
心
は
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
住
ん
で
い
た
ピ
エ
モ
ン
テ
・
サ
ル
デ
ィ
ニ
ア
王
国
の
首
都
ト
リ
ノ
に
あ
っ
た
。
1
8
6
1
年
に
教
皇
領
の
大
部
分
が
イ
タ
リ
ア
に
統
合
さ
れ
、
1
8
7
0
年
、
イ
タ
リ
ア
軍
が
ロ
ー
マ
に
侵
攻
し
た
。
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
に
献
げ
る
大
聖
堂
そ
ん
な
時
代
の
流
れ
の
中
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
教
会
と
青
少
年
の
た
め
に
、
聖
マ
リ
ア
の
特
別
な
保
護
が
必
要
だ
と
判
断
し
、
ト
リ
ノ
に
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
に
献
げ
ら
れ
た
聖
堂
を
建
て
る
こ
と
を
計
画
し
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
1
8
4
4
年
に
こ
の
聖
堂
に
関
す
る
預
言
的
な
夢
を
見
て
い
る
。「
羊
飼
い
の
身
な
り
を
し
た
貴
婦
人
(
聖
マ
リ
ア
)」
が
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
子
ど
も
た
ち
を
導
き
、
あ
る
場
所
を
指
し
示
す
。
す
る
と
、「
高
く
そ
び
え
た
つ
立
派
な
聖
堂
が
目
に
映
り
ま
し
た
。
オ
ー
ケ
ス
ト
ラ
の
調
べ
と
、
楽
器
や
歌
声
に
よ
る
調
べ
が
、
歌
ミ
サ
を
捧
げ
る
よ
う
わ
た
し
を
促
す
の
で
し
た
。
そ
の
聖
堂
の
内
部
に
は
白
い
垂たれ
幕まく
が
さ
が
っ
て
お
り
、
大
き
な
文
字
で
“H
ic D
om
us m
ea, inde
G
loria m
ea
(
こ
れ
こ
そ
わ
た
し
の
家
。
こ
の
家
か
ら
わ
た
し
の
栄
光
が
生
ま
れ
る
)”
と
書
か
れ
て
い
ま
し
た
」
(「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
自
叙
伝
」
よ
り
)。
Torino
Roma
★
イ
タ
リ
ア
北
部
ピ
エ
モ
ン
テ
州
ト
リ
ノ
★
ト
リ
ノ
扶
助
者
聖
マ
ア
大
聖
堂
二つのクーポラ(丸天井)のうち一つが見える。
正面上に「Maria Auxilium christianorum ora pro nobis」の金色の文字が見える。
1934年に本祭壇とその上のもう一つクーポラ(丸天井)、元のクーポラ両側の部分が増築、内部は大理石で飾られて現在に至る ─
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
を
支
え
と
す
る
サ
レ
ジ
オ
会
の
中
心
地
─
ド
ン
・
ボ
ス
コ
ゆ
か
り
の
地
を
巡
る
文
●
ガ
エ
タ
ノ
・
コ
ン
プ
リ
G
aetano C
om
pri
サ
レ
ジ
オ
会
司
祭
チ
マ
ッ
テ
ィ
資
料
館
館
長
聖堂内。奥に「扶助者聖マリア」の絵が見える
正面の祭壇上にある「扶助者聖マリア」の絵。
ロレンツォーネ作
荒波の中を進むドン・ボスコ
と青少年たちの絵
聖堂内の「扶助者聖マリア」像。
聖母月(5 月)のみ装飾展示される 1868 年建設当初の大聖堂
あ
の
こえ
は
…
ほ
ん本
の
ひ
と
と
き
B
oo
k
R
ev
ie
w
11 10SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
柳
田
邦
男
2
0
0
6
年
平
凡
社
2
2
4
頁
1
4
7
0
円
大
人
が
絵
本
に
涙
す
る
と
き
宗
教
改
革
の
時
代
に
司
牧
者
と
し
て
活
躍
し
た
聖
フ
ラ
ン
シ
ス
コ・
サ
レ
ジ
オ
。
彼
は
柔
和
の
聖
人
と
し
て
も
知
ら
れ
て
い
ま
す
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
に
も
影
響
を
与
え
た
サ
レ
ジ
オ
が
、
一
般
社
会
に
生
き
る
人
々
に
向
け
て
著
し
た
『
信
心
生
活
の
入
門
』。
こ
の
中
の
日
常
で
神
に
近
づ
く
た
め
の
ポ
イ
ン
ト
を
サ
レ
ジ
オ
会
司
祭
で
あ
る
浦
田
師
が
優
し
く
解
説
し
て
く
れ
て
い
ま
す
。
そ
れ
ぞ
れ
の
項
に
黙
想
の
ヒ
ン
ト
も
あ
り
、
黙
想
の
手
引
き
に
も
使
え
ま
す
。
「
神
へ
の
道
の
り
」
な
ん
て
聞
く
と
、
「
そ
ん
な
恐
れ
多
い
」
な
ん
て
思
っ
て
し
ま
い
ま
す
が
、
こ
の
本
を
読
め
ば
、
凝
っ
た
肩
を
ほ
ぐ
す
よ
う
に
、
心
を
軽
く
し
て
神
さ
ま
へ
と
向
け
て
く
れ
ま
す
。
(
編
集
部
評
)
ち
い
さ
な
こ
ぐ
ま
は
、
お
か
あ
さ
ん
と
一
緒
に
世
界
で
い
ち
ば
ん
大
き
な
も
の
を
探
し
て
、
動
物
た
ち
や
高
い
山
、
く
じ
ら
な
ど
つ
ぎ
つ
ぎ
に
大
き
な
も
の
に
出
会
い
ま
す
。
で
も
い
ち
ば
ん
大
き
な
も
の
は
…
「
あ
な
た
の
こ
と
が
だ
ー
い
す
き
っ
て
お
も
う
お
か
あ
さ
ん
の
こ
こ
ろ
よ
」
子
ど
も
に
「
世
界
で
い
ち
ば
ん
大
好
き
」
を
伝
え
る
、
愛
に
あ
ふ
れ
た
か
わ
い
い
絵
本
で
す
。
そ
し
て
子
育
て
の
な
か
で
い
ろ
い
ろ
悩
ん
だ
り
迷
っ
た
り
し
て
い
る
お
か
あ
さ
ん
が
、
愛
さ
れ
た
自
分
を
思
い
出
し
な
が
ら
、
こ
ど
も
へ
の
自
分
の
愛
情
を
確
認
す
る
絵
本
で
も
あ
り
ま
す
。
(
関
谷
義
樹
評
)
本
書
の
中
で
紹
介
さ
れ
て
い
る
絵
本
の
う
ち
、
い
く
つ
か
を
手
に
取
っ
て
み
ま
し
た
が
、
涙
せ
ず
に
は
い
ら
れ
な
い
も
の
ば
か
り
で
し
た
。
心
の
中
の
汚
い
も
の
が
全
部
、
涙
と
一
緒
に
流
れ
出
る
感
じ
が
し
ま
し
た
。
子
ど
も
は
絵
を
見
な
が
ら
、
大
人
が
読
ん
で
く
れ
る
こ
と
ば
に
耳
を
傾
け
ま
す
。
大
人
は
書
か
れ
て
い
る
文
字
に
「
魂
」
を
込
め
て
、「
言
霊
=
こ
と
だ
ま
」
に
し
て
子
ど
も
の
心
に
届
け
ま
す
。
大
人
の
あ
な
た
も
絵
本
を
声
に
だ
し
て
読
め
ば
、
作
者
か
ら
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
が
届
く
こ
と
で
し
ょ
う
。
本
書
が
気
に
な
る
方
は
、
こ
ち
ら
も
お
薦
め
で
す
。『
砂
漠
で
見
つ
け
た
一
冊
の
絵
本
』
柳
田
邦
男
2
0
0
4
年
岩
波
書
店
。
(
田
中
直
美
評
)
著
者
の
温
か
な
「
ま
な
ざ
し
」
に
共
感
し
て
、
1
、2
巻
と
愛
読
し
て
き
ま
し
た
が
、
こ
の
3
巻
目
が
出
た
と
き
、「
完
」
と
い
う
言
葉
に
一
瞬
ど
き
り
と
し
ま
し
た
。
40
年
以
上
、
児
童
精
神
科
医
と
し
て
子
ど
も
た
ち
に
寄
り
添
っ
て
い
た
著
者
の
生
涯
の
ま
と
め
と
し
て
の
思
い
が
た
く
さ
ん
詰
ま
っ
て
い
ま
す
。
4
章
以
降
で
は
、
発
達
障
害
を
抱
え
る
子
ど
も
た
ち
と
ご
家
族
、
保
育
・
教
育
の
現
場
の
先
生
た
ち
に
注
が
れ
る
「
ま
な
ざ
し
」
に
心
が
ほ
ぐ
れ
ま
す
。
キ
リ
ス
ト
者
と
し
て
の
生
き
ざ
ま
の
反
映
な
の
で
し
ょ
う
。
子
育
て
や
保
育
・
教
育
で
悩
ん
で
い
る
人
や
、
す
べ
て
の
人
と
「
共
に
生
き
た
い
」
と
望
む
人
に
ぜ
ひ
読
ん
で
欲
し
い
一
冊
で
す
。
(
田
中
直
美
評
)
浦
田
慎
二
郎
2
0
1
3
年
ド
ン・
ボ
ス
コ
新
書
2
3
7
頁
7
3
5
円
フ
ラ
ン
シ
ス
コ・サ
レ
ジ
オ
と
共
に
歩
む
神
へ
の
道
の
り
ケ
ネ
ス
・
ス
テ
ィ
ー
ブ
ン
文
メ
ラ
ニ
ー
・
ミ
ッ
チ
ェ
ル
絵
な
か
だ
く
み
こ
訳
2
0
1
2
年
ド
ン
・
ボ
ス
コ
社
3
2
頁
9
8
7
円
せ
か
い
で
い
ち
ば
ん
お
お
き
な
も
の
佐
々
木
正
美
2
0
1
1
年
福
音
館
書
店
3
7
6
頁
1
8
9
0
円
完
子
ど
も
へ
の
ま
な
ざ
し
そ
れ
は
1
9
9
9
年
9
月
初
め
頃
の
こ
と
で
し
た
。
東
テ
ィ
モ
ー
ル
の
首
都
デ
ィ
リ
で
活
動
し
て
い
た
私
た
ち
は
、
独
立
を
宣
言
す
る
国
民
と
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
軍
と
の
間
で
起
こ
っ
た
激
し
い
内
戦
に
巻
き
込
ま
れ
て
い
ま
し
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
員
は
フ
ィ
リ
ピ
ン
人
の
神
父
3
人
と
、
私
の
秘
書
の
、
叙
階
さ
れ
た
ば
か
り
の
テ
ィ
モ
ー
ル
人
神
父
一
人
で
し
た
。
運
営
す
る
学
校
に
は
、
戦
乱
で
行
き
場
を
な
く
し
た
2
万
人
の
避
難
民
を
受
け
入
れ
て
い
ま
し
た
。
あ
る
朝
、
友
人
の
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
人
兵
士
が
忠
告
し
て
く
れ
ま
し
た
。「
軍
上
層
部
の
決
定
で
、
今
晩
、
軍
で
最
も
残
忍
な
部
隊
が
こ
の
学
校
を
襲
撃
し
ま
す
。」
こ
の
と
き
、
私
た
ち
に
抵
抗
す
る
術
の
な
い
こ
と
は
明
ら
か
で
し
た
。
私
た
ち
は
段
取
り
を
相
談
し
ま
し
た
。「
兵
士
た
ち
が
来
た
ら
、
私
た
ち
神
父
が
門
へ
行
き
交
渉
す
る
。
ほ
か
の
人
々
は
離
れ
た
と
こ
ろ
で
祈
り
続
け
、
私
た
ち
が
撃
た
れ
た
り
倒
れ
た
り
し
た
ら
、
急
い
で
学
校
の
壁
を
乗
り
越
え
て
裏
山
へ
逃
げ
る
。」
山
に
は
東
テ
ィ
モ
ー
ル
の
ゲ
リ
ラ
が
潜
ん
で
い
て
、
兵
士
た
ち
は
山
に
入
り
た
が
ら
な
い
の
で
す
。
こ
う
し
て
私
た
ち
は
、
壁
を
越
え
る
た
め
の
は
し
ご
作
り
に
追
わ
れ
ま
し
た
。
皆
、
不
安
と
悲
し
み
に
沈
ん
で
い
ま
し
た
。
そ
ん
な
状
況
の
中
で
も
皆
が
「
神
父
さ
ま
た
ち
と
一
緒
に
、
皆
一
つ
で
い
た
い
」
と
願
っ
て
い
た
こ
と
に
心
を
打
た
れ
ま
し
た
。
夕
方
、
院
長
が
皆
を
集
め
て
一
緒
に
祈
り
、
全
員
に
罪
の
ゆ
る
し
を
与
え
ま
し
た
。
思
い
思
い
に
食
卓
に
つ
い
た
も
の
の
食
事
は
喉
を
通
り
ま
せ
ん
で
し
た
。「
き
っ
と
神
さ
ま
が
計
ら
っ
て
く
だ
さ
る
さ
!
」
と
言
う
人
も
い
ま
し
た
が
、
私
は
「
も
う
終
わ
り
だ
」
と
思
っ
て
い
ま
し
た
。
そ
の
夜
、
私
と
も
う
一
人
の
神
父
が
見
張
り
に
立
っ
て
い
ま
し
た
。
近
く
の
ウ
ル
ス
ラ
会
の
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
人
シ
ス
タ
ー
た
ち
の
修
道
院
は
静
ま
り
返
っ
て
い
ま
し
た
。
す
る
と
突
然
、
5
0
0
メ
ー
ト
ル
ほ
ど
向
こ
う
の
道
路
か
ら
、
門
へ
向
か
っ
て
ト
ラ
ッ
ク
の
走
っ
て
く
る
音
が
聞
こ
え
ま
し
た
。
停
ま
っ
た
ト
ラ
ッ
ク
か
ら
大
勢
が
飛
び
降
り
、
息
を
殺
し
て
走
っ
て
く
る
の
が
聞
こ
え
ま
し
た
。
周
囲
は
、
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
人
の
家
を
除
き
す
べ
て
の
家
が
焼
き
打
ち
に
さ
れ
て
い
て
、
真
っ
暗
で
し
た
。
い
き
な
り
機
関
銃
が
発
射
さ
れ
、
私
た
ち
2
人
は
そ
の
場
に
倒
れ
て
し
ま
い
ま
し
た
。
撃
た
れ
た
か
と
思
い
ま
し
た
が
、
出
血
は
し
て
お
ら
ず
、
門
の
鉄
扉
に
弾
が
当
た
っ
た
衝
撃
で
倒
れ
た
よ
う
で
し
た
。
手
榴
弾
が
投
げ
込
ま
れ
て
私
の
頭
の
す
ぐ
横
に
落
ち
ま
し
た
が
、
爆
発
し
ま
せ
ん
で
し
た
。
何
も
で
き
な
い
ま
ま
私
た
ち
が
倒
れ
て
い
る
の
を
見
て
、
皆
は
パニッ
ク
に
陥
り
、
泣
き
出
す
人
も
い
ま
し
た
。
突
然
、
誰
か
が
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
語
で
こ
う
い
う
の
が
聞
こ
え
ま
し
た
。「
チ
ュ
ク
、チ
ュ
ク
、
プ
ラ
ム
、
プ
ラ
ム
、
サ
チ
ャ
ン
!
(
も
う
た
く
さ
ん
、
た
く
さ
ん
で
す
、
皆
、
帰
り
な
さ
い
!
)」
そ
れ
は
女
性
の
声
で
し
た
。
私
は
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
語
が
わ
か
る
の
で
、
今
も
は
っ
き
り
お
ぼ
え
て
い
ま
す
。
す
る
と
、
発
砲
が
止
み
、
大
勢
が
足
早
に
立
ち
去
る
の
が
聞
こ
え
ま
し
た
。
や
が
て
ト
ラ
ッ
ク
も
引
き
上
げ
て
行
き
ま
し
た
。
私
た
ち
2
人
は
倒
れ
た
ま
ま
で
顔
を
見
合
わ
せ
ま
し
た
。
し
ば
ら
く
静
寂
の
時
が
流
れ
て
か
ら
、
私
た
ち
は
話
し
ま
し
た
。「
ウ
ルス
ラ
会
の
シ
ス
タ
ー
た
ち
が
や
め
る
よ
う
言
っ
て
く
れ
た
の
だ
。
神
に
感
謝
!
で
な
け
れ
ば
今
頃
私
た
ち
は
皆
殺
し
だ
っ
た
。」
私
は
今
す
ぐ
シ
ス
タ
ー
た
ち
に
お
礼
を
言
い
に
行
こ
う
と
し
ま
し
た
が
、
院
長
は
「
今
は
休
も
う
」
と
言
い
ま
し
た
。
皆
、
疲
れ
き
っ
て
い
た
か
ら
で
す
。
朝
、
明
る
く
な
っ
て
門
を
開
け
て
み
る
と
、
門
に
は
夕
べ
の
発
砲
の
時
の
弾
が
食
い
込
ん
で
い
ま
し
た
。
私
た
ち
は
ウ
ル
ス
ラ
会
の
修
道
院
へ
行
き
、
院
長
シ
ス
タ
ー
に
言
い
ま
し
た
。「
夕
べ
は
私
た
ち
を
救
っ
て
く
だ
さ
っ
て
あ
り
が
と
う
。」
す
る
と
、
院
長
シ
ス
タ
ー
は
言
い
ま
し
た
。「
い
い
え
、
私
た
ち
で
は
あ
り
ま
せ
ん
、
神
父
さ
ま
。
私
た
ち
も
“
あ
の
声
”
を
聞
き
ま
し
た
。
女
性
の
声
で
し
た
。
私
た
ち
は
怖
く
て
部
屋
に
隠
れ
て
い
た
の
で
す
。」
私
た
ち
は
互
い
に
顔
を
見
合
わ
せ
ま
し
た
。「
あ
れ
は
マ
リ
ア
さ
ま
の
声
だ
っ
た
の
だ
。」
私
た
ち
は
学
校
に
戻
っ
て
皆
に
こ
の
こ
と
を
伝
え
ま
し
た
。
私
は
マ
リ
ア
さ
ま
を
心
か
ら
愛
し
て
い
ま
す
し
、
マ
リ
ア
さ
ま
が
私
を
愛
し
て
く
だ
さ
る
こ
と
も
知
っ
て
い
ま
す
。
毎
月
24
日
に
は
扶
助
者
聖
マ
リ
ア
を
記
念
し
信
心
を
広
め
る
こ
と
を
、
マ
リ
ア
さ
ま
に
約
束
し
ま
し
た
。
そ
の
後
、
私
た
ち
の
学
校
は
焼
か
れ
、
私
た
ち
は
難
民
に
な
り
ま
し
た
が
、
誰
一
人
命
を
落
と
し
ま
せ
ん
で
し
た
。
こ
の
体
験
は
私
に
と
っ
て
大
き
な
恵
み
、
神
さ
ま
か
ら
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
で
す
。
「あの声は…」
アンドリュー・ウォン
Miracle story
アンドリュー・ウォン Andrew Wong
サレジオ会司祭。東アジア‐オセアニア地域顧問。
1952 年生まれ。サレジオ会フィリピン北管区会員と
して1972 年初誓願、1979 年司祭叙階。院長、
修練長などを歴任、1998‐2004 年、インドネシア‐ティ
モール管区長、2005‐2008 年、フィリピン北管区長。
タガログ語、英語、インドネシア語、テトゥン語(東
ティモール)、イタリア語を話す。
13 12SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
マ
リ
ン
バ
は
木
製
音
板
を
持
つ
鍵
盤
打
楽
器
の
ひ
と
つ
。
木
の
柔
ら
か
い
音
色
が
特
徴
で
あ
り
、
同
時
に
打
楽
器
ゆ
え
の
激
し
さ
を
も
あ
わ
せ
持
つ
。
星
美
学
園
小
中
高
O
G
で
、
2
0
0
5
年
世
界
マ
リ
ン
バ
コ
ン
チ
ェ
ル
ト
コ
ン
ペ
テ
ィ
シ
ョ
ン
優
勝
の
大
熊
理
津
子
さ
ん
に
話
を
聞
い
た
。
★
★
★
─
マ
リ
ン
バ
を
始
め
た
き
っ
か
け
は
?
幼
稚
園
の
と
き
小
さ
な
卓
上
木
琴
が
大
好
き
で
、
覚
え
て
い
な
い
の
で
す
が
、
ど
う
も
6
歳
の
私
が
両
親
に
お
願
い
を
し
た
ら
し
い
ん
で
す
。「
叩
い
て
音
が
出
る
木
琴
の
お
稽けい
古こ
が
し
た
い
」
と
。
両
親
が
調
べ
た
ら
、
家
か
ら
3
つ
先
の
駅
近
く
に
た
ま
た
ま
マ
リ
ン
バ
の
教
室
が
あ
っ
て
、
そ
こ
に
通
い
始
め
た
の
が
き
っ
か
け
で
す
。
木
琴
の
コロコロ
し
た
音
色
と
、
共
鳴
パ
イ
プ
に
響
く
低
い
音
の
余
韻
。
そ
う
い
う
倍
音
、
共
鳴
、
共
振
が
心
地
よ
か
っ
た
の
で
し
ょ
う
ね
。
あ
と
は
純
粋
に
操
作
す
る
の
が
楽
し
か
っ
た
の
だ
と
思
い
ま
す
。
た
だ
、
勉
強
が
忙
し
く
な
っ
て
く
る
高
校
1
年
生
の
終
わ
り
に
レッス
ン
を
一
度
や
め
ま
し
た
。
で
も
1
年
経
た
な
い
う
ち
に
や
は
り
マ
リ
ン
バ
が
し
た
い
、
そ
う
だ
音
楽
大
学
に
行
こ
う
と
。
マ
リ
ン
バ
を
弾
い
て
い
る
と
き
の
自
分
が
一
番
好
き
だ
っ
た
ん
で
す
ね
。
音
大
に
入
っ
て
も
っ
と
上
手
に
な
ら
な
け
れ
ば
と
思
っ
て
努
力
し
ま
し
た
。
2
0
0
5
年
ス
ロベニ
ア
で
開
催
さ
れ
た
世
界
コ
ン
ク
ー
ル
で
優
勝
し
た
と
き
に
、
音
楽
家
と
し
て
や
っ
て
い
く
ぞ
と
い
う
覚
悟
が
決
ま
っ
た
と
い
っ
て
い
い
か
も
し
れ
ま
せ
ん
。
今
、
こ
う
し
て
演
奏
す
る
こ
と
で
い
ろ
ん
な
人
と
濃
密
な
時
間
と
空
間
を
共
有
で
き
る
と
い
う
の
は
幸
せ
な
こ
と
だ
な
と
思
い
ま
す
。
─
星
美
で
の
思
い
出
は
?
楽
し
か
っ
た
で
す
ね
。
人
並
み
な
反
抗
期
は
あ
り
ま
し
た
け
ど
(
笑
)。
校
長
の
大
槇
シ
ス
タ
ー
が
、朝
礼
で
「
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
」
と
い
う
言
葉
を
よ
く
口
に
な
さ
っ
て
い
た
の
を
思
い
出
し
ま
す
。
中
学
生
の
と
き
は
ど
ん
な
意
味
か
わ
か
ら
ず
過
ご
し
ま
し
た
が
、高
校
2
年
の
と
き
、
自
分
を
ど
う
確
立
す
る
か
が
結
局
は
個
人
の
幸
せ
の
も
と
に
な
っ
て
い
て
、
そ
れ
が
揺
る
が
な
い
も
の
で
な
い
と
周
り
も
幸
せ
に
で
き
な
い
と
い
う
こ
と
が
な
ん
と
な
く
見
え
て
き
ま
し
た
。
カ
ト
リ
ッ
ク
の
学
校
で
す
か
ら
、
自
己
犠
牲
や
隣
人
愛
の
大
切
さ
は
ず
っ
と
教
え
ら
れ
て
き
ま
し
た
が
、
そ
う
す
る
と
自
分
が
幸
せ
に
な
っ
て
は
ダ
メ
な
ん
じ
ゃ
な
い
か
と
い
う
葛
藤
が
あ
り
ま
し
た
。
私
の
好
き
な
“
音
楽
”
を
や
っ
て
い
い
の
か
と
。
迷
っ
て
い
る
と
き
に
き
っ
か
け
の
言
葉
を
か
け
て
く
れ
た
の
は
星
美
の
学
校
の
友
だ
ち
で
し
た
。「
り
っ
ち
ゃ
ん
が
弾
い
て
幸
せ
。
私
た
ち
が
聞
い
て
幸
せ
。
だ
か
ら
そ
れ
で
い
い
じ
ゃ
な
い
」
と
。
そ
う
か
、
私
の
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
の
中
に
音
楽
も
あ
っ
た
ん
だ
と
。
吹
っ
切
れ
た
と
き
に
音
楽
の
道
が
選
べ
た
の
で
す
。
そ
こ
に
た
ど
り
着
け
た
の
は
嬉
し
か
っ
た
で
す
。
─
仕
事
、
音
楽
で
自
分
に
課
し
て
い
る
こ
と
は
?
こ
な
し
仕
事
を
し
な
い
。
特
に
演
奏
は
。
準
備
を
し
な
く
て
も
弾
け
る
レ
パ
ー
ト
リ
ー
は
た
く
さ
ん
あ
り
ま
す
が
、
私
が
「
こ
な
す
」
と
い
う
言
葉
を
使
い
さ
え
し
な
け
れ
ば
、
自
分
の
な
か
に
き
ち
ん
と
し
た
意
識
が
芽
生
え
ま
す
(
も
ち
ろ
ん
準
備
や
練
習
は
一
所
懸
命
し
ま
す
。
笑
)。
大
ホ
ー
ル
で
ソ
ロ
を
弾
く
の
と
、
小
さ
な
公
民
館
で
弾
く
の
と
で
、
込
め
る
思
い
が
違
っ
て
は
い
け
な
い
と
思
い
ま
す
。
ど
ん
な
場
所
で
も
、
私
の
演
奏
を
聴
い
て
い
る
人
の
中
の
一
人
で
も
、「
マ
リ
ン
バ
が
好
き
」
と
か
「
音
楽
っ
て
気
持
ち
が
い
い
も
の
な
ん
だ
」
と
感
じ
る
人
が
い
ら
っ
し
ゃ
れ
ば
私
は
明
日
死
ん
で
も
い
い
と
い
う
つ
も
り
で
す
。
技
術
は
既
に
た
く
さ
ん
練
習
し
て
身
に
つ
け
て
き
ま
し
た
が
、
最
後
に
“
大
熊
理
津
子
”
と
い
う
人
間
性
が
出
る
の
で
あ
れ
ば
、
い
つ
も
全
身
全
霊
で
な
け
れ
ば
、
と
思
っ
て
い
ま
す
。
─
後
輩
へ
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
。
「
い
つ
か
必
ず
わ
か
る
か
ら
頑
張
っ
て
生
き
て
ほ
し
い
」。
悩
み
と
か
は
た
く
さ
ん
あ
る
と
思
い
ま
す
。
け
れ
ど
い
つ
か
必
ず
わ
か
っ
て
き
ま
す
。
自
分
か
ら
わ
か
る
と
き
も
あ
る
し
、
周
り
の
人
の
自
分
に
対
す
る
愛
情
に
も
気
づ
い
て
い
ろ
ん
な
こ
と
が
わ
か
っ
て
く
る
は
ず
で
す
。
そ
し
て
「
が
む
し
ゃ
ら
で
あ
れ
」。
今
の
子
は
ハ
ー
ド
ル
が
低
く
、
こ
の
辺
ま
で
で
き
て
い
れ
ば
も
う
い
い
や
と
考
え
て
い
る
よ
う
で
す
。
も
う
少
し
負
け
ず
嫌
い
で
も
い
い
の
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
負
の
感
情
で
も
昇
華
す
れ
ば
プ
ラ
ス
に
な
り
ま
す
。
絶
対
あ
い
つ
よ
り
う
ま
く
な
っ
て
や
る
と
か
、
「
コ
ン
チ
ク
シ
ョ
ー
!
」
と
い
う
気
持
ち
が
勉
強
と
か
練
習
の
根
本
に
あ
る
と
絶
対
頑
張
れ
ま
す
。
あ
と
は
「
好
き
な
こ
と
を
大
切
に
し
て
ほ
し
い
」。
音
楽
と
か
絵
を
描
く
こ
と
、
読
書
と
か
友
だ
ち
と
し
ゃ
べ
る
こ
と
で
も
な
ん
で
も
い
い
で
す
。
そ
れ
を
大
切
に
し
て
い
れ
ば
き
っ
と
喜
び
に
も
つ
な
が
る
し
、
悩
ん
で
い
る
と
き
の
助
け
に
も
な
り
ま
す
。
職
業
や
進
路
と
し
て
選
ば
な
く
て
も
、
そ
れ
を
好
き
だ
と
い
う
自
分
に
素
直
で
あ
っ
て
ほ
し
い
で
す
ね
。
★
★サレジオ歴★ 星美学園小学校・中学校・高等学校
プロフィール
1978 年生まれ。星美学園高等学校を卒業後、桐朋学園大学にて世界的マリンバ奏者・安
倍圭子氏、ドイツベルリンオペラ元副首席打楽器奏者・佐野恭一氏に師事。同大学研究科
及びオーケストラアカデミー修了。国内外多数のコンクール入賞を経て 2005 年世界マリン
バコンチェルトコンペティション優勝。現在はソロ活動に加え、オーケストラ、室内楽、映画
音楽、レコーディング等精力的に活動する傍ら、母校の音楽科講師を務め、後進の指導に
あたる。リリースCD「全速力ウーマン」(2009)、「Gold'n Bear」(2011)など。
公式ホームページ http://ritzy.biz/
小柄だが、とてもエネルギッシュ。マリ
ンバを弾きはじめると、周りを圧倒する
ような存在感で聴く人を惹きつける
DB
教え子たち
の
ドン・ボスコ
連載インタビュー
「好きなことを大切に
そして、がむしゃらであれ。」
マリンバ奏者・打楽器奏者
大
おおくま
熊 理
りつこ
津子さん
No.13
東京都北区赤羽台4-2-14
www.seibi.ac.jp
星美学園小学校・中学校・高等学校
左は 2009 年リリースの
ファーストアルバム「全速
力ウーマン」。オリジナル
を含む全 8 曲を収録。様々
な表情を見せるマリンバの
魅力が満載。
右は 2011 年リリースの
マリンバデュオアルバム
「Gold'n Bear」。
マレットと呼ばれるマリンバの枹
ばち
。
ゴムにかぶせる素材の違いで、音色が変わる
最大 6 本のマレットを巧みに操り、豊かな和音が響く。
幅 2 メートル以上あるマリンバが小さく見えた
15 14SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
「
六
感
に
響
く
い
い
ア
イ
デ
ア
が
出
て
こ
な
け
れ
ば
絶
対
に
始
め
な
い
」。
世
界
で
愛
さ
れ
て
い
る
包
丁
、「
グ
ロ
ー
バ
ル
」
(
吉
田
金
属
工
業
株
式
会
社
)
な
ど
を
デ
ザ
イ
ン
し
た
日
本
を
代
表
す
る
プ
ロ
ダ
ク
ト
デ
ザ
イ
ナ
ー
・
山
田
耕
民
さ
ん
に
話
を
伺
っ
た
。
★
★
★
─
い
つ
か
ら
、
デ
ザ
イ
ン
に
興
味
が
あ
っ
た
の
で
す
か
?
昔
は
遊
び
道
具
が
少
な
か
っ
た
の
で
、
小
さ
い
頃
か
ら
兄
の
真
似
を
し
て
ナ
イ
フ
一
本
で
工
作
し
て
い
ま
し
た
。
そ
れ
に
父
が
プ
リ
ン
ス
自
動
車
(
1
9
6
6
年
に
日
産
自
動
車
と
合
併
)
に
勤
め
て
い
た
の
で
、
物
を
作
る
と
い
う
こ
と
に
関
心
は
あ
り
ま
し
た
ね
。
そ
れ
で
い
つ
か
は
車
の
デ
ザ
イ
ナ
ー
に
な
り
た
い
な
と
思
っ
て
い
ま
し
た
。
─
ど
ん
な
学
生
で
し
た
か
?
ど
ち
ら
か
っ
て
言
っ
た
ら
悪
い
ほ
う
。
う
ち
は
そ
ん
な
に
裕
福
で
な
か
っ
た
か
ら
、
し
ょ
っ
ち
ゅ
う
隠
れ
て
バ
イ
ト
し
て
ま
し
た
ね
。
学
校
を
休
ん
で
家
で
看
板
を
作
っ
て
い
た
こ
と
が
あ
る
ん
で
す
。
そ
し
た
ら
ヘ
ン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
が
、
英
語
の
坂
口
先
生
と
一
緒
に
訪
ね
て
き
て
ね
。
ば
れ
た
か
も
し
れ
な
い
な
あ
っ
て
。
も
う
時
効
だ
か
ら
い
い
か
(
笑
)。
ヘ
ン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
の
思
い
出
と
し
て
は
、
彼
は
芸
術
、
技
術
、
文
化
、
宗
教
に
対
し
て
と
て
も
偏
見
の
少
な
い
人
で
、
僕
み
た
い
な
無
宗
教
な
学
生
も
温
か
く
見
守
っ
て
く
れ
ま
し
た
。
僕
は
い
わ
ゆ
る
優
秀
な
学
生
で
は
な
か
っ
た
の
で
す
が
、
彼
は
僕
の
感
性
を
非
常
に
大
切
に
し
て
く
れ
た
し
、客
観
的
に
見
て
く
れ
ま
し
た
。
そ
う
い
う
こ
と
で
僕
は
千
葉
大
学
に
推
薦
さ
れ
、
そ
こ
の
工
房
助
手
を
し
ま
し
た
。
そ
の
縁
で
大
日
本
印
刷
で
パッ
ケ
ー
ジ
を
か
な
り
勉
強
し
、
大
日
本
印
刷
の
関
係
で
新
潟
で
の
雑
貨
の
デ
ザ
イ
ン
の
仕
事
を
始
め
ま
し
た
。
─
ど
ん
な
こ
と
を
考
え
な
が
ら
デ
ザ
イ
ン
さ
れ
て
い
ま
す
か
?
雑
貨
の
デ
ザ
イ
ン
の
世
界
と
い
う
の
は
、
完
全
に
オ
リ
ジ
ナ
リ
テ
ィ
の
あ
る
も
の
は
な
か
な
か
作
れ
ま
せ
ん
。
自
分
が
感
激
す
る
よ
う
な
デ
ザ
イ
ン
を
見
て
、
何
が
い
い
ん
だ
ろ
う
と
つ
き
詰
め
て
い
く
と
、
使
い
や
す
さ
だ
っ
た
り
シ
ン
プ
ル
さ
だ
っ
た
り
す
る
ん
で
す
。
ス
プ
ー
ン
で
い
え
ば
、
持
ち
や
す
さ
、
口
に
い
れ
る
と
き
の
角
度
。
そ
れ
か
ら
置
い
た
と
き
に
形
が
き
れ
い
か
ど
う
か
。
そ
し
て
最
初
に
あ
る
の
は
、
ど
ん
な
も
の
が
欲
し
い
か
と
い
う
こ
と
。
ま
ず
自
分
が
欲
し
い
か
ど
う
か
。
で
も
逆
に
個
人
的
に
自
分
が
好
き
と
い
う
だ
け
で
な
く
、
こ
う
い
う
の
が
あ
っ
て
も
い
い
は
ず
だ
と
い
う
考
え
を
大
切
に
し
て
い
ま
す
。
そ
れ
か
ら
、
自
分
が
物
を
作
る
と
き
の
モ
チ
ー
フ
は
必
ず
ど
こ
か
自
然
の
中
に
あ
り
ま
す
。
包
丁
の「
グ
ロ
ー
バル
」(
1
9
8
3
年
に
吉
田
金
属
工
業
株
式
会
社
が
製
造
・
発
売
し
た
世
界
初
の
ス
テ
ン
レ
ス
製
一
体
構
造
包
丁
)
だ
っ
て
、私
自
身
も
後
で
気
付
い
た
ん
で
す
が
、
こ
れ
っ
て
魚
の
形
じ
ゃ
な
い
か
っ
て
。
自
然
に
あ
る
物
は
ど
ん
な
に
異
形
で
あ
っ
て
も
生
き
て
い
く
の
に
都
合
の
い
い
形
に
な
っ
て
い
ま
す
。
そ
う
い
う
意
味
で
は
、
大
自
然
が
一
つ
の
パ
タ
ー
ン
作
り
を
し
て
い
る
わ
け
で
す
。
そ
れ
が
自
然
の
偉
大
さ
で
あ
る
と
。
そ
う
考
え
る
と
、
自
分
な
り
の
オ
リ
ジ
ナ
ル
の
形
を
作
ろ
う
と
い
う
の
は
傲
慢
な
考
え
方
で
、
人
間
の
作
る
も
の
な
ん
て
非
常
に
小
さ
な
も
の
だ
な
と
思
い
ま
す
。
─
仕
事
を
す
る
上
で
大
切
に
し
て
い
る
こ
と
は
?
一
つ
だ
け
鉄
則
が
あ
る
ん
で
す
よ
。
自
分
に
響
か
な
け
れ
ば
そ
の
仕
事
は
や
ら
な
い
。
自
分
の
天
職
は
作
る
こ
と
だ
と
思
い
ま
す
が
、
僕
は
な
か
な
か
仕
事
を
始
め
ま
せ
ん
。
な
ぜ
な
ら
作
る
と
い
う
行
為
は
と
て
も
根
源
的
で
つ
ら
い
こ
と
で
す
か
ら
、
い
い
ア
イ
デ
ア
が
出
る
ま
で
絶
対
作
ら
な
い
。
わ
か
る
ん
で
す
よ
、
感
性
で
。
焦
点
が
絞
ら
れ
て
、
無
駄
な
も
の
が
省
か
れ
て
い
く
ん
で
す
。
描
い
て
い
る
う
ち
に
「
あ
、
こ
れ
だ
な
」
っ
て
。
そ
れ
か
ら
始
め
ま
す
。
技
術
と
い
う
の
は
努
力
次
第
で
人
格
的
に
良
か
ろ
う
が
悪
か
ろ
う
が
、
あ
る
程
度
到
達
で
き
る
も
の
だ
と
思
い
ま
す
。
け
れ
ど
も
感
性
は
も
と
も
と
悪
け
れ
ば
磨
い
て
も
伸
び
ま
せ
ん
。
デ
ザ
イ
ン
の
世
界
は
99
%
は
努
力
だ
け
ど
、
最
後
の
1
%
は
六
感
(
計
り
知
れ
な
い
も
の
を
感
じ
る
力
)
だ
と
思
い
ま
す
。
そ
の
六
感
み
た
い
な
も
の
が
働
か
な
い
と
い
い
も
の
が
出
て
き
ま
せ
ん
。
六
感
を
満
足
さ
せ
る
よ
う
な
も
の
は
、
い
い
デ
ザ
イ
ン
に
な
っ
て
い
ま
す
。
た
だ
物
が
売
れ
た
り
ヒ
ッ
ト
し
た
り
す
る
の
は
、
多
分
に
そ
の
人
の
才
能
も
あ
る
け
ど
、
そ
れ
ま
で
培
つ
ち
か
っ
た
人
間
関
係
か
ら
回
っ
て
く
る
チ
ャ
ン
ス
に
巡
り
合
う
と
い
う
こ
と
か
も
し
れ
ま
せ
ん
。
僕
は
デ
ザ
イ
ン
で
も
人
間
関
係
で
も
、
耕
作
し
た
部
分
し
か
実
ら
な
い
と
思
っ
て
い
ま
す
。
人
間
関
係
だ
っ
た
ら
人
を
耕
す
と
い
う
こ
と
で
す
が
、
耕
し
た
分
だ
け
そ
の
本
人
か
ら
帰
っ
て
く
る
っ
て
わ
け
で
は
な
い
け
れ
ど
も
、
誰
か
か
ら
そ
の
実
り
が
返
っ
て
き
ま
す
。
で
も
大
事
な
の
は
実
る
こ
と
を
期
待
し
な
い
で
耕
す
こ
と
だ
と
思
い
ま
す
。
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
が
そ
う
だ
っ
た
と
思
い
ま
す
が
、
人
間
が
出
来
て
い
る
4
4
4
4
4
4
4
4
人
は
、
実
り
を
期
待
し
て
い
な
い
ん
で
す
ね
。
─
若
い
世
代
へ
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
自
分
を
信
じ
る
こ
と
、
そ
れ
か
ら
心
に
響
く
こ
と
を
大
切
に
す
る
こ
と
。
何
か
か
っ
こ
い
い
と
思
っ
た
ら
、
そ
れ
は
な
ぜ
か
、
な
ぜ
心
に
響
く
の
か
を
突
き
詰
め
る
。
実
は
単
純
な
も
の
ほ
ど
、
そ
れ
は
仕
上
げ
だ
っ
た
り
考
え
方
だ
っ
た
り
し
ま
す
。
デ
ザ
イ
ン
を
す
る
人
に
言
い
た
い
の
は
、
“
作
る
”
と
い
う
こ
と
が
前
提
に
な
ら
な
け
れ
ば
、
デ
ザ
イ
ン
は
出
発
し
な
い
と
い
う
こ
と
。
表
面
的
な
こ
と
を
デ
ザ
イ
ン
す
る
の
で
は
な
く
、“
作
る
”
こ
と
を
真
剣
に
考
え
、“
作
る
”
こ
と
に
責
任
を
負
っ
て
いっ
て
ほ
し
い
な
と
思
い
ま
す
。
★
★サレジオ歴★ サレジオ工業高等専門学校 (旧育英工業高等専門学校)
プロフィール
1947 年東京都生まれ。育英工業高等専門学校(現サレジオ高専)工業意匠学科卒業。故
ヘンドリックス神父の紹介により、 千葉大学工業意匠学科意匠科に助手として入職し、デザ
インコンセプト・モデリング等を学ぶ。1983 年発表の「グローバル」は世界的に評価され、
今も世界で愛され続けている。
【デザインした主な製品】[野田琺瑯] カマド、ノマク、[吉田金属工業]グローバル、[ロー
ゼンダール]ツール、[KOMIN]ケトル、ナベ、フライパン、イモノ、[モリイ]炭器 スミキ、
[シャラクモノ]カトラリー、ミキシングボール、[ST 化学] 芳香剤 他
【受賞歴】日本グッドデザイン賞、ロングライフデザイン賞 他
無骨な風
ふう
貌
ぼう
と朴
ぼく
訥
とつ
な姿の
中に穏やかさと優しさを感
じさせる。紙にイメージを
スケッチしながら話すのが
印象的だった
「自分を信じること。
それから、心に響くことを大切にする。」
プロダクト・デザイナー
山
やま だ
田 耕
こう みん
民さん
No.14
東京都町田市小山ヶ丘 4-6-8
www.salesio-sp.ac.jp
サレジオ工業高等専門学校
左奥が「GLOBAL」最新モデル。隣の白いのはその試作木製モデル。右の 2 つの白いケトルは野田琺瑯製。一番手前の
2 つの鍋は新潟県燕市のメーカーとの共同ブランド「シャラクモノ」。使い勝手がそのまま形になったかのよう
ステンレス製
一体構造包丁
「GLOBAL」
17 16SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
ニ
テ
ロ
イ
社
会
ス
ポ
ー
ツ
学
校
、
サ
ッ
カ
ー
の
ス
タ
ー
選
手
を
迎
え
開
校
リ
オ
デ
ジ
ャ
ネ
イ
ロ
に
近
い
ニ
テ
ロ
イ
市
の
サ
レ
ジ
オ
会
ユ
ー
ス
セ
ン
タ
ー
は
2
0
1
3
年
7
月
6
日
、
ス
ペ
イ
ン
・
マ
ド
リ
ー
ド
の
サ
レ
ジ
オ
宣
教
事
務
局
と
レ
ア
ル
・
マ
ド
リ
ー
ド
基
金
に
よ
っ
て
ブ
ラ
ジ
ル
に
開
設
さ
れ
た
社
会
ス
ポ
ー
ツ
学
校
の
開
校
式
を
主
催
し
た
。
同
校
は
、
町
の
最
も
貧
し
い
地
区
の
約
2
0
0
人
の
子
ど
も
と
10
代
か
ら
上
の
若
者
た
ち
の
た
め
に
開
設
さ
れ
た
。
開
校
式
に
参
加
し
た
2
0
0
人
の
子
ど
も
と
若
者
た
ち
に
と
っ
て
大
き
な
驚
き
だ
っ
た
の
は
、
レ
ア
ル
・
マ
ド
リ
ー
ド
所
属
の
ブ
ラ
ジ
ル
代
表
で
、
最
近
、
コ
ン
フ
ェ
デ
レ
ー
シ
ョ
ン
・
カ
ッ
プ
で
も
優
勝
し
た
マ
ル
セ
ロ
・
ヴ
ィ
エ
イ
ラ
・
ダ
・
シ
ル
バ
2
世
が
参
加
し
、
証
し
を
し
て
く
れ
た
こ
と
。
マ
ル
セ
ロ
が
来
る
こ
と
を
知
ら
な
か
っ
た
子
ど
も
た
ち
は
興
奮
か
ら
ひ
と
ま
ず
落
ち
着
く
と
、
カ
ポ
エ
イ
ラ
や
マ
ク
レ
レ
な
ど
の
武
術
や
ダ
ン
ス
を
披
露
、
拍
手
を
浴
び
た
。
マ
ル
セ
ロ
は
い
つ
も
の
よ
う
に
笑
顔
で
愛
想
よ
く
サ
イ
ン
や
記
念
写
真
に
応
じ
、
子
ど
も
た
ち
と
一
緒
に
ダ
ン
ス
を
し
、
パ
ー
カ
ッ
シ
ョ
ン
楽
器
を
演
奏
し
た
り
、
サ
ッ
カ
ー
に
興
じ
た
り
し
た
。
同
校
は
「
平
和
の
た
め
の
ス
ポ
ー
ツ
」
学
校
と
命
名
さ
れ
た
。
ニ
テ
ロ
イ
社
会
ス
ポ
ー
ツ
学
校
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
は
、
授
業
時
間
外
に
子
ど
も
た
ち
が
サ
ッ
カ
ー
を
で
き
る
よ
う
に
す
る
。
レ
ア
ル・マ
ド
リ
ー
ド
基
金
の
「
サ
ッ
カ
ー
を
楽
し
み
、
教
育
す
る
」
プ
ロ
グ
ラ
ム
の
資
格
を
持
つ
コ
ー
チ
が
指
導
す
る
。
2
0
0
人
の
子
ど
も
た
ち
は
、
勉
強
と
食
事
の
支
援
、
定
期
的
な
健
康
診
断
、
家
庭
や
心
理
的
な
面
の
支
援
を
受
け
、
体
操
、
工
芸
、
カ
ポ
エ
イ
ラ
、
読
書
、
社
会
教
育
な
ど
さ
ま
ざ
ま
な
社
会
的
・
教
育
的
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
、
ま
た
、
健
康
、
衛
生
、
道
徳
教
育
、
ア
ル
コ
ー
ル
・
タ
バ
コ
・
麻
薬
予
防
な
ど
さ
ま
ざ
ま
な
テ
ー
マ
の
養
成
プ
ロ
グ
ラ
ム
に
参
加
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
ア
レ
ッ
ポ
の
W
Y
D
2
0
1
3
年
7
月
28
日
、
リ
オ
デ
ジ
ャ
ネ
イ
ロ
の
世
界
青
年
の
日
大
会
(
W
Y
D
)
に
合
わ
せ
、
戦
禍
に
見
舞
わ
れ
た
シ
リ
ア
の
ア
レ
ッ
ポ
で
も
W
Y
D
が
開
か
れ
、
8
5
0
人
の
若
者
が
サ
レ
ジ
オ
会
の
支
部
に
集
っ
た
。
若
者
た
ち
は
全
世
界
の
若
者
と
一
致
し
、
困
難
や
恐
れ
を
乗
り
越
え
、
教
会
と
社
会
に
希
望
を
も
た
ら
し
た
い
と
望
ん
だ
。
集
い
は
リ
オ
大
会
の
祈
り
で
始
ま
り
、
ペ
ト
ロ
の
召
命
の
福
音
朗
読
に
耳
を
傾
け
、
マ
ラ
ヤ
テ
ィ
大
司
教
や
サ
レ
ジ
オ
会
中
東
管
区
の
青
少
年
司
牧
担
当
シ
モ
ン
・
ザ
カ
リ
ア
ン
神
父
を
は
じ
め
と
す
る
講
師
た
ち
が
キ
リ
ス
ト
の
弟
子
、
証
し
人
に
な
る
、
と
い
う
テ
ー
マ
を
深
め
た
。
若
者
た
ち
は
体
験
し
て
い
る
恐
れ
や
心
配
に
つ
い
て
語
り
合
い
、
そ
の
中
で
、
自
SFN世界のサレジオ家族ニュース
World Salesian Family NEWS
分
た
ち
の
先
祖
が
多
く
の
苦
し
み
や
迫
害
の
中
で
信
仰
を
守
っ
て
き
た
お
か
げ
で
今
の
自
分
た
ち
が
あ
る
と
い
う
こ
と
に
気
付
い
た
。
苦
し
み
の
中
で
も
キ
リ
ス
ト
の
愛
に
踏
み
と
ど
ま
る
よ
う
若
者
た
ち
は
勇
気
づ
け
ら
れ
た
。
夕
食
の
後
、
ギ
リ
シ
ャ
・
メ
ル
カ
イ
ト
派
ジ
ャ
ン
バ
ー
ル
大
司
教
と
大
勢
の
司
祭
の
共
同
司
式
に
よ
る
ミ
サ
が
行
わ
れ
、
大
司
教
は
教
皇
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
が
繰
り
返
し
て
い
る
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
語
っ
た
。
「
何
も
の
に
も
、
あ
な
た
の
希
望
を
盗
み
取
ら
れ
て
は
な
り
ま
せ
ん
!
」
ミ
サ
後
、
若
者
た
ち
自
身
の
用
意
し
た
さ
ま
ざ
ま
な
ゲ
ー
ム
を
楽
し
み
、
聖
テ
レ
ジ
ア
聖
歌
隊
の
合
唱
に
耳
を
傾
け
、
洗
礼
の
約
束
の
更
新
、
聖
母
の
汚
れ
な
き
み
心
へ
の
奉
献
を
も
っ
て
、
喜
び
に
包
ま
れ
安
ら
か
に
一
日
は
終
わ
っ
た
。
マ
ラ
ヤ
テ
ィ
大
司
教
は
「
こ
れ
ほ
ど
多
く
の
若
者
が
恐
れ
ず
に
平
和
を
証
し
す
る
の
を
見
て
、
驚
き
ま
し
た
。
こ
れ
は
神
様
か
ら
の
贈
り
も
の
で
す
。
困
難
の
中
で
若
者
た
ち
は
、
自
分
た
ち
を
救
う
も
の
は
何
で
あ
る
か
に
目
覚
め
、
一
人
ひ
と
り
へ
の
イ
エ
ス
の
い
つ
く
し
み
を
感
じ
て
い
ま
す
。
多
く
の
若
者
が
祈
り
と
兄
弟
姉
妹
へ
の
奉
仕
の
う
ち
に
自
分
を
主
に
捧
げ
た
い
と
考
え
は
じ
め
て
い
ま
す
」
と
、
感
動
し
つ
つ
、
語
っ
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
員
、
無
罪
判
決
!
4
年
ぶ
り
に
釈
放
サ
レ
ジ
オ
会
メ
キ
シ
コ
・
グ
ァ
ダ
ラ
ハ
ラ
管
区
の
ホ
セ
=
カ
ル
ロ
ス
・
コ
ン
ト
レ
ラ
ス
神
父
が
、
2
0
1
3
年
8
月
21
日
に
メ
キ
シ
コ
最
高
裁
判
所
の
無
罪
判
決
を
受
け
、
4
年
ぶ
り
に
自
由
の
身
と
な
っ
た
。
ホ
セ
神
父
は
サ
ン
・
ル
イ
ス
・
ポ
ト
シ
の
サ
レ
ジ
オ
学
院
の
小
学
校
長
を
務
め
て
い
た
当
時
、
同
学
院
の
女
子
生
徒
殺
害
容
疑
で
逮
捕
さ
れ
た
が
、
不
当
な
裁
判
手
続
き
・
審
理
に
も
く
じ
け
ず
、
サ
レ
ジ
オ
会
共
同
体
と
多
く
の
支
援
者
に
支
え
ら
れ
た
。
22
日
、
ホ
セ
神
父
は
、
両
親
、
サ
レ
ジ
オ
会
員
を
は
じ
め
、
生
徒
や
教
職
員
、
協
力
者
な
ど
2
0
0
0
人
が
集
っ
た
ミ
サ
を
司
式
、
会
場
は
喜
び
と
熱
意
に
包
ま
れ
た
。
逮
捕
が
聖
母
の
祝
日
、
解
放
も
天
の
元
后
の
祝
日
で
あ
り
、
ホ
セ
神
父
は
聖
母
の
特
別
な
ご
加
護
を
感
じ
、
感
謝
し
た
。
「
命
は
神
か
ら
の
贈
り
も
の
で
す
。
こ
れ
ほ
ど
多
く
の
子
ど
も
、
若
者
が
信
仰
を
生
き
て
い
る
姿
を
見
て
、
神
を
讃
え
ま
す
。」
ホ
セ
神
父
は
、
い
ち
ば
ん
の
被
害
者
で
あ
る
イ
ツ
ァ
チ
ェ
ル
・
ゴ
ン
ザ
レ
ス
さ
ん
を
ミ
サ
の
中
で
特
別
に
思
い
出
し
、
祈
っ
た
。
ム
ル
グ
イ
ー
ア
管
区
長
は
支
え
て
く
れ
た
多
く
の
人
々
、
特
に
カ
ト
リ
ッ
ク
弁
護
士
会
に
感
謝
し
、
犯
人
が
見
つ
か
り
、
法
の
下
に
裁
か
れ
る
こ
と
を
願
っ
て
い
る
と
語
っ
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
の
チ
ャ
ー
ベ
ス
総
長
は
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
送
り
、「
聖
母
か
ら
の
最
高
の
贈
り
も
の
で
す
」
と
喜
び
を
伝
え
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
聖
遺
物
、
レ
バ
ノ
ン
へ
平
和
と
希
望
の
巡
礼
者
隣
国
シ
リ
ア
の
内
戦
を
逃
れ
て
多
く
の
難
民
が
流
入
す
る
な
か
、
平
和
と
希
望
の
巡
礼
者
が
レ
バ
ノ
ン
を
訪
れ
た
。
2
0
1
3
年
8
月
31
日
、
世
界
の
5
大
陸
を
巡
っ
て
き
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
聖
遺
物
は
大
き
な
喜
び
の
う
ち
に
レ
バ
ノ
ン
の
キ
リ
ス
ト
者
共
同
体
に
迎
え
ら
れ
た
。「
ド
ン・
ボ
ス
コ
を
迎
え
る
こ
と
は
、
私
た
ち
サ
レ
ジ
オ
家
族
だ
け
で
な
く
、
す
べ
て
の
人
に
と
っ
て
大
き
な
出
来
事
で
す
」。
レ
バ
ノ
ン
の
サ
レ
ジ
オ
会
共
同
体
院
長
カ
ル
ミ
・
サ
マ
ー
ン
神
父
は
語
っ
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
到
着
す
る
と
国
民
の
間
に
安
堵
感
が
広
が
り
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
友
人
た
ち
は
危
険
を
顧
み
ず
、
各
地
か
ら
、
シ
リ
ア
か
ら
さ
え
も
崇
敬
を
捧
げ
に
来
た
。
地
元
メ
デ
ィ
ア
も
関
心
を
寄
せ
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
聖
遺
物
巡
礼
を
紹
介
し
た
。
エ
ル
・
フ
ッ
ス
ー
ン
の
サ
レ
ジ
オ
会
共
同
体
の
家
か
ら
出
発
し
た
聖
遺
物
は
、
レ
バ
ノ
ン
山
や
北
部
の
村
々
で
は
米
や
バ
ラ
の
花
を
投
げ
か
け
ら
れ
、
ラ
ン
タ
ン
や
松
明
を
と
も
し
て
迎
え
ら
れ
た
。
エ
フ
デ
ン
、
カ
ハ
レ
の
町
を
回
り
、
9
月
7
日
か
ら
8
日
に
か
け
、
ハ
リ
ッ
サ
の
「
レ
バ
ノ
ン
の
聖
母
大
聖
堂
」
へ
、
サ
レ
ジ
オ
の
雰
囲
気
に
満
ち
た
若
者
と
の
集
い
の
後
、
マ
ロ
ン
派
大
主
教
ベ
シ
ャ
ラ
・
ラ
イ
枢
機
卿
司
式
に
よ
る
荘
厳
な
祝
い
が
執
り
行
わ
れ
、
そ
の
後
の
夕
の
祈
り
は
、
ロ
ー
マ
の
サ
ン
・
ピ
エ
ト
ロ
広
場
の
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
教
皇
と
の
平
和
と
希
望
の
祈
り
に
心
を
合
わ
せ
た
。
9
日
に
は
フ
ィ
ダ
ル
に
お
い
て
、
レ
バ
ノ
ン
で
最
も
崇
敬
を
集
め
る
聖
人
の
一
人
、
聖
シ
ャ
ー
ベ
ル
に
さ
さ
げ
ら
れ
た
教
会
で
、
信
徒
の
崇
敬
を
受
け
た
。
隠
遁
者
と
し
て
祈
り
に
生
涯
を
さ
さ
げ
た
聖
人
と
、
若
者
に
仕
え
て
活
動
の
生
涯
を
さ
さ
げ
た
聖
人
が
こ
World Salesian Family NEWS
ニテロイのユースセンターの子どもたちとマルセロ選手解放されたホセ神父
レバノンの聖母大聖堂での祝いの様子
開校式の様子 スーパースターの登場に喜ぶニテロイの子どもたち
アレッポの街とWYD in リオの公式ロゴマーク
シ
リ
ア
メ
キ
シ
コ
ブ
ラ
ジ
ル
レ
バ
ノ
ン
19 18SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
こ
に
出
会
っ
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
を
は
じ
め
、
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
や
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
の
サ
レ
ジ
オ
家
族
だ
け
で
な
く
、
ほ
か
の
多
く
の
グ
ル
ー
プ
の
人
た
ち
が
会
場
や
典
礼
を
美
し
く
整
え
る
準
備
に
参
加
し
、
聖
人
・
教
育
者
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
出
会
っ
た
。
「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
シ
リ
ア
の
危
機
が
最
も
高
ま
っ
た
と
き
に
平
和
と
希
望
の
巡
礼
者
と
し
て
私
た
ち
を
訪
れ
、
希
望
の
光
を
残
し
て
い
っ
て
く
れ
ま
し
た
」
と
サ
マ
ー
ン
神
父
は
感
動
の
う
ち
に
述
べ
た
。
そ
の
後
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
巡
礼
は
イ
ス
ラ
エ
ル
、
聖
地
へ
と
続
い
た
。
サ
レ
ジ
オ
家
族
、
最
も
助
け
を
必
要
と
す
る
人
々
と
と
も
に
現
在
も
内
戦
が
続
く
シ
リ
ア
の
サ
レ
ジ
オ
会
と
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
は
、
最
も
助
け
を
必
要
と
す
る
人
々
、
そ
し
て
、
悲
惨
な
状
況
に
直
面
す
る
多
く
の
若
者
の
た
め
に
尽
力
し
続
け
て
い
る
。
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
は
首
都
ダ
マ
ス
コ
で
イ
タ
リ
ア
病
院
を
運
営
し
て
い
る
。
2
0
1
3
年
11
月
8
日
現
在
ま
で
の
こ
の
2
年
、
砲
撃
や
自
動
車
爆
弾
で
負
傷
し
た
人
々
が
運
び
込
ま
れ
、
無
料
で
治
療
し
て
き
た
。
「
多
い
と
き
は
日
に
30
人
負
傷
者
を
受
け
入
れ
ま
し
た
。
廊
下
に
も
ベ
ッ
ド
を
並
べ
、
医
師
、
看
護
師
、
シ
ス
タ
ー
た
ち
皆
で
世
話
に
あ
た
っ
て
い
ま
す
」
と
院
長
シ
ス
タ
ー
・ア
ナ
マ
リ
ア
・
ス
カ
ル
セ
ッ
ラ
は
語
っ
た
。
病
院
は
エ
ジ
プ
ト
学
者
ス
キ
ア
ッ
パ
レ
ッ
リ
に
よ
っ
て
創
立
、
激
動
の
歴
史
を
く
ぐ
り
ぬ
け
、
2
0
1
3
年
に
1
0
0
周
年
を
迎
え
て
い
る
。
不
安
な
情
勢
が
続
く
中
、
人
々
の
拠
り
ど
こ
ろ
に
な
っ
て
い
る
。
近
く
の
サ
レ
ジ
オ
会
の
オ
ラ
ト
リ
オ
と
学
校
で
は
、
2
0
0
人
の
児
童
と
3
0
0
人
の
青
年
た
ち
が
通
う
。
困
窮
す
る
家
庭
へ
の
食
料
配
布
、
心
の
支
え
、
教
育
支
援
、
職
業
訓
練
を
行
っ
て
い
る
。
ベ
ネ
ズ
エ
ラ
出
身
の
宣
教
師
ア
レ
ハ
ン
ド
ロ
・
レ
オ
ン
神
父
は
「
宗
派
に
か
か
わ
り
な
く
子
ど
も
た
ち
を
受
け
入
れ
て
い
ま
す
」
と
語
る
。
「
観
光
産
業
や
大
使
館
に
勤
め
て
い
た
家
庭
の
大
黒
柱
は
内
戦
の
影
響
で
職
を
失
い
ま
し
た
。
そ
れ
に
日
常
的
な
危
険
。
子
ど
も
た
ち
の
多
く
は
郊
外
の
労
働
者
階
級
の
町
に
住
ん
で
い
ま
す
。
移
送
の
バ
ス
を
出
す
か
ど
う
か
、
毎
日
判
断
し
な
け
れ
ば
な
り
ま
せ
ん
。
一
度
は
、
子
ど
も
た
ち
を
乗
せ
た
バ
ス
の
す
ぐ
そ
ば
に
迫
撃
砲
が
撃
ち
込
ま
れ
た
こ
と
も
あ
り
ま
し
た
。
家
族
、
友
人
、
近
所
の
人
な
ど
、
皆
、
誰
か
を
亡
く
し
て
い
ま
す
。
こ
の
よ
う
な
状
況
に
あ
っ
て
、『
神
様
が
い
る
な
ら
、
な
ぜ
こ
ん
な
こ
と
を
ゆ
る
す
の
?
』
と
問
う
人
も
い
ま
す
が
、
長
く
オ
ラ
ト
リ
オ
に
通
っ
て
い
て
以
前
は
遊
ん
で
い
る
だ
け
だ
っ
た
子
ど
も
が
や
っ
て
来
て
、『
神
父
様
、
わ
か
っ
た
よ
。
変
わ
ら
な
い
の
は
神
様
だ
け
だ
よ
』
と
言
い
ま
す
。
若
者
た
ち
の
信
仰
は
深
ま
り
、
福
音
に
立
ち
帰
っ
て
い
ま
す
。」
ド
ン
・
ボ
ス
コ
生
誕
2
0
0
周
年
期
間
中
、
聖
骸
布
公
開
へ
2
0
1
3
年
12
月
5
日
、
イ
タ
リ
ア
・
ト
リ
ノ
教
区
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
生
誕
2
0
0
周
年
に
合
わ
せ
、
2
0
1
5
年
春
に
聖
骸
布
の
特
別
公
開
を
行
う
と
発
表
し
た
。
聖
骸
布
は
、
十
字
架
上
で
亡
く
な
っ
た
イ
エ
ス
・
キ
リ
ス
ト
の
遺
体
を
包
ん
だ
と
伝
え
ら
れ
る
麻
布
。
発
表
を
行
っ
た
ト
リ
ノ
の
ノ
シ
リ
ア
大
司
教
は
次
の
よ
う
に
語
っ
た
。
「
先
ご
ろ
、
聖
ヨ
ハ
ネ
・
ボ
ス
コ
生
誕
2
0
0
周
年
の
祝
い
の
一
環
と
し
て
の
聖
骸
布
の
公
開
に
つ
い
て
、
教
皇
の
賛
同
が
バ
チ
カ
ン
国
務
省
よ
り
伝
え
ら
れ
ま
し
た
。
若
者
の
父
・
師
で
あ
る
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
実
り
豊
か
な
カ
リ
ス
マ
(
奉
仕
す
る
た
め
に
神
か
ら
与
え
ら
れ
る
賜
物
)
の
重
要
性
は
現
代
ま
す
ま
す
高
ま
り
、
全
教
会
に
一
致
し
て
行
わ
れ
る
サ
レ
ジ
オ
家
族
の
奉
仕
に
よ
っ
て
引
き
継
が
れ
て
い
ま
す
。」
ト
リ
ノ
教
区
と
サ
レ
ジ
オ
会
か
ら
の
招
待
を
受
け
、
聖
骸
布
が
公
開
さ
れ
る
2
0
0
周
年
の
期
間
中
、
教
皇
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
が
ト
リ
ノ
を
訪
問
す
る
可
能
性
も
高
ま
っ
た
。
2
0
1
5
年
は
同
時
期
に
ミ
ラ
ノ
万
博
も
開
催
さ
れ
、
イ
タ
リ
ア
内
外
か
ら
北
イ
タ
リ
ア
を
訪
れ
る
人
々
が
キ
リ
ス
ト
と
出
会
う
機
会
に
な
る
か
も
し
れ
な
い
。
サ
レ
ジ
オ
会
セ
ン
タ
ー
、
2
万
人
の
避
難
民
を
庇
護
南
ス
ー
ダ
ン
や
カ
メ
ル
ー
ン
な
ど
と
国
境
を
接
す
る
中
央
ア
フ
リ
カ
共
和
国
は
1
9
9
3
年
に
民
主
的
選
挙
が
行
わ
れ
た
が
、
96
年
以
降
、
度
重
な
る
反
乱
や
ク
ー
デ
タ
ー
に
見
舞
わ
れ
た
。
2
0
0
7
年
か
ら
2
0
1
2
年
に
か
け
、
政
府
・
反
政
府
勢
力
の
間
の
平
和
協
定
の
締
結
に
続
く
合
意
の
実
施
が
遅
々
と
し
て
進
ま
ず
、
2
0
1
2
年
末
か
ら
2
0
1
3
年
に
か
け
、
再
び
混
乱
し
た
情
勢
が
続
い
て
い
る
。
国
民
の
多
く
が
農
業
を
生
業
と
し
て
い
る
が
内
戦
の
た
め
畑
は
放
棄
さ
れ
、
武
装
勢
力
の
略
奪
・
破
壊
行
為
も
続
き
、
人
々
の
生
活
は
危
機
的
状
況
に
陥
っ
て
い
る
。
2
0
1
3
年
12
月
5
日
、
3
月
の
ク
ー
デ
タ
ー
で
政
権
を
奪
っ
た
セ
レ
カ
と
敵
対
す
る
勢
力
と
の
間
の
新
た
な
衝
突
が
エ
ス
カ
レ
ー
ト
し
、
首
都
バ
ン
ギ
の
サ
レ
ジ
オ
会
の
2
つ
の
支
部
、
ガ
ラ
バ
ジ
ャ
と
ダ
マ
ラ
は
合
わ
せ
て
2
万
人
の
避
難
民
を
受
け
入
れ
た
。
中
に
は
負
傷
者
も
い
た
が
、
燃
料
不
足
の
た
め
赤
十
字
で
手
当
て
で
き
ず
、
数
名
が
命
を
落
と
し
た
。
現
地
の
サ
レ
ジ
オ
会
員
は
避
難
民
を
支
え
る
た
め
に
奮
闘
し
、
サ
レ
ジ
オ
会
宣
教
事
務
局
も
チ
ャ
ー
ベ
ス
総
長
の
要
請
を
受
け
て
緊
急
支
援
に
動
き
出
し
、
医
薬
品
な
ど
を
発
送
し
た
。
U
N
I
C
E
F
に
よ
る
と
避
難
民
は
推
計
48
万
人
に
達
し
て
い
る
(
人
口
4
5
0
万
人
)。
そ
の
後
、
フ
ラ
ン
ス
の
治
安
部
隊
が
入
り
、
武
装
勢
力
の
武
装
解
除
を
始
め
て
い
る
。
避
難
民
の
中
に
は
悲
惨
な
体
験
か
ら
逃
が
れ
て
き
た
人
も
多
い
。
あ
る
若
い
父
親
は
、
妻
と
妻
の
妹
、
上
の
子
ど
も
た
ち
が
殺
害
さ
れ
て
い
る
の
を
発
見
、
末
の
子
ど
も
を
連
れ
て
逃
げ
て
き
た
。
悲
惨
さ
の
中
で
、
若
者
た
ち
の
強
い
信
仰
は
希
望
を
与
え
る
。
「
若
者
た
ち
は
対
話
し
た
り
平
和
の
た
め
に
祈
ら
な
け
れ
ば
。
平
和
の
た
め
の
フ
ォ
ー
ラ
ム
を
開
く
こ
と
も
で
き
る
」
と
ベ
ル
ナ
ー
ル
は
言
う
。
「
苦
し
み
は
も
う
た
く
さ
ん
。
復
讐
や
分
裂
の
思
い
を
心
か
ら
追
い
出
し
て
、
キ
リ
ス
ト
者
も
ム
ス
リ
ム
も
一
緒
に
生
き
て
い
く
道
を
求
め
な
け
れ
ば
」
と
オ
デ
ィ
ー
ル
も
語
っ
た
。
12
月
8
日
に
は
、
避
難
民
の
人
々
の
た
め
、
無
原
罪
の
聖
マ
リ
ア
の
祭
日
の
ミ
サ
が
祝
わ
れ
た
。
い
く
つ
か
の
N
G
O
や
世
界
食
糧
計
画
(
W
F
P
)
な
ど
か
ら
も
救
援
物
資
が
届
き
は
じ
め
て
い
る
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
聖
遺
物
、
帰
途
に
つ
く
2
0
0
9
年
の
サ
レ
ジ
オ
会
創
立
1
5
0
周
年
に
始
ま
っ
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
聖
遺
物
の
世
界
巡
礼
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
旅
は
い
よ
い
よ
最
終
章
に
入
っ
た
。
2
0
1
3
年
9
月
末
か
ら
イ
タ
リ
ア
中
・
南
部
を
巡
り
北
イ
タ
リ
ア
へ
、
12
月
中
旬
、
ピ
エ
モ
ン
テ
に
入
っ
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
、
ク
リ
ス
マ
ス
に
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
の
共
同
創
立
者
マ
リ
ア
・
ド
メ
ニ
カ
・
マ
ザ
レ
ロ
の
故
郷
モ
ル
ネ
ー
ゼ
、
そ
の
後
、
キ
エ
リ
、
故
郷
の
ベ
ッ
キ
村
、
カ
ス
テ
ル
ヌ
オ
ヴ
ォ
、
マ
ン
マ
・
マ
ル
ゲ
リ
ー
タ
の
故
郷
カ
プ
リ
リ
オ
な
ど
、
ゆ
か
り
の
地
を
巡
っ
た
。
2
0
1
4
年
1
月
29
日
、
ト
リ
ノ
に
入
り
、
リ
ジ
ー
ナ
・
マ
ル
ゲ
リ
ー
タ
子
ど
も
病
院
や
サ
ン
タ
・
ア
ン
ナ
産
婦
人
科
病
院
を
訪
れ
、
30
日
の
聖
人
の
祝
日
前
夜
、
扶
助
者
聖
母
大
聖
堂
に
帰
り
着
く
。
World Salesian Family NEWS
シ
リ
ア
イ
タ
リ
ア
中
央
ア
フ
リ
カ
イ
タ
リ
ア
シリアの子どもたち
ダマラのドン·ボスコ職業センターに避難した人たちサレジオ会が受け入れたガラバジャの避難民たち
サンテーラモにて
ヴェニスに到着したドン・ボスコ
シチリアにて福者マッダレーナ・モラーノ(奥)とドン・ボスコ
ドン・ボスコと聖骸布
21 20SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
大
人
に
な
っ
て
か
ら
も
、
辛
い
こ
と
た
く
さ
ん
あ
っ
て
、
死
ん
じ
ゃ
い
た
い
と
思
っ
た
こ
と
も
何
度
か
あ
っ
た
よ
。
人
生
の
9
割
は
大
変
。
だ
け
ど
、
残
り
の
1
割
が
、
そ
れ
は
そ
れ
は
輝
か
し
い
の
。
1
割
の
輝
き
の
た
め
に
9
割
踏
ん
張
る
の
。
私
の
1
割
は
、
本
当
に
幸
せ
だ
っ
た
。
お
父
さ
ん
が
い
て
、
陽
一
が
い
て
…
。
陽
一
、
お
嫁
さ
ま
、
楽
し
い
こ
と
も
、
辛
い
こ
と
も
、
二
人
で
力
を
合
わ
せ
て
く
だ
さ
い
。
簡
単
に
、
離
婚
な
ん
て
し
な
い
で
ね
。
あ
る
程
度
は
、
我
慢
、
し
て
ね
。
そ
し
て
、
た
ま
に
で
い
い
か
ら
、
お
父
さ
ん
の
こ
と
も
、
気
に
か
け
て
あ
げ
て
く
だ
さ
い
…
寂
し
ん
ぼ
だ
か
ら
(
笑
)
…
。
お
母
さ
ん
は
、
と
っ
っ
て
も
、
幸
せ
で
し
た
。
そ
し
て
、
お
母
さ
ん
は
、
今
も
み
ん
な
の
そ
ば
で
、
幸
せ
に
し
て
い
ま
す
。
バ
イ
バ
イ
。
お
母
さ
ん
で
し
た
…
。
」
陽
一
は
、
人
目
を
は
ば
か
ら
ず
泣
き
じ
ゃ
く
っ
て
い
た
。
走
り
回
っ
て
い
た
子
供
の
一
人
が
、
陽
一
に
向
か
っ
て
ハ
ゲ
~
!
と
言
い
放
っ
た
。
陽
一
は
、
テ
カ
テ
カ
の
頭
で
さ
ら
に
泣
い
た
。
泣
き
な
が
ら
爆
笑
す
る
お
嫁
さ
ん
を
見
て
、
二
人
の
門
出
に
立
ち
会
え
た
こ
と
を
、
心
の
底
か
ら
嬉
し
く
感
じ
た
。
時を超えて紡ぐ
ショートストーリー
「
お
母
さ
ん
で
す
よ
」
「
陽
一
。
こ
ん
に
ち
は
。
お
母
さ
ん
で
す
。
結
婚
、
お
め
で
と
う
ご
ざ
い
ま
す
。
そ
し
て
、
陽
一
の
奥
さ
ん
に
な
っ
て
く
だ
さ
る
方
、
ど
う
も
あ
り
が
と
う
ご
ざ
い
ま
す
。
ご
結
婚
、
心
よ
り
、
お
め
で
と
う
ご
ざ
い
ま
す
。
晴
れ
や
か
な
席
に
、
こ
ん
な
格
好
で
ご
め
ん
な
さ
い
。
で
も
、
無
理
言
っ
て
、
お
化
粧
だ
け
は
し
た
の
よ
。
許
し
て
く
だ
さ
い
ね
…
。
」
僕
は
そ
の
日
、
友
人
の
結
婚
披
露
宴
で
、
一
本
の
ビ
デ
オ
レ
タ
ー
を
見
た
。
ビ
デ
オ
の
中
の
女
の
人
は
、
病
室
の
ベ
ッ
ド
に
、
や
っ
と
の
様
子
で
腰
か
け
て
い
た
。
弱
弱
し
い
声
で
、
で
も
力
強
く
、
絞
り
出
す
よ
う
に
、
話
し
て
い
た
。
「
陽
一
は
今
何
歳
で
す
か
?
お
母
さ
ん
は
今
29
歳
で
す
。
も
し
か
し
た
ら
も
う
、
お
母
さ
ん
よ
り
年
上
な
の
か
も
し
れ
ま
せ
ん
ね
。
で
も
、
お
母
さ
ん
は
永
遠
に
陽
一
の
お
母
さ
ん
で
す
。
こ
の
ビ
デ
オ
の
中
の
陽
一
は
、
1
歳
を
迎
え
た
ば
か
り
で
す
。
と
っ
て
も
か
わ
い
い
で
す
。
歯
が
ち
ょ
こ
ち
ょ
こ
生
え
て
き
ま
し
た
。
で
も
、
髪
の
毛
は
ず
っ
と
薄
く
て
、
ま
だ
あ
ま
り
生
え
て
い
ま
せ
ん
。
そ
の
後
、
髪
の
毛
は
無
事
生
え
ま
し
た
か
?
禿は
げ
て
は
い
ま
せ
ん
か
?
た
と
え
禿
げ
て
い
た
と
し
て
も
、
健
康
に
過
ご
せ
て
い
る
な
ら
、
そ
れ
以
上
の
こ
と
は
あ
り
ま
せ
ん
。
健
康
に
勝
る
も
の
は
あ
り
ま
せ
ん
。
お
母
さ
ん
は
、
残
念
な
が
ら
、
長
く
生
き
る
こ
と
が
で
き
ま
せ
ん
で
し
た
。
陽
一
が
お
腹
に
誕
生
し
た
時
に
、
お
母
さ
ん
の
病
気
が
わ
か
り
ま
し
た
。
お
腹
に
赤
ち
ゃ
ん
が
い
る
と
、
薬
も
投
入
で
き
な
い
か
ら
、
お
医
者
さ
ん
に
は
赤
ち
ゃ
ん
を
諦あきら
め
た
方
が
い
い
と
言
わ
れ
ま
し
た
。
母
子
共
に
助
か
ら
な
い
可
能
性
が
あ
っ
た
か
ら
で
す
。
皆
、
私
の
命
が
大
事
だ
と
言
い
ま
し
た
。
で
も
ね
、
陽
一
、
お
母
さ
ん
ね
、
あ
な
た
を
産
み
た
か
っ
た
の
。
せ
っ
か
く
で
き
た
命
だ
も
の
。
お
母
さ
ん
と
お
父
さ
ん
か
ら
で
き
た
輝
か
し
い
命
だ
も
の
。
す
っ
ご
く
大
変
だ
っ
た
け
ど
ね
、
お
母
さ
ん
頑
張
っ
た
。
お
父
さ
ん
も
頑
張
っ
た
。
そ
し
て
陽
一
も
本
当
に
よ
く
頑
張
っ
て
く
れ
た
。
陽
一
、
生
ま
れ
て
き
て
く
れ
て
、
あ
り
が
と
う
ね
。
ど
う
も
あ
り
が
と
う
。
お
母
さ
ん
ね
、
陽
一
さ
え
産
め
た
ら
思
い
残
す
こ
と
は
な
い
と
思
っ
て
た
。
こ
ん
な
体
だ
か
ら
、
産
め
た
ら
そ
れ
で
十
分
だ
と
思
っ
て
た
。
で
も
ね
、
生
ま
れ
た
、
生
ま
れ
た
て
の
し
わ
く
ち
ゃ
な
陽
一
の
顔
を
見
て
た
ら
ね
、
や
っ
ぱ
り
生
き
た
い
と
思
っ
た
。
一
緒
に
生
き
た
い
と
思
っ
た
。
お
父
さ
ん
と
陽
一
と
三
人
で
、
た
く
さ
ん
た
く
さ
ん
生
き
た
い
と
思
っ
た
。
そ
し
た
ら
ね
、
も
う
余
命
宣
告
よ
り
、
一
年
も
長
く
生
き
て
る
の
よ
。
す
ご
い
で
し
ょ
。
楽
し
か
っ
た
あ
。
こ
の
一
年
、
す
ご
く
楽
し
か
っ
た
。
毎
日
毎
日
が
ね
、
本
当
に
楽
し
か
っ
た
。
陽
一
の
顔
を
ず
っ
と
見
て
た
よ
。
ず
ー
ー
っ
と
見
て
た
。
は
じ
め
て
喋しゃべ
る
言
葉
は
何
か
な
。
い
つ
歩
き
出
す
か
な
。
滑
り
台
か
ら
落
ち
て
骨
折
と
か
し
な
い
か
な
。
将
来
は
何
に
な
り
た
い
と
言
う
の
か
な
。
大
病
を
患
わ
な
い
か
な
。
お
父
さ
ん
を
た
く
さ
ん
困
ら
せ
る
ん
だ
ろ
う
な
。
お
父
さ
ん
は
育
児
ノ
イ
ロ
ー
ゼ
に
な
ら
な
い
か
な
。
日
本
は
無
事
か
な
。
ど
ん
な
子
を
好
き
に
な
る
の
か
な
。
モ
テ
る
か
な
。
ス
ケ
ベ
野
郎
に
な
ら
な
い
か
な
。
苛いじ
め
ら
れ
な
い
か
な
。
苛
め
な
い
か
な
。
未
成
年
で
煙
草
と
か
吸
う
の
か
な
。
お
父
さ
ん
と
殴
り
合
っ
た
り
す
る
の
か
な
…
…
。
私
も
一
緒
に
殴
り
合
い
た
か
っ
た
な
あ
…
。
陽
一
、
こ
れ
ま
で
、
色
々
大
変
だ
っ
た
で
し
ょ
。
傍そば
に
い
て
あ
げ
ら
れ
な
く
て
ご
め
ん
ね
。
お
母
さ
ん
も
ね
、
強
い
人
間
で
は
な
い
か
ら
、
色
々
と
辛
か
っ
た
よ
。
大
人
に
な
る
ま
で
も
、
文
・
ノ
ゾ
エ
征
爾
絵
・
お
む
ら
ま
り
こ
Vol.6
おむらまりこ
目黒星美学園小学校 図工科教諭。武蔵野美術大
学大学院修了。絵本に『はいいろのこひつじ』『たい
せつなおくりもの』『ヨハネ・ボスコのたいせつなゆめ』『ク
リスマス マリアさまからのプレゼント』。イラストに『森本
千絵うたう作品集』。
ノゾエ征
せい
爾
じ
サレジオ学院中学校・高等学校卒業。脚本家、演出家、
俳優。大学在学中より劇団「はえぎわ」を主宰。2012
年『◯◯トアル風景』で岸田國士戯曲賞受賞。舞台、
映画、テレビ、ラジオ等で活躍中。www.haegiwa.net
嵐の中にいるような気分なのかい?
聖母に話しかけてごらん。聖母は海の星だから。
ドン・ボスコの言葉 ~『心が強く優しくなるドン・ボスコのことば100』P.84~
23 22SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
Salesian Family Visit
マ
リ
ア
様
に
見
守
ら
れ
て
正
門
を
入
る
と
、
マ
リ
ア
様
が
迎
え
て
く
だ
さ
い
ま
す
。
マ
リ
ア
様
は
学
園
で
学
ぶ
一
人
ひ
と
り
を
見
守
り
、
学
園
が
困
難
に
直
面
し
た
と
き
に
も
見
守
り
、
助
け
て
く
だ
さ
い
ま
し
た
。
開
校
記
念
日
の
5
月
24
日
に
は
、
星
美
学
園
挙
げ
て
の
聖
母
行
列
が
盛
大
に
行
わ
れ
ま
す
。
幼
・
小
・
中
・
高
・
短
大
・
同
窓
生
・
保
護
者
(
約
2
5
0
0
人
)
が
心
を
合
わ
せ
て
聖
歌
を
歌
い
な
が
ら
マ
リ
ア
様
を
讃たた
え
、
感
謝
の
祈
り
を
捧
げ
ま
す
。
「
共
に
喜
び
、
共
に
生
き
る
」
こ
の
モ
ッ
ト
ー
は
、
設
立
母
体
で
あ
る
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
の
創
立
者
聖
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
教
育
の
根
幹
で
あ
り
、
学
園
の
教
職
員
は
年
間
を
通
し
て
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
教
育
法
を
研
究
し
、
明
る
く
楽
し
い
雰
囲
気
の
中
で
生
徒
の
全
人
間
教
育
を
目
指
し
て
努
力
し
て
い
ま
す
。
短
大
は
、
ベ
リ
ア
ッ
テ
ィ
初
代
学
長
が
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
来
日
30
周
年
を
記
念
し
て
、
女
性
の
育
成
の
た
め
に
家
政
科
を
創
立
し
た
の
が
始
ま
り
で
す
。
後
に
時
代
の
ニ
ー
ズ
に
応
え
て
改
変
し
、
学
生
た
ち
は
3
年
間
で
幼
稚
園
教
諭
、
保
育
士
、
特
別
支
援
学
校
教
諭
の
国
家
資
格
が
得
ら
れ
ま
す
。
学
園
内
に
は
、
幼
稚
園
と
養
護
施
設
が
あ
る
の
で
、日
常
的
に
幼
児
と
触
れ
合
う
こ
と
が
で
き
、
「
テ
ア
ト
ロ
・
S
E
I
B
I
」
に
は
全
園
児
を
招
い
て
、
学
生
と
園
児
が
一
体
と
な
っ
て
楽
し
い
ひ
と
と
き
を
過
ご
し
て
い
ま
す
。
幼
稚
園
の
裏
に
は
、
古
墳
群
の
発
掘
さ
れ
た
森
が
あ
り
、
恵
ま
れ
た
自
然
環
境
の
中
で
園
児
た
ち
は
体
も
心
も
健
や
か
に
成
長
し
、
命
あ
る
す
べ
て
の
も
の
と
関
わ
り
、
神
様
、
マ
リ
ア
様
に
祈
り
、
自
分
か
ら
進
ん
で
行
動
す
る
気
持
ち
を
育
て
る
よ
う
に
し
て
い
ま
す
。
あ
る
年
輩
の
卒
園
生
は
、「
幼
稚
園
で
聞
い
た
ド
ン
・
ボ
スコ
の
話
は
一
生
忘
れ
な
い
」
と
語
っ
て
く
れ
ま
し
た
。
小
学
校
で
は
、
朝
礼
前
か
ら
グ
ラ
ウ
ン
ド
で
朝
練
を
し
て
い
る
子
ど
も
と
先
生
が
駆
け
回
り
、
校
内
か
ら
聞
こ
え
る
澄
み
切
っ
た
コ
ー
ラ
ス
の
声
な
ど
、
学
校
全
体
に
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
精
神
が
活
き
活
き
と
展
開
さ
れ
て
い
ま
す
。
1
年
を
通
し
て
行
わ
れ
る
学
校
行
事
の
一
つ
ひ
と
つ
を
先
生
と
子
ど
も
た
ち
が
一
緒
に
な
っ
て
精
一
杯
発
表
し
て
い
る
姿
に
、
感
動
せ
ず
に
は
い
ら
れ
な
い
パワ
ー
を
受
け
ま
す
。
被
災
地
への
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
活
動
、
お
に
ぎ
り
献
金
、
お
手
伝
い
献
金
な
ど
、
共
に
助
け
合
う
こ
と
の
大
切
さ
を
体
験
し
て
い
ま
す
。
中
学
・
高
校
で
は
「
ア
カ
バ
ネ
か
ら
セ
カ
イ
へ
」
の
キ
ャ
ッ
チ
フ
レ
ー
ズ
の
下
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
イ
タ
リ
ア
だ
け
に
と
ど
ま
ら
ず
、
世
界
に
向
か
っ
て
宣
教
師
を
派
遣
し
た
よ
う
に
、
日
本
だ
け
に
と
ど
ま
ら
ず
、
韓
国
、
香
港
、
フ
ィ
リ
ピ
ン
、
ヨ
ー
ロッ
パ
の
姉
妹
校
と
交
流
し
て
世
界
を
変
え
て
い
く
、
聡
明
で
た
く
ま
し
い
女
性
を
社
会
に
送
り
出
し
た
い
と
「
星
美
ス
タ
デ
ィ
ー・サ
ポ
ー
ト・プ
ロ
グ
ラ
ム
」
を
実
施
し
て
い
ま
す
。
(
文
・
写
真
/
星
美
学
園
提
供
)
星
美
学
園
の
ル
ー
ツ
サ
レ
ジ
オ
会
チ
マッ
テ
ィ
神
父
の
要
請
に
よ
り
、
昭
和
4
年
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
6
名
が
宮
崎
に
到
着
。
来
日
10
周
年
を
記
念
し
て
上
京
し
、
寄
付
を
募
っ
て
三
河
島
に
園
舎
を
建
て
、
保
育
所
や
オ
ラ
ト
リ
オ
、
学
習
塾
を
始
め
ま
し
た
。
美
し
く
清
ら
か
な
マ
リ
ア
様
を
保
護
者
と
仰
ぎ
、園
の
名
称
を
「
美
し
い
星
=
星
美
」
と
決
め
、
昭
和
15
年
に
星
美
学
園
が
誕
生
し
ま
し
た
。
昭
和
16
年
、
太
平
洋
戦
争
が
勃
発
。
昭
和
18
年
か
ら
児
童
た
ち
は
静
岡
や
山
中
湖
村
に
疎
開
。
昭
和
20
年
3
月
の
東
京
大
空
襲
で
は
星
美
学
園
の
園
舎
が
全
焼
し
て
し
ま
い
ま
し
た
。
そ
し
て
、
―
―
昭
和
20
年
8
月
終
戦
。
シ
ス
タ
ー
や
児
童
た
ち
は
東
京
に
戻
る
家
が
な
く
、
焼
け
野
原
と
化
し
た
東
京
都
内
を
2
人
の
シ
ス
タ
ー
が
家
探
し
の
た
め
10
ヶ
月
毎
日
歩
き
、
昭
和
21
年
6
月
に
赤
羽
台
工
兵
隊
跡
の
兵
舎
を
借
用
す
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
赤
羽
台
に
星
美
学
園
(
総
合
学
園
)
を
開
校
昭
和
22
年
か
ら
55
年
ま
で
33
年
か
け
て
教
育
環
境
が
整
え
ら
れ
た
矢
先
に
、
新
幹
線
問
題
が
発
生
。
星
美
学
園
の
土
地
は
公
園
に
す
る
計
画
が
立
て
ら
れ
て
い
た
よ
う
で
す
が
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
精
神
で
子
ど
も
た
ち
を
教
育
す
る
学
園
を
継
続
す
る
た
め
に
必
死
で
交
渉
し
、
新
幹
線
が
地
下
を
通
る
日
本
唯
一
の
学
園
と
な
り
ま
し
た
。
ま
た
、
国
内
唯
一
の
イ
タ
リ
ア
系
の
短
大
を
も
つ
総
合
学
園
で
も
あ
り
ま
す
。
中学・高校一貫で行事やクラブに取り組む 小学校学習発表会(4 年生の英語劇) 幼稚園児たちは、自然の中でのびのびと遊ぶ
毎年 5 月 24 日に行われる、聖母行列
小学校の先生と児童たち
短大のサークル「マリア救援隊」の募金活動
(全額「国境なき医師団」などへ寄付)
「テアトロ・SEIBI」終了後、学生と園児のタッチ
3.11 の東日本大震災の後、一日も早い復興を願って横断幕を作り、屋上に掲げました。そして全校児童の
献金を被災地に届けました。特に大船渡北小学校や老人ホームを訪問して、聖歌隊がコーラスを歌い、今で
も交流を続けています
サレジオ家族探訪
Salesian Family Visit
Ciao!チャオ!
共
に
喜
び
、
共
に
生
き
る
東
京
都
北
区
赤
羽
台
星
美
学
園
(
幼
稚
園
・
小
学
校
・
中
学
校
・
高
等
学
校
・
短
期
大
学
)
星美学園
(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学)
東京都北区赤羽台4-2-14
www.jsh.seibi.ac.jp
日本各地のドン・ボスコの仲間を紹介します
行列の前、大聖堂前でマリア様に花を捧げる
25 24SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
News
し
て
お
父
さ
ん
が
神
の
み
旨
に
し
た
が
っ
て
生
活
さ
れ
、
私
た
ち
皆
が
永
遠
の
幸
い
に
至
り
、
い
つ
ま
で
も
神
を
礼
拝
す
る
こ
と
が
で
き
ま
す
よ
う
に
。
…
…
私
が
神
に
愛
さ
れ
、
み
心
に
深
く
帰き
依え
す
る
修
道
者
と
な
れ
る
よ
う
、お
祈
り
く
だ
さ
い
。」(
1
9
3
8
年
)
サ
レ
ジ
オ
会
修
道
士
と
し
て
ス
テ
フ
ァ
ン
は
印
刷
技
術
を
学
び
、
修
練
期
途
中
で
徴
兵
さ
れ
ま
し
た
が
、
一
時
的
に
戻
っ
た
1
9
4
0
年
9
月
8
日
、
サ
レ
ジ
オ
会
修
道
士
と
し
て
初
誓
願
を
立
て
ま
し
た
。
誓
願
を
立
て
た
後
、
志
願
院
で
職
業
教
育
の
た
め
に
働
き
、
第
二
次
大
戦
後
は
貧
し
い
青
少
年
た
ち
が
手
に
職
を
つ
け
て
働
け
る
よ
う
、
尽
力
し
ま
し
た
。
仲
間
う
ち
で
は
謙
遜
と
従
順
の
模
範
で
し
た
。
若
者
の
た
め
に
最
後
ま
で
1
9
4
6
年
に
終
生
誓
願
を
立
て
た
ス
テ
フ
ァ
ン
は
、
1
9
4
8
年
に
は
印
刷
部
門
の
責
任
者
に
任
命
さ
れ
、
人
間
的
・
宗
教
的
成
長
に
も
心
を
か
け
つ
つ
、
熱
心
に
生
徒
を
指
導
し
ま
し
た
。
優
れ
た
技
能
を
身
に
付
け
た
生
徒
た
ち
は
、
ハン
ガ
リ
ー
で
も
一
流
の
印
刷
会
社
に
就
職
す
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。あ
る
友
人
が
語
っ
て
い
ま
す
。
「
彼
は
と
て
も
情
熱
が
あ
り
、
若
者
に
対
す
る
深
い
理
解
が
あ
り
ま
し
た
。
若
者
た
ち
の
問
題
を
知
り
、
前
向
き
な
メ
ッ
セ
ー
ジ
で
共
に
歩
み
、
困
難
な
状
況
に
あ
っ
て
も
粘
り
強
く
、
く
じ
け
ず
に
仕
事
に
取
り
組
む
よ
う
導
き
ま
し
た
。
彼
は
い
つ
も
理
想
に
忠
実
な
本
物
の
サ
レ
ジ
オ
会
員
で
し
た
…
。」
し
か
し
、
希
望
に
満
ち
た
ス
テ
フ
ァ
ン
の
前
に
は
恐
ろ
し
い
時
代
が
待
っ
て
い
ま
し
た
。
ス
タ
ー
リ
ン
主
義
の
影
響
を
受
け
た
ラ
ー
コ
シ
・
マ
ー
チ
ャ
ー
シ
ュ
共
産
党
書
記
長
に
よ
る
恐
怖
政
治
が
始
ま
る
と
、
1
9
4
9
年
に
は
教
会
が
資
産
を
没
収
さ
れ
、
カ
ト
リ
ッ
ク
学
校
は
弾
圧
を
受
け
始
め
ま
し
た
。
政
府
に
反
対
す
る
者
2
0
0
0
人
以
上
が
処
刑
、
10
万
人
が
刑
務
所
へ
、
20
万
人
が
国
外
追
放
さ
れ
ま
し
た
。
共
産
主
義
イ
デ
オ
ロ
ギ
ー
が
学
校
に
持
ち
込
ま
れ
、
宗
教
教
育
は
廃
止
さ
れ
、独
立
し
た
“
カ
ト
リ
ッ
ク
教
会
”
が
創
設
さ
れ
る
な
ど
、
混
乱
し
た
時
代
で
し
た
。
そ
の
よ
う
な
時
代
の
流
れ
の
中
で
ハン
ガ
リ
ー
の
サ
レ
ジ
オ
会
は
、
ほ
ぼ
一
夜
に
し
て
す
べ
て
を
失
い
、
解
散
さ
せ
ら
れ
ま
し
た
。
そ
れ
で
も
ス
テ
フ
ァ
ン
は
、
国
内
に
と
ど
ま
っ
て
ハン
ガ
リ
ー
の
若
者
の
た
め
に
働
き
続
け
ま
し
た
。
ブ
ダ
ペス
ト
で
洗
剤
工
場
に
職
を
見
つ
け
、
厳
し
く
禁
じ
ら
れ
て
い
た
宗
教
活
動
を
密
か
に
続
け
て
い
ま
し
た
。
1
9
5
2
年
7
月
、
ス
テ
フ
ァ
ン
は
、
情
報
を
聞
き
つ
け
た
秘
密
警
察
に
よ
っ
て
職
場
で
拘
束
さ
れ
て
し
ま
い
ま
す
。
そ
し
て
1
9
5
3
年
6
月
8
日
、
絞
首
刑
に
よ
り
殉
教
し
ま
し
た
。
信
・
望
・
愛
を
証
し
し
た
ス
テ
フ
ァ
ン
教
皇
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
は
、
使
徒
的
書
簡
の
中
で
、
福
者
ス
テ
フ
ァ
ン
・
サ
ン
ド
ル
に
つ
い
て
「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
慈
愛
の
教
育
に
倣なら
い
、
若
者
の
教
育
者
・
カ
テ
キ
ス
タ
(
カ
ト
リ
ッ
ク
要
理
の
教
師
)
と
し
て
素
晴
ら
し
い
模
範
と
な
っ
た
」
と
語
っ
て
い
ま
す
。
ま
た
、
教
皇
庁
列
聖
省
長
官
ア
マ
ー
ト
枢
機
卿
は
、
列
福
式
の
中
で
「
信
仰
へ
の
迫
害
は
人
々
の
間
に
深
い
溝
を
作
り
出
し
ま
す
。
し
か
し
殉
教
者
た
ち
は
そ
の
犠
牲
に
よ
っ
て
、
兄
弟
愛
、
ゆ
る
し
、
受
容
の
橋
を
築
き
ま
す
。
…
奉
献
生
活
は
、実
に
白
い
殉
教
(
血
を
流
さ
ず
に
命
を
さ
さ
げ
る
こ
と
)
で
す
。
日
々
、
福
音
と
修
道
会
の
カ
リ
スマ(
神
か
ら
の
賜
物
)
へ
の
忠
実
を
生
き
る
も
の
で
す
。
英
雄
的
な
行
為
は
、
即
興
で
で
き
る
こ
と
で
は
あ
り
ま
せ
ん
」
と
語
り
ま
し
た
。
ス
テ
フ
ァ
ン・サ
ン
ド
ル
は
、殉
教
に
よ
っ
て
、
献
身
的
な
教
育
者
の
姿
、
そ
し
て
信
仰
・
希
望
・
愛
の
最
高
の
証
し
を
私
た
ち
に
示
し
て
く
れ
た
の
で
す
。
ニュース
信
仰
深
い
好
青
年
ス
テ
フ
ァ
ン
・
サ
ン
ド
ル
は
、
1
9
1
4
年
10
月
26
日
、
ハン
ガ
リ
ー
の
中
央
部
に
位
置
す
る
ソ
ル
ノ
ク
と
い
う
町
の
素
朴
で
信
心
深
い
両
親
の
も
と
に
生
ま
れ
ま
し
た
。
父
は
国
鉄
職
員
、
母
は
主
婦
と
い
う
一
般
的
な
家
庭
で
、
父
は
ス
テ
フ
ァ
ン
ら
3
人
の
息
子
た
ち
を
日
曜
日
毎
に
教
会
へ
連
れ
て
行
き
、
信
仰
、
祖
国
へ
の
愛
、
家
族
へ
の
愛
を
教
え
ま
し
た
。
ス
テ
フ
ァ
ン
は
国
内
で
配
布
さ
れ
て
い
た
サ
レ
ジ
オ
会
会
報
誌
(
ハン
ガ
リ
ー
版
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
風
)
を
通
し
て
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
サ
レ
ジ
オ
会
の
霊
性
に
出
会
い
、
引
き
つ
け
ら
れ
ま
し
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
に
入
り
た
い
と
い
う
望
み
を
抱
き
、
霊
的
指
導
者
と
両
親
に
話
し
ま
し
た
。
両
親
は
初
め
は
許
し
ま
せ
ん
で
し
た
が
、
最
後
に
は
息
子
の
望
み
を
受
け
入
れ
、
ス
テ
フ
ァ
ン
は
1
9
3
6
年
ブ
ダ
ペ
ス
ト
の
サ
レ
ジ
オ
志
願
院
に
入
り
ま
し
た
。
2
年
間
の
志
願
期
の
後
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
印
刷
所
の
印
刷
技
術
コ
ー
ス
で
学
び
ま
し
た
。
こ
こ
に
は
他
に
、
出
版
社
や
全
寮
制
の
印
刷
技
術
学
校
、
教
会
が
あ
り
、
1
9
5
0
年
に
国
中
の
修
道
会
が
す
べ
て
解
散
さ
せ
ら
れ
る
ま
で
、
ハン
ガ
リ
ー
に
お
け
る
サ
レ
ジ
オ
会
の
活
動
の
中
心
で
し
た
。
両
親
に
宛
て
た
手
紙
(
抜
粋
)
「
愛
す
る
お
父
さ
ん
、
…
…
た
だ
一
人
の
息
子
で
あ
る
か
の
よ
う
に
私
を
愛
し
て
く
れ
ま
し
た
ね
。
あ
の
待
降
節
の
日
、
志
願
院
に
入
る
許
可
の
手
紙
に
お
父
さ
ん
が
署
名
を
す
る
と
き
、
一
方
で
は
別
離
の
悲
し
み
、
も
う
一
方
で
は
私
へ
の
愛
の
た
め
、
私
の
幸
せ
を
願
っ
て
犠
牲
を
さ
さ
げ
る
用
意
の
あ
る
こ
と
が
は
っ
き
り
見
て
取
れ
ま
し
た
。
…
…
犠
牲
の
痛
み
が
大
き
い
ほ
ど
、
神
様
に
と
っ
て
は
尊
い
も
の
と
な
り
ま
す
。
お
父
さ
ん
の
犠
牲
は
、
ア
ブ
ラ
ハム
の
犠
牲
(
創
世
記
22
・
1
~
19
参
照
)
に
も
似
た
も
の
で
す
。
…
…
お
父
さ
ん
の
手
に
接せっ
吻ぷん
し
ま
す
、
多
く
の
労
働
に
耐
え
た
手
を
、
そ
ステファン・サンドル
列福
ハンガリーの若きサレジオ会修道士
文・写真 ● サレジオ会編
サンドル一家。右奥がステファン
幼いころのステファン
ミサの侍者をする子どもたちと一緒に
1949 年 10 月 9 日、ハンガリーのサレジオ会ブラザーたちと。
一番上左がステファン
2013年 10 月 19 日、ハンガリーの
首都ブダペスト、聖ステファノ大聖堂
前の美しい広場に、60 年前 39 歳の
若さで信仰に殉じたサレジオ会修道
士、ステファン・サンドルの列福を祝
うため、8,000人が集まりました。
【列福 れっぷく】
カトリック教会が公式に、模範的な信者を「福
ふく
者
しゃ
」
の位に列すること。列聖(聖人の位に列すること)
の一つ前の段階。
【修道士 しゅうどうし】
ミサなどの秘跡を執り行う司祭と役割が異なり、専
門的技能をもって社会や修道会内で働きつつ奉献
生活を送る人たちのこと。修道女(シスター)に対
して修道士(ブラザー)と呼ばれる。
「変わらないでいいよ♪…
そのままの君が好きだから♪」
サレジアンが心を込めて贈る
あなたへ応援メッセージ
古木・涼子
今回の応援隊員
イエスのカリタス修道女会
ふ る き り ょ う こ
あなたはそのままで 愛されていいのです
にキ
タ !!ミ
イ
27 26SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
子
ど
も
た
ち
は
大
人
や
周
り
の
評
価
で
自
分
を
見
て
い
ま
す
。
そ
れ
が
ネ
ガ
テ
ィ
ブ
な
も
の
ば
か
り
だ
っ
た
ら
、
自
分
を
ネ
ガ
テ
ィ
ブ
に
見
て
し
ま
い
ま
す
。
そ
し
て
親
や
先
生
か
ら
「
も
っ
と
が
ん
ば
れ
」
と
言
わ
れ
続
け
、「
も
っ
と
い
い
子
に
な
ら
な
け
れ
ば
愛
さ
れ
な
い
」
と
い
う
条
件
付
き
の
愛
に
閉
じ
込
め
ら
れ
、「
私
は
愛
さ
れ
る
よ
う
な
人
間
じ
ゃ
な
い
」
と
思
っ
て
い
ま
す
。
い
い
え
違
い
ま
す
。
が
ん
ば
ら
な
く
て
も
、
変
わ
ら
な
く
て
も
、
あ
な
た
は
そ
の
ま
ま
で
愛
さ
れ
る
価
値
が
あ
る
ん
で
す
よ
。
そ
れ
に
気
づ
い
て
ほ
し
い
で
す
。
大
人
の
反
応
と
か
を
気
に
し
な
い
で
も
っ
と
自
信
を
持
っ
て
く
だ
さ
い
。
い
ろ
ん
な
欠
点
と
か
、
足
り
な
い
と
こ
ろ
と
か
あ
る
か
も
し
れ
な
い
け
ど
、
そ
の
ま
ま
で
も
愛
さ
れ
て
い
い
の
で
す
。
あ
な
た
を
愛
し
て
い
る
人
が
い
ま
す
。
た
だ
そ
れ
に
気
づ
い
て
い
な
い
だ
け
か
も
し
れ
ま
せ
ん
。
仮
に
周
り
に
そ
う
い
う
人
が
い
な
か
っ
た
と
し
て
も
、
神
さ
ま
が
愛
し
て
い
る
の
で
す
。
か
つ
て
フ
ィ
リ
ピ
ン
に
い
た
と
き
に
出
会
っ
た
お
話
を
紹
介
し
ま
す
。
“
私
は
、
数
年
間
ノ
イ
ロ
ー
ゼ
気
味
で
し
た
。
心
配
症
、
憂ゆう
鬱うつ
が
続
き
、
自
分
の
こ
と
し
か
考
え
て
い
ま
せ
ん
で
し
た
。
み
ん
な
が
口
を
揃そろ
え
て
言
い
ま
し
た
。
「
あ
な
た
は
変
わ
ら
な
い
と
ダ
メ
だ
!
」
私
は
腹
を
立
て
た
け
れ
ど
も
、
同
意
も
し
ま
し
た
。
本
当
に
変
わ
り
た
い
と
思
っ
た
の
で
す
。
で
も
そ
れ
が
で
き
な
か
っ
た
。
ど
ん
な
に
努
力
し
て
も
だ
め
で
し
た
。
私
の
親
友
ま
で
が
、
他
の
人
と
同
じ
よ
う
に
「
変
わ
ら
な
い
と
ダ
メ
」
と
言
っ
て
、
私
に
背
を
向
け
た
時
、
私
は
深
く
傷
つ
き
ま
し
た
。
私
は
行
き
詰
ま
っ
て
し
ま
い
、
も
う
ど
う
で
も
い
い
と
思
う
よ
う
に
な
り
ま
し
た
。
あ
る
日
の
こ
と
、
こ
ん
な
こ
と
を
言
わ
れ
ま
し
た
。「
変
わ
ら
な
い
で
い
い
よ
。
そ
の
ま
ま
の
君
が
好
き
だ
か
ら」
こ
の
言
葉
は
、
心
地
よ
い
音
楽
の
よ
う
に
私
の
耳
に
響
き
ま
し
た
。
「
変
わ
ら
な
い
で
い
い
よ
♪
変
わ
ら
な
い
で
い
い
よ
♪
変
わ
ら
な
い
で
い
い
よ
♪
・
・
・
そ
の
ま
ま
の
君
が
好
き
だ
か
ら
♪」
肩
の
力
が
抜
け
て
、
こ
こ
ろ
が
軽
く
な
り
ま
し
た
。
生
き
返
っ
た
よ
う
に
感
じ
ま
し
た
。
そ
し
て
、
私
は
変
わ
っ
た
の
で
す
。
今
、
私
に
は
わ
か
り
ま
す
。
自
分
が
変
わ
ら
な
く
て
も
愛
し
て
く
れ
る
誰
か
を
見
つ
け
た
と
き
に
、
私
は
変
わ
る
こ
と
が
で
き
た
の
だ
と
。
”
昨年国内で話題の著書と
なった『まだ見えなくても
あなたの道は必ずある』
青春出版社より絶賛発売
中!「いのち」 他 10 曲
が収録された CD 付。
サレジアン小伝
ドン・ボスコのように生きた人たち
Salesian Life Story
徴兵されて満州で終戦を迎え、シベリア抑留という過酷
な体験を経て、司祭となった山口哲郎神父。司祭とし
て生きた 58 年は、第二の父と慕うチマッティ師の「将
来に目を向け、善いわざに励みなさい」という言葉と聖
マリアへの篤い信心によって支えられていた。
●
チ
マ
ッ
テ
ィ
師
を
父
と
慕
い
2
0
1
3
年
2
月
20
日
、
激
動
の
時
代
を
生
き
抜
い
た
一
人
の
日
本
人
サ
レ
ジ
オ
会
員
が
天
に
召
さ
れ
た
。
享
年
92
歳
。
山
口
神
父
は
1
9
2
1
年
、
長
崎
の
浦
上
に
生
ま
れ
た
。
幼
く
し
て
父
を
亡
く
し
た
哲
郎
少
年
は
13
歳
で
宮
崎
の
サ
レ
ジ
オ
会
志
願
院
に
入
り
、
第
二
の
父
、
チ
マ
ッ
テ
ィ
師
と
出
会
い
、
生
涯
こ
の
父
と
共
に
い
よ
う
と
決
心
す
る
。
こ
の
父
へ
の
信
頼
を
深
め
た
エ
ピ
ソ
ー
ド
が
あ
る
。
志
願
生
た
ち
が
オ
ペ
レ
ッ
タ
「
マ
ル
コ
漁
師
」
を
上
演
し
た
と
き
の
こ
と
、
哲
郎
も
重
要
な
役
を
割
り
当
て
ら
れ
た
が
、
本
番
で
緊
張
し
て
せ
り
ふ
を
す
っ
か
り
忘
れ
、
沈
黙
の
ま
ま
芝
居
は
喜
劇
に
終
わ
っ
た
。
失
望
さ
せ
、叱
ら
れ
る
と
思
い
き
や
、
チ
マ
ッ
テ
ィ
師
は
何
事
も
な
か
っ
た
か
の
よ
う
に
変
わ
ら
な
い
慈
し
み
を
注
い
で
く
れ
た
の
だ
っ
た
。
こ
う
し
た
志
願
院
で
の
喜
び
あ
ふ
れ
る
落
ち
着
い
た
雰
囲
気
の
中
、
サ
レ
ジ
オ
会
員
と
し
て
歩
み
始
め
て
い
た
。
●
シ
ベ
リ
ア
抑
留
を
経
て
司
祭
へ
戦
争
は
修
道
院
に
も
暗
い
影
を
落
と
し
た
。
山
口
神
学
生
は
1
9
4
1
年
に
誓
願
を
立
て
た
翌
年
、
徴
兵
、
満
州
で
終
戦
を
迎
え
る
。
4
年
半
に
及
ぶ
シ
ベ
リ
ア
抑
留
を
体
験
、
語
学
が
で
き
た
た
め
捕
虜
の
代
表
と
な
り
、
仲
間
の
た
め
に
苦
労
を
背
負
っ
た
。“
地
獄
の
よ
う
な
”
日
々
が
終
わ
り
復
員
し
た
山
口
神
学
生
は
、
修
道
院
に
戻
る
勇
気
が
な
か
っ
た
そ
う
で
あ
る
。
故
郷
の
大
浦
天
主
堂
の
聖
母
像
の
前
で
祈
っ
て
い
た
と
き
、
幼
な
じ
み
の
神
父
に
再
会
し
、
チ
マ
ッ
テ
ィ
師
が
待
っ
て
い
る
と
の
伝
言
を
受
け
る
。
よ
う
や
く
修
道
会
に
戻
っ
た
山
口
神
学
生
は
、「
過
去
を
振
り
返
っ
て
は
い
け
ま
せ
ん
、
将
来
に
目
を
向
け
、
善
い
わ
ざ
に
は
げ
み
な
さ
い
」
と
い
う
師
の
言
葉
に
支
え
ら
れ
、
年
下
の
神
学
生
た
ち
の
中
で
勉
強
を
再
開
し
た
。
1
9
5
5
年
に
司
祭
に
叙
階
さ
れ
た
山
口
神
父
は
、
い
つ
も
貧
し
い
人
、
困
っ
て
い
る
人
の
側
に
立
ち
、
独
特
の
魅
力
に
よ
っ
て
、
58
年
に
及
ぶ
司
祭
生
活
で
出
会
っ
た
多
く
の
人
び
と
に
慕
わ
れ
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
志
願
生
や
地
域
の
女
子
修
道
会
の
た
め
、
深
い
霊
性
を
も
っ
た
聴
罪
司
祭
と
し
て
奉
仕
し
た
。
苦
難
の
体
験
に
深
め
ら
れ
た
熱
い
聖
母
信
心
を
も
つ
山
口
神
父
は
、「
司
祭
の
マ
リ
ア
運
動
」の
会
員
と
し
て
チ
ェ
ナ
ク
ル
ム(
祈
り
の
集
い
)
の
世
話
を
し
、
会
報
の
た
め
に
執
筆
し
た
。
地
上
で
の
最
後
の
闘
い
の
た
め
入
院
し
た
山
口
神
父
は
、
見
舞
い
に
来
た
兄
弟
会
員
に
、
ま
る
で
信
仰
告
白
の
よ
う
に
、
司
祭
、
修
道
者
、
サ
レ
ジ
オ
会
員
で
あ
る
こ
と
の
喜
び
、
誇
り
を
語
り
、
い
つ
も
助
け
て
く
だ
さ
っ
た
聖
母
に
感
謝
は
尽
き
な
か
っ
た
。
葬
儀
で
配
ら
れ
た
記
念
カ
ー
ド
に
は
、
山
口
神
父
が
2
0
1
3
年
の
年
賀
状
に
使
っ
た
み
言
葉
、
イ
ザ
ヤ
書
49
章
16
節
の
「
見
よ
、
わ
た
し
は
あ
な
た
を
わ
た
し
の
手
の
ひ
ら
に
刻
み
つ
け
る
」
と
い
う
言
葉
が
記
さ
れ
て
い
る
。
こ
れ
は
、
修
道
者
、
司
祭
と
し
て
過
ご
し
た
歳
月
に
宝
と
し
て
大
切
に
し
た
す
べ
て
の
人
に
あ
て
て
、
皆
さ
ん
は
私
の
心
と
祈
り
の
中
に
い
ま
す
、
い
つ
か
皆
が
私
と
一
緒
に
天
国
に
い
て
ほ
し
い
と
い
う
山
口
神
父
の
思
い
の
込
め
ら
れ
た
言
葉
で
あ
る
。
山
口
神
父
を
通
し
て
私
た
ち
に
与
え
ら
れ
た
数
多
く
の
祝
福
を
、主
に
感
謝
し
ま
す
。
(
文
/
サ
レ
ジ
オ
会
)
ヨセフ 山
やま
口
ぐち
哲
てつ
郎
お
サレジオ会司祭。1921 年長崎市生
まれ。1955 年司祭叙階。1956 年よ
り中津聖ヨゼフ寮を始め、1973 年ま
で長く大分教区にて司牧。大阪・天
王寺教会主任・聴罪司祭を経て、
2013年 2 月、大阪にて92歳で帰天。
ありがとう!山口哲郎神父
サレジオ会員の
誇りを胸に
福岡県出身。1986年初誓願、
92 年から 12 年間フィリピン
に派遣される。現在はローマ
の総本部所属。作詞作曲した
「いのち」 をめぐる物語をま
とめた『まだ見えなくてもあな
たの道は必ずある』(青春出
版社)が昨年話題に。
いつもお茶を飲みながら、人生や信仰について語り合っていた
29 28SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014 No.12
Info お知らせ
サ
レ
ジ
オ
同
窓
会
日
本
連
合
横
浜
で
初
会
合
2
0
1
3
年
8
月
10
日
、
サ
レ
ジ
オ
同
窓
会
日
本
連
合
の
会
合
が
新
横
浜
プ
リ
ン
ス
ホ
テ
ル
に
て
行
わ
れ
た
。
サ
レ
ジ
オ
高
専
(
育
英
高
専
)、
日
向
学
院
、
大
阪
星
光
学
院
、
サ
レ
ジ
オ
学
院
、
サ
レ
ジ
オ
小
・
中
学
校
の
各
同
窓
会
役
員
(
ま
た
は
同
窓
生
代
表
)
と
各
学
校
長
、
サ
レ
ジ
オ
教
会
青
年
会
の
同
窓
生
代
表
ら
18
人
が
出
席
し
交
流
・
親
睦
を
深
め
た
。
こ
の
会
合
は
、
2
0
1
3
年
2
月
に
タ
イ
で
行
わ
れ
た
「
サ
レ
ジ
オ
同
窓
会
世
界
連
合
ア
ジ
ア
・
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
地
域
大
会
」
に
て
、
各
国
の
同
窓
会
連
合
で
若
者
の
支
援
活
動
を
立
ち
上
げ
、
同
窓
生
の
連
帯
を
深
め
共
に
課
題
に
取
り
組
む
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
を
構
築
す
る
よ
う
に
と
の
決
議
を
受
け
て
開
催
さ
れ
た
も
の
。
日
本
の
サ
レ
ジ
オ
同
窓
生
の
数
は
3
万
人
を
超
え
る
。
ま
ず
、
サ
レ
ジ
オ
会
日
本
管
区
長
の
チ
プ
リ
ア
ニ
神
父
が
、
同
窓
会
日
本
連
合
の
結
成
を
望
ん
で
い
た
故
ヘ
ン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
の
帰
天
か
ら
ち
ょ
う
ど
1
年
に
あ
た
る
こ
と
を
紹
介
。
今
回
の
会
合
で
互
い
に
知
り
合
い
、
各
同
窓
会
の
現
状
を
分
か
ち
合
い
な
が
ら
、
日
本
に
お
け
る
サ
レ
ジ
オ
同
窓
会
の
横
の
つ
な
が
り
を
作
る
こ
と
、
ま
た
2
0
1
5
年
の
ド
ン
・
ボ
ス
コ
生
誕
2
0
0
周
年
に
向
け
て
共
に
何
が
で
き
る
か
検
討
し
た
い
と
呼
び
か
け
た
。
続
い
て
、
自
己
紹
介
を
し
な
が
ら
各
同
窓
会
・
各
校
の
報
告
が
行
わ
れ
た
。
各
学
校
長
か
ら
は
、
各
校
の
取
り
組
み
の
ほ
か
、
同
窓
会
が
物
心
両
面
で
現
役
生
を
手
厚
く
支
援
し
て
い
る
こ
と
に
感
謝
の
念
が
伝
え
ら
れ
た
。
学
校
の
設
備
拡
張
、
奨
学
金
支
援
、
部
合
宿
の
手
伝
い
、
進
路
ガ
イ
ダ
ン
ス
・
講
演
、
就
職
支
援
な
ど
、
各
校
で
の
同
窓
生
と
現
役
生
の
交
流
が
紹
介
さ
れ
た
。
ま
た
、
各
同
窓
会
か
ら
は
、
現
役
生
の
支
援
の
ほ
か
、
総
会
・
懇
親
会
な
ど
会
員
の
交
流
、
職
業
別
グ
ル
ー
プ
で
の
交
流
、
会
報
・
ホ
ー
ム
ペ
ー
ジ
で
の
広
報
、
文
化
祭
へ
の
出
展
・
協
賛
、
追
悼
ミ
サ
開
催
な
ど
、
多
様
な
活
動
が
紹
介
さ
れ
た
。
今
後
同
窓
会
を
組
織
す
る
必
要
の
あ
る
学
校
・
団
体
も
あ
り
、
所
在
地
が
移
転
し
た
り
男
女
共
学
化
し
た
学
校
で
は
、
世
代
間
の
交
流
や
男
女
共
同
参
画
な
ど
の
課
題
も
挙
げ
ら
れ
た
。
2
0
1
3
年
2
月
の
「
同
窓
会
世
界
連
合
ア
ジ
ア
・
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
地
域
大
会
」
の
報
告
を
ふ
ま
え
、
今
後
サ
レ
ジ
オ
の
世
界
的
な
つ
な
が
り
に
加
わ
り
つ
つ
、
国
内
の
同
窓
会
が
連
携
・
協
力
し
な
が
ら
活
動
で
き
る
よ
う
に
、
日
本
の
同
窓
会
連
合
を
組
織
す
る
こ
と
で
合
意
。
正
式
な
組
織
発
足
に
向
け
て
事
務
局
を
東
京
・
四
谷
の
サ
レ
ジ
オ
会
日
本
管
区
本
部
に
置
き
、
規
約
の
素
案
作
成
や
今
後
の
活
動
内
容
に
つ
い
て
検
討
す
る
こ
と
と
な
っ
た
。
サ
レ
ジ
オ
同
窓
会
世
界
連
合
で
は
、
同
窓
生
を
「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
教
育
を
受
け
た
者
」
と
定
義
し
て
お
り
、
今
後
は
学
校
の
同
窓
生
だ
け
で
な
く
、
教
会
学
校
や
福
祉
施
設
等
の
同
窓
生
も
含
め
た
つ
な
が
り
を
目
指
す
こ
と
も
視
野
に
入
れ
て
い
る
。
今
後
の
検
討
課
題
と
し
て
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
生
誕
2
0
0
周
年
記
念
行
事
の
ほ
か
、
本
誌
「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
風
」
を
同
窓
生
の
つ
な
が
り
を
強
め
る
ツ
ー
ル
と
し
て
活
用
し
て
い
く
こ
と
、
若
者
た
ち
の
支
援
活
動
の
可
能
性
、
同
窓
会
世
界
連
合
の
大
会
へ
の
参
加
な
ど
に
つ
い
て
意
見
が
交
わ
さ
れ
た
。
会
合
終
了
後
は
懇
親
会
を
開
催
。
各
校
の
校
歌
を
同
窓
生
と
校
長
が
一
緒
に
披
露
し
あ
い
、
全
員
で
「
聖
者
ド
ン
・
ボ
ス
コ
」
を
歌
う
な
ど
、
和
気
あ
い
あ
い
と
し
た
雰
囲
気
の
中
で
親
睦
を
深
め
た
。
サ
レ
ジ
オ
同
窓
会
日
本
連
合
の
今
後
の
展
開
へ
の
希
望
を
分
か
ち
合
い
つ
つ
閉
会
し
た
。
D
B
V
G
が
今
年
も
ソ
ロ
モ
ン
に
7
名
を
派
遣
2
0
1
3
年
8
月
17
日
〜
9
月
7
日
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
海
外
青
年
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
グ
ル
ー
プ
(
D
B
V
G
)
は
7
人
の
青
年
を
ソ
ロ
モ
ン
諸
島
に
派
遣
し
た
。
現
地
の
サ
レ
ジ
オ
会
が
担
当
す
る
テ
テ
レ
小
教
区
と
農
業
学
校(
ル
ー
ラ
ル
・
ト
レ
ー
ニ
ン
グ
セ
ン
タ
ー
:
R
T
C
)
を
拠
点
に
学
生
た
ち
と
の
交
わ
り
や
文
化
交
流
を
行
い
、
ま
た
現
地
シ
ス
タ
ー
修
道
院
の
チ
ャ
ペ
ル
改
修
工
事
に
従
事
し
た
。
青
年
た
ち
は
慣
れ
な
い
作
業
に
苦
労
し
な
が
ら
も
現
地
の
人
々
と
一
緒
に
汗
を
流
し
活
動
を
分
か
ち
合
う
こ
と
で
海
外
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
の
体
験
を
よ
り
深
め
る
こ
と
が
で
き
た
。
今
回
は
R
T
C
で
初
め
て
の
同
窓
会
が
行
わ
れ
卒
業
生
た
ち
が
集
ま
っ
た
。
テ
テ
レ
共
同
体
と
D
B
V
G
の
関
わ
り
は
深
く
、
こ
れ
ま
で
多
く
の
若
者
た
ち
が
派
遣
さ
れ
学
校
の
建
設
作
業
な
ど
に
携
わ
っ
て
い
る
こ
と
も
あ
り
、
今
年
の
メ
ン
バ
ー
も
多
く
の
卒
業
生
、
ス
タ
ッ
フ
か
ら
歓
迎
さ
れ
、
D
B
V
G
が
こ
れ
ま
で
築
い
て
い
た
貢
献
を
改
め
て
感
じ
る
機
会
と
な
っ
た
。
来
年
は
R
T
C
10
周
年
が
予
定
さ
れ
て
い
る
。
サ
レ
ジ
オ
中
学
校
バ
レ
ー
部
、
全
国
大
会
準
優
勝
!
2
0
0
5
年
に
は
全
国
優
勝
し
た
こ
と
も
あ
る
サ
レ
ジ
オ
中
学
校
(
東
京
都
小
平
市
、
在
校
生
72
名
の
男
子
校
)
バ
レ
ー
ボ
ー
ル
部
が
、
2
0
1
3
年
8
月
18
日
〜
21
日
、
猛
暑
の
中
開
催
さ
れ
た
第
43
回
全
国
中
学
校
バ
レ
ー
ボ
ー
ル
選
手
権
大
会
(
会
場
/
愛
知
県
岡
崎
市
)
で
、
全
国
の
代
表
36
校
で
争
わ
れ
る
中
、
準
優
勝
を
勝
ち
取
っ
た
。
7
月
25
日
の
東
京
都
内
決
勝
リ
ー
グ
で
は
、
駿
台
学
園
中
学
校
、
淵
江
中
学
校
に
続
い
て
出
場
、
関
東
大
会
で
は
駿
台
学
園
中
学
校
と
サ
レ
ジ
オ
中
学
校
の
2
校
で
決
勝
進
出
を
果
た
し
た
。
本
大
会
決
勝
で
は
駿
台
学
園
中
学
校
と
再
び
対
決
、
ス
タ
メ
ン
選
手
6
名
中
、
3
名
が
身
長
1
6
0
㎝
台
と
小
柄
な
サ
レ
ジ
オ
チ
ー
ム
、
身
長
の
大
き
な
駿
台
学
園
中
学
校
に
果
敢
に
挑
ん
だ
が
、
惜
し
く
も
敗
れ
、
準
優
勝
と
な
っ
た
。
イ
エ
ス
の
カ
リ
タ
ス
修
道
女
会
第
15
回
総
会
が
終
了
2
0
1
3
年
9
月
30
日
か
ら
10
月
31
日
ま
で
の
1
か
月
間
、
大
分
県
の
亀
川
修
道
院
に
て
イ
エ
ス
の
カ
リ
タ
ス
修
道
女
会
第
15
回
総
会
が
行
わ
れ
た
。
2
0
0
4
年
の
第
12
回
総
会
か
ら
着
手
さ
れ
た
会
憲
・
会
則
の
改
定
作
業
が
こ
の
度
の
総
会
で
ほ
ぼ
終
了
し
、
参
加
者
た
ち
は
大
き
な
喜
び
に
満
た
さ
れ
た
。
総
本
部
の
あ
る
イ
タ
リ
ア
、
そ
し
て
日
本
、
韓
国
、
ブ
ラ
ジ
ル
、
ペ
ル
ー
、
ボ
リ
ビ
ア
か
ら
集
ま
っ
た
シ
ス
タ
ー
た
ち
は
、
そ
れ
ぞ
れ
の
国
の
実
情
を
分
か
ち
合
い
な
が
ら
、
互
い
の
理
解
を
深
め
、
そ
れ
ら
を
考
慮
に
入
れ
た
よ
り
普
遍
的
な
会
憲
・
会
則
と
な
る
よ
う
努
め
、
そ
の
努
力
と
思
い
や
り
に
よ
っ
て
、
互
い
の
友
情
を
深
め
た
。
週
末
は
リ
ラ
ッ
ク
ス
タ
イ
ム
と
し
て
夕
食
後
に
30
分
ほ
ど
、
各
管
区
や
自
発
的
に
結
成
さ
れ
た
有
志
グ
ル
ー
プ
に
よ
る
歌
や
踊
り
、
ゲ
ー
ム
な
ど
を
通
し
て
、
家
族
的
な
交
わ
り
の
時
を
過
ご
し
た
。
「
あ
た
り
ま
え
体
操
‐
総
会
議
バ
ー
ジ
ョ
ン
」
も
誕
生
し
、
遅
れ
ば
せ
な
が
ら
、
ち
ょ
っ
と
し
た
ブ
ー
ム
に
。
シ
ス
タ
ー
方
か
ら
サ
レ
ジ
オ
家
族
へ
の
感
謝
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
が
届
い
て
い
る
。
「
総
会
議
中
は
サ
レ
ジ
オ
会
を
は
じ
め
、
サ
レ
ジ
オ
家
族
の
皆
様
の
熱
い
祈
り
を
感
じ
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
心
よ
り
感
謝
申
し
上
げ
ま
す
!
」
星
美
ホ
ー
ム
児
童
・
職
員
に
よ
る
文
化
箏こと
の
披
露
2
0
1
3
年
11
月
に
開
催
さ
れ
た
恒
例
の
関
東
近
県
合
同
児
童
養
護
施
設
文
化
祭
(
第
2
回
子
ど
も
キ
ラ
ッ
ト
!
楽
演
祭
)
で
、
星
美
ホ
ー
ム
(
東
京
・
赤
羽
)
の
小
学
生
か
ら
高
校
生
ま
で
の
14
名
の
子
ど
も
た
ち
と
3
名
の
職
員
に
よ
る
文
化
箏
(
従
来
の
箏
の
1
/
2
サ
イ
ズ
)
の
演
奏
が
好
評
を
博
し
た
。
そ
の
後
も
練
習
に
励
み
、
施
設
内
で
12
月
に
披
露
さ
れ
た
ク
リ
ス
マ
ス
聖
劇
で
日
本
伝
統
の
美
し
い
音
色
を
響
か
せ
た
と
の
こ
と
。
あ
る
職
員
は
「『
音
楽
は
心
か
ら
の
喜
ば
し
い
一
致
を
生
み
出
す
』
と
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
言
わ
れ
た
よ
う
に
、
子
ど
も
た
ち
に
と
っ
て
演
奏
会
を
目
標
に
練
習
を
続
け
る
こ
と
は
、
一
つ
の
こ
と
を
や
り
遂
げ
る
た
め
の
努
力
や
、
集
団
の
中
で
協
調
す
る
こ
と
を
学
び
、
同
時
に
喜
び
や
楽
し
さ
を
体
験
し
、
自
信
や
自
己
肯
定
感
を
強
め
る
よ
い
機
会
と
な
っ
て
い
る
」
と
語
る
。
今
後
も
星
美
ホ
ー
ム
で
は
、「
自
己
の
可
能
性
を
啓
発
す
る
、
調
和
の
と
れ
た
市
民
の
育
成
」
を
養
護
目
標
に
掲
げ
、
文
化
箏
を
通
じ
、
子
ど
も
た
ち
の
健
全
育
成
の
支
援
を
続
け
る
。
懇親会で各校の校歌を披露 サレジオ同窓会日本連合 会合の様子
テテレの空港にて
大会での一コマ
閉会ミサを司式したサレジオ会日本管区長チプリアニ神父と共に
第2回子どもキラット楽演祭での演奏の様子
サ
レ
ジ
オ
会
日
本
管
区
編
浦
田
慎
二
郎
改
訳
・
監
修
四
六
判
並
製
60
頁
定
価(
本
体
2
0
0
円
+
税
)
こころの教育者ドン・ボスコの
「若者が愛されていると感じるように、愛してください」
いつも よいものを─
ドン・ボスコ社
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-9-7 TEL. 03-3351-7041 FAX. 03-3351-5430
www.donboscosha.com/ネットショップ
「ローマからの手紙」
教
育
者
ド
ン
・
ボ
スコ
の
「
ロ
ー
マ
か
ら
の
手
紙
」
全
文
。
こ
の
中
に
は
彼
の
教
育
理
念
の
エッ
セ
ン
ス
が
詰
ま
っ
て
い
ま
す
。
実
践
的
に
理
解
す
る
た
め
の
「
読
み
解
き
ガ
イ
ド
」
収
載
。
学
校
・
家
庭
・
職
場
で
、
教
育
に
関
わ
る
す
べ
て
の
人
に
お
薦
め
で
す
。
30
サ
レ
ジ
オ
会
・
岡
本
大
二
郎
新
司
祭
誕
生
!
2
0
1
3
年
9
月
14
日
、
東
京
の
カ
ト
リ
ッ
ク
下
井
草
教
会
に
て
、
岡
田
武
夫
大
司
教
の
司
式
に
よ
り
、
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
・
サ
レ
ジ
オ
岡
本
大
二
郎
の
司
祭
叙
階
式
が
行
わ
れ
た
。
多
く
の
参
列
者
で
聖
堂
は
い
っ
ぱ
い
に
な
り
、
全
員
で
新
司
祭
誕
生
の
喜
び
を
共
に
し
た
。
岡
本
新
司
祭
は
あ
い
さ
つ
の
な
か
で
、「
人
々
の
渇
き
を
い
や
す
の
は
イ
エ
ス
様
。
私
は
イ
エ
ス
様
か
ら
頂
い
た
水
を
皆
さ
ん
に
運
ぶ
役
を
果
た
し
て
い
き
た
い
で
す
」
と
語
っ
た
。
こ
の
と
き
配
布
さ
れ
た
叙
階
記
念
誌
「
よ
ろ
こ
びV
ol.2
1
」
は
サ
レ
ジ
オ
会
日
本
管
区
公
式
サ
イ
トhttp://salesians.jp
(
ト
ッ
プ
ペ
ー
ジ
右
上
の
検
索
窓
で
「
よ
ろ
こ
び
」
で
検
索
)
よ
り
閲
覧
で
き
る
。
ドン・ボスコ生誕200周年記念
どなたでもご参加いただけます。
ぜひあなたもドン・ボスコ生誕200周年のお祝いムード満点の
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旅行日程
お申込締切日/ 2014年7月10日
※成田空港施設使用料、現地空港諸税、運送機関の課す付加運賃・料金(燃油サーチャージ等)が別途かかります。
(参加人数によって変更があります) ●一人部屋追加代金/75,000円
東京都知事登録旅行業
第3-4308
社団法人 日本旅行業協会正会員
TEL. 03-3407-1218 FAX. 03-3407-1582 E-mail info@stella-corp.co.jp/
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-12-12 宮益坂東豊エステートビル303
営業時間/平日10:00~18:00
営業所長/小池俊子 総合旅行業務取扱管理者/中村典子 ※航空機・航空機関などの事情により行程を変更する場合があります。予めご了承ください。
木
木
土
トリノ
ミラノ
アッシジ
ローマ
アヌシー
ファエンツァ
フランス
イタリア
写真: トリノ
ドン・ボスコの
事業発祥の地
写真:コッレ・ドン・ボスコ周辺の田園風景
写真:ローマ/バチカン
サン・ピエトロ大聖堂
編 集 後 記
編集人 山野内 倫昭
発行人 アルド・チプリアニ
発行所 カトリック・サレジオ修道会
編集・デザイン制作 ドン・ボスコ社
印刷所 日之出印刷株式会社
「ドン・ボスコの風」編集事務局
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内
電話:03-3351-7041
Fax:03-3351-7042
Eメール:DB-no-kaze@donboscojp.org
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2014
2014年1月31日発行(年2回発行)
聖母マリアは全ての人々の母です。小さい時から聖
母に導かれた聖ヨハネ・ボスコは、神父になって神
さまから与えられた使命を果たすため、トリノの街に
「扶助者聖マリア大聖堂」を1868年に献堂しまし
た。その2年後、多くの人々が聖母の助けを知り、証
しするための「扶助者聖マリアの会」(ADMA)を設
立しました。ドン・ボスコにとって導き手である聖母
マリアゆかりの場所や歴史を紹介することで、ます
ます皆さまの聖母への信頼が深まることを願ってや
みません。そして共に「扶助者聖マリア、わたしたち
のためにお祈りください」と祈りましょう。 (M)
No.
12
本誌掲載の記事、写真、イラストの無断転載を禁じます。
© カトリック・サレジオ修道会 2014
ドン・ボスコの風
読者プレゼント
応募方法:
お名前(フルネーム)・住所・年齢・ご職業とご希望のプレ
ゼント(A・B・C)いずれか一つを明記し、本誌のご感
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【Eメールの場合】
DB-no-kaze@donboscojp.org
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東京都新宿区四谷1-9-7 ドン・ボスコ社内
「ドン・ボスコの風」編集事務局
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新書判並製 237頁
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5名様
扶助者聖マリア
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トリノの扶助者聖マリア大聖堂
の聖母子画をはめ込んだ、存
在感のあるキーホルダー。いつ
も扶助者聖マリアのご保護を思
い起こして携帯しよう。
イタリア製
メダル部分 44×33mm
C
5名様
次号No.13は2014年7月発行予定です。「ドン・ボスコの風」バックナンバーは、
サレジオ会ホームページ http://salesians.jpでご覧いただけます。
トップページの「ライブラリー」→「ドン・ボスコの風」
Info お知らせ
左からチプリアニ管区長、新司祭のお母さん、岡本新
司祭、新司祭のお父さん 岡本大二郎新司祭
月日 都市名 交通機関 摘要
食事条件
朝 昼 夜
1 9月11日(木)
成田発
ミラノ着
トリノ着
トリノ
航空機
専用バス
直行便またはヨーロッパ経由ミラノへ
(トリノ泊)
機
2 9月12日(金)
トリノ 専用バス ヴァルドッコ(扶助者聖マリア大聖堂)、アッシジの聖
フランシスコ教会、コンソラータ、ドゥオーモなど
(トリノ泊)
○ ○ ○
3 9月13日(土)
トリノ
アヌシー
トリノ
専用バス
聖母訪問修道会のバジリカ、旧市街(聖フランシスコ・
サレジオのゆかりの教会と修道会)
(トリノ泊)
○ ○ ○
4 9月14日(日)
トリノ 専用バス カステルヌオヴォ、モンドニオ(聖ドメニコ・サヴィオ
の故郷)、キエリ周辺、モルネーゼ(マリア・マザレロゆ
かりの地)、コッレ・ドン・ボスコなど
(トリノ泊)
○ ○ ○
5 9月15日(月)
トリノ
ファエンツァ
アッシジ
専用バス
チマッティ神父の故郷
聖フランシスコゆかりの地など
(アッシジ泊)
○ ○ ○
6 9月16日(火)
アッシジ
ローマ
専用バス 聖フランシスコ教会、サンタ・キアーラ、サン・ダミ
アーノ、カルチェリなど
サクロ・クオーレ
(ローマ「サレジオ会サクロ・クオーレ」泊)
○ ○ ○
7 9月17日(水)
ローマ 専用バス 終日:ローマ
教皇謁見(予定)、サレジオ会本部訪問、トレビの泉、スペ
イン広場、ショッピングなど
(ローマ泊)
○ ○ ○
8 9月18日(木)
ローマ 専用バス 終日:ローマ
ヴァチカン:聖ペトロ大聖堂、バチカン美術館、シス
ティーナ礼拝堂、サンタ・マリア・マッジョーレ、カタコ
ンベ・サン・カリストなど
(ローマ泊)
○ ○ ○
9 9月19日(金)
ローマ
ローマ発
専用バス
航空機
直行またはヨーロッパの都市経由
帰国の途へ
(機内泊)
○ 機
10 9月20日(土)
成田着 航空機 着後、解散
機
時を超えて紡ぐショートストーリー
「お母さんですよ」
DBの教え子たちJanuary 2014
No.
Joyful Communication !
聖
マ
リ
ア
扶
助
者
SALESIAN
BULLETIN
J A P A N
12
ハンガリーの若きサレジオ会修道士
ステファン・サンドル
列福
Ciao! サレジオ家族探訪
星美学園
(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・短期大学)
新コーナー
もっとキミに伝え隊!!
今回の応援隊員
古木涼子 シスター
タイ
インタビュー連 載
大熊理津子さん
山田耕民さん
特
集
S
A
LE
S
IA
N
B
U
LLETIN
J
A
P
A
N
Ja
n
u
a
ry 2014 年
2回
発
行
発
行
:
カ
ト
リ
ッ
ク
・
サ
レ
ジ
オ
修
道
会
「
ド
ン
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ボ
ス
コ
の
風
」
編
集
事
務
局
〒
160-0004 東
京
都
新
宿
区
四
谷
1-9-7
T
E
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3
-3
3
5
1
-7
0
4
1
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X
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3
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3
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1
-7042 E
メ
ー
ル
:
D
B
-no-kaze@
donboscojp.org
2
0
1
4
年
1
月
N
o
.12
Strenna
2014
サレジオ家族年間目標
ドン・ボスコの生き方にならい
神さまの呼びかけに応えて歩もう
Da mihi animas, cetera tolle ─ 我に魂を与え、他のものは取り去りたまえ ─
神の栄光と人々の救いのため
2014 年のサレジオ家族のストレンナ(年間目標)は、2015 年にドン・ボスコ生誕 200 周年
を迎えるにあたり、ドン・ボスコの活動を支えたドン・ボスコの心、その生き方に学ぼうとする
ものです。ドン・ボスコの存在の中心には、神に深く結ばれて生きるいのちがありました。神は
善き牧者キリストの愛をドン・ボスコの心に豊かに注ぎました。それは人 、々特に若者を危険か
ら救い、幸せへと教え導くために自分をささげて生きる愛であり、ドン・ボスコのモットー「Da
mihi animas, cetera tolle 我に魂を与え、ほかは取り去りたまえ」に表れています。ドン・ボス
コは、だれでも神の恵みに応え、協力して生きることができると言います。すべての人の幸せを
願い、働くために、司祭、修道者、信徒、すべての人が、一人ひとり神様に呼ばれた道を歩む
ための恵みを受けることができるのです。
サレジオ会総長 パスクアール・チャーベス神父
2014 ストレンナ解説より