Ciao! サレジオ家族探訪
大阪星光学院中学校・高等学校
世界のサレジオ家族ニュース
被災地支援の報告
サレジアン・シスターズ管区サポートセンター
ドン・ボスコゆかりの地を巡る
トリノ
聖フランシスコ・サレジオ聖堂
時を超えて紡ぐショートストーリー
二本の道
来
日
リ
ポ
ー
ト
チ
ャ
ー
ベス
総
長
January 2013
No.
Joyful Communication !
サレジアン小伝
ヘンドリックス神父
特 集
ドン・ボスコ流「共に育つ」次世代育成
未来につなげる
ドン・ボスコの「教え子」たち インタビュー
SALESIAN
BULLETIN
J A P A N
10
03 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
INDEX
No.
January 2013
SALESIAN
BULLETIN
J A P A N 103 Message
● 君たちの永遠の幸せを願う
8 Essay ● ドン・ボスコに見る次世代を担う若者たちの育成
16 ドン・ボスコゆかりの地を巡る ● トリノ 聖フランシスコ・サレジオ聖堂
18 サレジアンの旬な一言 ● 言っときますけど…
19 Book Review ● 本のひととき
28
26 Ciao! サレジオ家族探訪 ● 大阪星光学院中学校・高等学校
20 世界のサレジオ家族ニュース
30 Info ● お知らせ
29 News ● 被災地支援の報告 サレジアン・シスターズ管区サポートセンター
サレジアン小伝 ● ありがとう! ヘンドリックス神父
惜しみなく自分を与えた司祭
31 読者プレゼント
サレジオ会第10代総長
パスクアール・チャーベス神父来日リポート4
もくじ
文:ノゾエ 征爾 絵:おむら まりこ
表紙の写真
大阪星光学院の生徒たち。
チャーベス総長を囲んで
サレジオ家族の皆様へMessage
サレジオ会総長
パスクアール・チャーベス神父
君たちの永遠の幸せを願う
24 ショートストーリー ● 二本の道時を超えて紡ぐ
「ドン・ボスコの風」について ─ 「ドン ・ ボスコの風」は、喜びを共にし、サレジオ家族の原点を見つめ、絆を深め、社会・世界に
羽ばたいて、その実りを分かち合うためのコミュニケーション誌を目指しています。ドン・ボスコの精神を多くの方 と々共有し、新しいつながりに
広げていくきっかけとしてご活用いただければ幸いです。皆様からの情報提供とご支援をよろしくお願いいたします。
ドン ・ ボスコとは?
「青少年の友」と呼ばれ、見す
てられた若者たちのために生涯
を献げた神父。1815 年イタリア
生まれ、名前はヨハネ(イタリア
語でジョヴァンニ。ドン・ ボスコは
「ボスコ神父」の意味)。青少
年教育に献身するサレジオ会を
創立。1888 年帰天。
サレジオ家族とは?
ドン・ ボスコの精神を受け継ぐ修
道者・信徒・協力者たち。世
界 130 以上の国で、29 団体、
40 万人以上のメンバーが、学
校、教会、社会生活のさまざま
な場面で青少年や貧しい人びと
のために奉仕している。サレジア
ンファミリーとも呼ばれる。
Joyful Communication !
10 特集 ● ドン・ボスコの「教え子」たち インタビュー ●
未来につなげる
ドン・ボスコ流「共に育つ」次世代育成
ラナシンハ・シャナカさん from サレジオ高専(旧育英工業高等専門学校)
勝股真弓さん from 星美学園小学校・中学校・高等学校
吉田博史さん from 大阪星光学院中学校・高等学校
若者の皆さん、ドン・ボスコは若者たちに言っていました。「神は、
君たちを愛しています。君たちが永遠に
幸せであることを望んでいます」と。幸
せであるための秘
ひ
訣
けつ
を、君たちに教え
たいと思います。
1 つ目に、自分自身の中にある良い
ものを発見することです。そして、君た
ちの家族の良いところ、君たちが住む
町や、日本の良いところ、そして世界
にある良いものを見いだすようにするの
です。幸せになりたいのなら、周りの
世界に対して、明るく前向きな見方を
するようにしましょう。
2 つ目は、いのちは神からの贈りもの
だということです。君たちのいのち、人
間のいのちは、動物や植物とはずいぶ
ん違います。「いのち」「生きること」は、
「夢を見る」ということです。神は、君
たちの人生に、夢を思い描いておられ
るのです。ドン・ボスコの夢は、世界
中のすべての若者を幸せにすることでし
た。人生の夢を発見してください。夢は、
人生を情熱と不屈の精神で満たしてく
れます。
幸せのための 3 つ目の秘訣は、教
育・学ぶことです。教育は、豊かな価
値観を育て、高貴な志、高い理想をも
つ人間になる歩みです。社会の中で生
きて、人生にチャレンジしていくために、
よく学び、よく準備することが必要です。
君たちのもっている可能性を十分に発
揮し、世の中に貢献するためには、しっ
かり勉強して力をつけなければなりませ
ん。これは、夢を実現するためにも必
要です。
最後の秘訣は、人のために尽くすこ
と、これが幸せへの道です。人のため
に生きること、人に仕えることで
す。自分の成功だけを目指す
のではなく、世界中のすべて
の人の幸せを求めてください。
特に最も貧しい人びと、最も見
すてられた人びとを心にかけるならば、
私たちは幸せになれるのです。
このように生きるとき、たとえさまざ
まな試練があっても、きっと君たちは
困難を乗り越え、深い喜びを体験する
でしょう。
私も君たちを愛し、君たちの幸せを
心から願っています。
2012 年 9 月 来日時
若者へのメッセージより
0405 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
長崎
9/24~25
大阪
9/23~24
東京・神奈川
9/21~23
2012年
9月21日[金]~25日[火]
サレジオ会 第10代総長
パスクアール・チャーベス神父
来日リポート
来 日初日の早朝、チャーベス総長は秘書のバルトロメ神父と共に成田に到着。サレジオ会員のほ
か、サレジオ家族の各グループの代表が歓迎した。調
布へ移動し、午後はサレジオ会員への講話の中で感
謝をこめて過去をふり返り、若者と共に生きることを
呼びかけた。夕刻より、日本管区創立 75 周年の感謝
ミサが会員と恩人の方々と共に献げられた。ミサの終
わりには、日本管区の歴史の生き証人モスカ神父に、
総長が感謝状を贈呈。続いて祝賀会・アカデミアがな
ごやかな雰囲気のうちに催され、総長より恩人や会員
の両親へ感謝状が贈呈された。
歓迎に駆けつけたサレジオ家族たちと共に 成田空港にて97 歳のモスカ神父と
歓迎会で、だるまに目を入れる
サレジオ家族の 3 修道会管区長たちと
目黒の碑文谷教会にて サレジオ家族とのミサ
サレジオ家族のミサでコオペラトーリに 7 人が入会
碑文谷教会にて 若者と共に献げるミサ
若者と一緒にパチリ!
横浜のサレジオ学院を訪問
サレジアン・シスターズ生徒にサイン中
恩人たちに感謝状を贈呈
イエスのカリタス修道女会
駐日教皇大使チェノットゥ大司教、チプリアニ日本管区長と
生徒と記念撮影!
祝賀会・アカデミア
サレジオ会員への講話
成田空港にて
調布サレジオ神学院聖堂にて
日本管区創立 75 周年感謝ミサ
日本管区創立 75 周年感謝ミサ
調布神学院にて 東日本のサレジオ会員たちと
東京 9月21日[金]
東 京での日程最終日は、朝から若者と共に献げるミサ。四日市のサレジオ会志願生たちも加わ
り、サレジオ会が司牧する関東の教会から多くの青年
たちが集った。総長は若者たちに激励のメッセージを
伝えた。その後、新幹線で大阪へ出発した。
東京 9月23日[日]
今回が2 回目の来日となった
サレジオ会第10代総長パスクアール・チャーベス神父は、
日本各地でサレジオ家族や若者との交流を満喫した。
ドン・ボスコの後継者として世界中を駆け巡る総長の
5日間の軌跡を追った。
取材・文・写真 ● 編集部
“信仰は人に光を与えるものです。
私は皆さんの働きに信頼しています”─若者と共に献げる ミサでの言葉─
朝 は、横浜のサレジオ学院講堂で中高生が歓迎。総長は生徒たちに勇気づけるメッセージを送
り、生徒と一緒に文化祭を楽しんだ。
午後は目黒の碑文谷教会へ。教皇大使チェノットゥ
大司教との会談、そしてサレジオ家族評議会への講
話が行われた。夕刻からのサレジオ家族とのミサで
は、サレジアニ・コオペラトーリに新たに 7 人が入会。
その後、目黒星美学園小学校講堂にて歓迎会が催さ
れ、各グループのコーラスや和太鼓によるパフォーマ
ンス、日本文化の体験など、一緒に楽しんだ。
神奈川・東京 9月22日[土]
若者と共に献げるミサ
着物姿の若者が奉納
パスクアール・チャーベス神父来日リポート
0607 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
「とても満ち足りた気持ちで帰ります。多くのサレジオ会員、若者、サレジオ家族、ドン・ボ
スコの友人の皆さんと出会うことができ、たいへん有意義な、大きな喜びに満ちた 5日間で
した。」チャーベス総長は、日本のサレジオ家族に更なる期待を抱きつつ出発しました。
23 日夕刻より大阪星光学院で、関西のサレジオ家族、学校教職員、同窓生、保護者代表
との歓迎会が行われた。保護者や職員がコーラスで
盛り上げ、総長からは恩人へ感謝状が贈られた。
翌 24 日は城星学園のサレジアン・シスターズ大阪
修道院で、早朝より扶助者聖マリアを記念するミサを
イタリア語で司式。サレジアン・シスターズのほか、
イエスのカリタス会、コオペラトーリのメンバーも参列
した。
その後、城星学園を訪問し、中高生や幼稚園児の
歓迎を受けた。池長潤大阪大司教と会談した後、大
阪星光学院の中高生との集いへ。生徒から歓迎のあ
いさつ、総長の講話に続き、学年ごとの記念撮影が
行われ、握手ぜめにあう場面も。ドン・ボスコ像の祝
別式も行われた。
大阪 9月23日[日]~24日[月]
24 日夕刻、飛行機で長崎へ移動。空港では、50 名ほどのサレジオ家族のメンバーの熱烈
な歓迎を受けた。
翌 25 日は、総長が待ち望んでいた長崎巡礼。溝
部脩司教の案内で、 大浦天主堂、日本 26 聖人記
念館、浦上教会、平和公園、原爆資料館を訪れた。
浦上教会の被爆のマリア像の小聖堂では、平和のた
めに祈りを献げた。午後、中町教会で行われたサレ
ジオ家族とのミサには約 200 人が参加。ミサ後、茶
話会で親愛園の子どもたちが和太鼓を披露。総長か
らは恩人に感謝状が贈られた。別れを惜しみながら、
長崎から羽田、そして成田へ移動。26 日の朝、日
本での全日程を終えて成田を旅立った。
長崎 9月24日[月]~25日[火]
歓談のひととき
日本 26 聖人記念館で
大浦天主堂の前で
ドン・ボスコ像の前で
イエスのカリタス修道女会の関西のメンバーと
恩人の皆さんへ感謝状の贈呈大阪星光学院の保護者と教職員のコーラス
城星学園の講堂にて 生徒たちへの講話
サレジアン・シスターズ大阪修道院で扶助者聖母記念ミサ
城星学園生徒からの催物
長崎・西坂の丘、日本 26 聖人殉教記念碑の前で
九州のコオペラトーリ会員たちと
長崎空港にて 熱烈な歓迎!
平和公園の平和祈念像の前で
中町教会でのミサのあとに 親愛園の園児の踊りに大喜び
溝部司教と日本 26 聖人記念館にて
大阪星光学院玄関前でドン・ボスコ像の祝別式
大阪大司教館にて
池長大司教と会談
城星学園幼稚園の園児たちと
大阪星光学院の生徒たちと
大阪星光学院の元気な生徒たちからハイタッチ!→
“たいへん有意義な、
大きな喜びに満ちた 5日間でした。”─日本を旅立つ前に─
パスクアール・チャーベス神父来日リポート
0809 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
次
世
代
育
成
の
必
要
性
と
難
し
さ
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
1
8
4
1
年
25
歳
で
司
祭
に
な
っ
た
後
、
貧
し
い
若
者
た
ち
の
た
め
に
精
力
的
に
活
動
を
始
め
ま
し
た
。
そ
の
活
動
は
大
変
イ
ン
パ
ク
ト
の
あ
る
も
の
で
あ
り
、
彼
の
周
り
に
は
数
年
の
う
ち
に
数
百
人
の
若
者
た
ち
が
集
ま
る
よ
う
に
な
っ
て
い
っ
た
の
で
す
。
そ
ん
な
彼
の
心
配
の
種
の
一
つ
は
「
人
材
の
不
足
」
で
し
た
。
当
然
な
が
ら
一
人
で
こ
の
若
者
た
ち
の
面
倒
を
見
る
こ
と
は
で
き
ま
せ
ん
。
当
初
は
、
す
で
に
司
祭
に
な
っ
て
い
る
人
や
大
人
な
ど
の
協
力
を
オ
ラ
ト
リ
オ
の
外
部
か
ら
受
け
て
活
動
を
こ
な
し
て
い
た
わ
け
で
す
が
、
そ
れ
だ
け
で
は
人
材
不
足
の
解
消
が
な
さ
れ
な
い
こ
と
が
は
っ
き
り
し
て
い
ま
し
た
。
オ
ラ
ト
リ
オ
の
活
動
は
大
変
な
時
間
と
エ
ネ
ル
ギ
ー
が
要
求
さ
れ
る
こ
と
で
あ
り
、
ま
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
考
え
る
や
り
方
や
精
神
を
理
解
し
て
同
じ
よ
う
に
や
っ
て
い
く
こ
と
は
簡
単
な
こ
と
で
は
あ
り
ま
せ
ん
で
し
た
。
結
果
と
し
て
、
彼
ら
の
多
く
は
途
中
で
去
っ
て
行
っ
て
し
ま
う
こ
と
に
な
り
ま
す
。
彼
は
そ
の
状
況
の
中
で
、
自
分
を
手
伝
っ
て
く
れ
る
人
は
自
分
が
育
て
て
い
る
若
者
た
ち
の
中
か
ら
出
せ
ば
い
い
の
だ
、
と
い
う
こ
と
に
気
づ
い
て
い
き
ま
す
。
そ
こ
で
彼
は
自
分
の
若
者
た
ち
の
中
か
ら
神
学
生
を
養
成
し
は
じ
め
、
将
来
の
協
働
者
と
す
る
よ
う
に
努
め
て
い
き
ま
す
。
し
か
し
実
際
に
は
、
そ
う
簡
単
に
実
を
結
ぶ
も
の
で
は
あ
り
ま
せ
ん
で
し
た
。
こ
れ
は
、
と
思
っ
て
目
を
か
け
て
育
て
て
い
っ
た
若
者
た
ち
も
、
い
つ
の
間
に
か
彼
の
も
と
か
ら
去
っ
て
行
っ
て
し
ま
う
と
い
う
体
験
が
続
き
ま
す
。
彼
ら
の
中
に
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
期
待
に
も
か
か
わ
ら
ず
、
彼
に
一
言
も
言
わ
ず
に
い
な
く
な
っ
て
し
ま
う
と
い
う
よ
う
な
者
た
ち
さ
え
い
ま
し
た
。
4
人
の
若
者
へ
の
呼
び
か
け
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
し
か
し
、
決
し
て
あ
き
ら
め
ず
に
自
分
の
若
者
た
ち
を
信
じ
続
け
、
愛
情
を
か
け
、
育
て
て
い
き
ま
す
。
そ
し
て
少
し
ず
つ
そ
の
取
り
組
み
は
実
を
結
び
始
め
る
の
で
す
。
実
に
オ
ラ
ト
リ
オ
の
活
動
が
ト
リ
ノ
の
ヴ
ァ
ル
ド
ッ
コ
に
落
ち
着
い
て
か
ら
8
年
後
、1
8
5
4
年
1
月
26
日
に
、ド
ン・
ボ
ス
コ
は
自
分
の
部
屋
に
4
人
の
若
者
(
ル
ア
、
カ
リ
エ
ロ
、
ロ
ッ
キ
エ
ッ
テ
ィ
、
ア
ル
テ
ィ
リ
ア
)
を
呼
び
集
め
ま
す
。
そ
し
て
こ
う
語
り
か
け
る
の
で
す
。「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
で
き
る
こ
と
は
や
る
が
、
一
人
き
り
で
や
っ
て
い
る
。
も
し
も
君
た
ち
が
手
を
貸
し
て
く
れ
れ
ば
、
一
緒
に
た
く
さ
ん
の
奇
跡
を
行
え
る
だ
ろ
う
。
何
千
も
の
貧
し
い
子
ど
も
た
ち
が
私
た
ち
を
待
っ
て
い
る
。
広
々
と
し
た
オ
ラ
ト
リ
オ
、
教
会
、
施
設
、
作
業
所
、
そ
れ
に
協
力
し
て
く
れ
る
た
く
さ
ん
の
司
祭
を
聖
母
が
送
っ
て
く
だ
さ
る
だ
ろ
う
。
イ
タ
リ
ア
各
地
、
ヨ
ー
ロッ
パ
、
そ
し
て
ア
メ
リ
カ
で
も
。
君
た
ち
の
中
に
す
で
に
ミ
ト
ラ
(
司
教
の
帽
子
)
が
見
え
て
い
る
よ
」。
若
者
を
信
頼
し
、
夢
を
与
え
、
期
待
を
か
け
て
育
て
て
い
く
、
そ
の
心
が
よ
く
表
れ
た
言
葉
で
す
。
若
者
た
ち
と
新
し
い
修
道
会
を
創
立
そ
れ
か
ら
さ
ら
に
約
6
年
後
、
1
8
5
9
年
12
月
9
日
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
自
分
の
部
屋
に
19
人
の
若
者
を
集
め
、
正
式
に
「
サ
レ
ジ
オ
修
道
会
」
を
発
足
す
る
こ
と
を
宣
言
し
、
彼
ら
に
1
週
間
の
猶ゆう
予よ
を
与
え
、
入
会
す
る
か
ど
う
か
を
考
え
さ
せ
ま
す
。
突
然
の
宣
言
に
彼
ら
の
中
に
は
強
い
葛
藤
を
覚
え
た
者
も
い
た
よ
う
で
、
ジ
ョ
ヴ
ァ
ンニ・
カ
リ
エロ
は
そ
の
一
人
で
し
た
が
、
い
ろ
い
ろ
迷
っ
た
う
え
で
有
名
な
こ
の
言
葉
を
言
う
の
で
す
。「
修
道
者
に
な
ろ
う
が
な
る
ま
い
が
、
私
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
共
に
い
る
」。
1
週
間
後
、
2
人
を
除
い
た
17
人
が
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
部
屋
に
集
ま
り
、
新
し
い
修
道
会
の一
員
と
な
る
こ
と
を
決
意
し
ま
し
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
の
誕
生
の
瞬
間
で
し
た
。
そ
れ
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
手
塩
に
か
け
て
育
て
て
き
た
若
者
た
ち
と
作
り
上
げ
た
、
ま
っ
た
く
新
し
い
形
の
修
道
会
で
し
た
。
次
世
代
育
成
の
秘
訣
後
年
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
弟
子
の
一
人
は
こ
う
語
っ
て
い
ま
す
。「
他
の
す
べ
て
の
修
道
会
は
そ
の
は
じ
ま
り
に
お
い
て
学
識
豊
か
な
人
や
熟
練
し
た
人
か
ら
助
け
ら
れ
て
い
ま
し
た
。
私
た
ち
に
つ
い
て
は
そ
う
で
は
あ
り
ま
せ
ん
。
全
員
が
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
生
徒
な
の
で
す
。
こ
れ
は
大
変
に
労
力
の
い
る
作
業
で
、
そ
の
作
業
の
た
め
に
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
約
30
年
か
け
た
の
で
す
。
で
す
が
、
私
た
ち
は
全
員
彼
か
ら
教
育
さ
れ
た
の
で
、
皆
同
じ
方
法
と
同
じ
シ
ス
テ
ム
が
身
に
つ
い
て
い
る
の
で
す
。」
彼
ら
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
や
り
方
を
頭
で
理
解
す
る
の
で
は
な
く
、
小
さ
い
こ
ろ
か
ら
ド
ン・ボ
ス
コ
が
常
に
オ
ラ
ト
リ
オ
で
「
共
に
」
生
き
る
こ
と
に
よ
っ
て
、
知
ら
ず
知
ら
ず
の
う
ち
に
身
に
つ
け
て
い
っ
た
の
で
す
。
後
は
現
場
で
立
場
を
変
え
な
が
ら
、
そ
れ
を
実
践
し
て
い
く
こ
と
で
し
た
。
オ
ラ
ト
リ
オ
の
シ
ス
テ
ム
の
中
で
は
若
者
た
ち
が
自
然
に
、
段
階
的
に
、
自
分
よ
り
下
の
者
に
対
し
て
リ
ー
ダ
ー
シ
ッ
プ
を
と
っ
て
い
く
方
法
が
確
立
さ
れ
て
い
た
の
で
す
。
彼
ら
は
少
し
ず
つ
「
新
し
い
ド
ン
・
ボ
ス
コ
に
な
る
」
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
そ
し
て
そ
れ
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
若
者
た
ち
を
信
頼
し
、
大
切
な
こ
と
を
ま
か
せ
て
い
く
心
が
あ
っ
た
か
ら
こ
そ
で
き
た
こ
と
で
し
ょ
う
。
も
ち
ろ
ん
そ
の
際
に
も
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
た
だ
ま
か
せ
る
の
で
は
な
く
、
彼
ら
を
し
っ
か
り
フ
ォ
ロ
ー
し
て
い
く
こ
と
を
忘
れ
ま
せ
ん
で
し
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
「
共
に
い
る
教
育
」
の
方
法
(
ア
シ
ス
テ
ン
ツ
ァ
)
そ
の
も
の
が
、
次
世
代
を
担
う
若
者
た
ち
の
育
成
に
つ
な
が
っ
て
い
た
と
い
う
こ
と
が
言
え
ま
す
。
共
に
汗
を
流
し
、
忍
耐
し
、
苦
労
し
な
が
ら
育
成
し
て
い
っ
た
の
で
す
。
そ
し
て
そ
の
苦
労
は
並
大
抵
の
も
の
で
は
あ
り
ま
せ
ん
で
し
た
。
Essay
浦田慎二郎 うらた しんじろう
サレジオ会司祭。教皇庁立サレジ
オ大学大学院霊性神学博士課
程修了(神学博士号取得)。専
門はドン・ボスコ研究。
ドン・ボスコに見る
次世代を担う
若者たちの育成
文 ● 浦田慎二郎
トリノの扶助者聖母大聖堂を望む
初期のサレジオ会員たちとドン・ボスコ(前列左から 4 番目)。1870 年撮影
ドン・ボスコの教え子で第 2 代総長となった
ミケーレ・ルア神父の初ミサの場面
「経験」と題するノートを作りなさい。
そこに自分が体験してきた
問題点や失敗を記録するのです。
─ ドン・ボスコのすすめ ─
上に立っている人は、
どんな場合でも自分の我を
捨てなければなりません。
─ ドン・ボスコのすすめ ─
「愛は寛容で慈悲に富む。
すべてを信じ、すべてを希望し、
すべてを耐え忍ぶ。」
予防教育法の実践は、
この聖書の言葉に基づく。
─ ドン・ボスコのすすめ ─
1011 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
3
特集
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の「
教
え
子
」た
ち
イ
ン
タ
ビ
ュ
ー
未
来
に
よ
い
も
の
を
伝
え
て
い
く
た
め
に
知
識・経
験・技
術
、そ
し
て
情
熱
を
伝
え
、
未
来
を
担
う
若
者
た
ち
を
育
て
て
い
く
こ
と
は
、
希
望
に
満
ち
た
大
き
な
仕
事
だ
。
若
者
た
ち
と
共
に
未
来
を
拓
い
て
い
く
ド
ン・ボ
ス
コ
の
学
び
舎
の
卒
業
生
た
ち
が
自
身
の
体
験
を
語
り
、エ
ー
ル
を
送
っ
て
く
れ
た
。
取
材
・
文
・
写
真
●
編
集
部
─
サ
レ
ジ
オ
高
専
に
留
学
の
た
め
来
日
し
た
き
っ
か
け
は
?
ス
リ
ラ
ン
カ
で
通
っ
て
い
た
ミ
ッ
シ
ョ
ン
ス
ク
ー
ル
の
神
父
さ
ま
が
、
サ
レ
ジ
オ
会
の
神
父
さ
ま
と
知
り
合
い
で
、「
日
本
の
学
校
に
行
く
こ
と
が
で
き
る
よ
」
と
紹
介
し
て
も
ら
い
ま
し
た
。
24
歳
の
時
、
育
英
工
業
高
等
専
門
学
校
(
現
サ
レ
ジ
オ
高
専
)
の
ビ
ジ
ュ
ア
ル
情
報
工
学
科
(
2
0
0
5
年
閉
科
)
に
入
学
し
て
、
デ
ザ
イ
ン
や
印
刷
な
ど
を
学
び
ま
し
た
。
私
は
印
刷
に
興
味
が
あ
っ
た
の
で
、卒
業
研
究
も
印
刷
関
係
に
し
ま
し
た
。
─
日
本
で
の
学
生
生
活
は
ど
う
で
し
た
か
?
楽
し
か
っ
た
で
す
ね
。
ま
ず
2
か
月
ぐ
ら
い
日
本
語
を
学
ん
で
、
す
ぐ
高
専
で
一
緒
に
勉
強
し
始
め
た
の
で
す
が
、
先
生
の
話
す
こ
と
が
ほ
と
ん
ど
わ
か
り
ま
せ
ん
で
し
た
。
で
も
先
生
た
ち
が
放
課
後
も
残
っ
て
熱
心
に
教
え
て
く
れ
ま
し
た
し
、
私
も
く
ら
い
つ
い
て
い
き
ま
し
た
。
学
校
の
隣
に
寮
(
サ
イ
テ
ッ
ク
)
が
あ
っ
て
、
校
長
の
ヘ
ン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
さ
ま
や
デ
ビ
ッ
テ
神
父
さ
ま
ほ
か
サ
レ
ジ
オ
会
の
神
父
さ
ま
た
ち
に
お
世
話
に
な
り
ま
し
た
。
土
日
は
留
学
生
た
ち
を
遊
び
に
連
れ
て
行
っ
て
く
れ
ま
し
た
。
ス
リ
ラ
ン
カ
と
比
べ
て
日
本
は
物
価
が
高
く
、
ア
ル
バ
イ
ト
を
し
た
い
と
申
し
出
た
時
、
ヘ
ン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
さ
ま
は
「
お
金
の
こ
と
は
考
え
な
く
て
い
い
よ
、
一
生
懸
命
勉
強
だ
け
し
な
さ
い
」
と
言
っ
て
く
れ
ま
し
た
。
学
校
が
就
職
を
お
世
話
し
て
く
れ
た
こ
と
は
、
本
当
に
助
か
り
ま
し
た
。
外
国
人
の
就
職
は
な
お
さ
ら
難
し
い
の
で
す
が
、
先
生
が
す
ご
く
協
力
し
て
、
面
接
も
一
緒
に
行
っ
て
く
れ
た
ん
で
す
。
─
日
本
で
の
仕
事
は
大
変
で
し
た
か
?
印
刷
会
社
の
ミ
ズ
ノ
プ
リ
テ
ッ
ク
で
10
年
ほ
ど
働
き
ま
し
た
。
会
社
案
内
や
商
品
カ
タ
ロ
グ
な
ど
の
制
作
を
得
意
と
す
る
会
社
で
す
。
50
人
ほ
ど
の
従
業
員
の
う
ち
、
外
国
人
は
私
だ
け
で
し
た
。
会
社
の
人
た
ち
が
と
て
も
よ
く
教
え
て
く
れ
て
、
私
も
す
ご
く
勉
強
に
な
っ
た
し
、
結
構
楽
し
か
っ
た
で
す
ね
。
苦
労
は
な
か
っ
た
か
も
し
れ
な
い
で
す
。
お
か
げ
で
在
職
中
に
国
家
資
格
の
印
刷
技
能
士
検
定
1
級
を
取
る
こ
と
も
で
き
て
、
自
分
で
印
刷
会
社
を
や
っ
て
い
こ
う
と
い
う
自
信
も
つ
き
ま
し
た
。
新
し
く
入
社
し
た
若
い
人
を
教
え
る
経
験
も
し
ま
し
た
し
、
会
社
の
同
僚
に
は
と
て
も
恵
ま
れ
ま
し
た
。
─
ス
リ
ラ
ン
カ
で
事
業
を
始
め
る
そ
う
で
す
ね
。
日
本
に
留
学
す
る
時
か
ら
、
い
ず
れ
は
ス
リ
ラ
ン
カ
に
戻
っ
て
日
本
で
学
ん
だ
こ
と
を
活
か
し
て
仕
事
を
し
た
い
と
思
っ
て
い
ま
し
た
。
こ
れ
か
ら
ス
リ
ラ
ン
カ
で
印
刷
会
社
を
立
ち
上
げ
る
た
め
に
、
提
携
で
き
そ
う
な
工
場
、
紙
や
イ
ン
ク
な
ど
資
材
の
コ
ス
ト
調
査
、
そ
こ
で
自
分
た
ち
が
付
け
加
え
ら
れ
る
可
能
性
な
ど
を
探
っ
て
き
ま
す
。
会
社
は
、
私
が
い
つ
戻
っ
て
き
て
働
い
て
も
い
い
よ
う
に
休
職
と
い
う
形
に
し
て
く
れ
て
い
て
、
も
し
も
ス
リ
ラ
ン
カ
で
印
刷
会
社
を
立
ち
上
げ
る
時
に
は
、
印
刷
機
の
提
供
な
ど
い
ろ
い
ろ
と
協
力
し
て
く
れ
る
そ
う
で
す
。
今
回
は
、
知
り
合
い
の
方
が
く
だ
さ
っ
た
小
型
の
印
刷
機
を
持
っ
て
帰
国
し
ま
す
。
ま
だ
ま
だ
こ
れ
か
ら
で
不
安
も
い
っ
ぱ
い
で
す
が
、
小
さ
な
こ
と
か
ら
始
め
て
み
た
い
と
思
い
ま
す
。
日
本
で
は
今
、
出
版
物
の
印
刷
業
は
か
な
り
低
迷
し
て
き
ま
し
た
。
ス
リ
ラ
ン
カ
も
い
ず
れ
は
そ
う
な
る
か
も
し
れ
ま
せ
ん
。
で
も
商
品
の
梱
包
材
に
関
し
て
は
、
環
境
問
題
か
ら
ビ
ニ
ー
ル
や
発
泡
ス
チ
ロ
ー
ル
よ
り
も
紙
を
使
う
こ
と
が
拡
が
っ
て
い
る
の
で
、
印
刷
・
加
工
業
の
可
能
性
は
ま
だ
ま
だ
あ
る
し
、
ア
イ
デ
ア
次
第
で
す
。
ス
リ
ラ
ン
カ
に
も
サ
レ
ジ
オ
の
工
業
学
校
が
あ
る
の
で
、
そ
の
卒
業
生
を
受
け
入
れ
て
育
て
て
い
け
た
ら
い
い
で
す
ね
。
日
本
の
企
業
で
学
ん
だ
技
術
や
、
規
律
性
な
ど
を
活
か
し
て
役
立
て
て
い
き
た
い
と
思
い
ま
す
。
も
う
一
つ
、
昨
年
結
婚
し
た
日
本
人
の
妻
と
一
緒
に
、
ス
リ
ラ
ン
カ
で
旅
行
会
社
を
始
め
る
た
め
の
登
録
も
進
め
て
い
ま
す
。
ス
リ
ラ
ン
カ
は
島
国
で
野
生
の
象
も
い
た
り
自
然
も
豊
か
で
す
し
、
世
界
遺
産
な
ど
観
光
地
も
た
く
さ
ん
あ
り
ま
す
。
妻
は
旅
行
会
社
で
働
い
て
き
て
旅
行
業
の
資
格
を
も
っ
て
い
る
の
で
、
日
本
人
観
光
客
や
他
の
国
の
人
に
ス
リ
ラ
ン
カ
に
来
て
も
ら
っ
た
り
、
ス
リ
ラ
ン
カ
の
人
が
外
国
に
行
く
お
手
伝
い
が
で
き
た
ら
と
思
っ
て
い
ま
す
。
こ
れ
か
ら
は
、
ス
リ
ラ
ン
カ
と
日
本
の
橋
渡
し
的
な
役
割
を
担
っ
て
い
く
こ
と
が
で
き
た
ら
い
い
な
と
思
い
ま
す
。
そ
れ
が
夢
で
す
ね
。
★
未
来
に
つ
な
げ
る
ド
ン
・
ボ
ス
コ
流
「
共
に
育
つ
」
次
世
代
育
成ラナシンハ・
シャナカ
ラ
ナ
シ
ン
ハ
・
シ
ャ
ナ
カ
●
勝
股
真
弓
●
吉
田
博
史
さ
ん
ミズノプリテック株式会社
★サレジオ歴★
サレジオ工業高等専門学校
(旧育英工業高等専門学校)
【プロフィール】
1975年スリランカ生まれ。24歳の時、
育英工業高等専門学校(現サレジオ高
専)ビジュアル情報工学科に留学生と
して来日、デザインや印刷技術を学ぶ。
卒業後ミズノプリテック株式会社で印
刷業に携わり、印刷技能士1級取得。
現在スリランカで印刷業と旅行業を始
めるため準備中。
サレジオ工業高等専門学校
東京都町田市小山ヶ丘 4-6-8
www.salesio-sp.ac.jp
1
「
先
生
た
ち
が
熱
心
に
教
え
て
く
れ
て
、
私
も
く
ら
い
つ
い
て
い
き
ま
し
た
。」
Ranasinghe Shanaka
未来につなげる
恩師の山野内倫昭神父(本誌編集長)と
1213 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
─
星
美
学
園
に
入
学
し
た
き
っ
か
け
は
?
小
学
校
に
入
る
前
、
母
は
私
を
連
れ
て
公
立
も
含
め
3
つ
の
学
校
を
見
せ
て
「
あ
な
た
は
ど
こ
の
学
校
に
行
き
た
い
?
」
と
聞
い
た
そ
う
で
す
。
3
つ
目
の
学
校
が
星
美
学
園
(
以
下
、
星
美
)
で
、
私
は
「
最
後
の
と
こ
が
い
い
」
と
。
近
所
に
姉
妹
お
二
人
で
星
美
に
通
っ
て
い
ら
っ
し
ゃ
る
方
が
い
て
、
そ
の
制
服
姿
を
見
て
、
す
て
き
な
お
姉
さ
ま
だ
な
と
い
う
憧
れ
が
あ
っ
た
の
だ
と
思
い
ま
す
。
─
星
美
で
の
思
い
出
は
?
当
時
は
練
馬
か
ら
赤
羽
ま
で
通
っ
て
、
師
団
坂
を
毎
日
登
っ
て
。
遅
刻
し
そ
う
な
時
は
大
変
で
し
た
ね
(
笑
)。
小
学
校
か
ら
12
年
間
お
世
話
に
な
り
ま
し
た
。
シ
ス
タ
ー
や
先
生
方
は
と
て
も
親
し
み
や
す
か
っ
た
で
す
。
私
が
入
学
し
た
こ
ろ
の
校
長
の
平
手
は
な
シ
ス
タ
ー
は
、
す
ご
く
身
近
な
存
在
で
、
校
長
室
に
は
自
由
に
出
入
り
し
て
い
た
思
い
出
が
あ
り
ま
す
。
小
学
校
に
入
学
し
て
、
初
め
て
神
さ
ま
に
触
れ
ま
し
た
。
宗
教
の
授
業
、
日
々
の
祈
り
や
聖
母
祭
、
聖
母
行
列
な
ど
の
思
い
出
が
あ
り
ま
す
。
小
学
生
の
こ
ろ
は
登
校
す
る
と
聖
堂
に
行
っ
て
、
放
課
後
も
帰
る
前
に
聖
堂
に
寄
っ
て
、
友
だ
ち
と
一
緒
に
お
祈
り
を
し
て
い
ま
し
た
ね
。
星
美
で
「
徳
の
花
」※
と
い
う
言
葉
を
知
っ
て
、
人
の
た
め
に
自
分
を
犠
牲
に
す
る
こ
と
を
学
び
ま
し
た
。
そ
う
い
う
積
み
重
ね
に
よ
っ
て
、
心
の
教
育
を
知
ら
ず
知
ら
ず
の
う
ち
に
自
然
に
身
に
付
け
た
の
だ
と
思
い
ま
す
。
少
し
大
人
に
な
っ
て
、
一
時
的
に
反
発
し
て
離
れ
よ
う
と
い
う
時
も
あ
り
ま
し
た
が
、
結
局
は
戻
る
と
言
い
ま
す
か
、
後
に
な
っ
て
、
そ
の
時
受
け
た
も
の
に
対
す
る
感
謝
の
気
持
ち
が
わ
い
て
き
ま
し
た
ね
。
人
は
一
人
で
は
生
き
て
い
け
な
い
わ
け
で
す
し
、
何
か
し
ら
人
と
関
わ
ら
な
け
れ
ば
な
り
ま
せ
ん
。
私
の
仕
事
も
、
お
客
さ
ま
や
働
く
仲
間
な
ど
、
い
ろ
い
ろ
な
人
と
関
わ
り
ま
す
。
そ
の
中
で
、
な
か
な
か
思
い
ど
お
り
に
な
ら
な
い
こ
と
も
あ
り
ま
す
が
、
そ
れ
を
乗
り
越
え
よ
う
と
す
る
時
、
星
美
の
「
心
の
教
育
」
が
私
の
人
生
の
基
盤
に
な
っ
て
い
る
と
感
じ
ま
す
。
─
現
在
の
仕
事
を
教
え
て
く
だ
さ
い
。
こ
れ
ま
で
ず
っ
と
A
N
A
(
全
日
空
)
に
勤
務
し
て
ま
い
り
ま
し
た
。
私
の
就
職
し
た
当
時
は
、
金
融
と
か
商
社
が
人
気
の
時
代
で
し
た
が
、
私
は
事
務
職
よ
り
も
体
を
動
か
す
仕
事
、
人
間
が
好
き
で
、
人
と
向
き
合
う
仕
事
に
興
味
が
あ
っ
て
こ
の
仕
事
を
選
び
ま
し
た
。
羽
田
、
成
田
、
関
西
空
港
な
ど
、
基
本
的
に
空
港
で
の
仕
事
を
行
っ
て
き
ま
し
た
。
お
客
さ
ま
の
ご
搭
乗
、
ご
到
着
の
対
応
な
ど
の
仕
事
で
す
。
昨
年
4
月
か
ら
は
羽
田
空
港
の
顧
客
サ
ポ
ー
ト
部
に
所
属
し
、
V
I
P
の
お
客
さ
ま
の
お
手
伝
い
を
い
た
し
て
お
り
ま
す
。
皇
室
を
は
じ
め
政
財
界
の
お
客
さ
ま
が
弊
社
を
ご
利
用
に
な
る
と
き
の
お
手
伝
い
で
す
。
お
顔
な
り
、
お
名
前
が
わ
か
ら
な
い
と
で
き
ま
せ
ん
の
で
、
日
々
勉
強
し
な
が
ら
緊
張
感
を
も
っ
て
仕
事
を
し
て
お
り
ま
す
。
─
社
員
教
育
が
厳
し
い
イ
メ
ー
ジ
が
あ
り
ま
す
が
。
仕
事
に
つ
い
て
厳
し
さ
を
求
め
ら
れ
る
の
は
確
か
で
す
。
所
作
、
立
ち
振
る
舞
い
な
ど
も
最
初
の
こ
ろ
に
徹
底
的
に
教
育
さ
れ
ま
す
。
で
も
星
美
の
校
則
の
ほ
う
が
厳
し
か
っ
た
よ
う
な
(
笑
)。
サ
ー
ビ
ス
に
つ
い
て
は
、
さ
ま
ざ
ま
な
業
種
の
方
が
高
い
関
心
を
も
っ
て
お
ら
れ
て
、
知
り
た
い
、
学
び
た
い
と
い
う
お
声
も
多
く
い
た
だ
い
て
お
り
ま
す
の
で
、
弊
社
か
ら
派
遣
し
て
指
導
す
る
よ
う
な
部
門
も
あ
り
ま
す
。
─
若
い
女
性
が
多
い
職
場
で
す
ね
。
新
入
社
員
や
若
い
方
た
ち
と
一
緒
に
、
現
場
で
仕
事
を
す
る
環
境
に
長
く
い
ま
し
た
。
教
育
と
い
う
よ
り
も
、
仕
事
を
し
な
が
ら
関
わ
っ
て
い
く
と
い
う
感
じ
で
す
。
よ
く
先
輩
が
後
輩
に
対
し
て
「
私
の
背
中
を
見
て
育
っ
て
」
と
か
言
い
ま
す
が
、
ふ
と
振
り
向
く
と
誰
も
つ
い
て
き
て
い
な
い
こ
と
が
あ
る
ん
で
す
よ
。
で
す
か
ら
「
黙
っ
て
つ
い
て
き
な
さ
い
」
で
は
な
く
て
、
き
ち
ん
と
言
葉
で
伝
え
な
け
れ
ば
な
り
ま
せ
ん
。
指
導
す
る
と
き
、
褒ほ
め
て
育
て
る
こ
と
を
大
切
に
し
て
い
ま
す
。
短
所
を
長
所
に
変
え
る
と
い
う
の
は
な
か
な
か
難
し
い
こ
と
で
す
か
ら
、
そ
の
人
の
も
っ
て
い
る
長
所
を
さ
ら
に
伸
ば
し
て
あ
げ
る
と
い
う
考
え
で
や
っ
て
い
ま
す
。
で
も
若
い
人
た
ち
の
中
に
は
「
私
、
褒
め
ら
れ
て
育
つ
タ
イ
プ
な
ん
で
す
」
っ
て
い
う
人
が
い
る
ん
で
す
け
れ
ど
、
自
分
で
言
わ
な
い
で
ほ
し
い
な
と
は
思
い
ま
す
ね(
笑
)。
褒
め
ら
れ
る
ま
で
待
た
ず
に
、
も
っ
と
パ
ワ
フ
ル
で
い
て
ほ
し
い
な
と
思
い
ま
す
。
む
し
ろ
出
る
杭くい
に
な
っ
て
ほ
し
い
。
今
の
若
い
人
た
ち
は
優
秀
で
す
し
、
こ
ち
ら
が
教
わ
る
こ
と
は
多
々
あ
り
ま
す
。
彼
ら
と
意
見
を
戦
わ
す
こ
と
で
、
私
が
折
れ
た
り
納
得
し
た
り
す
る
場
合
も
あ
り
ま
す
。
じ
ゃ
あ
そ
れ
で
や
っ
て
み
よ
う
と
い
う
ふ
う
に
。
教
育
と
は
「
共
育
」
だ
と
思
い
ま
す
。
若
い
方
た
ち
か
ら
エ
ネ
ル
ギ
ー
を
も
ら
う
こ
と
も
あ
り
ま
す
し
、
若
い
方
た
ち
と
仕
事
を
す
る
の
が
、
私
は
好
き
で
す
。
─
若
者
た
ち
に
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
。
20
代
は
人
生
の
中
で
一
番
い
ろ
い
ろ
な
出
来
事
が
起
こ
る
大
切
な
10
年
間
だ
と
思
い
ま
す
。
学
校
に
行
っ
た
り
、
結
婚
し
た
り
、
家
庭
を
も
っ
た
り
、
出
産
と
い
う
の
も
あ
る
で
し
ょ
う
し
。
そ
の
10
年
間
は
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
を
広
げ
た
ほ
う
が
い
い
と
思
う
ん
で
す
ね
。
社
内
で
も
社
外
で
も
、
い
ろ
い
ろ
な
人
と
関
わ
っ
て
み
る
。
30
代
は
企
業
の
中
で
も
社
会
の
中
で
も
、
重
要
な
ポ
ジ
シ
ョン
に
つ
い
て
い
き
ま
す
の
で
、
そ
の
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
を
利
用
し
て
仕
事
を
し
て
い
く
時
代
で
す
。
若
い
う
ち
に
い
ろ
い
ろ
吸
収
し
て
、
蓄
え
て
い
く
と
よ
い
の
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
限
ら
れ
た
人
と
だ
け
遊
ん
だ
り
付
き
合
っ
た
り
す
る
の
で
は
な
く
、
選
ば
な
い
で
い
ろ
い
ろ
な
人
た
ち
と
触
れ
合
う
こ
と
。
そ
こ
で
き
っ
と
人
の
善
し
悪
し
を
知
り
、
選
択
す
る
力
を
身
に
つ
け
る
こ
と
が
で
き
る
と
思
い
ま
す
。
★
勝
股
真
弓さん
全日本空輸株式会社
★サレジオ歴★
星美学園小学校
星美学園中学校・高等学校
【プロフィール】
1953 年生まれ。星美学園小学校・中学
校・高等学校で学ぶ。全日本空輸株式
会社の空港スタッフとして各地で勤務、
現在は東京空港支店顧客サポート部第 1
グループ長。趣味は映画鑑賞、温泉めぐ
り、加圧トレーニング(週 1 回)。
星美学園中学校・高等学校
東京都北区赤羽台4-2-14
www.jsh.seibi.ac.jp
「
若
い
方
た
ち
と
仕
事
を
す
る
の
が
、私
は
好
き
で
す
。」
か
つ
ま
た
ま
ゆ
み 2
未来につなげる
※聖母祭や無原罪の聖マリアの祭日を迎える心備えとして、神さま
に喜んでいただける行いを「徳の花」として祈りと共に献げること。
1415 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
─
大
阪
星
光
学
院
に
入
学
し
た
き
っ
か
け
は
?
大
阪
星
光
学
院
(
以
下
、
星
光
)
に
入
学
す
る
前
は
、
扶
助
者
聖
母
会
(
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
)
の
城
星
学
園
に
、
幼
稚
園
・
小
学
校
と
通
っ
て
お
り
ま
し
た
。
そ
の
城
星
か
ら
、
同
じ
カ
ト
リ
ッ
ク
系
の
星
光
学
院
へ
進
学
し
た
の
は
、
母
が
宗
教
に
よ
る
教
育
に
も
相
応
に
期
待
し
た
こ
と
と
、
当
時
の
大
阪
の
公
立
で
は
、
校
区
を
跨また
ぐ
越
境
入
学
が
社
会
問
題
と
な
り
つ
つ
あ
っ
た
こ
と
、
そ
れ
と
、
そ
の
校
舎
の
い
ず
れ
も
が
自
宅
か
ら
比
較
的
近
く
に
あ
っ
た
こ
と
だ
と
思
い
ま
す
。
当
時
の
校
長
は
都と
成なり
神
父
さ
ま
で
し
た
が
、
多
く
の
時
間
を
生
徒
と
共
に
過
ご
さ
れ
て
い
た
印
象
が
あ
り
ま
す
。
放
課
後
の
部
活
の
時
間
に
は
、
グ
ラ
ウ
ン
ド
脇
の
階
段
の
上
に
立
ち
、
後
ろ
手
を
組
み
な
が
ら
、
優
し
い
眼
差
し
で
ク
ラ
ブ
活
動
を
し
て
い
る
生
徒
た
ち
を
見
て
お
ら
れ
る
姿
が
今
で
も
目
に
焼
き
つ
い
て
い
ま
す
。
そ
れ
と
学
年
を
担
当
さ
れ
た
先
生
方
と
の
思
い
出
で
す
。
特
に
中
学
生
に
な
っ
た
ば
か
り
の
多
感
な
時
期
に
、
ど
ん
な
先
生
と
出
会
う
か
と
い
う
の
は
本
当
に
大
事
だ
と
思
い
ま
す
。
今
も
当
時
の
先
生
方
と
は
よ
く
お
会
い
し
ま
す
が
、
一
人
ひ
と
り
の
生
徒
と
真
剣
に
接
し
て
く
れ
た
先
生
方
と
共
に
過
ご
せ
た
と
い
う
の
は
、
い
つ
ま
で
も
本
当
に
有
難
い
こ
と
で
す
。
─
現
在
の
仕
事
を
教
え
て
く
だ
さ
い
。
元
は
母
が
経
営
す
る
繊
維
関
係
の
会
社
に
い
ま
し
た
が
、
結
婚
し
長
男
が
誕
生
す
る
頃
に
は
、
い
つ
か
は
リ
ー
ダ
ー
と
し
て
会
社
を
立
ち
上
げ
な
く
て
は
と
い
う
強
い
思
い
が
あ
り
ま
し
た
。
1
9
9
3
年
に
独
立
し
た
後
、
幾
つ
か
の
ジ
ャ
ン
ル
の
仕
事
を
し
て
お
り
ま
す
が
、
今
の
会
社
は
、
主
に
電
子
部
品
の
受
託
生
産
を
行
っ
て
お
り
ま
す
。
こ
れ
を
E
M
S
と
い
い
ま
す
が
、
皆
さ
ん
が
お
持
ち
に
な
っ
て
い
る
ス
マ
ー
ト
フ
ォ
ン
や
パソ
コ
ン
、
デ
ジ
タ
ル
カ
メ
ラ
や
ゲ
ー
ム
機
、
そ
れ
か
ら
自
動
車
や
医
療
機
器
に
使
用
さ
れ
る
部
品
で
、
金
属
や
樹
脂
や
ゴ
ム
の
材
料
を
ベ
ー
ス
に
、
プ
レ
ス
、
成
形
、
そ
し
て
メ
ッ
キ
や
塗
装
等
、
さ
ま
ざ
ま
な
工
程
で
完
成
す
る
部
品
を
、
企
画
・
設
計
の
初
期
の
段
階
か
ら
メ
ー
カ
ー
さ
ん
と
打
ち
合
わ
せ
な
が
ら
、
そ
の
試
作
品
や
量
産
品
の
製
作
を
国
内
や
海
外
の
委
託
先
で
製
造
し
て
い
ま
す
。
─
仕
事
や
日
常
で
大
切
に
し
て
い
る
こ
と
は
?
何
よ
り
も
会
話
で
す
。
黙
っ
た
ま
ま
で
も
分
か
り
合
え
る
と
い
う
以
心
伝
心
が
目
標
で
す
が
、
な
か
な
か
難
し
い
の
で
、
や
は
り
会
話
す
る
こ
と
が
最
も
大
事
だ
と
思
い
ま
す
。
最
近
で
は
、「
地
元
」
や
「
祭
り
」
と
い
う
よ
う
な
実
際
の
人
間
社
会
、
い
わ
ば
近
所
付
き
合
い
と
い
う
よ
う
な
、
人
と
人
と
の
繋つな
が
り
を
知
る
機
会
が
次
第
に
薄
れ
つ
つ
あ
る
よ
う
に
感
じ
て
い
ま
す
。
そ
れ
と
あ
ま
り
に
も
情
報
が
多
す
ぎ
て
、
何
を
信
じ
、
ど
う
選
べ
ば
い
い
の
か
が
更
に
難
し
く
な
っ
て
い
る
と
思
い
ま
す
。
そ
の
不
信
、
不
安
な
時
代
を
象
徴
す
る
よ
う
に
、
今
、
人
か
ら
笑
顔
が
な
く
な
っ
て
き
て
い
ま
す
。
で
も
、
た
っ
た
一
言
の
褒ほ
め
言
葉
を
も
ら
う
こ
と
や
、
信
頼
す
る
人
と
会
話
す
る
だ
け
で
も
、人
は
元
気
に
な
れ
ま
す
。
そ
し
て
、
そ
の
一
人
の
元
気
が
、
ま
た
次
の
人
を
元
気
に
で
き
る
と
思
っ
て
い
ま
す
。
─
星
光
の
同
窓
会
会
長
を
務
め
て
い
ま
す
ね
。
星
光
学
院
の
同
窓
会
で
は
、
こ
こ
数
年
「
集
う
」
こ
と
を
大
き
な
テ
ー
マ
に
し
て
い
ま
す
。
大
阪
で
は
も
ち
ろ
ん
で
す
が
、
す
で
に
東
京
や
海
外
に
も
支
部
が
あ
り
ま
す
。
1
期
か
ら
昨
年
卒
業
し
た
ば
か
り
の
57
期
ま
で
が
在
籍
し
て
い
ま
す
が
、
あ
と
数
年
で
1
万
2
千
人
に
も
な
り
ま
す
。
そ
の
う
ち
、
1
6
0
0
人
近
く
が
医
師
、
あ
る
い
は
医
学
部
の
学
生
に
な
っ
て
い
る
よ
う
に
、
今
、
星
光
は
関
西
だ
け
で
な
く
、
日
本
で
も
有
数
の
進
学
校
に
な
っ
て
い
ま
す
。
そ
れ
は
確
か
に
素
晴
ら
し
い
こ
と
で
す
が
、他
方
、
試
験
の
点
数
さ
え
取
れ
ば
良
い
と
な
り
つ
つ
あ
る
、
社
会
や
家
庭
の
風
潮
が
少
し
気
懸
か
り
で
す
。
星
光
の
同
窓
会
に
は
、
医
師
の
会
や
、
都
市
環
境
部
会
、
若
手
経
営
者
の
会
等
の
部
会
が
あ
り
ま
す
。
そ
れ
そ
れ
が
、
総
会
や
ゴ
ル
フ
、
忘
年
会
や
懇
親
会
等
々
に
、
活
発
に
笑
顔
で
集
っ
て
い
ま
す
。
私
も
同
期
の
仲
間
た
ち
と
年
に
数
回
会
い
ま
す
が
、
さ
す
が
に
年
を
重
ね
る
ご
と
に
、
相
応
に
外
見
は
変
わ
っ
て
き
た
な
、
と
互
い
に
思
っ
て
は
い
ま
す
。
し
か
し
人
と
し
て
の
本
質
は
全
く
星
光
生
当
時
の
ま
ま
で
、
誰
も
何
に
も
変
わ
っ
て
い
ま
せ
ん
。
い
く
ら
社
会
的
に
は
立
派
な
職
業
に
い
よ
う
と
も
、
多
く
の
収
入
が
あ
ろ
う
と
も
全
く
関
係
な
く
、
同
期
は
、
い
つ
ま
で
も
同
期
で
す
。
そ
の
屈
託
の
な
い
集
い
も
至
福
の
時
間
で
す
。
↓
─
後
輩
た
ち
、
若
者
た
ち
へ
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
。
人
そ
れ
ぞ
れ
に
必
ず
好
き
な
こ
と
と
、
良
い
と
こ
ろ
が
あ
る
と
思
い
ま
す
。
勉
強
や
ス
ポ
ー
ツ
、
音
楽
や
料
理
、
話
す
こ
と
や
聞
く
こ
と
、
他
に
も
い
ろ
い
ろ
あ
り
ま
す
。
生
ま
れ
も
っ
た
才
能
も
あ
れ
ば
、
時
に
人
に
憧
れ
て
気
づ
く
こ
と
も
あ
り
ま
す
。
そ
れ
を
一
生
懸
命
に
や
れ
ば
、
も
っ
と
自
分
が
や
り
た
い
こ
と
が
見
え
て
く
る
は
ず
で
す
。
そ
し
て
、
本
当
に
自
分
の
好
き
な
こ
と
を
、
好
き
な
と
こ
ろ
で
、
好
き
な
人
と
や
り
続
け
る
の
が
理
想
で
す
。
早
く
か
ら
自
分
の
10
年
20
年
先
の
目
標
を
決
め
る
こ
と
は
、
あ
る
程
度
は
必
要
だ
と
は
思
い
ま
す
が
、
や
は
り
自
分
の
目
の
前
に
在あ
る
こ
と
を
大
事
に
す
る
こ
と
で
す
。
い
ず
れ
大
人
に
な
っ
て
い
く
過
程
で
、
平
凡
な
日
常
が
い
か
に
大
切
で
、
有
難
い
こ
と
か
が
判わか
っ
て
く
る
と
思
い
ま
す
。
後
輩
の
星
光
生
た
ち
に
よ
く
言
う
の
は
、
「
君
た
ち
は
、
あ
と
数
年
で
社
会
の
リ
ー
ダ
ー
に
な
り
ま
す
。
そ
の
リ
ー
ダ
ー
に
、
最
も
必
要
な
こ
と
は
、
い
つ
も
正
し
い
判
断
を
す
る
こ
と
、
そ
し
て
、
速
や
か
に
行
動
す
る
こ
と
が
重
要
」
と
伝
え
て
い
ま
す
。
リ
ー
ダ
ー
と
は
、
自
分
で
正
し
い
判
断
を
し
、
そ
し
て
行
動
で
き
る
人
の
こ
と
で
す
。
も
し
社
会
の
リ
ー
ダ
ー
に
な
っ
た
人
が
「
自
分
は
大
衆
、
民
衆
か
ら
抜
け
出
し
た
」
と
思
う
の
で
あ
れ
ば
、
リ
ー
ダ
ー
た
る
資
格
は
な
い
と
思
い
ま
す
。
星
光
生
ら
し
く
「
世
の
光
」
と
し
て
先ま
ず
は
自
身
が
輝
き
な
が
ら
、
世
の
た
め
、
人
の
た
め
に
社
会
に
光
を
与
え
続
け
て
ほ
し
い
で
す
ね
。
★
吉
田
博
史
よ
し
だ
ひ
ろ
し
さん
株式会社アルファクト
★サレジオ歴★
城星学園幼稚園・小学校
大阪星光学院中学校・高等学校
【プロフィール】
1956 年生まれ。大阪の城星学園幼稚園・小学校、
大阪星光学院中学校・高等学校で学ぶ。1997 年、
電子部品の受託生産を行う株式会社アルファクトを
設立、代表取締役。大阪星光学院の同窓会長も務め
る。学生時代はグラウンドホッケーの主将を務め、
近年の趣味はゴルフ。
大阪星光学院中学校・高等学校
大阪府大阪市天王寺区伶人町 1-6
www.osakaseiko.ac.jp
「
リ
ー
ダ
ー
と
は
、正
し
い
判
断
を
し
、
速
や
か
に
行
動
で
き
る
人
の
こ
と
」3
未来につなげる
1617 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
君
た
ち
の
た
め
に
命
を
献
げ
る
ピ
ナ
ル
デ
ィ
の
家
の
物
置
小
屋
を
借
り
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
、
日
曜
日
だ
け
で
な
く
、
毎
日
オ
ラ
ト
リ
オ
の
少
年
た
ち
の
た
め
に
働
い
た
。
少
年
た
ち
が
働
く
現
場
を
回
っ
て
労
働
条
件
を
改
善
す
る
よ
う
に
し
、
ま
じ
め
に
生
き
る
よ
う
励
ま
し
て
い
た
。
日
曜
日
ご
と
に
通
っ
て
く
る
人
数
も
増
え
続
け
、
ド
ン・ボ
スコ
は
遊
び
を
準
備
し
、
ミ
サ
を
行
い
、
カ
ト
リ
ッ
ク
の
教
え
を
説
き
、
よ
い
話
を
聞
か
せ
、
ゆ
る
し
の
秘
跡
を
授
け
、
遊
び
時
間
に
は
一
人
ひ
と
り
と
接
す
る
よ
う
に
し
た
。
夕
方
、
途
中
ま
で
少
年
た
ち
を
見
送
り
、
疲
れ
切
っ
て
家
に
帰
っ
て
い
た
。「
私
は
君
た
ち
の
た
め
に
命
を
献ささ
げ
る
」
と
言
っ
て
い
た
が
、
7
月
に
倒
れ
、
命
ま
で
も
危
う
く
な
っ
た
。
少
年
た
ち
の
熱
心
な
祈
り
の
お
か
げ
で
命
は
救
わ
れ
た
が
、
司
教
は
絶
対
安
静
を
命
じ
た
。
そ
の
た
め
11
月
ま
で
母
の
も
と
で
休
む
こ
と
に
し
た
。
1
8
4
6
年
11
月
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
母
を
連
れ
て
オ
ラ
ト
リ
オ
に
戻
っ
て
き
た
。
そ
の
際
、
ピ
ナ
ル
デ
ィ
の
家
の
部
屋
を
3
室
借
り
て
住
み
始
め
た
。
貧
し
い
少
年
た
ち
の
母
マ
ンマ
・
マル
ゲ
リ
ー
タ
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
第
1
の
協
力
者
と
な
っ
た
。
少
年
た
ち
の
中
に
は
、親
も
住
む
場
所
も
な
い
子
が
い
て
、
「
お
母
さ
ん
」が
必
要
だ
っ
た
。
数
か
月
後
、
ド
ン・ボ
スコ
は
そ
う
い
う
子
を
連
れ
て
き
た
。
マル
ゲ
リ
ー
タ
は
そ
の
母
代
わ
り
と
な
っ
て
、
同
じ
家
に
住
ま
わ
せ
る
よ
う
に
し
た
。
次
々
と
同
じ
境
遇
の
子
が
増
え
、
大
き
な
家
族
と
な
っ
た
。
彼
女
は
食
事
、
洗
濯
、
服
の
修
繕
を
し
、
庭
に
野
菜
も
作
り
、
毎
晩
、
寝
か
せ
る
前
に
皆
に
短
い
話
を
聞
か
せ
、「
ボ
ナ
ノ
ッ
テ
(
お
休
み
な
さ
い
)」
で
結
ん
で
い
た
。
こ
れ
は
サ
レ
ジ
オ
会
の
伝
統
と
な
っ
た
。
あ
る
日
、
遊
び
に
夢
中
に
な
っ
た
子
た
ち
が
マル
ゲ
リ
ー
タ
の
野
菜
畑
を
踏
み
荒
ら
し
て
し
ま
っ
た
。
が
っ
か
り
し
て
田
舎
に
帰
ろ
う
と
す
る
マル
ゲ
リ
ー
タ
に
、
息
子
ヨハ
ネ
は
壁
に
か
か
っ
た
十
字
架
を
指
し
示
す
と
、
母
は
す
べ
て
を
理
解
し
、
死
ぬ
ま
で
少
年
た
ち
と
共
に
過
ご
し
た
。
オ
ラ
ト
リ
オ
の
事
業
の
発
展
オ
ラ
ト
リ
オ
の
少
年
た
ち
の
大
半
は
働
い
て
い
て
学
校
に
通
え
ず
、
勉
強
が
必
要
だ
っ
た
。
ド
ン
・
ボ
スコ
は
ピ
ナ
ル
デ
ィ
の
家
を
全
部
借
り
上
げ
、
す
で
に
始
め
て
い
た
夜
間
学
校
を
本
格
化
し
た
。
1
年
で
生
徒
は
2
0
0
人
に
な
り
、
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
た
ち
が
協
力
し
て
く
れ
た
。
オ
ラ
ト
リ
オ
に
通
う
人
が
多
す
ぎ
る
の
で
、
1
8
4
7
年
12
月
、
オ
ラ
ト
リ
オ
・
サ
ン
ル
イ
ジ
を
設
立*
。
さ
ら
に
、
1
8
4
9
年
に
第
3
の
オ
ラ
ト
リ
オ
も
始
め
、
勤
労
少
年
を
助
け
る
た
め
の
共
助
組
合
も
始
め
た
。
1
8
4
8
年
、
ト
リ
ノ
を
中
心
に
イ
タ
リ
ア
独
立
戦
争
が
始
ま
っ
た
。
市
民
は
ナ
シ
ョ
ナ
リ
ズ
ム
に
燃
え
、
対
立
す
る
政
治
団
体
に
分
か
れ
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
青
少
年
の
救
済
に
従
事
す
る
た
め
政
治
運
動
に
は
関
わ
ら
な
い
立
場
を
と
っ
た
。「
私
の
政
治
は
、
主
の
祈
り
の
政
治
で
あ
る
」
と
言
っ
て
い
た
。
聖
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
・
サ
レ
ジ
オ
聖
堂
1
8
5
1
年
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
事
業
を
さ
ら
に
発
展
さ
せ
る
た
め
、
借
用
し
て
い
た
ピ
ナ
ル
デ
ィ
の
家
を
購
入
し
、
よ
り
広
い
聖
堂
の
建
設
に
着
工
し
た
。
こ
れ
が
、
サ
レ
ジ
オ
修
道
会
の
発
祥
地
と
も
い
え
る
、
1
8
5
2
年
に
落
成
さ
れ
た
聖
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
・
サ
レ
ジ
オ
聖
堂
で
あ
る
。
同
じ
年
に
、
オ
ラ
ト
リ
オ
の
事
業
に
協
力
す
る
、
司
祭
の
道
を
め
ざ
す
若
者
た
ち
の
た
め
の
建
物
も
新
築
し
た
。
1
8
5
4
年
1
月
26
日
、
こ
の
聖
堂
で
4
人
の
若
者
が
「
隣
人
の
た
め
に
働
く
こ
と
」
を
約
束
し
た
。
そ
の
一
人
ミ
ケ
ー
レ
・
ル
ア
は
、
1
8
5
5
年
3
月
25
日
、
同
じ
聖
堂
で
個
人
的
に
ド
ン・ボ
スコ
の
前
で
「
清
貧
、
貞
潔
、
従
順
の
誓
願
」
を
立
て
た
。
模
範
的
教
え
子
ド
メ
ニ
コ
・
サ
ヴ
ィ
オ
1
8
5
4
年
10
月
、
ド
メ
ニコ
・
サ
ヴ
ィ
オ
と
い
う
12
歳
の
少
年
が
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
オ
ラ
ト
リ
オ
に
入
っ
た
。
神
父
に
な
り
た
い
と
思
い
、
オ
ラ
ト
リ
オ
か
ら
外
の
学
校
に
通
っ
て
い
た
(
当
時
オ
ラ
ト
リ
オ
に
は
司
祭
に
な
る
た
め
の
授
業
が
ま
だ
開
講
さ
れ
て
い
な
か
っ
た
)。
マ
ンマ
・
マル
ゲ
リ
ー
タ
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
に
言
っ
て
い
た
。「
こ
こ
に
素
晴
ら
し
い
子
は
た
く
さ
ん
い
る
け
れ
ど
、
ド
メ
ニコ
に
ま
さ
る
子
は
い
な
い
」
と
。
同
年
12
月
8
日
、
教
皇
ピ
オ
9
世
が
無
原
罪
の
聖
母
の
教
え
を
宣
言
し
た
こ
と
を
受
け
、
ド
メ
ニコ
・
サ
ヴ
ィ
オ
は
聖
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
・
サ
レ
ジ
オ
聖
堂
の
祭
壇
の
前
で
自
分
自
身
を
聖
母
マ
リ
ア
に
献
げ
た
。
そ
し
て
仲
間
と
共
に
「
無
原
罪
の
聖
母
の
信
心
会
」
を
作
り
、
キ
リ
ス
ト
者
と
し
て
模
範
的
に
生
き
、
友
だ
ち
を
よ
い
道
に
導
く
目
標
を
与
え
た
。
ド
メ
ニコ
・
サ
ヴ
ィ
オ
は
1
8
5
7
年
、
15
歳
の
若
さ
で
天
に
召
さ
れ
、
ド
ン
・
ボ
スコ
は
そ
の
伝
記
を
書
い
た
。
1
9
5
4
年
、
教
会
か
ら
聖
人
と
さ
れ
、
若
者
た
ち
の
模
範
と
な
っ
て
い
る
。
Torino
Roma
★ イタリア北部ピエモンテ州 トリノ ★
トリノ
聖フランシスコ・サレジオ聖堂
聖フランシスコ・サレジオ聖堂の内部
サレジオ会発祥の地
ド
ン
・
ボ
ス
コ
ゆ
か
り
の
地
を
巡
る
* 60 年後、このオラトリオの責任者をチマッティ神父が務めた。
文 ● ガエタノ・コンプリ
Gaetano Compri
サレジオ会司祭
チマッティ資料館館長
左側が当時、司祭の道をめざす若者のための宿舎だった。
聖フランシスコ・サレジオ聖堂に隣接
ドメニコ・サヴィオが仲間と共に無原罪の聖母の
信心会を作った場面
ドメニコ・サヴィオが聖母マリアに献身した祭壇
ルア神学生(当時)が残した、
1854 年 1 月 26 日の出来事
を記録した手帳
母マルゲリータとドン・ボスコ。
背景は聖フランシスコ・サレジ
オ聖堂。犬はドン・ボスコを危
険から守ったグリージョ
言
っ
と
き
ま
す
け
ど…
サ
レ
ジ
ア
ン
の
旬
な
一
言
今
回
の〈
言
っ
と
き
ま
す
け
ど
〉人
村
松
泰
隆
(
サ
レ
ジ
オ
会
司
祭
)
人
を
幸
せ
に
す
る
時
、
自
分
も
幸
せ
に
な
っ
て
い
る
ん
だ
。
19 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
ほ
ん
落
合
博
満
2
0
1
1
年
ダ
イ
ヤ
モ
ン
ド
社
3
0
4
頁
1
5
7
5
円
采
配
さ
い
は
い
生
き
て
い
る
以
上
、
誰
も
が
幸
せ
で
あ
り
た
い
と
思
う
も
の
。
思
い
っ
き
り
ス
ポ
ー
ツ
を
し
た
後
に
冷
た
い
ド
リ
ン
ク
を
飲
む
時
、
美お
味い
し
い
食
事
を
味
わ
う
時
、
仕
事
が
終
わ
っ
て
ゆ
っ
た
り
と
お
風
呂
に
浸つ
か
る
時
…
…
そ
ん
な
、
ひ
と
時
の
至
福
を
味
わ
う
こ
と
も
あ
る
で
し
ょ
う
。
で
も
、
そ
ん
な
ひ
と
時
の
欲
求
が
満
た
さ
れ
た
こ
と
で
味
わ
え
る
幸
せ
の
レ
ベ
ル
で
は
な
く
、
社
会
に
お
け
る
自
分
の
存
在
意
義
を
見
い
だ
す
喜
び
や
、
自
分
の
思
い
や
考
え
が
実
現
す
る
自
己
実
現
の
喜
び
と
い
う
レ
ベ
ル
で
の
幸
せ
に
つ
い
て
考
え
る
と
、
な
か
な
か
そ
の
幸
せ
を
実
感
で
き
な
い
現
実
が
立
ち
ふ
さ
が
り
ま
す
。
そ
し
て
「
ど
う
す
れ
ば
幸
せ
に
な
れ
る
ん
だ
ろ
う
?
」
と
い
う
疑
問
が
浮
か
ん
で
き
ま
す
。
し
か
も
不
思
議
な
こ
と
に
、
そ
ん
な
幸
せ
を
求
め
て
努
力
し
た
り
、
必
死
に
な
れ
ば
な
る
ほ
ど
、
求
め
る
幸
せ
が
さ
ら
に
遠
の
い
て
い
く
思
い
を
味
わ
っ
た
り
し
ま
す
。
で
は
、
一
体
ど
う
す
れ
ば
幸
せ
に
な
れ
る
の
で
し
ょ
う
?
ド
ン
・
ボ
ス
コ
海
外
青
年
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
グ
ル
ー
プ
(
D
B
V
G
)
の
活
動
に
た
ず
さ
わ
っ
て
、
青
年
た
ち
と
一
緒
に
、
住
み
慣
れ
た
環
境
を
飛
び
出
し
た
時
の
こ
と
で
す
。
あ
え
て
海
外
へ
、
し
か
も
暑
い
国
の
都
会
か
ら
遠
く
離
れ
た
所
へ
行
っ
て
、
現
地
の
ニ
ー
ズ
に
応
え
な
が
ら
共
同
生
活
を
す
る
体
験
か
ら
学
ん
だ
こ
と
は
、「
自
分
の
楽
し
み
や
幸
せ
を
忘
れ
て
人
に
奉
仕
し
、
人
を
喜
ば
せ
て
幸
せ
に
す
る
時
、
自
ず
と
自
分
も
楽
し
み
、
幸
せ
に
な
っ
て
い
る
」
と
い
う
こ
と
で
す
。
逆
に
、
自
分
の
楽
し
み
や
喜
び
を
優
先
し
求
め
て
い
る
と
、
満
た
さ
れ
な
い
渇
き
(
不
満
)
を
味
わ
う
こ
と
に
な
り
ま
す
。
つ
い
つ
い
自
分
が
幸
せ
に
な
り
た
い
が
ゆ
え
に
、
あ
れ
こ
れ
自
分
の
欲
し
い
「
モ
ノ
」
を
手
に
入
れ
よ
う
と
し
て
し
ま
い
が
ち
で
す
。
そ
ん
な
時
、
ち
ょ
っ
と
勇
気
を
振
り
し
ぼ
っ
て
み
て
く
だ
さ
い
。
「
自
分
の
思
い
を
手
放
そ
う
」「
自
分
自
身
を
与
え
よ
う
」と
。
欲
し
い
「
モ
ノ
」
は
手
に
入
ら
な
く
て
も
、き
っ
と
求
め
て
い
た
幸
せ
を
味
わ
え
る
で
し
ょ
う
。
「
自
分
の
命
を
生
か
そ
う
と
努
め
る
者
は
、
そ
れ
を
失
い
、
そ
れ
を
失
う
者
は
、
か
え
っ
て
保
つ
の
で
あ
る
」
(
ル
カ
に
よ
る
福
音
書
17
章
33
節
)
と
言
わ
れ
る
イ
エ
ス
さ
ま
の
言
葉
の
意
味
も
、
な
ん
と
な
く
わ
か
っ
て
き
ま
せ
ん
か
?
子
ど
も
た
ち
の
「
魂
」
を
愛
し
育
て
る
こ
と
を
大
切
に
し
た
ド
ン
・
ボ
ス
コ
。
そ
の
こ
と
ば
に
は
、
寄
り
添
い
、
人
を
笑
顔
に
し
、
導
い
て
く
れ
る
力
が
あ
る
。
苦
し
い
時
、
勇
気
づ
け
て
ほ
し
い
時
、
道
し
る
べ
が
必
要
な
時
に
支
え
と
な
る
、
1
0
0
の
こ
と
ば
を
集
め
た
。
一
つ
一
つ
の
こ
と
ば
を
よ
り
深
く
味
わ
う
た
め
の
解
説
や
ヒ
ン
ト
が
、
日
本
の
サ
レ
ジ
オ
会
司
祭
た
ち
に
よ
っ
て
書
か
れ
て
い
る
。
読
ん
で
あ
ら
た
め
て
気
づ
く
の
は
、「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
な
ん
と
親
し
み
や
す
く
、
わ
か
り
や
す
い
こ
と
ば
で
語
り
か
け
る
聖
人
な
の
だ
ろ
う
!
」
と
い
う
こ
と
。
プ
レ
ゼ
ン
ト
に
も
お
す
す
め
の
一
冊
。
(
編
集
部
評
)
1
9
2
6
年
46
歳
の
時
、
9
人
の
宣
教
団
を
率
い
て
サ
レ
ジ
オ
会
と
し
て
初
来
日
し
た
チ
マ
ッ
テ
ィ
神
父
。
師
の
約
1
万
通
に
の
ぼ
る
書
簡
な
ど
か
ら
生
涯
を
た
ど
る
。
「
ほ
ほ
え
み
、
慈
愛
と
祈
り
の
人
」
と
し
て
知
ら
れ
る
師
だ
が
、
世
界
大
恐
慌
、
戦
争
、
貧
困
、
周
囲
の
無
理
解
に
耐
え
て
、
不
屈
の
精
神
で
働
き
続
け
、
神
に
す
べ
て
を
ゆ
だ
ね
た
姿
が
浮
か
び
上
が
る
。
本
書
は
、
草
創
期
の
日
本
の
サ
レ
ジ
オ
会
の
歴
史
も
詳
し
く
紹
介
。
当
時
の
会
員
た
ち
の
大
き
な
犠
牲
と
惜
し
み
な
い
奉
仕
に
よ
っ
て
、
現
在
の
事
業
が
形
づ
く
ら
れ
た
こ
と
が
わ
か
る
。
手
元
に
何
も
な
く
て
も
、
神
に
信
頼
し
、
人
び
と
の
求
め
に
応
え
愛
し
続
け
た
熱
意
を
学
び
た
い
。
(
編
集
部
評
)
な
ぜ
中
日
ド
ラ
ゴ
ン
ズ
が
、
憎
ら
し
い
ほ
ど
長
き
に
渡
り
、
し
ぶ
と
く
強
か
っ
た
の
か
?
熱
狂
的
阪
神
フ
ァ
ン
の
私
と
し
て
は
、
こ
れ
ら
の
本
を
読
ん
で
頷
か
ざ
る
を
得
な
か
っ
た
と
い
う
の
が
本
音
だ
。
強
さ
の
理
由
、
そ
れ
は
こ
の
2
人
の
信
頼
関
係
を
土
台
に
し
た
「
ど
の
よ
う
な
チ
ー
ム
を
つ
く
り
あ
げ
る
か
」
と
い
う
ビ
ジ
ョ
ン
の
共
有
と
、
具
体
的
な
「
人
間
育
成
」
の
あ
り
か
た
に
あ
っ
た
の
で
あ
る
。
本
物
の
リ
ー
ダ
ー
と
は
?
リ
ー
ダ
ー
を
支
え
る
参
謀
の
心
得
と
は
?
人
を
「
見
て
」
「
育
て
」
「
成
長
さ
せ
る
」
視
点
は
ど
こ
に
?
組
織
力
を
も
っ
て
目
標
を
成
し
遂
げ
て
い
く
た
め
の
術
を
、
こ
れ
ら
の
本
は
余
す
と
こ
ろ
な
く
プ
ロ
野
球
と
い
う
具
体
例
を
も
っ
て
語
っ
て
く
れ
て
い
る
。
と
く
に
落
合
前
監
督
に
つ
い
て
感
服
し
た
の
は
、
投
手
起
用
の
権
限
に
つ
い
て
「
責
任
は
オ
レ
が
取
る
か
ら
。
迷
わ
ず
に
思
い
切
り
自
分
の
思
っ
た
通
り
に
や
れ
」
と
森
ヘ
ッ
ド
コ
ー
チ
に
す
べ
て
一
任
し
て
い
た
こ
と
。“
信
頼
を
置
く
こ
と
・
信
頼
を
置
か
れ
る
こ
と
”
の
意
味
や
、
組
織
に
あ
っ
て
“
自
分
で
考
え
、
動
き
、
成
長
さ
せ
る
”
こ
と
に
こ
そ
真
の
強
さ
が
生
ま
れ
育
っ
て
い
く
こ
と
に
、
改
め
て
思
い
を
馳
せ
る
こ
と
が
で
き
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
若
者
を
育
て
た
手
法
(
ア
ニ
メ
ー
シ
ョ
ン
)
が
、
実
は
こ
の
2
人
の
や
っ
て
き
た
部
分
と
重
な
っ
て
見
え
て
く
る
。
森
繁
和
氏
の
『
勝
ち
続
け
る
力
』(
ビ
ジ
ネ
ス
社
)
も
お
勧
め
し
た
い
。
(
佐
藤
直
樹
評
)
村松 泰隆 むらまつ やすたか
サレジオ会司祭。大分県中津市
の児童養護施設・聖ヨゼフ寮に
勤務。特技はマジック。
本
の
ひ
と
と
き
B
oo
k
R
ev
ie
w
サ
レ
ジ
オ
会
日
本
管
区
編
浦
田
慎
二
郎
監
修
2
0
1
2
年
ド
ン
・
ボ
ス
コ
社
2
0
5
頁
5
2
5
円
心
が
強
く
優
し
く
な
る
ド
ン・ボ
ス
コ
の
こ
と
ば
1
0
0
ガ
エ
タ
ノ
・
コ
ン
プ
リ
編
訳
2
0
1
1
/
2
0
1
2
年
ド
ン
・
ボ
ス
コ
社
上
4
7
9
頁
/
下
5
1
8
頁
各
1
8
9
0
円
チ
マ
ッ
テ
ィ
神
父
森
繁
和
2
0
1
2
年
講
談
社
2
2
2
頁
1
4
7
0
円
参
謀
さ
ん
ぼ
う
落
合
監
督
を
支
え
た
右
腕
の「
見
守
る
力
」
本
人
が
書
か
な
か
っ
た
自
叙
伝(
上
・
下
)
─
激
動
の
昭
和
史
を
生
き
た
宣
教
師
─
18
2021 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
ベ
ツ
レ
ヘ
ム
の
工
芸
セ
ン
タ
ー
国
際
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
開
催
2
0
1
2
年
7
月
、
ベ
ツ
レ
ヘ
ム
の
サ
レ
ジ
オ
工
芸
セ
ン
タ
ー
は
、
イ
タ
リ
ア
・
サ
ル
デ
ー
ニ
ャ
か
ら
3
人
の
工
芸
職
人
を
迎
え
た
。
3
人
は
、
工
芸
セ
ン
タ
ー
の
パ
レ
ス
チ
ナ
人
工
芸
職
人
た
ち
と
共
に
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
を
行
っ
た
。
こ
の
一
環
と
し
て
、
8
月
に
は
、
工
芸
セ
ン
タ
ー
か
ら
3
人
の
パ
レ
ス
チ
ナ
人
研
修
生
が
イ
タ
リ
ア
へ
派
遣
さ
れ
た
。
研
修
生
た
ち
は
イ
ス
ラ
エ
ル
の
検
問
を
初
め
て
越
え
、
イ
タ
リ
ア
・
サ
ル
デ
ー
ニ
ャ
島
の
手
工
芸
産
業
の
現
場
を
訪
問
し
た
。
ベ
ツ
レ
ヘ
ム
の
サ
レ
ジ
オ
工
芸
セ
ン
タ
ー
は
、
2
0
0
5
年
の
創
立
当
初
か
ら
、
伝
統
的
な
パ
レ
ス
チ
ナ
の
手
工
芸
を
保
護
す
る
た
め
奮
闘
し
て
き
た
。
工
芸
セ
ン
タ
ー
で
学
ぶ
若
者
た
ち
は
、
伝
統
を
生
か
し
続
け
る
た
め
に
も
、
創
意
工
夫
と
新
た
な
手
法
を
絶
え
ず
探
求
し
て
い
る
。
工
芸
セ
ン
タ
ー
は
生
徒
た
ち
の
中
で
も
、
難
民
の
子
弟
、
耳
の
不
自
由
な
生
徒
、
政
治
的
理
由
に
よ
る
元
囚
人
、
家
庭
内
暴
力
の
被
害
者
で
あ
る
少
女
た
ち
に
特
別
に
配
慮
し
て
い
る
。
国
際
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
は
、生
徒
た
ち
に
と
っ
て
、
い
つ
も
と
違
う
世
界
へ
出
か
け
、
体
験
す
る
機
会
と
な
っ
た
。
子
ど
も
た
ち
の
日
常
を
取
り
戻
す
た
め
に
シ
リ
ア
各
地
で
政
府
と
反
政
府
勢
力
の
武
力
衝
突
が
続
い
て
い
る
。
混
乱
に
乗
じ
て
、
車
の
盗
難
や
身
代
金
目
当
て
の
誘
拐
な
ど
犯
罪
も
起
き
て
お
り
、
対
立
を
あ
お
る
外
国
の
影
響
も
み
ら
れ
、
こ
れ
ま
で
諸
宗
教
の
人
び
と
が
平
和
に
共
存
し
て
き
た
シ
リ
ア
で
、
原
理
主
義
的
な
風
潮
も
広
が
り
始
め
て
い
る
。
そ
の
よ
う
な
中
、
シ
リ
ア
の
キ
リ
ス
ト
者
や
修
道
会
、
さ
ま
ざ
ま
な
活
動
団
体
が
避
難
民
を
助
け
て
い
る
。
ア
レ
ッ
ポ
の
サ
レ
ジ
オ
会
は
、
子
ど
も
た
ち
の
レ
ク
リ
エ
ー
シ
ョ
ン
や
勉
強
の
支
援
を
行
い
、
避
難
民
を
受
け
入
れ
て
い
る
。
青
年
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
や
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
た
ち
が
避
難
所
を
回
っ
て
子
ど
も
た
ち
を
励
ま
し
、
本
を
配
布
し
た
り
、
食
糧
の
寄
付
を
行
っ
て
い
る
。
シ
リ
ア
の
サ
レ
ジ
オ
会
は
、
1
9
4
8
年
に
ア
レ
ッ
ポ
に
技
術
訓
練
校
を
開
設
、
学
校
は
一
時
国
有
化
さ
れ
た
が
、
1
9
8
0
年
か
ら
オ
ラ
ト
リ
オ
や
ユ
ー
ス
セ
ン
タ
ー
が
再
開
さ
れ
た
。
宣
教
派
遣
式
で
71
人
を
派
遣
2
0
1
2
年
9
月
30
日
、
イ
タ
リ
ア
・
ト
リ
ノ
に
あ
る
ヴ
ァ
ル
ド
ッ
コ
の
扶
助
者
聖
母
大
聖
堂
で
、
パ
ス
ク
ア
ー
ル・チ
ャ
ー
ベ
ス
総
長
の
司
式
に
よ
り
、
第
1
4
3
回
サ
レ
ジ
オ
宣
教
派
遣
式
が
行
わ
れ
た
。
今
回
「
宣
教
の
十
字
架
」
が
渡
さ
れ
た
の
は
、
サ
レ
ジ
オ
会
員
45
人
、
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
15
人
、
信
徒
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
11
人
。
宣
教
師
た
ち
の
出
身
地
も
派
遣
先
も
多
様
で
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
も
派
遣
先
に
な
っ
て
い
る
。
近
年
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
は
宣
教
地
と
考
え
ら
れ
る
よ
う
に
な
り
、
サ
レ
ジ
オ
会
は
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト・ヨ
ー
ロ
ッ
パ
を
立
ち
上
げ
て
い
る
。
1
8
7
5
年
11
月
11
日
、
ア
ル
ゼ
ン
チ
ン
の
パ
タ
ゴ
ニ
ア
に
向
け
て
旅
立
つ
最
初
の
宣
教
師
た
ち
に
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
か
ら
福
音
宣
教
と
教
育
の
使
命
の
し
る
し
で
あ
る
「
宣
教
の
十
字
架
」
が
授
与
さ
れ
て
以
来
、
宣
教
派
遣
式
は
サ
レ
ジ
オ
会
の
伝
統
と
な
っ
て
い
る
。
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
も
、
そ
の
2
年
後
に
最
初
の
宣
教
師
が
派
遣
さ
れ
た
。
近
年
は
、
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
や
サ
レ
ジ
オ
の
N
G
O
の
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
な
ど
信
徒
も
加
わ
る
よ
う
に
な
っ
た
。
こ
れ
ま
で
1
3
7
年
間
の
宣
教
で
、
何
千
人
も
の
修
道
者
と
何
百
人
も
の
信
徒
が
、
SFN世界のサレジオ家族ニュース
World Salesian Family NEWS
シ
リ
ア
1
3
0
以
上
の
国
々
に
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
精
神
を
も
っ
て
イ
エ
ス
・
キ
リ
ス
ト
の
福
音
を
運
ん
で
い
る
。
今
回
十
字
架
を
受
け
た
サ
レ
ジ
オ
会
員
の
中
に
、
ブ
ラ
ジ
ル
出
身
で
、
2
0
1
3
年
2
月
に
日
本
へ
派
遣
さ
れ
る
予
定
の
ラ
エ
ル
シ
オ
・
バ
ル
ボ
サ
神
父
が
い
る
。
2
0
1
2
年
9
月
、
チ
ャ
ー
ベ
ス
総
長
来
日
の
際
に
モ
ス
カ
神
父
の
宣
教
師
と
し
て
の
75
周
年
を
祝
っ
た
が
、
こ
れ
か
ら
福
音
を
伝
え
る
た
め
に
惜
し
み
な
く
生
涯
を
献
げ
よ
う
と
す
る
ラ
エ
ル
シ
オ
神
父
を
は
じ
め
、
今
回
派
遣
さ
れ
る
宣
教
師
た
ち
の
た
め
、
主
の
恵
み
と
聖
母
の
執
り
な
し
を
祈
り
た
い
。
3
つ
の
村
の
再
建
、
希
望
が
も
ど
る
2
0
1
0
年
の
大
洪
水
で
壊
滅
的
被
害
を
受
け
た
南
パ
キ
ス
タ
ン
の
3
つ
の
村
が
、
8
か
月
に
及
ぶ
不
休
の
作
業
に
よ
っ
て
、
再
び
村
人
の
住
め
る
場
所
と
な
っ
た
。
地
元
が
中
心
と
な
っ
た
こ
の
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
に
、
サ
レ
ジ
オ
会
も
関
わ
っ
た
。
2
0
1
2
年
3
月
初
旬
、
な
お
も
洪
水
の
被
害
に
苦
し
む
人
び
と
を
支
援
す
る
た
め
、
ス
イ
ス
の
サ
レ
ジ
オ
宣
教
事
務
局
は
共
に
働
く
パ
ー
ト
ナ
ー
た
ち
の
連
携
を
図
り
、
パ
キ
ス
タ
ン
で
働
く
チ
ー
ム
を
立
ち
上
げ
た
。
参
加
し
た
の
は
、教
皇
大
使
、
イ
エ
ズ
ス
会
、
民
間
グ
ル
ー
プ
、
サ
レ
ジ
オ
会
の
「
ド
ン
・
ボ
ス
コ
・
ラ
ホ
ー
レ
」。
チ
ー
ム
は
、
3
つ
の
村
の
1
5
0
の
家
屋
を
再
建
す
る
た
め
、
最
長
8
か
月
を
目
途
に
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
に
着
手
。
各
家
の
家
具
、
製
粉
の
設
備
、
家
庭
に
ひ
か
れ
る
電
気
系
統
は
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ・
ラ
ホ
ー
レ
の
職
業
訓
練
校
が
提
供
し
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
・
セ
ン
タ
ー
の
卒
業
生
30
人
と
教
師
た
ち
も
、
最
も
暑
い
夏
の
間
、
期
限
に
間
に
合
う
よ
う
懸
命
に
働
い
た
。
地
元
の
人
び
と
、
軍
、
行
政
関
係
者
か
ら
は
大
き
な
感
謝
が
寄
せ
ら
れ
た
。
ラ
ホ
ー
レ
の
院
長
ミ
ゲ
ル
・
ル
イ
ス
神
父
は
、「
貧
し
い
イ
ス
ラ
ム
教
徒
の
人
び
と
と
共
に
働
き
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
名
に
よ
っ
て
パ
キ
ス
タ
ン
の
地
に
希
望
と
平
和
を
も
た
ら
し
た
こ
の
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
に
、
大
い
に
満
足
し
て
い
る
」
と
語
っ
た
。
“
女
性
の
砦
”
バ
ン
テ
ア
イ
・
ス
レ
イ
寮
を
開
設
2
0
1
2
年
11
月
7
日
、
カ
ン
ボ
ジ
ア
で
サ
レ
ジ
オ
会
が
女
子
教
育
の
た
め
に
開
設
し
た
4
つ
目
の
セ
ン
タ
ー
の
開
校
式
が
行
わ
れ
た
。
「
バ
ン
テ
ア
イ
・
ス
レ
イ
寮
─
ピ
エ
ト
・
デ
・
ヴ
ィ
ッ
サ
ー
・
ハ
ウ
ス
」
(
バ
ン
テ
ア
イ
・
ス
レ
イ
は
“
女
性
の
砦
”
と
い
う
意
味
の
歴
史
的
寺
院
の
名
)
は
、
貧
し
い
地
域
か
ら
来
た
約
70
人
の
生
徒
が
寮
で
暮
ら
し
な
が
ら
、
秘
書
、
ホ
テ
ル
業
務
、
洋
裁
、
英
語
、
コ
ン
ピ
ュ
ー
タ
ー
を
学
ぶ
。
20
年
以
上
前
か
ら
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
教
育
事
業
を
支
援
し
て
い
る
「
カ
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ボ
ジ
ア
基
金
」
の
創
設
者
、
オ
ラ
ン
ダ
人
の
ピ
エ
ト
・
デ
・
ヴ
ィ
ッ
サ
ー
氏
の
名
前
も
付
け
ら
れ
た
同
校
は
、
カ
ン
ボ
ジ
ア
南
部
ケ
プ
県
の
国
立
公
園
の
中
に
建
っ
て
い
る
。
式
典
に
は
、
県
知
事
、
管
轄
の
行
政
官
の
ほ
か
、
サ
レ
ジ
オ
会
か
ら
は
恩
人
の
ピ
エ
ト
・
デ
・
ヴ
ィ
ッ
サ
ー
氏
、
基
金
の
カ
ン
ボ
ジ
ア
代
表
ジ
ョ
ン
・
ヴ
ィ
ッ
サ
ー
神
父
、
新
し
い
ド
ン
・
ボ
ス
コ
技
術
訓
練
セ
ン
タ
ー
の
所
長
ア
ル
ベ
イ
ロ
・
ロ
ダ
ス
神
父
ら
が
列
席
。
県
知
事
の
ケ
ン
サ
タ
氏
は
あ
い
さ
つ
の
中
で
、
20
年
余
り
前
ま
で
ク
メ
ー
ル
・
ル
ー
ジ
ュ
の
恐
怖
政
治
に
支
配
さ
れ
た
こ
の
美
し
い
地
に
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
学
校
を
開
く
こ
と
は
、
大
き
な
愛
と
希
望
の
し
る
し
で
あ
る
と
語
っ
た
。
「
カ
ン
ボ
ジ
ア
の
歴
史
に
お
い
て
重
要
な
バ
ン
テ
ア
イ
・
ス
レ
イ
の
名
を
取
っ
た
こ
の
学
校
が
、
若
い
女
性
た
ち
の
真
の
“
砦
”
で
あ
る
よ
う
に
。
女
性
を
教
育
す
る
こ
と
は
、
大
き
な
見
返
り
の
あ
る
投
資
で
あ
り
、
わ
が
国
の
す
ば
ら
し
い
将
来
を
約
束
す
る
も
の
で
す
。」
学
校
は
2
0
1
3
年
3
月
に
正
式
に
開
校
す
る
。
愛
の
奉
仕
、
健
康
キ
ャ
ン
ペ
ー
ン
ペ
ル
ー
・
ピ
ス
コ
に
あ
る
エ
ス
・
サ
リ
ュ
ド
病
院
で
、
サ
レ
ジ
オ
会
の
推
進
す
る
健
康
キ
ャ
ン
ペ
ー
ン
期
間
中
の
2
0
1
2
年
10
月
15
~
27
日
に
か
け
て
、
90
人
が
腹
部
腫
瘍
や
ヘ
ル
ニ
ア
な
ど
の
手
術
を
受
け
た
。
キ
ャ
ン
ペ
ー
ン
は
、
ペ
ル
ー
の
サ
レ
ジ
オ
会
が
長
年
に
わ
た
っ
て
貧
し
い
人
び
と
の
た
め
に
手
術
な
ど
の
医
療
を
提
供
す
る
も
の
。
当
初
は
単
独
の
取
り
組
み
だ
っ
た
が
、
2
0
0
5
年
以
来
、
外
部
の
医
療
専
門
家
や
団
体
と
協
力
し
て
行
っ
て
い
る
。
こ
れ
ま
で
、
ア
マ
ゾ
ン
地
方
、
ク
ス
コ
の
山
間
部
な
ど
で
も
行
っ
て
き
た
。
現
在
、健
康
キ
ャ
ン
ペ
ー
ン
を
行
っ
て
い
る
ピ
ス
コ
は
、
2
0
0
7
年
の
大
地
震
の
被
害
に
今
も
苦
し
む
地
方
。
ピ
ス
コ
の
キ
ャ
ン
ペ
ー
ン
に
は
、
ユ
リ
ス
協
会
(
フ
ラ
ン
ス
)、
国
境
な
き
医
師
団
(
ペ
ル
ー
)、
リ
マ・ド
ン・ボ
ス
コ
基
金
、
エ
ス・
サ
リ
ュ
ド
病
院
が
参
加
。
治
療
を
受
け
World Salesian Family NEWS
ベツレヘム・サレジオ工芸センターの生徒の作品
シリア・アレッポの青年たち
村の再建を喜ぶパキスタンの人びととプロジェクトメンバー
ラエルシオ・バルボサ神父(左)とサレジ
オ会宣教顧問のクレメンテ神父
イ
タ
リ
ア
パ
レ
ス
チ
ナ
パ
キ
ス
タ
ン
カ
ン
ボ
ジ
ア
カンボジアのバンテアイ・スレイ寮
ペ
ル
ー
2223 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
た
人
は
、「
皆
さ
ん
の
お
か
げ
で
生
ま
れ
変
わ
っ
た
よ
う
な
気
が
し
ま
す
。
こ
れ
か
ら
は
生
活
も
楽
し
め
そ
う
で
す
」
と
喜
ん
だ
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
聖
遺
物
巡
礼
2
0
1
5
年
の
生
誕
2
0
0
周
年
に
向
け
て
世
界
各
地
を
巡
っ
て
い
る
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
聖
遺
物
は
、
ア
フ
リ
カ
・
マ
ダ
ガ
ス
カ
ル
を
訪
れ
た
後
、
再
び
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
入
っ
た
。
2
0
1
2
年
10
月
13
~
31
日
は
ス
ペ
イ
ン
・
バ
レ
ン
シ
ア
管
区
の
各
地
で
、
典
礼
行
事
、
民
族
的
伝
統
の
歌
や
踊
り
、
芸
術
的
祝
祭
に
、
予
想
を
は
る
か
に
超
え
る
数
の
人
び
と
が
集
い
、
自
治
体
の
協
力
を
得
な
が
ら
、
サ
レ
ジ
オ
家
族
だ
け
で
な
く
教
会
を
あ
げ
て
の
大
歓
迎
と
な
っ
た
。
続
い
て
10
月
31
日
~
11
月
11
日
は
バ
ル
セ
ロ
ナ
管
区
を
訪
れ
、
ミ
サ
、
行
列
、
終
夜
礼
拝
、
若
者
の
集
い
な
ど
が
行
わ
れ
、
喜
び
と
熱
意
の
祝
祭
と
な
っ
た
。
バ
ル
セ
ロ
ナ
で
は
、
1
0
0
0
人
を
超
え
る
若
者
が
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
も
と
に
集
ま
っ
た
。
若
者
の
失
業
率
が
40
%
を
超
え
る
現
在
の
ス
ペ
イ
ン
の
状
況
と
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
時
代
を
対
比
さ
せ
な
が
ら
、
ア
ス
ル
メ
ン
デ
ィ
管
区
長
は
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
若
者
を
信
じ
、
特
に
弱
い
立
場
に
置
か
れ
疎
外
さ
れ
た
若
者
に
目
を
向
け
た
こ
と
を
思
い
起
こ
し
た
。
最
終
日
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
が
1
0
0
年
以
上
前
に
バ
ル
セ
ロ
ナ
を
訪
れ
た
際
、
有
名
な
記
念
撮
影
を
し
た
マ
ル
テ
ィ
・
コ
ド
ラ
ル
で
、
サ
レ
ジ
オ
家
族
と
若
者
た
ち
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
に
別
れ
を
告
げ
た
。
翌
12
日
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
フ
ラ
ン
ス
巡
礼
を
開
始
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
1
8
8
3
年
に
フ
ラ
ン
ス
を
訪
れ
た
際
、
南
か
ら
北
へ
と
旅
を
し
た
が
、
今
回
そ
の
行
程
の
一
部
を
た
ど
っ
た
。
ニ
ー
ス
、
マ
ル
セ
イ
ユ
、
リ
ヨ
ン
な
ど
で
は
、
学
校
や
教
会
で
ス
ポ
ー
ツ
や
文
化
活
動
、
合
唱
、
ダ
ン
ス
、
礼
拝
と
あ
か
し
の
夕
べ
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
生
涯
の
紹
介
な
ど
が
企
画
さ
れ
、
サ
レ
ジ
オ
の
精
神
を
目
に
見
え
る
形
で
表
現
し
、
人
び
と
は
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
の
意
味
深
い
絆
を
深
め
た
。
各
地
で
行
わ
れ
た
ミ
サ
や
祈
り
に
は
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
の
特
別
な
出
会
い
を
待
ち
望
む
数
多
く
の
若
者
や
大
人
が
あ
ず
か
り
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
傍
ら
で
深
い
祈
り
の
時
を
過
ご
し
た
。
祈
り
へ
導
く
サ
イ
ト
「
e
デ
ボ
ー
シ
ョ
ン
」
開
設
サ
レ
ジ
オ
会
本
部
ホ
ー
ム
ペ
ー
ジ
(http://w
w
w
.sdb.org
)
に
、
祈
り
へ
と
い
ざ
な
う
「
e
デ
ボ
ー
シ
ョ
ン
」
(e-devotion
)
の
コ
ー
ナ
ー
が
開
設
さ
れ
た
。
現
在
5
か
国
語
で
読
む
こ
と
が
で
き
る
。
サ
レ
ジ
オ
会
本
部
の
ホ
ー
ム
ペ
ー
ジ
に
は
、
役
立
つ
情
報
が
多
数
掲
載
さ
れ
て
い
る
が
、
祈
り
へ
と
導
く
コ
ー
ナ
ー
、
シ
ン
プ
ル
な
サ
レ
ジ
オ
の
ス
タ
イ
ル
の
祈
り
を
紹
介
す
る
コ
ー
ナ
ー
を
作
っ
て
ほ
し
い
と
の
利
用
者
の
要
望
に
応
え
た
も
の
。
信
仰
年
(
2
0
1
2
~
2
0
1
3
年
)
に
あ
た
っ
て
新
し
い
福
音
宣
教
が
呼
び
か
け
ら
れ
て
い
る
今
、「
デ
ジ
タ
ル
大
陸
」
(
世
界
中
の
人
が
利
用
す
る
イ
ン
タ
ー
ネ
ッ
ト
の
世
界
)
に
お
い
て
も
、
イ
エ
ス
・
キ
リ
ス
ト
と
出
会
う
機
会
を
生
み
出
す
こ
と
を
め
ざ
す
。
近
日
中
に
ア
プ
リ
ケ
ー
シ
ョ
ン
と
し
て
も
ダ
ウ
ン
ロ
ー
ド
し
て
、
携
帯
端
末
か
ら
も
ア
ク
セ
ス
で
き
る
予
定
。
世
代
や
立
場
を
越
え
て
、
幅
広
く
祈
り
の
「
ス
ペ
ー
ス
」を
提
供
す
る
。「
部
屋
に
入
り
、
戸
を
し
め
、
隠
れ
た
と
こ
ろ
で
父
に
祈
ろ
う
」
と
い
う
招
き
が
あ
り
、
文
章
と
動
画
や
美
し
い
写
真
が
、
祈
り
に
入
り
や
す
い
雰
囲
気
を
作
り
出
す
。
利
用
者
が
自
分
の
祈
り
や
意
向
を
書
き
込
ん
で
保
存
で
き
る
機
能
も
あ
り
、
次
回
も
表
示
さ
れ
た
り
、
他
の
ユ
ー
ザ
ー
と
分
か
ち
合
う
オ
プ
シ
ョ
ン
も
あ
る
。
世
界
各
地
の
サ
レ
ジ
オ
会
で
も
、
同
様
に
イ
ン
タ
ー
ネ
ッ
ト
を
通
し
て
祈
り
を
広
め
る
取
り
組
み
を
進
め
て
い
る
。
シ
ス
タ
ー
・
マ
リ
ア
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
列
福
式
2
0
1
2
年
11
月
24
日
、
サ
レ
ジ
ア
ン・
シ
ス
タ
ー
ズ
の
シ
ス
タ
ー
・
マ
リ
ア
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
の
列
福
式
が
、
エ
ク
ア
ド
ル
の
マ
カ
ス
で
行
わ
れ
た
。
教
皇
庁
列
聖
省
長
官
ア
ン
ジ
ェ
ロ
・
ア
マ
ー
ト
枢
機
鄕
(
サ
レ
ジ
オ
会
)
に
よ
っ
て
執
り
行
わ
れ
た
列
福
式
に
は
何
千
人
も
の
人
び
と
が
集
ま
り
、
喜
び
あ
ふ
れ
る
祝
祭
と
な
っ
た
。
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
の
イ
ヴ
ォ
ン
ヌ
・
ラ
ン
ゴ
ア
総
長
を
は
じ
め
、
ラ
テ
ン
ア
メ
リ
カ
の
サ
レ
ジ
オ
会
、
サ
レ
ジ
オ
青
少
年
運
動
の
若
者
た
ち
、
信
徒
、
サ
レ
ジ
オ
家
族
各
グ
ル
ー
プ
の
代
表
の
姿
も
あ
っ
た
。
式
典
は
、
ラ
ジ
オ
、
テ
レ
ビ
、
管
区
ホ
ー
ム
ペ
ー
ジ
の
イ
ン
タ
ー
ネ
ッ
ト
で
も
中
継
さ
れ
た
。
シ
ス
タ
ー
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
が
福
者
に
宣
言
さ
れ
る
と
、
姪
に
あ
た
る
ラ
ン
ゴ
ア
総
長
が
新
福
者
の
肖
像
画
を
除
幕
、
シ
ス
タ
ー
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
の
取
り
次
ぎ
に
よ
っ
て
病
を
癒
さ
れ
た
ホ
セ
フ
ァ
・
ソ
ロ
ル
ザ
ー
ノ
・
ピ
カ
さ
ん
が
聖
遺
物
を
祭
壇
に
奉
納
。
典
礼
上
の
記
念
日
は
8
月
25
日
と
定
め
ら
れ
た
。
列
聖
省
長
官
は
、
シ
ス
タ
ー
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
が
自
ら
を
与
え
尽
く
し
、
相
対
立
す
る
開
拓
者
と
シ
ュ
ア
ル
の
人
び
と
の
架
け
橋
と
な
っ
た
こ
と
、
慈
愛
の
活
動
に
身
を
献
げ
、
飢
え
た
人
に
食
べ
物
を
与
え
、
病
の
人
を
い
や
し
、
困
窮
す
る
人
を
訪
ね
た
こ
と
を
語
っ
た
。
そ
し
て
、
こ
の
列
福
に
よ
っ
て
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
が
、
若
者
の
教
育
の
た
め
、
最
も
小
さ
く
貧
し
い
人
び
と
の
た
め
、
引
き
続
き
献
身
す
る
よ
う
強
め
ら
れ
る
こ
と
を
願
っ
た
。
ラ
ン
ゴ
ア
総
長
は
感
謝
を
述
べ
、
次
の
よ
う
に
話
し
た
。
「
シ
ス
タ
ー
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
は
信
仰
と
希
望
に
よ
っ
て
支
え
ら
れ
、
キ
リ
ス
ト
の
愛
を
証
し
し
ま
し
た
。
希
望
を
も
っ
て
未
来
に
目
を
向
け
る
よ
う
に
、
私
た
ち
の
持
ち
場
や
使
命
を
棄
て
る
誘
惑
に
負
け
な
い
よ
う
に
勇
気
づ
け
て
く
れ
ま
す
。」
シ
ス
タ
ー
・
ト
ロ
ン
カ
ッ
テ
ィ
は
1
8
8
3
年
2
月
16
日
、
北
イ
タ
リ
ア
生
ま
れ
。
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
に
入
会
後
、
第
1
次
大
戦
中
に
軍
病
院
で
赤
十
字
の
看
護
師
と
し
て
働
い
た
経
験
が
、
後
に
ア
マ
ゾ
ン
の
熱
帯
雨
林
で
働
く
た
め
に
大
い
に
役
立
っ
た
。
1
9
2
2
年
に
エ
ク
ア
ド
ル
に
派
遣
さ
れ
、
密
林
で
シ
ュ
ア
ル
の
人
び
と
に
福
音
を
伝
え
、
医
療
活
動
を
行
い
、
多
く
の
キ
リ
ス
ト
者
の
家
庭
が
生
ま
れ
た
。
1
9
6
9
年
8
月
25
日
、
飛
行
機
事
故
に
よ
り
ス
ク
ア
で
亡
く
な
っ
た
。
バ
イ
オ
燃
料
を
製
造
、
ス
イ
ス
に
出
荷
コ
ロ
ン
ビ
ア
・
サ
ン
タ
ン
デ
ル
に
あ
る
ヴ
ィ
ラ
・
ド
ン
・
ボ
ス
コ
で
、
生
産
プ
ラ
ン
ト
の
開
所
か
ら
半
年
た
っ
た
2
0
1
2
年
12
月
20
日
、
最
初
の
数
百
ト
ン
の
バ
イ
オ
固
体
燃
料
が
ス
イ
ス
に
出
荷
さ
れ
た
。
松
や
ユ
ー
カ
リ
の
樹
皮
、
コ
ー
ヒ
ー
の
葉
な
ど
森
林
の
余
剰
資
源
か
ら
作
ら
れ
る
バ
イ
オ
固
体
燃
料
は
小
さ
な
容
器
に
詰
め
ら
れ
、
暖
炉
や
台
所
の
レ
ン
ジ
、
暖
房
の
ほ
か
、
さ
ま
ざ
ま
な
産
業
で
、
燃
料
と
し
て
用
い
ら
れ
る
。
「
こ
の
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
は
夢
が
現
実
に
な
っ
た
も
の
」
と
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
養
成
セ
ン
タ
ー
の
所
長
へ
ル
マ
ン
・
ロ
ン
ド
ー
ニ
ョ
神
父
は
言
う
。
1
4
0
0
平
方
メ
ー
ト
ル
の
土
地
で
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
・
セ
ン
タ
ー
の
5
人
の
若
い
卒
業
生
が
中
心
と
な
り
、
森
林
農
園
や
近
隣
の
コ
ー
ヒ
ー
農
家
か
ら
原
材
料
を
集
め
て
い
る
。
彼
ら
は
、
木
材
の
裁
断
と
乾
燥
、
ス
イ
ス
か
ら
取
り
寄
せ
た
機
械
の
稼
動
を
任
さ
れ
て
い
る
。
機
械
類
は
サ
レ
ジ
オ
の
N
G
O
青
年
世
界
援
助
と
の
協
力
の
う
ち
に
、
レ
オ
ポ
ル
ド
・
バ
ッ
ク
マ
ン
基
金
か
ら
の
寄
付
で
セ
ン
タ
ー
に
贈
ら
れ
た
。
設
計
と
建
設
を
行
っ
た
ス
イ
ス
人
エ
ン
ジ
ニ
ア
、
ワ
ル
タ
ー
・
イ
テ
ム
氏
は
プ
ラ
ン
ト
の
設
営
に
も
立
ち
会
い
、
人
材
の
研
修
も
行
っ
た
。
現
在
、
ヴ
ィ
ラ
・
ド
ン
・
ボ
ス
コ
で
は
6
0
0
人
の
若
者
が
学
ん
で
い
る
。
バ
イ
オ
燃
料
の
生
産
・
販
売
は
、
ヴ
ィ
ラ
・
ド
ン
・
ボ
ス
コ
と
カ
リ
の
ド
ン
・
ボ
ス
コ
養
成
セ
ン
タ
ー
の
約
3
0
0
0
人
の
教
育
の
ほ
か
、
地
域
の
農
民
の
雇
用
に
貢
献
す
る
こ
と
に
な
る
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
・
セ
ン
タ
ー
の
卒
業
生
、
デ
ィ
エ
ゴ
・
フ
ェ
ル
ナ
ン
ド
・
モ
ゴ
ロ
ン
氏
は
「
こ
れ
ま
で
た
だ
捨
て
ら
れ
て
い
た
松
の
樹
皮
を
再
利
用
で
き
る
こ
と
、
そ
し
て
環
境
を
守
る
た
め
に
私
た
ち
が
貢
献
で
き
る
こ
と
は
、
大
き
な
誇
り
で
す
」
と
語
る
。
バ
イ
オ
燃
料
の
利
点
は
、
1
0
0
%
天
然
の
製
品
で
保
存
料
や
添
加
物
を
加
え
な
い
た
め
毒
性
が
な
く
、
通
常
の
木
材
を
燃
や
す
方
法
よ
り
も
灰
は
少
な
く
、
効
率
よ
く
高
い
熱
を
生
み
出
す
こ
と
が
で
き
る
。
World Salesian Family NEWS
ス
ペ
イ
ン
・
フ
ラ
ン
ス
エ
ク
ア
ド
ル
コ
ロ
ン
ビ
ア
ロ
ー
マ
ペルーの健康キャンペーンに協力した医療スタッフたち
スペインでフランスで
「eデボーション」のホームページより
シスター・マリア・トロンカッティの列福式
ヴィラ・ドン・ボスコのバイオ燃料生産プラント
2425 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
時を超えて紡ぐ
ショートストーリー
二
本
の
道
「
皆
さ
ん
、
い
け
ま
せ
ん
。
」
次
郎
35
歳
は
お
も
む
ろ
に
言
い
ま
し
た
。
「
ヨ
ウ
コ
さ
ん
を
責
め
て
は
い
け
ま
せ
ん
。
い
か
な
る
人
も
、
ヨ
ウ
コ
さ
ん
を
傷
つ
け
て
は
い
け
ま
せ
ん
。
」
ヨ
ウ
コ
と
い
う
女
性
が
、
大
勢
に
囲
ま
れ
て
、
涙
を
流
し
て
謝
っ
て
い
ま
す
。
「
…
自
分
と
い
う
人
間
は
、
体
の
大
き
さ
以
外
は
何
も
な
い
人
間
で
す
か
ら
、
ヨ
ウ
コ
さ
ん
に
対
し
て
も
、
遠
巻
き
に
眺
め
て
い
る
の
が
分
相
応
で
あ
る
と
考
え
て
い
ま
し
た
。
あ
れ
は
、
自
分
の
母
が
た
っ
た
一
人
で
郷
里
で
息
を
引
き
取
っ
た
日
の
事
で
す
。
知
り
合
い
の
ツ
テ
を
探
し
て
、
こ
の
寿
司
屋
・
吉
べ
え
を
紹
介
し
た
母
で
す
…
。
寿
司
職
人
し
か
生
き
る
道
は
な
い
と
、
芸
人
を
目
指
し
て
い
た
息
子
の
夢
を
遮
断
し
た
強
引
な
る
母
親
で
す
…
!
今
日
か
ら
あ
ん
た
の
親
は
大
将
さ
ん
で
あ
り
、
女
将
さ
ん
だ
と
突
き
放
し
た
母
親
で
す
!
」
次
郎
は
涙
を
流
し
て
訴
え
ま
す
。
「
耳
が
切
れ
る
よ
う
な
寒
い
日
で
し
た
!
自
分
は
東
京
で
母
の
訃
報
を
聞
き
ま
し
た
!
隅
田
川
の
河
原
に
て
、
自
分
は
不
覚
に
も
涙
を
こ
ぼ
し
ま
し
た
!
す
る
と
ヨ
ウ
コ
さ
ん
は
、
自
分
ご
と
き
を
、
だ
、
抱
き
し
め
て
く
れ
ま
し
た
!
そ
れ
は
短
い
時
間
で
し
た
!
し
か
し
永
遠
で
し
た
!
こ
ん
な
自
分
を
強
い
か
ら
好
き
だ
と
言
っ
て
く
れ
ま
し
た
!
ヨ
ウ
コ
さ
ん
は
!
神
様
が
つ
か
わ
し
た
天
使
だ
と
思
い
ま
す
!
」
お
店
の
皆
は
、
呆ぼう
然ぜん
と
次
郎
を
見
て
い
ま
す
。
「
あ
る
日
、
自
分
は
、
挫
折
し
て
お
り
ま
し
た
…
。
不
器
用
で
し
か
な
い
自
分
は
、
後
輩
に
も
追
い
越
さ
れ
、
ご
迷
惑
を
お
か
け
す
る
ば
か
り
。
辞
め
よ
う
と
考
え
て
い
ま
し
た
。
ヨ
ウ
コ
さ
ん
は
、
そ
ん
な
自
分
を
散
歩
に
連
れ
出
し
、
と
あ
る
別
れ
道
で
立
ち
止
ま
り
ま
し
た
。
『
右
は
何
か
が
あ
る
道
。
左
は
何
も
な
い
道
。
次
郎
く
ん
な
ら
ど
っ
ち
行
く
?
』
質
問
の
意
味
が
分
か
ら
ず
、
私
は
尋
ね
ま
し
た
。
『
み
、
右
に
は
何
が
あ
る
の
で
し
ょ
う
?
』
『
そ
ん
な
の
分
か
ら
な
い
わ
。
何
か
が
あ
る
、
と
し
か
分
か
ら
な
い
。
い
い
事
か
も
し
れ
な
い
し
、
よ
く
な
い
事
か
も
し
れ
な
い
。
』
『
は
あ
…
。
左
に
は
?
』
『
な
ー
ん
に
も
な
い
。
い
い
事
も
悪
い
事
も
何
も
な
い
、
平へい
坦たん
な
道
よ
。
安
全
な
道
よ
。
次
郎
く
ん
な
ら
、
ど
っ
ち
行
く
?
』
私
が
動
け
ず
に
い
る
と
、
ヨ
ウ
コ
さ
ん
は
や
が
て
、
静
か
に
、
右
の
道
へ
と
進
ん
で
行
き
ま
し
た
。
私
は
つ
い
て
い
き
ま
し
た
…
。
ヨ
ウ
コ
さ
ん
が
い
な
け
れ
ば
、
私
は
今
こ
う
し
て
こ
こ
に
は
い
ま
せ
ん
。
」
「
あ
の
、
次
郎
く
ん
、
私
ら
別
に
ヨ
ウ
コ
を
」
大
将
が
話
し
か
け
よ
う
と
す
る
と
、
次
郎
く
ん
は
遮
っ
て
、
さ
ら
に
続
け
ま
し
た
。
「
大
将
が
、
私
に
重
要
な
会
席
の
主
任
を
任
せ
て
く
だ
さ
っ
た
時
の
こ
と
で
す
。
ま
だ
ま
だ
未
熟
な
自
分
に
、
挑
戦
の
場
を
く
だ
さ
っ
た
大
将
に
は
感
謝
の
言
葉
も
あ
り
ま
せ
ん
。
し
か
し
自
分
は
、
期
待
を
裏
切
り
、
大
失
敗
。
情
け
な
く
て
、
申
し
訳
な
く
て
、
悔
し
く
て
…
。
翌
日
、
無
断
で
お
店
を
休
ん
だ
自
分
に
、
ヨ
ウ
コ
さ
ん
が
電
話
を
く
だ
さ
い
ま
し
た
。
『
辛
い
時
は
、
そ
の
辛
さ
を
抱
き
し
め
な
さ
い
な
。
そ
れ
が
「
辛
抱
」
と
言
う
も
の
よ
。
そ
し
て
、
一
歩
だ
け
、
一
歩
だ
け
頑
張
れ
ば
い
い
の
。
辛
い
に
一
本
足
せ
ば
「
幸
」
。
一
歩
だ
け
頑
張
っ
て
、
ま
た
お
店
に
来
て
ち
ょ
う
だ
い
ね
。
』
ヨ
、
ヨ
、
ヨ
ウ
コ
さ
ん
は
!
神
様
が
つ
か
わ
し
た
天
使
で
あ
り
ま
す
!!
」
↓
次
郎
は
、
そ
の
場
で
泣
き
続
け
ま
し
た
。
帰
り
路
、
寒
風
に
吹
か
れ
て
、
二
人
は
歩
き
ま
す
。
ヨ
ウ
コ
が
ふ
と
笑
い
ま
し
た
。
「
ふ
ふ
ふ
」
「
ど
、
ど
う
し
た
ん
で
す
か
?
」
「
私
ね
、
別
に
、
皆
に
責
め
ら
れ
て
い
た
わ
け
じ
ゃ
な
い
の
よ
?
」
「
え
?
」
「
私
、
お
店
を
辞
め
な
き
ゃ
な
ら
な
い
の
…
」
「
な
、
な
ん
で
で
す
か
…
?
」
「
結
婚
す
る
の
。
親
に
決
め
ら
れ
た
結
婚
で
ね
、
遠
く
に
行
か
な
き
ゃ
な
ら
な
い
の
。
」
次
郎
は
し
ば
ら
く
言
葉
が
出
ま
せ
ん
。
「
…
そ
の
道
は
、
ヨ
ウ
コ
さ
ん
に
と
っ
て
、
右
の
道
で
す
か
、
左
の
道
で
す
か
?
」
「
も
ち
ろ
ん
、
右
の
道
よ
。
結
婚
と
言
っ
て
も
、
そ
れ
こ
そ
何
が
あ
る
か
分
か
ら
な
い
も
の
。
で
も
相
手
の
方
は
、
と
っ
て
も
い
い
人
よ
。
こ
ん
な
40
女
を
も
ら
っ
て
く
だ
さ
る
ん
だ
も
の
」
「
は
い
…
お
め
で
と
う
ご
ざ
い
ま
す
。
ヨ
ウ
コ
さ
ん
、
お
め
で
と
う
ご
ざ
い
ま
す
…
!
」
次
郎
は
ま
た
泣
き
ま
し
た
。
そ
の
涙
は
、
祝
福
の
涙
だ
っ
た
の
か
、
は
た
ま
た
、
ち
ょ
っ
と
別
の
涙
だ
っ
た
か
。
そ
う
し
て
二
人
は
、
別
れ
道
で
、
そ
れ
ぞ
れ
の
道
へ
と
歩
い
て
い
っ
た
の
で
あ
り
ま
し
た
。
おむらまりこ
目黒星美学園小学校 図工科教諭。武蔵野美術大
学大学院修了。絵本に『はいいろのこひつじ』『たい
せつなおくりもの』『ヨハネ・ボスコのたいせつなゆめ』。
イラストに『森本千絵うたう作品集』。
ノゾエ征
せい
爾
じ
サレジオ学院中学校・高等学校卒業。脚本家、演出家、
俳優。大学在学中より劇団「はえぎわ」を主宰。2012
年『◯◯トアル風景』で岸田國士戯曲賞受賞。舞台、
映画、テレビ、ラジオ等で活躍中。www.haegiwa.net
始めないことには、
いつまでたってもできないままだろう?
それなら私から始めるのがいい。
さあ、がんばれ!
ドン・ボスコの言葉 ~完訳ドン・ボスコ伝 P.218~
※理髪店で働いていた少年に初めてのひげ剃りを頼んだ時のことば
文
・
ノ
ゾ
エ
征
爾
絵
・
お
む
ら
ま
り
こ
Vol.4
2627 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
Salesian Family Visit
合
宿
、
中
1
で
飯
縄
山
(
1
,
9
1
7m
)、
中
2
で
火
打
山
(
2
,
4
6
2m
)、
中
3
で
立
山
(
3
,
0
1
5m
)
へ
の
登
山
に
全
員
で
チ
ャ
レ
ン
ジ
す
る
こ
と
で
す
。
合
宿
で
の
指
導
は
先
生
た
ち
が
す
る
の
で
、
身
体
的
な
訓
練
だ
け
で
な
く
、
生
活
を
通
し
て
人
間
関
係
や
挨
拶
、
助
け
合
い
な
ど
、
多
方
面
で
の
成
長
を
目
指
す
こ
と
が
で
き
ま
す
。
参
加
す
る
神
父
の
朝
晩
の
話
、
ミ
サ
と
祈
り
の
時
間
も
あ
り
、
身
体
だ
け
で
な
く
、
心
の
成
長
に
も
大
い
に
役
立
っ
て
い
ま
す
。
1
9
7
3
年
に
建
設
し
た
海
辺
の
「
和
歌
山
南
部
学
舎
」
で
も
、
ド
ン
・
ボ
スコ
の
「
ア
シ
ス
テ
ン
ツ
ァ
(
共
に
い
る
)」
教
育
を
行
っ
て
い
ま
す
。
昔
は
「
水
泳
教
室
」
も
行
っ
て
い
ま
し
た
が
、
2
年
連
続
し
て
サ
メ
騒
動
が
あ
り
、
中
止
し
ま
し
た
。中
学
生
は
学
年
毎
に
学
期
に
1
週
間「
南
部
な
ら
で
は
の
海
を
活
か
し
た
授
業
」
を
行
い
ま
す
。
ほ
か
に
も
、
指
名
参
加
・
自
由
参
加
の
勉
強
合
宿
が
あ
り
、
友
だ
ち
の
勉
強
の
仕
方
を
学
ん
だ
り
で
き
ま
す
。
高
校
は
自
由
参
加
の
勉
強
合
宿
が
多
く
、
学
年
の
6
~
7
割
の
生
徒
が
参
加
し
て
い
ま
す
。
こ
の
苦
楽
を
共
に
す
る
合
宿
を
経
験
す
る
こ
と
で
、
先
生
と
も
、
ク
ラ
ス
の
人
た
ち
と
も
、
す
ぐ
に
友
だ
ち
に
な
り
ま
す
。
こ
れ
が
「
O
B
た
ち
が
よ
く
遊
び
に
来
る
学
校
」
と
し
て
の
星
光
の
特
徴
を
作
っ
て
い
ま
す
。
O
B
は
休
み
中
の
登
山
、
ス
キ
ー
、
勉
強
合
宿
に
ヘルパ
ー
と
し
て
参
加
し
、
後
輩
の
面
倒
を
よ
く
み
て
く
れ
ま
す
。
そ
ん
な
姿
を
見
て
、
後
輩
た
ち
も
「
自
分
も
O
B
と
し
て
来
る
ぞ
!
」
と
決
め
て
い
る
よ
う
で
す
。
頭
と
体
を
動
か
し
、
心
を
育
む
校
内
に
は
「
ト
マス
小
崎
研
修
館
」
が
あ
り
、
中
学
1
年
生
は
入
学
と
同
時
に
、
7
組
に
別
れ
て
1
週
間
の
合
宿
を
体
験
し
、
そ
こ
か
ら
通
学
し
ま
す
。
合
宿
の
精
神
を
学
ん
だ
彼
ら
は
、
そ
の
体
験
が
終
了
す
る
と
、
心
で
も
「
星
光
学
院
の
生
徒
」
と
な
り
ま
す
。
本
校
は
「
進
学
校
」
と
言
わ
れ
て
い
ま
す
が
、
で
も
生
徒
た
ち
は
「
頭
を
動
か
す
よ
り
、
体
を
動
か
す
」
の
が
好
き
な
よ
う
で
す
。
昼
休
み
に
は
グ
ラ
ウ
ン
ド
が
10
個
の
サ
ッ
カ
ー
ボ
ー
ル
と
1
0
0
人
を
超
え
る
生
徒
た
ち
で
埋
ま
り
ま
す
。
中
1
か
ら
高
3
ま
で
遊
ん
で
、
よ
く
怪
我
を
し
な
い
も
の
だ
と
感
心
し
ま
す
。
ひ
ょっ
と
し
た
ら
そ
ん
な
グ
ラ
ウ
ン
ド
で
「
思
い
や
り
」
を
学
ん
で
い
る
の
か
も
知
れ
ま
せ
ん
。
ド
ン・
ボ
スコ
の
学
校
と
し
て
「
笑
顔
と
挨
拶
」
に
満
ち
た
大
阪
星
光
学
院
で
す
。
(
文
・
写
真
/
大
阪
星
光
学
院
中
学
校
・
高
等
学
校
提
供
)
終
戦
後
ま
も
な
い
1
9
5
0
年
、
マル
ジ
ャ
リ
ア
神
父
が
「
日
本
の
復
興
は
“
教
育
”
か
ら
」
と
、
ま
だ
焼
け
野
原
が
残
っ
て
い
る
こ
の
天
王
寺
の
地
に
、
大
阪
星
光
学
院
中
学
校
を
開
校
し
ま
し
た
。
以
来
、
今
春
卒
業
の
57
期
生
を
含
め
て
、
1
万
1
千
人
を
超
え
る
卒
業
生
を
社
会
に
送
り
出
し
て
き
ま
し
た
。
彼
ら
は
在
学
6
年
間
、
校
訓
の
「
世
の
光
で
あ
れ
! !
」
を
胸
に
刻
み
込
み
、
教
職
員
、
保
護
者
、
仲
間
た
ち
と
共
通
の
目
標
と
し
て
チ
ャ
レ
ン
ジ
し
、
社
会
に
出
た
今
、
全
国
で
“
光
”
と
な
っ
て
輝
い
て
い
ま
す
。
燈
台
、
電
灯
、
ロ
ー
ソ
ク
、
星
の
光
と
、
そ
れ
ぞ
れ
の
場
で
“
希
望
の
光
”
と
な
っ
て
い
ま
す
。
「
朝
の
放
送
」
で
始
ま
る
一
日
大
阪
星
光
学
院
は
「
ド
ン
・
ボ
スコ
の
ミ
ッ
シ
ョ
ン
ス
ク
ー
ル
」
で
あ
る
こ
と
を
大
切
に
し
て
い
ま
す
。
朝
礼
は
、
試
験
期
間
を
除
い
て
毎
日
、
神
父
に
よ
る
「
朝
の
放
送
」
で
始
ま
り
ま
す
。
朝
の
新
鮮
な
心
に
「
良
き
種
」
を
蒔ま
い
て
い
る
の
で
す
。
全
学
年
を
通
し
て
の
「
倫
理
の
授
業
」
で
、
聖
書
の
教
え
、
良
心
に
基
づ
く
人
の
道
な
ど
を
一
緒
に
考
え
て
い
ま
す
。
苦
楽
を
共
に
す
る
合
宿
の
豊
か
な
経
験
教
育
目
標
と
し
て
、
私
学
な
ら
ど
の
学
校
も
「
知
・
徳
・
体
」
育
を
挙
げ
ま
す
が
、
本
校
も
そ
れ
を
文
字
ど
お
り
実
践
し
て
い
ま
す
。
そ
れ
は
、
例
え
ば
1
9
6
8
年
に
建
設
し
た
「
長
野
黒
姫
山
荘
」
を
使
い
、
特
に
一
番
成
長
す
る
中
学
生
を
対
象
と
し
て
、
中
1
・
中
2
は
2
度
の
ス
キ
ー
耐寒登山 和歌山南部学舎 授業の様子和歌山南部学舎の海での授業弓道場
長野黒姫山荘昼休みのグラウンドは生徒の歓声が響きわたる
授業の様子
サレジオ家族探訪
Salesian Family Visit
Ciao!チャオ!
世
の
光
で
あ
れ
!!
大
阪
府
大
阪
市
大
阪
星
光
学
院
中
学
校
・
高
等
学
校
大阪星光学院中学校・高等学校
大阪府大阪市天王寺区伶人町 1-6
www.osakaseiko.ac.jp
日本各地のドン・ボスコの仲間を紹介します
2829 SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013 No.10
News 活動報告
寄
せ
ら
れ
た
支
援
を
届
け
る
た
め
に
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
日
本
管
区
に
は
、
震
災
発
生
直
後
か
ら
世
界
各
国
の
管
区
を
は
じ
め
国
内
の
姉
妹
校
な
ど
か
ら
多
く
の
支
援
が
次
々
と
寄
せ
ら
れ
ま
し
た
。
言
葉
を
失
う
ほ
ど
の
巨
大
地
震
や
津
波
の
映
像
に
シ
ョッ
ク
を
受
け
な
が
ら
も
、
日
本
の
人
び
と
の
姿
に
心
を
打
た
れ
た
と
、
外
国
か
ら
い
ち
早
く
支
援
の
た
め
の
寄
付
金
を
お
預
か
り
し
ま
し
た
。
故
郷
が
被
災
し
た
会
員
も
お
り
、
少
し
で
も
早
く
、
被
災
さ
れ
た
方
々
に
必
要
な
物
を
届
け
る
こ
と
が
で
き
れ
ば
と
、
手
探
り
の
中
で
活
動
を
開
始
し
ま
し
た
。
津
波
で
線
路
も
流
さ
れ
、
交
通
手
段
に
限
り
が
あ
る
中
で
の
支
援
活
動
は
、
さ
ま
ざ
ま
な
困
難
も
伴
い
ま
し
た
。
し
か
し
、
現
地
の
あ
ま
り
の
被
害
の
大
き
さ
に
、
私
た
ち
も
悲
し
み
と
苦
し
さ
を
覚
え
な
が
ら
も
、
長
期
に
わ
た
る
支
援
の
必
要
性
を
痛
感
し
、
2
0
1
1
年
8
月
、
会
独
自
の
サ
ポ
ー
ト
セ
ン
タ
ー
を
開
設
し
ま
し
た
。
サ
ポ
ー
ト
セ
ン
タ
ー
の
活
動
内
容
震
災
直
後
は
、
緊
急
事
態
で
あ
る
こ
と
か
ら
、
必
要
な
物
資
を
現
地
と
連
絡
を
取
り
合
っ
て
、
東
京
か
ら
車
で
運
び
直
接
届
け
て
い
ま
し
た
。
次
第
に
宅
急
便
が
使
え
る
よ
う
に
な
る
と
、物
を
現
地
に
送
り
込
み
、
レ
ン
タ
カ
ー
で
直
接
届
け
る
な
ど
し
て
、
確
実
に
必
要
な
方
に
物
資
を
届
け
、
ま
た
支
援
し
て
く
だ
さ
る
方
々
の
気
持
ち
を
伝
え
ま
し
た
。
た
く
さ
ん
の
方
が
涙
を
流
し
て
喜
ん
で
く
だ
さ
い
ま
し
た
。
震
災
か
ら
半
年
が
経
っ
た
頃
か
ら
、
カ
リ
タ
ス
ジ
ャ
パン
の
ベ
ー
ス
建
設
が
開
始
さ
れ
、
ベ
ー
ス
ス
タ
ッ
フ
と
協
力
し
な
が
ら
、
地
域
の
被
災
関
連
情
報
の
収
集
、
物
資
支
援
な
ど
を
行
っ
て
き
ま
し
た
。
現
在
は
、
ベ
ー
ス
の
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
活
動
に
協
力
し
つつ
、
特
に
支
援
が
行
き
届
い
て
い
な
い
人
々
を
探
し
出
す
こ
と
、
ま
た
物
心
両
面
の
ケ
ア
の
部
分
で
も
一
緒
に
活
動
し
て
い
ま
す
。
被
災
地
の
人
び
と
に
寄
り
そ
っ
て
生
き
る
被
災
地
で
は
、
時
が
経
過
し
て
い
く
中
で
、
一
人
ひ
と
り
が
抱
え
て
い
る
苦
し
み
に
変
化
が
生
ま
れ
て
い
ま
す
。
癒
え
る
こ
と
な
く
深
い
悲
し
み
に
沈
む
人
、
ま
た
少
し
希
望
の
光
が
差
し
こ
ん
で
き
た
人
、
人
の
温
も
り
を
感
じ
な
が
ら
新
た
な
力
を
い
た
だ
い
て
い
る
人
、
希
望
を
見
い
だ
せ
ず
光
を
失
い
か
け
て
い
る
人
、
自
ら
の
命
を
絶
っ
て
い
く
人
…
…
さ
ま
ざ
ま
で
す
。
生
活
状
況
も
立
て
直
し
が
で
き
始
め
た
人
も
い
れ
ば
、
見
通
し
の
立
た
な
い
人
も
い
ま
す
。
ま
も
な
く
震
災
か
ら
2
年
が
経
と
う
と
し
て
い
ま
す
が
、
こ
の
被
災
地
の
人
び
と
と
真
剣
に
向
き
合
い
、
寄
り
添
っ
て
生
き
て
い
く
こ
と
は
、
私
た
ち
一
人
ひ
と
り
の
課
題
で
も
あ
る
と
感
じ
ま
す
。
そ
れ
ぞ
れ
に
置
か
れ
た
場
で
、
ど
の
よ
う
に
被
災
地
で
生
き
る
人
び
と
と
共
に
生
き
て
い
く
か
、
そ
の
こ
と
を
考
え
て
い
か
な
け
れ
ば
い
け
な
い
と
思
い
ま
す
。
被災された方々に物資を配布(2011 年 5 月)
サレジアン・シスターズ総長が被災地を視察(2012 年 5 月)
カリタスジャパン大船渡ベースと協働
被災された方々が製作したキーホルダーを販売(2012 年 10 月)
被
災
地
支
援
の
報
告
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
管
区
サ
ポ
ー
ト
セ
ン
タ
ー
サ
レ
ジ
ア
ン・シ
ス
タ
ー
ズ
が
、岩
手
県
大
船
渡
市
で
活
動
を
続
け
て
い
る
管
区
サ
ポ
ー
ト
セ
ン
タ
ー
の
取
り
組
み
に
つ
い
て
紹
介
し
ま
す
。
サレジアン小伝
ドン・ボスコのように生きた人たち
Salesian Life Story
2012 年 8 月 10 日、宣教師フランス・ヘンドリックス神父が私たちのも
とを去った。2012 年 6 月、末期がんと告げられると、力を振り絞り、「や
り残したことがある、闘う」と宣言。手術を経て 1か月あまりの闘病の後、
穏やかに息をひきとった。7月5日に80歳の誕生日を迎えたばかりだった。
下井草教会で行われた通夜と葬儀には、多くの人びとと教え子たちが参
列し、ヘンドリックス神父との別れを惜しんだ。
●
惜
し
み
な
く
自
分
を
与
え
る
司
祭
に
な
り
た
い
フ
ラ
ン
ス
・
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
は
1
9
3
2
年
7
月
5
日
、
ベ
ル
ギ
ー
で
5
人
兄
弟
の
長
男
と
し
て
生
ま
れ
、
信
仰
深
い
家
庭
で
育
っ
た
。
12
歳
で
ゲ
ン
ト
市
の
サ
レ
ジ
オ
学
校
に
入
学
、
高
校
を
卒
業
し
て
サ
レ
ジ
オ
会
志
願
者
と
な
り
、
1
9
5
2
年
に
初
誓
願
を
立
て
た
。
芸
術
的
才
能
に
恵
ま
れ
、
グ
ラ
フ
ィ
ッ
ク
専
門
学
校
を
卒
業
、
終
生
誓
願
を
立
て
た
後
、
1
9
5
8
年
12
月
、
宣
教
師
と
し
て
日
本
に
派
遣
さ
れ
た
。
家
庭
か
ら
宣
教
師
が
出
た
こ
と
を
、
両
親
は
心
か
ら
喜
ん
だ
と
い
う
。
1
9
6
1
年
12
月
20
日
、
チ
マ
ッ
テ
ィ
神
父
が
神
学
院
長
の
時
、
下
井
草
教
会
で
司
祭
に
叙
階
さ
れ
た
。
叙
階
前
の
評
価
に
、
チ
マ
ッ
テ
ィ
神
父
は
記
し
て
い
る
。「
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
学
生
は
、
繊
細
、
寛
大
、
勤
勉
、
何
事
に
も
一
所
懸
命
に
取
り
組
む
。
知
的
才
能
が
あ
り
ま
す
。
実
践
的
能
力
に
恵
ま
れ
、使
徒
職
に
役
立
つ
で
し
ょ
う
。
修
道
生
活
に
励
み
、
司
祭
職
の
準
備
に
全
力
で
取
り
組
ん
で
い
ま
す
。」
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
助
祭
は
、
司
祭
職
願
書
に
書
い
て
い
る
。「
チ
マ
ッ
テ
ィ
院
長
様
、
主
の
与
え
よ
う
と
す
る
司
祭
職
の
恵
み
に
、
自
分
が
ふ
さ
わ
し
く
な
い
こ
と
を
重
々
承
知
し
て
い
ま
す
。
し
か
し
同
時
に
、
私
は
今
、
司
祭
職
の
恵
み
を
喜
ん
で
受
け
よ
う
と
決
意
し
て
い
ま
す
。
…
…
だ
れ
が
主
の
恵
み
と
愛
を
完
全
に
理
解
す
る
こ
と
が
で
き
る
で
し
ょ
う
か
。
私
は
す
べ
て
を
主
に
任
せ
ま
す
。
主
に
惜
し
み
な
く
明
け
渡
す
人
に
な
り
た
い
の
で
す
。
惜
し
み
な
く
自
分
を
与
え
る
司
祭
に
な
り
た
い
の
で
す
。」
●
人
間
力
の
あ
る
エ
ン
ジ
ニ
ア
、
デ
ザ
イ
ナ
ー
を
育
て
る
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
は
1
9
6
2
年
よ
り
育
英
高
専
(
現
サ
レ
ジ
オ
高
専
)
で
働
き
は
じ
め
、
1
9
7
5
年
よ
り
27
年
間
、
校
長
を
務
め
た
。
人
間
味
あ
ふ
れ
る
人
柄
で
教
職
員
や
学
生
と
接
し
、
専
門
分
野
で
は
持
て
る
能
力
と
感
性
を
伝
え
、
多
く
の
エ
ン
ジ
ニ
ア
、
デ
ザ
イ
ナ
ー
を
育
て
た
。
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
の
存
在
は
、
人
間
と
し
て
、
専
門
家
と
し
て
、
す
ば
ら
し
い
手
本
だ
っ
た
。
そ
の
文
化
・
芸
術
・
教
育
に
お
け
る
功
績
に
よ
り
、
2
0
0
6
年
11
月
、
瑞
宝
中
綬
章
を
受
け
て
い
る
。
高
専
退
職
後
は
S
I
T
E
C
で
の
生
涯
教
育
活
動
に
取
り
組
ん
だ
。
宣
教
師
と
し
て
、
形
に
と
ら
わ
れ
な
い
、
熱
意
あ
ふ
れ
る
信
仰
を
物
語
る
エ
ピ
ソ
ー
ド
が
あ
る
。
あ
る
と
き
学
生
に
尋
ね
ら
れ
た
。「
先
生
は
神
父
な
ん
で
す
か
?
」
「
そ
う
で
す
。」「
教
会
は
ど
こ
で
す
か
?
」「
こ
こ
で
す
。
こ
の
教
室
が
私
の
教
会
、
君
た
ち
と
神
様
と
一
緒
に
い
る
と
こ
ろ
で
す
。」
大
震
災
の
年
の
ク
リ
ス
マ
ス
、
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
が
カ
ー
ド
に
し
た
た
め
た
祈
り
に
、
彼
の
心
が
よ
く
表
れ
て
い
る
。「
一
番
の
願
い
は
、
あ
な
た
の
肩
に
置
い
た
私
の
手
を
感
じ
て
ほ
し
い
。
途
方
に
暮
れ
た
時
、
私
が
い
る
こ
と
を
覚
え
て
い
て
ほ
し
い
。
あ
な
た
を
励
ま
し
友
愛
で
包
む
た
め
、
お
互
い
の
友
愛
を
分
か
ち
合
う
た
め
に
。」
ヘン
ド
リ
ッ
ク
ス
神
父
様
、
あ
り
が
と
う
!
あ
な
た
の
大
き
な
愛
は
、
私
た
ち
の
人
生
の
歩
み
の
光
と
な
っ
て
く
れ
る
で
し
ょ
う
!
(
文
/
サ
レ
ジ
オ
会
)
フランス・ヘンドリックス
(Frans Hendrickx sdb)
サレジオ会司祭。1932 年ベルギー
生まれ。1958 年来日。1961 年司祭
叙階。育英高専(現サレジオ高専)
で長年教え、1975 年から27 年間
校長を務めた。2006 年瑞宝中綬章
を受章。2012 年 8月80 歳で帰天。
ありがとう!ヘンドリックス神父
惜しみなく
自分を与えた司祭
文
・
写
真
●
サ
レ
ジ
ア
ン
・
シ
ス
タ
ー
ズ
ご協力いただける方は、ご連絡ください。
〒 115-0053 東京都北区赤羽台 4-2-14 サレジアン・シスターズ管区サポートセンター TEL 03-3906-0050
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業生の情報をお寄せください。本誌ま
たは Facebook ページ「ドン・ボスコ
の風」で紹介させていただきます。
送り先:
DB-no-kaze@donboscojp.org
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内「ドン・ボスコの風」
編集事務局
Facebookページ
「ドン・ボスコの風」で
ドン・ボスコの仲間たちと
つながろう!
www.facebook.com/dbnokaze
Facebook ページ「ドン・ボスコの風」
では、ほぼ毎日、サレジオ家族の情報、
聖書のみことば、神父のつぶやきなど
を紹介しています。ぜひ「いいね!」を
クリックしてみてください。
30
Info
編 集 後 記
編集人 山野内 倫昭
発行人 アルド・チプリアニ
発行所 カトリック・サレジオ修道会
編集・デザイン制作 ドン・ボスコ社
印刷所 日之出印刷株式会社
「ドン・ボスコの風」編集事務局
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7
ドン・ボスコ社内
電話:03-3351-7041
Fax:03-3351-7042
Eメール:DB-no-kaze@donboscojp.org
SALESIAN BULLETIN JAPAN January 2013
2013年1月31日発行(年2回発行)
ドン・ボスコが1859年、特に「青少年の救いの
ため」に創立した修道会は、時代の必要にこた
えるために新しいグループを生み続けてきまし
た。「サレジオ家族」と呼ばれるドン・ボスコの
ファミリーには、現在30の公式グループがあり
ます。「青少年の救い」は、キリストの愛、福音
に基づいた教育にあることを、司祭であるド
ン・ボスコは確信していました。今も受け継が
れるドン・ボスコの教育の特徴を知っていただ
けたら幸いです。 (M)
No.
10
本誌掲載の記事、写真、イラストの無断転載を禁じます。
© カトリック・サレジオ修道会 2013
お知らせ
D
B
V
G
ソ
ロ
モ
ン
諸
島
に
青
年
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
を
派
遣
2
0
1
2
年
8
月
18
日
~
9
月
8
日
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
海
外
青
年
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
グ
ル
ー
プ
(
D
B
V
G
)
は
、
6
人
の
青
年
を
ソ
ロ
モ
ン
諸
島
に
派
遣
。
現
地
の
サ
レ
ジ
オ
会
が
担
当
す
る
テ
テ
レ
小
教
区
と
ル
ー
ラ
ル
・
ト
レ
ー
ニ
ン
グ
セ
ン
タ
ー
(
R
T
C
)
の
要
請
に
応
え
る
労
働
を
通
し
て
、
現
地
の
人
々
と
の
交
わ
り
や
文
化
交
流
を
深
め
た
。
同
行
の
三
島
心
神
父
と
6
人
は
共
同
生
活
し
な
が
ら
、
農
作
業
や
修
道
院
の
塗
装
な
ど
、
R
T
C
の
生
徒
や
地
元
の
人
び
と
と
共
に
作
業
し
汗
を
流
し
、
ソ
ロ
モ
ン
諸
島
の
大
自
然
を
満
喫
す
る
こ
と
が
で
き
た
。
帰
国
後
は
派
遣
活
動
報
告
会
を
行
い
、
参
加
者
や
支
援
者
と
豊
か
な
体
験
を
分
か
ち
合
っ
た
。
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
7
人
が
入
会
2
0
1
2
年
9
月
23
日
、
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
(
協
力
者
会
)
の
入
会
式
が
、
サ
レ
ジ
オ
会
総
長
パ
ス
ク
ア
ー
ル
・
チ
ャ
ー
ベ
ス
神
父
の
司
式
に
よ
り
カ
ト
リ
ッ
ク
碑
文
谷
教
会
で
行
わ
れ
、
7
人
が
入
会
の
誓
約
を
行
っ
た
。
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
は
、
サ
レ
ジ
オ
会
な
ど
の
協
働
者
と
し
て
生
き
る
一
般
信
徒
の
会
と
し
て
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
に
よ
り
創
立
。
現
在
、
世
界
に
3
万
人
の
会
員
が
お
り
、
日
本
で
は
13
支
部
、
1
4
3
人
の
会
員
が
活
動
し
て
い
る
。
社
会
生
活
を
営
み
な
が
ら
、
弱
い
立
場
の
人
、
と
く
に
青
少
年
に
関
心
を
も
ち
、
教
会
の
一
員
と
し
て
奉
仕
し
つ
つ
自
己
養
成
に
励
ん
で
い
る
。
ま
た
、
2
0
1
2
年
11
月
8
~
11
日
、
ロ
ー
マ
で
サ
レ
ジ
ア
ニ
・
コ
オ
ペ
ラ
ト
ー
リ
第
4
回
世
界
会
議
が
開
催
さ
れ
た
。
世
界
各
地
か
ら
2
5
0
人
を
超
え
る
参
加
者
が
集
ま
り
、
日
本
か
ら
は
ア
キ
レ
・
ロ
ロ
ピ
ア
ナ
神
父
、
コ
ー
デ
ィ
ネ
ー
タ
ー
の
丸
山
和
美
氏
と
佐
藤
栄
利
子
氏
が
出
席
。
規
約
の
改
正
、
チ
ャ
ー
ベ
ス
総
長
に
よ
る
新
し
い
世
界
コ
ー
デ
ィ
ネ
ー
タ
ー
の
任
命
の
ほ
か
、
さ
ま
ざ
ま
な
講
話
と
意
見
交
換
、
祈
り
と
ミ
サ
の
う
ち
に
、
神
と
互
い
と
の
一
致
を
深
め
た
。
サ
レ
ジ
オ
家
族
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
ー
憲
章
を
発
刊
サ
レ
ジ
オ
会
の
チ
ャ
ー
ベ
ス
総
長
に
よ
っ
て
発
布
さ
れ
た
『
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
サ
レ
ジ
オ
家
族
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
ー
憲
章
』
の
日
本
語
版
が
、
2
0
1
2
年
9
月
、
総
長
来
日
に
あ
わ
せ
て
発
刊
さ
れ
た
。
サ
レ
ジ
オ
会
ホ
ー
ム
ペ
ー
ジ
の
「
ラ
イ
ブ
ラ
リ
ー
」(http://salesians.
jp/library
)
か
ら
ダ
ウ
ン
ロ
ー
ド
で
き
る
。
現
在
、
サ
レ
ジ
オ
家
族
は
世
界
に
30
グ
ル
ー
プ
あ
り
、
各
グ
ル
ー
プ
の
特
徴
や
活
動
の
場
を
生
か
し
て
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
よ
う
に
若
者
の
た
め
に
情
熱
を
注
ぐ
と
い
う
共
通
点
が
あ
る
。
共
に
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
心
を
学
び
、
各
グ
ル
ー
プ
の
取
り
組
み
を
分
か
ち
合
い
、
共
通
の
目
標
に
向
か
っ
て
団
結
し
て
取
り
組
ん
で
い
く
た
め
に
、
こ
の
憲
章
に
つ
い
て
学
ぶ
よ
う
、
総
長
か
ら
呼
び
か
け
ら
れ
て
い
る
。
イ
エ
ス
の
カ
リ
タ
ス
修
道
女
会
2
人
が
終
生
誓
願
2
0
1
2
年
12
月
8
日
、
無
原
罪
の
聖
マ
リ
ア
の
祭
日
に
、
イ
エ
ス
の
カ
リ
タ
ス
修
道
女
会
の
終
生
誓
願
式
が
幸
田
和
生
司
教
と
22
人
の
司
祭
の
共
同
司
式
に
よ
り
行
わ
れ
、
2
人
の
シ
ス
タ
ー
が
神
に
生
涯
を
捧
げ
る
こ
と
を
誓
っ
た
。
終
生
誓
願
を
立
て
た
の
は
、
福
岡
県
新
田
原
出
身
の
谷
口
暢のぶ
子こ
シ
ス
タ
ー
と
、
長
崎
県
紐
差
出
身
の
岩
崎
由
美
子
シ
ス
タ
ー
。
カ
リ
タ
ス
会
で
は
2
年
ぶ
り
に
行
わ
れ
る
誓
願
式
と
あ
っ
て
、
喜
び
も
ひ
と
し
お
だ
っ
た
。
修
道
会
の
姉
妹
た
ち
は
も
ち
ろ
ん
の
こ
と
、
自
分
た
ち
を
大
切
に
育
み
、
修
道
会
に
入
会
す
る
こ
と
を
ゆ
る
し
て
く
れ
た
家
族
、
そ
し
て
召
命
の
道
を
支
え
て
く
れ
た
親
族
、
恩
人
、
友
人
た
ち
に
祝
福
さ
れ
、
キ
リ
ス
ト
の
永
遠
の
花
嫁
た
ち
は
心
か
ら
の
喜
び
と
感
謝
の
う
ち
に
、
こ
れ
か
ら
の
奉
献
生
活
の
上
に
神
の
助
け
を
祈
っ
た
。
2
人
は
終
生
誓
願
準
備
期
間
中
、
東
北
の
被
災
地
で
長
期
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
体
験
を
し
た
こ
と
も
あ
り
、
誓
願
式
に
は
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
活
動
で
出
会
っ
た
仲
間
た
ち
も
駆
け
つ
け
、
喜
び
を
と
も
に
し
た
。
●
ドン・ボスコの風
読者プレゼント
応募方法:
お名前(フルネーム)・住所・年齢・ご職業とご希望のプレ
ゼント(A・B・C)いずれか一つを明記し、本誌のご感
想・ご要望をお書き添えの上、Eメールまたはハガキで下
記宛先までお送りください。
【Eメールの場合】
DB-no-kaze@donboscojp.org
【ハガキの場合】
〒160-0004
東京都新宿区四谷1-9-7 ドン・ボスコ社内
「ドン・ボスコの風」編集事務局
応募締切: 2013年3月31日消印有効
当選者の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます。
ご応募いただいたお客様の個人情報は賞品の発送のみに使用し、
その他には一切使用致しません。
PRESENT
(いずれもドン・ボスコ社提供 www.donboscosha.com)
心が強く優しくなる
ドン・ボスコの
ことば100
子どもたちの「魂」を愛し育て
ることを大切にしたドン・ボスコ。
寄り添い、人を笑顔にし、導い
てくれる100 のことば集。サレ
ジオ会司祭らによる解説付。
サレジオ会日本管区編
浦田慎二郎監修
文庫判並製 205 頁
A
5名様
チマッティ神父
本人が書かなかった
自叙伝(下)
日本最初のサレジオ会宣教師チ
マッティ神父の手紙と写真から、
その生涯と日本でのサレジオ会
事業の草創期をたどる。待望の
完結編。
ガエタノ・コンプリ編訳
A5判上製 518頁
B
5名様
せかいで
いちばん
おおきなもの
こぐまは、おかあさんと世界でい
ちばん大きなものを探しに。いち
ばん大きなものは…? 子どもに
「世界でいちばん大好き」を伝
える、愛にあふれた絵本。
ケネス・スティーブン文
メラニー・ミッチェル絵
171×151㎜上製 27頁
C
5名様
サレジアニ・コオペラトーリの入会式。チャーベス総長とサレジアニ・コオペラトーリ世界会議の参加者
ソロモン諸島テテレ RTC の生徒・先生たちと DBVG メンバー
本書はホームページから
ダウンロードできる
終生誓願を立てた岩崎由美子シスター(左)と谷口暢子シスター
次号No.11は2013年7月発行予定です。「ドン・ボスコの風」バックナンバーは、
サレジオ会ホームページ http://salesians.jpでご覧いただけます。
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サレジオ家族 年間目標STRENNA 2013
教育者ドン・ボスコのように
慈愛に満ちた教育をとおして
喜びの福音を若者に伝えよう
2013 年のストレンナは、教育者ドン・ボスコに近
づくことを目指します。予防教育法を理解し、現代
に生かすため新たにすることです。ドン・ボスコの教
育を研究し、その教育・司牧の内容とアプローチを
現代に生きる私たち自身のものとしていきましょう。
現代社会で、ドン・ボスコがそうであったように聖
なる教育者となり、ドン・ボスコのように、若者と共
に、若者のために働きながら自分の人生を捧げるよ
う私たちは呼ばれています。
サレジオ会総長
パスクアール・チャーベス神父
2013 ストレンナ解説より
「主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい」
(フィリピの信徒への手紙 4 章 4 節)