SALESIAN BULLETIN JAPAN September 2012 チャーベス総長来日 特別号
─
─
2
回
目
の
来
日
で
す
ね
。
前
回
2
0
0
4
年
に
訪
問
さ
れ
た
時
の
印
象
は
い
か
が
で
し
た
か
?
サ
レ
ジ
オ
会
が
学
校
教
育
、
教
会
、
宣
教
活
動
な
ど
、
必
要
と
さ
れ
る
さ
ま
ざ
ま
な
場
で
サ
レ
ジ
オ
会
ら
し
く
存
在
し
て
い
る
こ
と
に
、
と
て
も
好
感
を
も
ち
ま
し
た
。
特
に
浜
松
で
は
ブ
ラ
ジ
ル
か
ら
の
移
民
を
サ
ポ
ー
ト
す
る
活
動
を
視
察
し
ま
し
た
。
宮
崎
で
は
、
サ
レ
ジ
オ
会
員
と
し
て
最
初
に
日
本
へ
渡
っ
た
チ
マッ
テ
ィ
神
父
の
働
き
を
思
い
起
こ
し
、
豊
か
な
実
り
を
目
に
す
る
恵
み
を
い
た
だ
き
ま
し
た
。
─
─
日
本
の
若
者
に
つ
い
て
、
ど
の
よ
う
な
印
象
を
も
た
れ
ま
し
た
か
?
日
本
の
文
化
に
深
く
根
ざ
し
、
東
洋
的
な
長
所
を
も
つ
若
者
た
ち
の
姿
が
印
象
的
で
し
た
。
た
と
え
ば
、
人
生
に
対
し
て
の
真
剣
さ
、
勤
勉
さ
で
す
。
自
分
さ
え
よ
け
れ
ば
で
は
な
く
、
良
い
国
で
あ
る
た
め
の
責
任
は
国
民
一
人
ひ
と
り
に
か
か
っ
て
い
る
こ
と
を
よ
く
自
覚
し
て
い
ま
す
。
技
術
面
で
の
能
力
の
高
さ
に
も
感
心
し
ま
し
た
。
─
─
若
い
頃
は
、
ど
ん
な
こ
と
が
好
き
で
し
た
か
?
私
は
、
い
ろ
ん
な
こ
と
に
興
味
を
も
つ
少
年
で
し
た
。
た
と
え
ば
、
幼
い
頃
か
ら
読
書
が
好
き
で
、
が
む
し
ゃ
ら
に
本
を
読
ん
で
い
ま
し
た
。
こ
れ
は
神
が
与
え
て
く
だ
さ
っ
た
大
き
な
恵
み
の
一
つ
で
す
。
そ
れ
か
ら
、
ス
ポ
ー
ツ
で
す
。
子
ど
も
の
頃
か
ら
野
球
を
し
て
い
ま
し
た
。
日
本
で
は
野
球
が
有
名
で
す
ね
。
ア
メ
リ
カ
合
衆
国
の
近
く
で
生
ま
れ
た
の
で
、
私
に
と
っ
て
野
球
が
一
番
身
近
な
ス
ポ
ー
ツ
だ
っ
た
の
で
す
。
好
き
な
チ
ー
ム
は
セ
ン
ト
ル
イ
ス
・
カ
ー
ジ
ナ
ル
ス
で
し
た
。
そ
の
後
は
バス
ケ
ッ
ト
ボ
ー
ル
、
そ
れ
に
ア
メ
リ
カ
ン
フ
ッ
ト
ボ
ー
ル
で
す
ね
。
サ
ッ
カ
ー
は
、
神
学
校
に
入
る
ま
で
は
し
た
こ
と
が
な
か
っ
た
で
す
(
笑
)。
あ
と
は
、
馬
に
乗
る
こ
と
、
陸
上
競
技
、
長
い
距
離
を
歩
く
こ
と
も
好
き
で
し
た
。
そ
れ
と
も
う
一
つ
の
趣
味
は
、
映
画
で
す
。
特
に
偉
大
な
監
督
た
ち
の
映
画
を
見
る
の
が
好
き
で
す
。
か
つ
て
神
学
校
の
院
長
を
し
て
い
た
時
は
、
神
学
生
た
ち
を
毎
年
国
際
映
画
祭
に
連
れ
て
行
っ
た
も
の
で
す
。
─
─
若
い
頃
は
ど
ん
な
夢
を
も
っ
て
い
ま
し
た
か
?
自
分
が
選
ん
だ
こ
と
を
幸
せ
に
生
き
る
、
と
い
う
こ
と
で
す
。
私
は
11
歳
の
時
に
志
願
院
に
入
り
ま
し
た
が
、最
初
の
瞬
間
か
ら
自
分
の
家
に
い
る
よ
う
な
気
持
ち
で
し
た
。
と
て
も
家
庭
的
で
、
刺
激
に
あ
ふ
れ
た
環
境
で
し
た
。
読
書
を
し
た
い
、
ス
ポ
ー
ツ
を
し
た
い
、
成
長
し
た
い
と
、
多
く
の
こ
と
を
望
ん
で
い
ま
し
た
が
、
私
は
自
分
が
望
む
こ
と
を
す
べ
て
志
願
院
で
見
つ
け
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
時
が
た
つ
に
つ
れ
て
成
熟
し
、
サ
レ
ジ
オ
会
の
司
祭
に
な
り
た
い
と
い
う
動
機
を
明
確
に
し
、
神
か
ら
与
え
ら
れ
た
使
命
(
召
命
)
を
識
別
し
、
そ
の
道
を
生
き
る
た
め
に
自
分
自
身
を
磨
い
て
い
き
ま
し
た
。
─
─
好
き
な
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
言
葉
は
何
で
す
か
?
ド
ン・ボ
ス
コ
の
有
名
な
人
生
の
モ
ッ
ト
ー
「
私
に
魂
を
与
え
、
他
の
も
の
は
取
り
去
っ
て
く
だ
さ
い
」
と
い
う
言
葉
で
す
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
生
き
方
の
ポ
ジ
テ
ィ
ブ
さ
に
、
私
は
と
て
も
ひ
か
れ
ま
す
。
彼
は
と
て
も
人
間
味
あ
ふ
れ
る
人
で
し
た
。
た
と
え
ば
、
ど
ん
な
若
者
も
聖
人
に
な
れ
る
こ
と
、
ど
ん
な
に
不
遇
な
状
況
に
あ
る
若
者
で
も
善
に
向
か
う
チ
ャ
ン
ス
が
あ
る
こ
と
を
信
じ
、
教
育
者
と
し
て
そ
の
芽
を
発
見
し
、
育
て
、
サ
レ
ジ
オ
会
総
長
特
別
イ
ン
タ
ビ
ュ
ー
Special interview
「
いつ
も
明
る
く
前
向
き
に
、情
熱
を
も
っ
て
」
今
回
の
来
日
に
先
立
ち
、
サ
レ
ジ
オ
会
総
長
パ
ス
ク
ア
ー
ル・チ
ャ
ー
ベ
ス
神
父
に
、
今
年
5
月
、サ
レ
ジ
オ
会
ロ
ー
マ
本
部
に
て
イ
ン
タ
ビ
ュ
ー
。
日
本
の
人
び
と
へ
の
思
い
、
若
者
へ
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
語
っ
て
い
た
だ
き
ま
し
た
。
@
サ
レ
ジ
オ
会
ロ
ー
マ
本
部
SALESIAN BULLETIN JAPAN September 2012 チャーベス総長来日 特別号
強
め
て
い
く
と
い
う
使
命
に
情
熱
を
注
ぎ
ま
し
た
。
ド
ン
・
ボ
ス
コ
は
、
若
者
の
幸
せ
の
た
め
に
生
涯
を
さ
さ
げ
よ
う
と
望
み
ま
し
た
。
自
分
の
存
在
は
、
人
の
た
め
、
若
者
の
幸
せ
の
た
め
に
、
神
か
ら
与
え
ら
れ
た
贈
り
物
な
の
だ
と
理
解
し
た
の
で
す
。
私
も
心
か
ら
そ
う
あ
り
た
い
と
願
っ
て
い
ま
す
。
私
も
若
者
と
出
会
う
と
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
よ
う
に
「
私
の
人
生
は
君
た
ち
の
た
め
に
あ
り
、人
生
を
君
た
ち
と
共
に
分
か
ち
合
い
、
君
た
ち
と
共
に
幸
せ
に
な
り
た
い
」
と
呼
び
か
け
た
く
な
り
ま
す
。
─
─
日
本
の
皆
さ
ん
に
メ
ッ
セ
ー
ジ
を
い
た
だ
け
ま
す
か
?
ま
ず
若
者
た
ち
へ
。
日
本
の
若
者
の
皆
さ
ん
に
は
、「
私
は
君
た
ち
が
今
も
、
こ
れ
か
ら
も
ず
っ
と
幸
せ
で
あ
る
こ
と
を
願
っ
て
い
ま
す
」
と
い
う
ド
ン
・
ボ
ス
コ
の
願
い
を
伝
え
ま
し
ょ
う
。
幸
せ
で
あ
る
た
め
に
、
1
つ
目
に
、
明
る
く
前
向
き
な
見
方
を
身
に
つ
け
て
く
だ
さ
い
。
自
分
自
身
に
つ
い
て
、
自
分
の
可
能
性
に
つ
い
て
、
家
族
に
つ
い
て
、
社
会
で
の
生
き
方
に
つ
い
て
、
明
る
く
前
向
き
に
物
事
を
見
る
の
で
す
。
そ
れ
ら
の
中
に
良
い
も
の
、
美
し
い
も
の
、
真
実
な
も
の
を
見
い
だ
す
こ
と
が
で
き
れ
ば
、
私
た
ち
は
幸
せ
だ
か
ら
で
す
。
2
つ
目
に
、「
若
者
た
ち
の
未
来
は
、
若
者
自
身
の
手
の
中
に
あ
る
」
こ
と
を
理
解
し
て
く
だ
さ
い
。
若
さ
と
思
春
期
が
大
切
な
の
は
、
そ
れ
が
ま
さ
に
人
生
の
大
き
な
選
択
を
す
る
時
だ
か
ら
で
す
。
若
者
た
ち
の
あ
ら
ゆ
る
能
力
や
可
能
性
を
伸
ば
し
て
お
け
ば
、
将
来
自
信
を
も
ち
、
喜
び
と
落
ち
着
き
を
も
っ
て
人
生
に
立
ち
向
か
う
こ
と
が
で
き
る
力
を
も
つ
こ
と
が
で
き
ま
す
。
3
つ
目
に
、
ド
ン
・
ボ
ス
コ
も
言
っ
て
い
ま
す
が
、「
神
は
幸
せ
に
対
す
る
脅
威
で
は
な
い
」
と
い
う
こ
と
で
す
。
そ
う
で
は
な
く
、
幸
せ
で
あ
り
な
が
ら
、
神
に
仕
え
る
こ
と
が
で
き
る
の
で
す
。
─
─
サ
レ
ジ
オ
家
族
の
皆
さ
ん
に
。
私
た
ち
は
「
サ
レ
ジ
オ
家
族
の
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
ー
の
憲
章
」
を
定
め
ま
し
た
。
こ
の
憲
章
は
と
て
も
貴
重
な
贈
り
物
で
す
。
私
た
ち
の
ア
イ
デ
ン
テ
ィ
テ
ィ
ー
の
た
め
に
、
グ
ル
ー
プ
の
た
め
に
、
グ
ル
ー
プ
間
で
よ
り
多
く
の
相
乗
作
用
を
生
み
出
す
た
め
に
、
私
た
ち
の
い
る
場
所
で
よ
り
し
っ
か
り
し
た
存
在
を
確
立
す
る
た
め
に
、
ぜ
ひ
学
ん
で
く
だ
さ
い
。
同
時
に
、
そ
れ
ぞ
れ
の
グ
ル
ー
プ
は
自
立
し
て
い
る
こ
と
、
し
か
し
共
通
の
ビ
ジ
ョン
を
も
っ
て
達
成
す
べ
き
大
き
な
目
的
を
目
指
し
な
が
ら
共
に
働
く
と
い
う
こ
と
を
学
び
ま
し
ょ
う
。
─
─
被
災
者
の
皆
さ
ん
へ
。
私
は
あ
の
津
波
の
映
像
を
前
に
し
て
大
変
心
を
痛
め
て
い
ま
し
た
。
同
時
に
私
は
、
こ
の
艱かん
難なん
を
前
に
し
て
の
日
本
人
の
姿
に
、大
変
感
銘
を
受
け
ま
し
た
。
そ
の
団
結
力
、
連
帯
感
、
他
人
へ
の
意
識
、
決
し
て
落
ち
込
む
こ
と
な
く
新
し
い
社
会
を
築
い
て
い
こ
う
と
い
う
姿
勢
。
こ
の
よ
う
な
苦
難
を
前
に
し
て
い
つ
も
「
な
ぜ
こ
ん
な
こ
と
が
起
こ
る
の
か
?
」
と
い
う
疑
問
が
浮
か
び
上
が
り
ま
す
。
そ
の
明
ら
か
な
答
え
は
決
し
て
見
つ
か
る
も
の
で
は
あ
り
ま
せ
ん
。
次
に
起
こ
っ
て
く
る
疑
問
は
「
神
は
ど
こ
に
い
る
の
か
?
」
と
い
う
こ
と
で
す
。
私
た
ち
は
イ
エ
ス
の
十
字
架
を
黙
想
し
な
が
ら
、
こ
う
言
わ
な
く
て
は
な
り
ま
せ
ん
。「
神
は
共
に
そ
こ
に
い
る
の
で
す
」
と
。
神
は
こ
の
不
当
な
苦
し
み
を
共
に
し
な
が
ら
、
そ
こ
に
い
る
の
で
す
。
と
同
時
に
、
神
は
そ
の
希
望
を
も
私
た
ち
と
共
に
し
て
く
だ
さ
っ
て
い
ま
す
。
そ
の
希
望
と
は
、
最
後
に
残
る
の
は
死
で
は
な
く
、
唯
一
死
に
打
ち
勝
つ
こ
と
が
で
き
る
「
愛
」
な
の
だ
、
と
い
う
こ
と
な
の
で
す
。
●
パスクアール・チャーベス
総長
Fr. Pascual Chávez V.
1947 年メキシコ北部のレアル・ド・
カトルセで生まれる。11 歳でサレジ
オ志願院に入り、26 歳で司祭叙階。
ローマ教皇庁立聖書研究所で聖書学
修士課程修了、スペイン・サラマンカ
大学で聖書学博士課程修了。メキシ
コのサレジオ神学院院長、グァダラハ
ラ管区管区長、 最高評議会の北・中
米地域顧問を歴任。2002 年 4 月 3
日よりサレジオ会総長を務める。
趣味はスポーツ、 読書、 映画鑑賞。
語学が得意で、 スペイン語のほか英
語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、
ヘブライ語を話す。
略歴
SALESIAN BULLETIN JAPAN September 2012 チャーベス総長来日 特別号
ドン・ボスコはサレジオ
会の宣教師を海外へ派遣し
続け、いつか日本に渡るこ
とも夢見ていました。日本
には、サレジオ会の宣教活
動 50 周年記念事業として
1925 年に派遣され、翌年チマッティ神父を団長とする 9 人の会
員が来日。1927 年、宮崎・大分両県の宣教司牧を委託されまし
た(後に大分教区に移譲)。1937 年 12 月 20 日、サレジオ会日
本管区として独立。日本からは韓国とソロモン諸島に宣教師を派
遣し、サレジオ会事業を開始してきました(韓国は 1972 年に準
管区に独立、ソロモン諸島は 2005 年にフィリピン管区に移管)。
日本のサレジオ会の事業 ────────
■ 教会・ユースセンター・滞日外国人支援
宮崎でサレジオ会の事業をスタートして以来、数多くの教会の
設立・司牧にたずさわってきました。現在、中津 (1927 年司牧
開始)、別府(1932 年)、三河島(1933 年)、碑文谷(1949 年)、
下井草 (1949 年)、杵築(1953 年)、調布 (1954 年)、足立 (1967
年)、鷺沼(1971 年)、愛野(1974 年)、大和(2005 年)、浜松(2007
年)、鈴鹿(2008 年)の各教会を担当し、滞日外国人の司牧も行っ
ています。ユースセンターの活動など子どもたちの活気であふれる
のもサレジオの教会の特徴です。
■ 出版・メディア
日本語習得や大恐慌による経済的問題に苦
労しながらも、来日 2 年後の1928 年、月刊「カ
トリック生活」の前身となる「ドン・ボスコ」を
創刊。1930 年には出版事業部ドン・ボスコ社
をスタート。出版物やメディアをとおして、ドン・ボスコの精神と
キリストの福音を発信しています。
■ 児童福祉
貧しくよりどころのない子どもた
ちのための寮に始まり、終戦後は
戦災孤児救済のために孤児院を設
立。現在は児童養護施設や保育園
を運営しています。
● 聖ヨゼフ寮(1933 年創立)
● ドン・ボスコ保育園(1934 年)
● 東京サレジオ学園(1946 年)
■ 学校教育
ドン・ボスコの予防教育法の実践を通して、カトリック精神に基
づいたよき社会人を育成することを目標に学校教育を行っています。
● サレジオ高専(1934 年創立)
● 日向学院中学校・高等学校(1946 年)
● サレジオ小学校・中学校(1947 年)
● 大阪星光学院中学校・高等学校(1950 年)
● サレジオ学院中学校・高等学校(1960 年)
● 目黒サレジオ幼稚園(1949 年)
● 海の星幼稚園(1952 年)
● 足立サレジオ幼稚園(1967 年)
● サレジオ学院幼稚園(1968 年)
● 小さき花の幼稚園(1974 年)
■ 青少年司牧・ボランティア
毎年夏に小中学生を対象に開催する「野尻湖少年聖書学校」
は 40 回を迎えました。「ドン・ボス
コ海外青年ボランティアグループ」
は、2011 年に 20 周年を迎えました。
国内でのボランティア活動も実施。
若者たちが出会い、さまざまな経験
を分かち合う場を運営しています。
■ 神学院・修道者養成
将来司祭・修道者になることをめ
ざして共同生活する志願院、神学院を開設。現在は三重のジュ
ニア志願院、東京のシニア志願院・神学院で、若者たちがサレ
ジオ会員への道を歩んでいます。
サレジオ会
日本管区誕生75周年
75th Anniversary
of Japan Province
2012 年 12 月 20 日、
サレジオ会日本管区は誕生 75 周年を迎えます。
SALESIAN BULLETIN JAPAN September 2012 チャーベス総長来日 特別号
ドン・ボスコの精神を受け継ぐ修道者・信徒・協力者たち
を、サレジオ家族(サレジアンファミリー)と呼んでいます。
世界 130 以上の国で、30 団体、40 万人以上のメンバーが、
学校、教会、社会生活のさまざまな場面で青少年や貧しい
人々のために奉仕しています。
日本では 8 グループのサレジオ家族が活動しています。
日本のサレジオ家族
Salesian Family in Japan
サレジオ会
世界の会員数:16,000 人
日本の会員数:109 人(13 支部)
青少年のために働く男子修道会。1859
年、ドン・ボスコにより創立。日本では、
教会・ユースセンター、学校教育、児童
福祉、出版、滞日外国人の支援、国際
ボランティアなどの事業に携わり、とく
に青少年教育とキリストの愛を伝えるた
めに献身しています。
サレジアニ・コオペラトーリ
世界の会員数:30,000 人
日本の会員数:136 人(12 支部)
サレジオ会やサレジアン・シスターズの
指導を受けながら協働者として生きる一
般信徒の会。1876 年、ドン・ボスコに
より創立。社会生活を営みながら、弱
い立場の人、特に青少年に強い関心を
持ち、教会の一員として奉仕しつつ、自
己の養成に励みます。
サレジアン・シスターズ
世界の会員数:13,400 人
日本の会員数:254 人(15 支部)
青少年のために働く女子修道会。1872
年、ドン・ボスコとマリア・マザレロに
より創立。日本では、教会・ユースセン
ター、学校教育、児童福祉、国際ボラ
ンティア、カウンセリング、滞日外国人
の支援などの事業に携わり、青少年のた
めに献身しています。
VDB (ドン・ボスコ女子在俗会)
世界の会員数:1,300 人
日本の会員数:3 人
1917 年、サレジオ会第 4 代総長のリ
ナルディ神父により創立。召命の場は各
自の生活の場、特に職場と教会にあり、
仕事においてプロであること、経済的
な自立、精神的な成熟が求められます。
VDB には三誓願があり、奉献者である
ことには沈黙を守ります。
扶助者聖マリアの会 (ADMA)
世界の会員数:35,000 人
日本の会員数:17人
御聖体の崇敬と扶助者聖マリアの信心
を促進する信徒の祈りの会。1869 年、
ドン・ボスコにより創立。聖マリアを模
範とし、教会と一致しながら典礼・聖体・
ゆるしの秘跡を中心とした信仰生活を求
め、若者と司祭・修道者の召命のため
に祈ります。
ウニオーネ
(扶助者聖母会同窓会世界連合)
サレジアン・シスターズの学校・施設で
身につけた精神を実社会の中で継続し
て生かし、証しすることを目的としてい
ます。
イエスのカリタス修道女会
世界の会員数:1,000 人
日本の会員数:450 人(47 支部)
とくに貧しく小さい人びとのために働く
女子修道会。1937 年、カヴォリ神父と
チマッティ神父により日本で創立。現在
は 15 か国に広がり、児童福祉、高齢
者福祉、医療、教会、学校教育などの
事業に携わり、人びとに神の愛を伝える
ために献身しています。
サレジオ会同窓会世界連合
サレジオ会の学校・施設で身につけた人
間的・宗教的価値観を分かち合い、証し
することを目的としています。
※データは 2012 年 1 月現在
Facebook ページ
http://www.facebook.com/dbnokaze
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SALESIAN BULLETIN JAPAN 総長来日特別号 2012年9月20日発行 編集・デザイン制作/ドン・ボスコ社 発行/カトリック・サレジオ修道会
© カトリック・サレジオ修道会 2012
サレジオ会の歴代総長たち
1841 年、ドン・ボスコは貧しくよりどころのない若者たちのために、イタリ
アのトリノで「オラトリオ」を始めました。オラトリオは運動場、夜間学校、
仲間作りと祈りの場となり、やがて寮、職業学校、普通科学校もできました。
1859 年 12 月 18 日、ドン・ボスコと一緒に働きたいと願う17 人の教え子
たちと共に、神と助けを必要とする青少年のために生きる「サレジオ会」とし
て歩み始めます。ドン・ボスコの精神はサレジオ会員やサレジオ家族に受け
継がれ、現在では世界 130 以上の国に広がっています。
ミケーレ・ルア
(1837 〜 1910)
【在任期間 1888 〜 1910】
K第2代L
ドン・ボスコの教え子として
精神を忠実に伝え、会の基盤
作りと海外宣教に尽力。
ピエトロ・リカルドーネ
(1870 〜 1951)
【在任期間 1932 〜 1951】
K第5代L
教育事業、 宣教師派遣、 出
版など、 会の事業を組織化し
飛躍的に発展させた。
エジディオ・ヴィガノ
(1920 〜 1995)
【在任期間 1977 〜 1995】
K第8代L
教皇とバチカンのために貢献
し、 第三世界の問題にも取り
組んだ。1987 年来日。
パオロ・アルベラ
(1845 〜 1921)
【在任期間 1910 〜 1921】
K第3代L
サレジオ会の霊性を深め、卒
業生や協力者と協働するよう
精神を広めた。
レナート・ジジョッティ
(1892 〜 1983)
【在任期間 1952 〜 1965】
K第6代L
戦後の混乱期に世界中を視
察、 会全体の連帯感を強め
活気づけた。1955 年来日。
フアン・ベッキ
(1931 〜 2002)
【在任期間 1996 〜 2002】
K第9代L
対 話と発 信により、 青 少 年
司牧の刷新と活性化に尽力。
1993 年副総長として来日。
知的で明晰な精神をもち、忍耐
強く対話する行動の人。聖書学
者。2004年、2012年来日。
ジョヴァンニ・ボスコ
(1815 〜 1888)
【在任期間 1859 〜 1888】
K初代・創立者L
若者たちのための教育と魂の
救いのために生涯をささげ、
サレジオ会を創立。
フィリッポ・リナルディ
(1856 〜 1931)
【在任期間 1921 〜 1931】
K第4代L
初代スペイン管区長。サレジ
オ家族を発展させ、チマッティ
神父を日本に派遣。
ルイジ・リッチェリ
(1901 〜 1989)
【在任期間 1965 〜 1977】
K第7代L
第 2 バチカン公会議による変
革にあわせ、サレジオ会会憲
を改訂。1974 年来日。
パスクアール・チャーベス
(1947 〜)
【在任期間 2002 〜】
K第10代・現総長L
Successors of Don Bosco