Carlo Della Torre

Sal. Sts. Carlo Della Torre (1900/07/09)


 カルロ・デラ・トルレは19000709日に、ミラノ県のチェルヌスコ・スル・ナヴィルョで生まれた。父はアントニオで、母はフィロメーナであった。カルロは七人兄弟の四番目であった。1917年に、第一次大戦が勃発すると、徴兵されて、復員すると父の臨終に与った。

 そこで家族に対する責任をもった。しかし1923年に、司祭、宣教師の召命に従うために、サレジオ会のカルィエーロ枢機卿の学校に入学した。三年間で高等学校の課程を完了した。1926年に家族に最後の別れを告げて、中国に出発した。そこの頂上方は彼を新開のタイ国の宣教地に回した。タイ国の本部のバン・ノック・クエックで初請願を立てた。

 御摂理によって、奉公人たちの指導、霊的指導までも、彼に任された。奉公している女子たちとの交際の結果、「この女たちを集めて、地元の修道女会を創立して、教会と教会管理の学校の整備、寄宿舎の炊事と洗濯、また、子供に、秘蹟を受けるための準備としての教理授業、などのような務めを果たさせるという勧めを聖母マリアから受けた」と言った。

 1936年にカルロは司祭に叙階された。第二次大戦後、初期の事業に完全に専念するために、頂上方との相談の上、サレジオ会を退会し、バンコク司教区に依拠すると言う痛ましい決定に達した。創立者としてカルロ神父は、ドン・ボスコとドン・ヴァリアーラと同様に、苦しむけれども、主の御旨に従うと言う確信をもって、その道を続ける。彼にとっても、シスターズにとっても、非常に難しい期間であった。お金もなく、住居もなく、仕事もなく、悲惨な状況であった。古着を繕って安く売って生活の糧を得た。司教様の許しを得て、神父は修道女会の認可を得るために、最初の改憲の草案をローマに送った。1955年に最初の七人のシスターズは初誓願を立てた。修道会の名は「無原罪の聖母の王位の娘たちの世俗会」となった。

 もう当分前からカルロ神父はサレジオ会に帰還を願っていた。司教様が許したのは、神父がもう八十歳になってからである。1982 04 04日に、バンコクで、サレジオ会員として亡くなった。列福調査は20030117日に始まって、進行中である。

 当面、無原罪の聖母の王位会には、誓願修道女は48人、修練者は四人、志願者は36人で、ドン・ボスコとドン・カルロのサレジオ会的精神で、その会の五箇所の施設で活躍している。