幼子の分かち合い
私は、修練期のころから宣教師になりたいという望みを抱くようになりました。ただ
で受けたものをただで与えるということを、強く信じていました。ドン・ボスコの道に従
うキリストの愛。この特別な表現は、本当に私の心を満たしてくれます。宣教師たちがい
なかったなら、私の国には今のように多くのサレジオ会の事業もなく、多くの子どもたち
が世話を受けることもなかったでしょう。宣教師としての私の召命は、実地課程を過ごし
たすべての支部で強められました。52 年以上の経験を持つフランス人会員ゲズー神父のよ
うな偉大な宣教師と使徒職や生活を共にしたこと、また 20 年以上アフリカで働いているインド人のジョン・ヴィジ
リウス神父との出会いは、宣教への情熱を強める重要な体験でした。
私の宣教地、カンボジアに到着したとき、私は熱意にあふれていました。しかし、2 日もたたないうちに腸チフス
にかかり、一週間寝込んでしまいました。私はとても落ち込みました。幸い、一週間後に起き上がり、いつもの自分
に戻れました。また、子どもたちや人々と話したいと思いましたが、できませんでした。幼い子どものように無力で
した。これは本当に意気をくじかれる体験です。自分の国にいるかぎり、コミュニケーションに不可欠なもの――言
葉の大切さを見過ごしているということを私は理解しました。人々、特に生徒たちは、自分たちのニーズに私が「イェ
ス・マン」になって応えるかぎり、サレジオ会員として私を受け入れてくれる、
というのが私の最初の印象でした。
今は、少しずつですが、だいぶよくなりました。人々がクメール語で話すのに
すっかり馴れました。言っていることがすべてわかるわけではありませんが、来
たばかりのころのように異質な言葉のようには感じなくなりました。今では、人々
や子どもたちが心から私のことを友人、兄弟として受け入れてくれていることを
知っています。新たな文化、新たな人々との出会いの最初の時期を通して、共同
体の支えと導きを私は身をもって感じました。それはいつも、私の拠りどころで
した。
今は、ここでわが家にいるように感じ、カンボジアは私の国だとさえ生徒たち
に話しています。日々、仕事はたくさんあるので、外国にいるということを忘れ
ていることもしばしばです。ここを気に入っています。良い人たちの中で、すば
らしい仕事があります。私にとって、まさに日々、ヴァルドッコの体験です。ここカンボジアにいることは、ダマス
コへの途上のサウルの体験、主を見たという体験を思い起こさせます。ドン・ボスコの時代のヴァルドッコにいるよ
うな体験なのです。
在カンボジア宣教師 チャールズ・アルン・マイケル修道士 SDB
宣教の炎を燃やすために、私たち自身、燃え立っていること
私たちは、イエスの物語への新たな洞察を、それぞれの共同体へ持ち帰ります。私たちは、
若い心に宣教の炎の火をともすような、生き生きとした、心を奮い立たせるような物語をも
たらすため、燃え立つことを望みます。悪霊から解放された人へのイエスのことばに従いた
いと望みます。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたをあわれみ、あなた
にしてくださったことをことごとく知らせなさい。」(マルコ 5・19)
アジア宣教大会 タイ、チェンマイ(2006)
南アジア地域のために
南アジア地域、特にパキスタンで働くサレジオ会員が、私たちとほかのキリスト教諸教会の兄弟姉妹を結ぶ橋を
築くことができますように。
南アジア地域のすべての国のキリスト者の割合は、 人口の 1 ‐ 2%しかありません。
ほかのキリスト教共同体の兄弟姉妹と関係を築くことは、 容易でないこともあります。
キリスト者のおもな関心が非キリスト者に向けられているためです。 同時に、 圧倒的
にキリスト教以外の宗教が大勢を占める環境にあって、 より信頼できる福音のあかし
のため、 キリスト教諸教会が互いに一致の交わりをもつ必要があることを私たちは確
信します。
ご意見は segrgia@donboscojp.org まで