ラオスからの手紙
ラオスのビエンチャンからこんにちは。私は
カリエロ枢機卿の宣 教 志願院の同窓生です。
宣教志願院で4年間学び、宣教師に志願しま
した。1958 年にタイに派遣され、さまざまな
分野、特に学校や養成支部で働きました。
1989 年、カンボジアとラオスからの難民のための活動
にたずさわるようになりました。そして 1991 年、私たちはカンボ
ジアの首都プノンペンで、地元の貧しい若者たちのため、最初の技
術訓練校を開きました。
1994 年、私たちはラオスで地元の貧しい若者たちのための技術
訓練校を開くために招かれました。できるかぎりのことをしました
が、多くの困難に直面しました。
とうとう 2004 年、ラオスの首都ビエンチャンで、二つ目のプロ
ジェクトを試みました。初めから大きな困難が予想されました。ラ
オスは共産主義の国だからです。そのため、聖母の保護を願って、
5 月 24 日に仕事に取りかかりました。5 人の最初のラオス人同窓生
と、コオペラトーリでもある教師が私たちを助けてくれました。
聖母とドン・ボスコの助けによって、多くの困難を乗り越え、今、
ドン・ボスコ・センターはラオス各地から来た貧しい若者たちを助
けています。若者たちにはしっかりしたサレジオの教育を提供し、
職業訓練によって誠実に生きられるように助け、ひいては若者たち
の家族、地元の社会を助けています。
ティト・ペドロ神父
イタリア人宣教師 ラオスのサレジオ会事業責任者
アジアは宣教師を歓迎し、また派遣する!
《今日、アジアのほとんどの地域は、ほかの地方教会から奉仕
に来る宣教師を、引き続き必要としています。ほかの国々か
ら私たちのもとへ来る宣教師たちを、歓迎します。地元の教会
の一部となり、人々と一つになることだけを宣教師に願います。
私たちの地元の教会は、その最良の息子、娘たちを、アジアや
ほかの大陸の姉妹教会に派遣できるようになってきています。》
アジア司教協議会連盟
仏教国、ラオス。その中で教会はここ数年、
比較的自由に活動しており、現在、4つの
使徒座代牧区がある。
1994 年、ラオスの駐タイ大使がプノンペ
ンのサレジオ会の技術訓練校開校式典に参
加、数週間後、同様の学校をラオスに開設
したいと、バチカン大使に援助を求めた。
バチカン大使はタイのサレジオ会にこの要
請を伝えた。ラオス政府代表者との折衝が
すぐに始まったが、政府側の決定が何もな
いまま暗礁に乗り上げた。
翌年の 5 月 24 日、ペドロ神父、教師のサ
ンヤ氏、そして同窓生の 5 人のラオス人は、
ラオスの首都ビエンチャンに到着。法的に
認可された組織としてサレジオ会の事業を
始めることになった。運営は 5 人のラオス
人同窓生に任され、サレジオ会が財政支援
と監督を行う。その組織はミトラ・サンファ
ン(友情の絆)と名づけられた。
生徒の数は増え、我々の活動とミトラ・
サンフォンの取り組みについて知ろうとす
る政府の役人による訪問が何度かあった。
一時的な閉鎖を含む多くの困難の後、2007
年、とうとう政府は我々の技術訓練センター
に認可を与えた。
2007 年 5 月、ラオスのさまざまな省庁の
代表者がプノンペンとバンコクのドン・ボ
スコ技術訓練校を訪れ、サレジオ会の学校
の教育法と共に管理運営の方法を視察した。
2008 年、ミトラ・ サンファンが手狭にな
り、共産青年団の責任
者たちの助けにより、
新しいキャンパスの土
地購入の許可が政府
から下りた。2009 年、
新しい場所にドンボ
スコ・センター・ラオスが開
設された。
南アジア、東アジアのサレジオ会員のために
南アジア、東アジアの国々のサレジオ会員が、勇気と堅忍をもって、特に
教育事業・社会事業において、信仰のあかしと教会への忠実を日々生きるこ
とができますように。
教会が少数派であるアジアでは、 正規教育 (学校、 職業訓練校) と社会事業 (ス
トリートチルドレン、 孤児院、 危険にさらされた若者、 HIV 感染者のための活動) は、
数多くの未信者の若者との接触を保つ最良の機会となります。 祈りの意向はおもに、 イ
ンド、 パキスタン、 バングラデシュ、 スリランカ、 中国、 ミャンマー、 ベトナムのためで
私たちは忘れない!
す。 サレジオ会員が、
合えますように。
その機会を生かし、
生活のあかしと対話を通して信仰を分かち
問い合わせ・ご意見は、cagliero11@gmail.com へ