サレジオ会修道士のアイデンティティー
青少年に奉仕する奉献された信徒
ジョン・M・レイザー
サレジオ会会憲の第45条は、共同体におけるサレジオ会修道士の位置づけを、叙階された会員のそれと平行した形で扱うために細心の注意を払っています。(この記事の多くはJohn Rasor, The Spiritual Identity of the Salesian Brother in the Light of Official Salesian Documents (サレジオ会公式文書に照らして見たサレジオ会修道士の霊的アイデンティティー、ローマ、UPS博士論文)から引用している。同論文は、ドン・ボスコの非公式の言葉および1858年から出版の時点にかけてのすべての文書を網羅している。)サレジオ会修道士が共同体の不可欠な一部分であり、付け足しの、あるいは従属的な召命ではないことを、第45条は明確に示しています。
私たち一人ひとりは共同の使命の責任を担っており、個々に与えられている賜物の豊かさをもって、また唯一のサレジオ会召命における信徒、あるいは司祭としての特質をもって使命にあずかります。
サレジオ会修道士は、教育と司牧活動のあらゆる分野に自らの信徒としての身分の固有な資質をもたらします。信徒性の固有な資質は、青少年と職業生活の現実の近くに身を置く修道士を、特別な意味でこの世における御国のあかし人とします。(サレジオ会修道士は、この世界との特別な結びつきを持っている。Rasor, “The Concept of Secularity in Salesian Cocuments”(サレジオ会文書における在俗性の概念), Journal of Salesian Studies Ⅶ:2(Fall 1996), 167-214参照)
サレジオ会司祭あるいは助祭は、人間性向上の促進と信仰教育という共同の仕事に自らの奉仕職の固有な資質をもたらします。その固有な資質は、司祭あるいは助祭を、特に福音を伝え秘跡を執り行うことを通して、善き牧者キリストのしるしとします。
共同体における、叙階された会員と信徒会員の意義深く補完的な存在は、共同体の成り立ちと使徒的完全さの不可欠な要素となっています。(会憲第45条)
しかし、この条文の趣旨はいまだ実現が待たれます。私たちが賢明にも自分たちを総称して“Salesian Fathers”(サレジオ司祭)と呼ばなくなったにもかかわらず、外部の一部の人たちはいまだにそう呼んでいます。サレジオ会修道士のアイデンティティーの理論的位置づけはよくなされているものの、その適用は十分でないように思われます。
どうしてこのようになったのでしょうか。本研究は、ドン・ボスコがサレジオ会の礎を築いているころのサレジオ会公文書にサレジオ会修道士の召命がどのように表れているか、また会憲の改訂の一部として、会がこの召命についてどのように理論的考察を行ったかを見ていきます。それから、このアイデンティティーがどのように適用されてきたかを考察します。したがって、本研究は、修道士のアイデンティティーが創立者のカリスマからインスピレーションを汲むこと、また第二バチカン公会議の精神のうちに刷新されることを示します。実に会は、この召命のうちに聖性への道を見いだし、これを霊的アイデンティティーとしているのです。
この研究の題は、このアイデンティティーの三つの要素を提起します。信徒、修道者、そして青少年への奉仕者です。取り上げる文献や実践におけるそれぞれの要素の発展をたどってみます。
創立期の文献
ここで、ドン・ボスコがサレジオ会員たちのために書いた法規あるいは「会憲」と、第3回および第4回総会の文書(この二つの総会の結論は、Deliberazioni del Terzo e Quarto Capitolo Generale della Pia Società Slesiana…(San Benigno Canavese:Tipografia Salesiana, 1887)[=GC3-4]として、またOE XXXVI:253-280の中にまとめられている。また部分的にGiovanni Battista Lemoyne, Eugenio Ceria, Angelo Amadei, Memorie Biografiche di San Giovanni Bosco(Torino:SEI, 1898-1939, 19 vol.)[=MB]XVIII:691-704(付録36-40)に取り上げられている。職人と修道士のテーマは、付録39に再度取り上げられている)を考察します。どちらの文献にもサレジオ会の信徒会員(lay members)と“coadjutors”(補佐)に関する資料を見いだすことができます。この二つの用語はサレジオ会的な意味において似ていますが、全く互換性のあるものではありません。
名称
“coadjutor”という名称はどこから来ているのでしょうか。また、トリノの聖フランシスコ・サレジオのオラトリオで使われていた名称として、ほかにどのようなものがあったのでしょうか。
ドン・ボスコとマンマ・マルゲリータが貧しいピナルディ小屋に少年たちを受け入れはじめたとき、その中には学生も職人もいました。学生は、人文科学や一般教養の課程で学ぶ少年たちで、そのコースは社会の専門職、教師、文筆家、役人、聖職者などに通じるものでした。他方、職人は、仕立て屋、靴屋、鋳掛け屋、彫刻師や塗装工、彫り物師、石工、鉄工など、何らかの職業を学ぶかその職に就いている若者たちでした。産業社会以前の時代、こういった見習い職人は親方の下で仕事を手伝うために雇われていました。あるいはせいぜい、独立した小規模の事業主に雇われていました。ドン・ボスコが最初に世話をした、困窮した職人見習いの少年たちは、彼と共にピナルディ小屋と家に住みながら、町に働きに出ました。ドン・ボスコは、少年たちの道徳的養成の面倒も見てくれるよい雇い主が見つかるよう、彼らを助けました。(Michael Ribotta, “Training Boys to Earn a Living: The Beginnings of Vocational Education at the Oratory”(生計を立てるための少年たちの養成: オラトリオにおける職業教育の始まり), in JSS IV: 1 (Spring 1993), 61-86.参照)初期の学生たちもオラトリオの寮からでかけ、彼らの場合は町にある近くの私立学校に通って学びました。ドン・ボスコはどちらの状態についても満足していませんでした。
1853年から1862年にかけて、ドン・ボスコは仕立て、製靴、木工、印刷と製本、鉄工の作業所を作りました。作業所は、衣服、靴、家具を修繕し、オラトリオのためのしだいに増えていく出版物を印刷し、拡張するオラトリオ施設の建設とメンテナンスのために貴重な助けとなりました。これらすべてに加え、自分の作業所で少年たちを学ばせることにより、ドン・ボスコは少年たちの道徳的養成により確かさを感じることができました。作業所が拡張するにしたがい、ドン・ボスコはその運営を任せるために地元の職人を雇いました。その結果はよしあしありました。(サレジオ会の職業・専門教育の歴史については、興味のある読者は次の文献から読み始めることをお勧めする。Peitro Broccardo, Nicola Cerisio, Renato Romaldi編, Atti del Convegno Mondiale dei Coadiutori Salesiani (SGS, Roma 1976)[=ACMSC]の Pietro Stella, “I Coadiutori Salesiani (1854-1974): appunti per un profilo storico socio-professionale”, 英訳はActs of the World Congress of Salesian Brothers (Madras: SIGA, 1976)[=AWCSB]
1854年に始まり、“coadjutors”(補佐)と呼ばれる人々がオラトリオの名簿に登場します。彼らは家の中の仕事をする人々として、狭く定義されています。料理人、給仕、洗濯室や被服室の助手です。この人々は職人ではなく、作業所では働かなかったということに注目してください。(Pietro Stella, I Coadiutori Salesiani, 50-52参照)
このごく初期のcoadjutorsは、サレジオ会員でもありませんでした。それでは、どんな人がサレジオ会員だったのでしょうか。1860年には、ドン・ボスコはオラトリオの学生たちのため、collegio、すなわち高校の設立を完成していました。そこで教師となったのは、オラトリオの少年たちの中から選ばれ養成された、彼の神学生たちでした。ミケーレ・ルア、ジョヴァンニ・バウティスタ・フランチェジア、アンジェロ・サヴィオ、ジョヴァンニ・カリエロらです。彼らのほか、さらに14名の仲間が1859年の12月、サレジオ会を創立するためにドン・ボスコの部屋に集まったとき、その中にはまだ信徒、補佐、職人はいませんでした。(オラトリオの学校は、ドン・ボスコの記したすべての聖なる少年たちの伝記の舞台となっている。そして実に、夢、預言、奇跡の話、遊びや芝居、音楽、カトリック的雰囲気の行き渡った道徳的養成、不思議を行う人と彼の巨大で活気に満ちた貧しい少年たちの一団の全体像といった、ドン・ボスコ現象の伝説的側面の舞台になっている。作業所やそのほか職人の世界にまつわる固有の側面は、これらの伝記には全く現れない。)
サレジオ会員であるcoadjutorsについてはどうでしょうか。1858年の会憲には全く登場しませんが、1875年の会憲には、二箇所に出てきます。(イタリア語でRegole o Costituzioni della Società di S.Francesco di Sales…(Torino 1875)[=1875 C], X.14, XIII.2 (すべてのラテン語版で ‘sodales adiutores’), XV.3 (すべてのラテン語版で ‘socii adiutores’). 中間版では ‘fratelli coadiutori’(1860-1864)という用語が見られ、XI許可(fees)のいくつかの草案では ‘socii adiutores’の方が多く見られる。1875年の会憲の完全版は Giovannni Bosco, Opere Edite (Roma, LAS 1977-1978)[=OE]XXVII: 10-99に再版されている。Francesco Motto, Costituzioni della Società di San Francesco di Sales 1858-1875, (LAS Roma, 1982)[=Const. FM], 176-177の校訂本を参照)彼らは信徒サレジオ会員です。これが「補佐coadjutors」という言葉の広い意味であり、第3回・第4回総会による公式の定義です。それは、今日の「サレジオ会修道士」の意味です。
狭い意味では、家内の仕事をする人たちのことで、後にその一部はサレジオ会員になりました。後に1966年の会則に発展した、1877年の支部のための規則(1877 R)を見てみると(Regolamento per le case della Società di S. Francesco di Sales (Torino, Tipografia Salesiana 1877), Ricaldone, Don Bosco Educatore, Vol.II (Torino, 1952),499-580、およびOE 29:97-196に転載。別々の規則集が1850年から1967年にかけての間にどのように会則としてまとまっていったか、全体像を見るため、JSS VIII: 2 206-265のRasor, “Early Salesian Regulations: Formation in the Preventive System”を参照)、この狭い意味でのcoadjutorsは専門的な教職要員になることはなく、サレジオ会員ではない補助要員または家内労働者になっていったということが、十分に確認できます。その規則によると、補佐coadjutorsは、少年たちと親密な関わりを持つことはできない、とされています(1877 R第1部 7章 Dei Coadiutori参照)。第1回および第2回総会において、サレジオ会員であるcoadjutors(広義)は、これらの補助要員(狭義)と区別され始めています。そのプロセスは、1924年になってはじめて完了しました。(家内労働要員となったcoadjutorsについては、Deliberazioni del Secondo Capitolo Generale della Pia Società Salesiana…(Torino, Tipografia Salesiana 1882)[=GC2]第3部 第1章 第2条および第13条 参照。I. Regolamento per le Case della Società di San Francesco di Sales.(Torino: Tipografia Salesiana(B.S.), (第10回総会によって出された全7巻の文書の1巻目)Iを通して参照。支部については、第2部、第2節、第17章 家内の仕事 第586条 参照。次に、Regulations of the Salesian Society (第12回総会によって出された文書の英訳、London: The Salesian Press 1925) 第16章 家内の仕事 第255条を参照)
ドン・ボスコは、狭義のcoadjutorsと、サレジオ会員になり職業訓練校で働いた職人たちとを区別することに力を入れることはあまりなかったようです。信徒サレジオ会員をいかなる階級に分けることにもドン・ボスコが反対したことは、十分に立証されています。
「信徒サレジオ会員」という言葉は「補佐coadjutors」という言葉よりも頻繁に使われています。「信徒」という言葉は1858年以降、常に会憲に登場しますが、ほとんどの場合、「司祭、神学生、信徒」という組み合わせの形です。
ドン・ボスコの会憲
ドン・ボスコの全生涯と事業は、彼が自ら生き、サレジオ会員たちに示した次のモットーに集約されます。「我に魂を与え、ほかは取り去りたまえ」。1858年から1875年までのすべての版で、会憲の第1条と第2条という最初の出だしから、サレジオ会員たちは自らの魂と人々の魂を救うように強く促されています。職人見習い、coadjutors、その養成担当者に向けてなされた、比較的少ない講話や非公式の話で、ドン・ボスコは毎回、このテーマに中心を置いています。(最重要:1872年10月、1876年3月に2回、そして有名な1883年のサン・ベニグノ・カナヴェーゼでの修道士修練生への講話。最初の三つについては校訂本と研究が、Rasor, Spiritual Identitiyの付録B、C、Dにある。)いずれの話でも、ドン・ボスコは、職人見習い生たちがこの遠大な企てにおいて果たせる役割の話題にすぐに入っています。
ドン・ボスコの1875年の会憲は、会の目的から始まります。その目的は、貧しい青少年に奉仕することを通して会員が聖化されることです。
聖フランシスコ・サレジオ修道会の目的
サレジオ会の目的は、会員がキリスト者として完全な者になること、青少年、特に貧しい青少年のための霊的、物的な愛徳の事業、また若い神学生の教育である。会は、司祭、神学生、信徒から成る。
イエス・キリストは、まず行いから始め、それから教えられた。したがって会員も、あらゆる内的・外的徳の実践において自らを完全な者にすることから、また知識を習得することから始める。それから、熱意をもって人々の善のために献身する。(1875 R I:1)
「完全さ」とは聖性を意味します。ドン・ボスコは、聖人になるようにという挑戦を少年たちに与えることを躊躇しませんでした。ドン・ボスコは会憲の中で、司祭や神学生に決して劣らない完全さへの道を信徒に提示しています。これらの会憲によれば、修道生活は完全さへの確実な道です。この点を、ドン・ボスコは職人見習い生に向けた話の中で一度ならず述べています。この目標は、第1条のすべての版で明確に打ち出されています。
第2条は、完全さに至るための一般的なサレジオ的戦略を描き出します。第一には、自らを完成させるための徳と勉学、次に奉仕職です。勉学が徳と並んで挙げられていることに注目してください。第2条に従うことは、よい素質を備えた若い学生には最も自然なことです。すなわち、よく学び、善い人間であるように、ということです。職人も、第2条に従うことができます。よく働き、信仰を生きよ、ということです。少年にとって、学生であろうと職人であろうと、もともとしなければならないことをよく果たすことによって聖人になる道が、ここにあります。ドン・ボスコは、少年たちへの霊的指導や勧めの中で、自分の義務をよく果たすこと、共に学ぶ仲間を助けることの価値を常に強調しました。
しかしドン・ボスコは、一般的な手段に加えて、完全さについてさらに言うべきことがありました。修道生活が、あらゆる効果的で固有な手段を一つに集約すること、そしてサレジオ会の修道生活が、若者と庶民にとってそれを易しく有効なものにすることです。ドン・ボスコは、自分のもとにとどまり、サレジオ会員として彼を助け、聖人になるため、学生のためにも、あるいは職人のためにも、場所を確保しているのです。
私たちの創立者は、自分の召命に従うことの重要性について、そして召命を守る方法について、多くを語り、また書き記しました。1877年のあるボナノッテで、はじめて職人見習いの少年たちも参加した黙想会の後で、彼はこの少年たちに語りかけました。
優雅でかわいらしい学生たちだけでなく、職人たちも、自分の召命について考えなければなりません。もし諸君の中にサレジオ会員になりたいという望みを見いだしたなら、私はそのことを心に留め、この貴重な真珠を細心の注意をもって集め、オラトリオの中に保つようにするでしょう。(1877年4月20日のボナノッテ)
実に、召命の問題は救いにとって重大なことです。会憲への霊的導入「召命に従うことの大切さについて」の中で、ドン・ボスコは、あたかも原動歯車が壊れれば時計のメカニズム全体が台無しになってしまうように、人の永遠の救いという事業の全体は、その人が自分の召命に従うかどうかにかかっている、と書いています。
修道召命は、ドン・ボスコにとって、この世から逃れることに関わることでした。修道召命に従うことがこの世から逃れることを意味するため、修道召命を保つことはこの世から離れていることを意味します。実際には、それは家族への執着を断つこと、またこの世の価値観を持つ人々から召命を隠すことを意味していました。
司祭、神学生、修道士の間の絶対的で区別を設けない平等は不合理です。それぞれは、霊魂の救いというサレジオ会事業において異なる役割を持っています。それぞれの間の正しい関係はどのようなものでしょうか。1875年の会憲の第1条に打ち出された会の目的を達成するために、どのような形で一緒に働けるのでしょうか。このことは、信徒と司祭の補完性の問題です。
職人と修道士たちへの講話の中で、ドン・ボスコはしだいに頻繁に、この世の事柄に関わることについて話すようになっています。事業の経営、職業訓練所の運営、支部の管理など、ジュゼッペ・ロッシ、アンドレア・ペラッツァ、ピエトロ・バラーレといったようなサレジオ会修道士たちが担った仕事です。このことを支える示唆が、会憲の修道者の服装に
注:ジュゼッペ・ロッシ(1835-1908)はメッツァナビリに生まれた。ドン・ボスコが制作した冊子、Giovane Provvedutoに惹かれ、1859年にオラトリオに来た。最初にサレジオ会に入会を申請し、1860年に許可され、1864年に立願。被服室の運営に当たった後、まもなく印刷所を補佐し、そこで教えた。しだいに有能な物品購入責任者となり、ヴァルドッコのすべての作業所のため、中央倉庫からの物品を管理した。ロッシ修士は、第1回総会では経費節減に関して、第3回および第4回総会では職業訓練所に関して、専門的立場から助言を行った。ルア神父のもとでは、物品購入担当としてとどまり、1908年10月28日にオラトリオで亡くなった。
アンドレア・ペラッツァ(1843-1905)はトリノに近いカルマニョーラに生まれた。1862年に被服室係りおよび歌い手としてオラトリオで働きはじめ、その後、音楽教師になった。フレデリック・オレリア氏が1870年に辞めた後、印刷所の責任者となり、そこの少年たちにとって真の教育者となった。ドン・ボスコは、トリノとランゾを結ぶ鉄道沿線のマティの製紙工場を購入すると、信頼できる作業長を雇い、アンドレア・ペラッツァを短期間、工場長として送った。ペラッツァ修士は、人生のほとんどを愛するヴァルドッコの印刷所とその関連のところで過ごし、1905年9月23日に帰天。
ピエトロ・バラーレ(1846-1934)はピエモンテのアレッサンドリア近くのモラーノ・ポーに生まれ1868年にオラトリオに入った。ジュゼッペ・ブッツェッティの指導の下、製本の仕事から始め、翌年、初誓願を立て、その後ランゾに派遣され、そこで1872年に終生誓願を立てた。ピエトロは印刷、本の販売、編集の仕事を愛した。そのため、ドン・ボスコから親しみと敬意を込めて、ユーモラスな名前、「プレスの騎士」を与えられた。また、ボレッティーノ・サレジアーノの編集委員会の創立メンバーという重責を与えられた。この役職のほか、ピエトロ修士は聖ヨゼフ信心会、ブラスバンド、芝居のグループを指揮した。第3回総会で助言を行った。ルア神父の代では、サン・ベニグノ、マティ、スペツィア、カタニア、ローマ、イヴレアで務めをこなした。それは愛する書店で過ごすよりも、皿洗い、豚の世話、庭の手入れをして過ごす方が多い生活であった。1911年は、ほとんど便所掃除に費やされた。これらすべてに加え、ピエトロ修士は間を置いて襲ってくる鬱の症状と霊的乾燥に苦しんだ。幾人かの総長は、その試練を通して彼を霊的に導いた。1934年に聖なる死を迎える少し前に、鬱症状と霊的乾燥は消えた。
ついての章に見られます。サレジオ会司祭は教区司祭・神学生と同様の服装を身に着けます。修道士は黒い服を着用します。すなわち、真面目で仕事にふさわしい、控えめな信徒の服装です。しかし、すべてのサレジオ会員、司祭、神学生、修道士は、この世的な流行を避けなければなりません。司祭の服を着用することも、黒い服を着用することも、どちらも同じことを意味します。この世的な姿勢を拒むことです。しかし修道士にとっては、この世の問題のただ中にいながら、そうすることを意味します。
会における統治の役職に就くことは、修道士に関する議論の中によく出てくる話題です。創立期の会憲、会則、あるいは総会文書には、総長、管区長、事業責任者、評議会や総会の議員の職に就く者が司祭でなければならないとは、どこにも書いてありません。会憲の中で特に参照すべき条項は、それぞれの役職に就く者は選出されていなければならないと要件を挙げているものです。
ドン・ボスコによる会憲がどのようにサレジオ会の奉仕職を描いているかを見てみると、あるパターンが見えてきます。ある必要性と、それに対する応答です。信徒サレジオ会員は、三つの必要性-応答の組み合わせのうち、二つにおいて役割を持っています。第3条から第7条の条項から成る第1章は、若者のためになされる「愛徳の業」あるいは「愛徳の実践」を描き出しています。ドン・ボスコの時代、また20世紀にかけて、それは「使徒職」と呼ばれていました。現在は、特に第二バチカン公会議後、私たちはこれを「青少年への奉仕職」などと呼んでいます。それぞれは、一つないし二つの条項にわたって別々に取り扱われています。
必要性-応答の組み合わせを見ていきましょう。
ドン・ボスコの会憲において、オラトリオは主要な位置を占めています。オラトリオは、ドン・ボスコによる諸版の中で、「愛徳の第一の実践(あるいは業)である」と述べられています。
第一の実践は、貧しい見捨てられた少年たちを集め、聖なるカトリックの信仰のうちに、特に祭日に、教育を行うことである。
1876年3月31日のドン・ボスコによる職人と修道士への講話は、使命の場においてカテケージスを教える修道士の、具体的な例をいくつか提供しています。
職業訓練校は、ドン・ボスコが仕事の契約から始め、それからピナルディ小屋の一部に移し、マンマ・マルゲリータの台所のテーブルに至った活動が、19世紀末に発展したものです。学校の目的は、会憲から明らかです。(1875年会憲 第1章4、またこれより先に出た版と1966年に至るまでに出された後の版)
しかしながら、少年たちはあまりにもしばしば放置され、学校に受け入れるのでなければ、彼らに差し出されるあらゆる世話は無駄になるので、摂理によって与えられる手段を用いて、彼らに住まい、食事、衣服をを提供できるような家を開設するため、あらゆる努力を行う。少年たちはカトリック信仰の真理において育成されながら、何らかの職あるいは技術においても養成を受ける。
第3条と第4条の関係、またその前後の版における二つの条項の関係に注目してください。第4条は常に、ある少年たちは非常に貧しく見捨てられているため、オラトリオだけでは、第3条が言うように彼らを救うことができない、と述べます。そこで解決策となるのは、職を手につけるようにその少年たちを養成する家または寮です。これは後に、職業訓練校となります。これらの職業訓練校は、最も見捨てられた青少年のためのオラトリオの奉仕職が得る実りを保証するものでした。
1875年の会憲で、オラトリオ-寮-職業訓練所に関する条項に続き、貧しい神学生への支援が第5条の焦点となっています。
5.[1860年に見られる]聖職を志す若者にとり、危険は多大なものがあるため、本会は、勉学への適性を示し、また品行方正な人物として推薦できる若者を育てるため、最大の配慮を払う。勉学のために少年たちを受け入れることに関しては、ほかでは勉学の機会を得られない者で、聖職への召命が期待される場合、最も貧しい者を優先する。
ドン・ボスコは常に、オラトリオの学生部門を、またミラベッロ、ランゾ、アラッシオのようなcollegiを、この条項の具現化したものとして見ていました。そこでの修道士の役割は、間接的に、まかない、門番、給仕などとして取り組みを支えることです。1877年の会則の狭い意味でのcoadjutorsです。
庶民への奉仕職については、会憲の第1章で奉仕職の最後に述べられています。それについての二つの条項から、その目的は明らかです。
現在、キリスト者の間で、特に小さな町において、カトリック信仰を掲げ支える必要があるので、我々サレジオ会員は、より徳のある生き方を望んで来る人々のために、彼らの信心の実践を確認し励ますため、熱意をもって黙想会の指導に取り組む。
また、サレジオ会員は、キリスト者としての愛によって促されるあらゆる手段を活用し、人々の間に良書を広めることに取り組む。最後に、サレジオ会員は、言葉と書き物によって、宗教に反することおよび異端と闘う。反宗教と異端とは、現在、あらゆる外観を装いながら、教育を受けていない庶民層の中に入り込もうとしている。このことは、サレジオ会員が折りに触れて行う説教の、また三日間の祈り、九日間の祈り、人々に広める良書の目的でなければならない。(1875年会憲 第1章6-7)
この条項は、第3条、第4条と同じ全体的方向性を持っています。助けがなければ危険に対処できない人々の救いが危険にさらされている、そのためサレジオ会員はその人々を助ける、というものです。特に、良書を広めることにおいては、印刷や出版を行ったバラーレ修士やペラッツァ修士が思い出されます。
第1章全体にわたって、必要性-応答のパターンが明確に現れています。第3条と第4条において、少年たちは見捨てられているため危険にさらされており、そこでサレジオ会はオラトリオと職業訓練校を運営します。第5条では、神学生は貧しいために危険にさらされており、そこでサレジオ会は無償で、あるいは小額の費用で彼らに養成を提供します。第6条と第7条では、庶民は教えられていないために危険にさらされており、そこでサレジオ会は彼らに教え、出版活動を行います。
奉仕し支える役割について、coadjtorsに関する1877年の会則にいくらか示されています。教職には就かないものの、信心とよい模範によって、また具体的な支えによって、教育の過程で役割を果たす人が描かれています。また彼らは、この世と危険を伴うこの世的な事柄とに大いに関わる人として、信仰の精神を保つことを追及します。1883年の講話では、奉仕的な務めを果たす人が有能な管理者として持ちうる役割の、卓越性とさえ言えるほどの重要性が強調されています。
第3回、第4回総会
会憲に次いで、最も重要な文書のうち二つのものが第3回(1883年)および第4回(1886年)総会と関連しています。まず、サン・ベニグノ・カナヴェーゼでの1883年の講話があります。この講話が行われたのは、第3回総会が修道士について討議し、修道士たちの修練の場を(ヴァルドッコの元のオラトリオにそれをとどめたいというドン・ボスコの意向を上回って)同地に移すことを決定した直後のことでした。総会への提案、会議での議論は、職人、修道士、職業訓練校の長上たちの間に広がっていた不満を明らかにしました。ドン・ボスコは早期に手を打たなければならないと感じ、第3回・第4回総会の合本文書が出されるまで待ちたくありませんでした。
10月の末、ドン・ボスコは、22名の修道士修練生とその長上たちと話をするため、サン・ベニグノ・カナヴェーゼを訪れました。バルベリス神父は39年後、第12回総会に、そのときの話の概要を提出しましたが、批判的な人々に対してその真正さを弁護しなければなりませんでした。
ドン・ボスコは、作業所からの若者たちのための修練院が創設され養成が進行中であること、また修道士の数が増えるべきであることを語りながら話を始めます。もちろん、この少年たちが職人見習いであることを私たちは認識しています。次にドン・ボスコは、二つの言いたいことのうちの一点目、「サレジオ会のcoadjutorとは何者なのか」について、自分の考えを述べます。ここでは、会憲における広い意味でのcoadjutorが明らかに用いられています。サレジオ会の奉仕職における修道士の役割を説明する重要な箇所を引用します。
さて、皆さんは、手に職をつけ、信仰と信心において自らを鍛錬するためにここに集まっています。なぜでしょうか。私は助け手を必要としているからです。司祭や神学生にはできないことがあり、皆さんがそれを果たすのです。皆さんの中から一人を選んで印刷所に送り、「ここの責任者になり、万事うまくいくように取り仕切りなさい」と言えなければならないのです。また一人を書店に送り、「ここを運営し、事業がよく果たせるようにしなさい」と言います。ある支部に送り、「ここの作業所が円滑に営まれ不足するものがないように計らうのがあなたの仕事です。ここでの仕事がそのあるべき姿であるようにあなたは監督するのです」と言える人が必要です。すべての支部に、大いに信頼を必要とする事柄を任せられる人が必要なのです。例えば、お金の管理、もめごとの解決、外部に対して支部を代表することなどです。台所や受付で円滑に仕事が果たされる必要があります。物品が滞りなく揃えられ、無駄にされる物がないように、誰も放り出されることがないように計らう必要があります。こういった務めを任せられる人が必要です。皆さんがこれらの務めを引き受けなければなりません。
ここで語られている奉仕職は、直接的なもの(良書を広めることによって教会を助ける、職業を教えるなど)と間接的なもの(働く人々の監督、台所の管理、財務の管理を通して司祭たちが教会を助けるのを助ける)、両方があることに注目してください。
次の箇所は、後に1922年の第12回総会で読まれたとき、驚きをもって受け止められました。
ひと言で言えば、皆さんは実際の仕事をするというよりむしろ、仕事を監督します。皆さんは、働く人たちの僕ではなく上司のようになります。しかし、すべて適正な秩序のもとで、適正な範囲の中でです。皆さんの仕事は、作業所の共同経営者として、監督することです。これがサレジオ会修道士(coadjutors)についての私の考えです……皆さんは僕ではなく、主人であり、従者ではなく、上に立つ人なのです。
この箇所は、福音と違うことを言っているように聞こえます。福音では、イエスの弟子たちが、主人はすべての人の僕にならなければならない、と言われています。この点で総会議員たちは困難を覚えました。しかし、このような役割の具体的なモデルが存在していました。物品購入係のジュゼッペ・ロッシや印刷所のアンドレア・ペラッツァです。ドン・ボスコはその次の段落で、問題の全体的な理解を示し、次のように言います。修道士は、上に立つ者として、徳において成長し、ほかの働き手たちのよい模範となり、物的な秩序を監督するのと同じように、事業における道徳的秩序をも監督しなければならない、と。講話の最後の方で、ドン・ボスコは繰り返し修道士の数が増えなければならないこと、しかし同時に、修道士たちが慈愛とエネルギーにおいて成長しなければならないことを言います。ドン・ボスコは図らずも、自分自身の運営の仕方を語ったのです。
この成長があるならば、そのとき「小さな群」は神の国を継ぐだろう、それは王である神の国であって、僕の国ではない、とドン・ボスコは強調します。ドン・ボスコは、この「僕ではない」という考えに三回以上触れています。
ということは、ドン・ボスコの「第一の考え」は補完性についてなのです。明らかに、司祭にできないことがあるのと同じように、修道士にできないことがあるのです。司祭にできないことは、物的な事柄に関するものです。したがってドン・ボスコは、修道士の固有な役割は世俗の事柄に関することであるという意味を含めながら、その役割が司祭のそれとは区別され、補い合うものであることを明確に述べています。
ドン・ボスコの「第二の考え」は、この奉仕職に備えるため、実際的な養成と共に、徳、よい模範、精神的な力における成長が必要であるということです。このことは、第一の考えを導いた論理に結びついています。「皆さんは、手に職をつけ、信仰と信心において自らを鍛錬するためにここに集まっています。」この修練生たちは、第一の考えに描き出された役割を果たせるように、準備しなければなりません。技術においても、霊的徳においても、成長しなければなりません。これは実に、修道士の奉仕職から導き出される、修道士の霊的人物描写です。その仕事が説教となる使徒のポートレートです。
第3回総会は、9月中の一週間だけ開かれました。4人の修道士が、専門家としてドン・ボスコに呼ばれ、参加しました。ジュゼッペ・ブッツェッティ、ピエトロ・バラーレ、ジュゼッペ・ロッシ、アンドレア・ペラッツァです。
第3回総会はその文書を完成させずに、その仕事を1886年の第4回総会(会の物品購入担当者ロッシ修士一人が、職業訓練校の専門家として参加)に残しました。この二回の総会の結果は、1887年に合わせて出版されました。この文書をGC3-4とします。GC3-4は、「テーマⅢ:全体的サレジオ会召命とそのなかでのcoadjutorsの固有な役割」の中で、修道士のアイデンティティーのための枠組みを示してくれます。
Ⅲ.Coadjutorsと職人の修道精神と召命について
§1.Coadjutors
本会は司祭と神学生だけでなく、信徒会員からも成る([1875年会憲]Ⅰ.1)。信徒会員はCoadjutorsと呼ばれる(Ⅹ.14,ⅩⅢ.2,ⅩⅤ.3)。その固有な役割は、会にふさわしいキリスト者としての愛徳の業において、司祭を助けることだからである。教会の歴史を通して、使徒たちや、そのほかの聖なる奉仕者たちを大いに助けた信徒たちの例はおびただしい数に上り、教会は、人々の善と神の栄光のため、信じる人々の奉仕を常に得てきた。
この私たちの時代において、かつてなかったほどに、カトリックの使徒職、また特に私たちの会は、信徒の提供する効果的な助けから益を得ることができる。また、状況によっては、信徒の方が司祭よりも、よりよく、より自由にはたらくことができる。
特に、神のより大いなる栄光のため、隣人への愛徳の実践という広大な分野は、本会のさまざまな事業の監督、運営の仕事を通して、職業訓練所における職人の親方として、あるいはオラトリオにおけるカテキストとして、そして特に、海外宣教地での奉仕職を通して、coadjutorsの前に開かれている。
テーマの題は、職人と区別し、必ずしもサレジオ会員とは限らない人として、coadjutorsという言葉を狭い意味で使っているように思われます。節の題は、確かに広い意味でこの言葉を使っています。実に、公式の広い定義がその後に続いています。
この定義は、私たちにアイデンティティーについて何を教えてくれるでしょうか。修道士は、サレジオ会修道生活を司祭・神学生の兄弟たちと分かち合い、固有なものとされた使徒的アイデンティティーを与えられています。すなわち、司祭たちの奉仕職を支える間接的奉仕職、そして司祭と共に、人々のため、神の栄光のために働く直接的奉仕職です。このことは、すでにサン・ベニグノで聞きました。GC3-4が、固有なサレジオ会のcoadjutorから教会における信徒へと、間髪を入れずに移っていることに注目してください。同文書は、サレジオ会におけるサレジオ会修道士を理解するためには、教会における信徒を見るとよい、と言っているのです。
会憲と総会 養成について
養成は、霊的アイデンティティーを求めるのに大切な領域です。養成について語られるとき、ただ、志願者にとって、また養成担当者にとって、具体的で教えることのできる形でアイデンティティーを打ち出す必要があるということから、どのようなアイデンティティーが求められているか、より明確に述べられることがあります。その例は、ドン・ボスコの会憲の第5条で、それは第1回総会文書の必要性-応答のパターンにおける一要素として先に紹介したものです。貧しい神学生への援助に関する条項です。
これは、単にサレジオ会員の養成についての条項というだけでなく、特定の貧しい若者たちの層に向けられた、彼らの益のため、また地方教会の益のための奉仕職についての条項です。召命の問題全体、また救いに与えるその影響にドン・ボスコが付与した重要性を鑑みると、この奉仕職が典型的にサレジオ的なものであることは不思議ではありません。
このことから、召命と養成の奉仕職が単に会の将来を確かなものにするためではなく、若者への真の奉仕職としてあるのだということがわかります。それは、私たちの使徒的アイデンティティーの一部分を成しています。今日、私たちは召命司牧が青少年司牧の一部であると言います。それならば、この奉仕職における信徒サレジオ会員の特定の役割は何でしょうか。GC3-4はテーマⅢを紹介しながら、明確な答えを出しています。信徒会員はそのよい模範によって、どんな修道服にも増して、修道生活に信用を反映させるのです。より特定的には、専門的有能さと正確さによって、また教える仕事を通して、職業訓練所の修道士たちは、より多くの職人たちを修練院へとひきつけ、職業訓練校の奉仕職を、特に宣教地において拡張します。オラトリオでは、彼らは要理を教え、そうすることでよい知らせを告げるのは司祭だけの仕事ではなく、全教会の仕事であることを示します。
不思議なことに、GC3-4には修道士の養成についてほとんど何も言及がありません。ごくわずかな記述は職業技術に関する節に見られ、修練院について触れられています。
b.[[原文のまま]職人のための修練院の支部には、技術や職業を学び研鑚するのに必要な道具をすべてそろえ、サレジオ会員である最高の職人がスタッフとなる。
職人の養成については多く語られています。第3回、第4回の総会は、修道士の養成の計画と方法をそこから導かれるものとして考えていたようです。想像してみてください! 修道士は若い職人たちと一緒に養成されるのです。
どの修道会の養成計画においても、修練期はアイデンティティーを生きることによってそれを形成する重要な役割を持っています。修練期の前の段階はアイデンティティーを示しながら、それを十分に生きるものではありません。修練期の後の段階は、修練期でなされたことをさらに精錬します。サレジオ会のアイデンティティーは使徒的なものです。したがって使徒的な修練期というのは意味がわかります。しかし、使徒的で、純粋に修徳的(ascetic)でない修練期というドン・ボスコの大胆な企画と、それがローマでなかなか受け入れられなかったことはよく知られています。このことは、サン・ベニグノ・カナヴェーゼでの修道士たちの修練のために、道具をよくそろえ、サレジオ会の最高の職人教師を配置するというGC3-4の勧めという形になりました。ここで再び、サレジオ会修道士が教育者として示されています。(1877年の会則に示されたcoadjutorsとは異なる姿です。)ここで修道士は、修練院における養成チームの重要な部分です。通常はもっぱら「修徳的」あるいは「霊的」な鍛錬に割り当てられる時間である修練期に、修道士たちの専門的技能を向上させることを強調しているのは、変わることのないサレジオ的な特徴です。それは、職人が修道者になるために、彼は自分の技能を霊性のうちに統合させなければならないという、直観的な確信によるものです。
職人技の霊性は、作られるものがよりよいものにならなければ意味がありません。質の管理が仕事の一部でなければなりません。この点も、GC3-4で指摘されています。
2. 私たちの作業所が完璧な製品を生産できるように、技術のある誠実な職人を、かなりの代償を払ってでもそろえなければならない。
GC3-4は職人の(またその延長として修道士の)養成を大きく三つに分けました。修道的・修徳的、(新たに)知的、専門職業的という三つの要素です。知的養成は、新しい産業化時代の働き手にとって大切であり、サレジオ会の職業訓練校も時代に合わせなければなりません。そうでなければ、生産される製品も少なく不完全なものになるでしょう。
第3回総会でドン・ボスコが主張した、使徒的養成体験のための養成の指導者について、簡単に振り返ってみましょう。この指導者はもちろん、支部の長上、あるいは監督です。GC3-4は、彼に明確な役割を与えています。
9. 二か月に一度、監督は、作業所の助手と責任者のために会合を行い、彼らの考察や提案を聞き、作業所がよく運営されるための指針や助言を与える。サレジオ会員でない職人がいれば、彼らも参加するように招く。
これは職業訓練校のことであり、養成支部のことではありません。しかしドン・ボスコの時代、サレジオ会の養成はまさにこういうことだったのです。働くサレジオ会支部の中で、来る日も来る日も、前線に立って現実の問題に取り組む、忙しく実際的な仕事を行うサレジオ会員の下での訓練です。このような、その場をしのぐような養成には問題もあり、ローマでは物議をかもしました。しかし、利点もありました。資質のよい職人、あるいは(狭義の)coadjutorを、GC3-4にのっとって運営されているサレジオ会支部から選び出せば、それは初期養成をおおかた仕上げた志願者になるのです。
今日の会則におけるアイデンティティー
ドン・ボスコ亡き後、どちらかというとまとまりのない形であった規則や養成計画の要素は、急速に機能的システムにまとめられていきました。会憲は、1917年の教会法に合わせるため、また、社会のさまざまな発展段階にある世界各地で働くサレジオ会のニーズに合わせるため、第10回(タラブレ修士が代理議員としてティエッラ・デル・フエゴから参加)および第12回総会によって改訂されました。大いなる養成の総会であった1938年の第15回総会は、養成の規則とすべての段階を発展させました。
2.1. 刷新の過程の概略
今日施行されているサレジオ会会憲は、第二バチカン公会議の刷新によってもたらされた実りです。それは、「同等の期間と質」という養成の原則が注目される第19回総会(1965)に始まりました。第19回総会は過渡期を象徴する総会でした。第15回総会に通じる特徴を持ちながら、当時、あと一会期を残すのみとなっていた第二バチカン公会議の刷新のテーマにも触れています。この総会の議員に選ばれた修道士はいませんでしたが、修道士と職業訓練校に関する委員会に、二人の修道士が専門家として招かれました。
その次の総会、会憲会則の刷新のために召集された特別総会は、1972年に定められた暫定案を出しました。サレジオ研究では、この総会とその文書を通常のように「第20回総会GC20」とは呼ばず、「特別総会SGC」と呼びます。この総会には三人の修道士が議員に選出され、そのほかに四人がオブザーバーとして参加しました。オブザーバーの中には、三人の神学生もいましたが、このようなことはその後ありません。特別総会の文書は、新しい会憲会則の神学的背景を示し、修道士のアイデンティティーに関する資料を含めています。(特別総会文書145-149)
1975年のサレジオ会修道士世界会議は、当時の状況の光に照らしてこれを考察し、次の総会にまなざしを向けました。(Pietro Broccardo, Nicola Cerisio, Renato Romaldi編, Acts of the World Congress of Salesian Brothers (Madras: SIGA, 1976)[=AWCSB]参照)第21回総会は1978年に新しい会憲会則の試行を続けることを決めましたが、修道士の召命に関する充実した神学的考察をこれに加えました。(第21回総会文書166-239)
最後に、第22回総会は1984年に、1972年の案に基づいた会憲会則の最終改訂版を出しました。この過程の中で、総長アロイジオ・リッチェリ神父、そしてエジディオ・ヴィガノ神父は、何が起きているかをサレジオ会が理解できるように助けました。
2.2. 特別総会とサレジオ会修道士世界会議
サレジオ会修道士世界会議(1975)は、第二バチカン公会議と特別総会が修道士にとってどのような意味を持つのかを考察するために開かれました。特別総会文書は、二つの箇所で、それぞれ異なる点を強調しながらこの会議を呼びかけています。文書1の終わりの指針の中に、サレジオ会修道士世界会議を通して「サレジオ会修道士に対する会全体の考え方、姿勢を変える」(SGC184)という箇所があります。文書20では、この修道士の世界会議は、特別総会の修道士に関する文書を研究するというより限定的な役割があるとしています。(SGC763参照)数か月後、会議の公式の召集を呼びかける際に、リッチェリ神父は、特別総会が与えたどちらの任務も、修道士だけが参加する会議によって実現されえないことを明確にしました。会議は、サレジオ会の伝統と刷新の光に照らして修道士像を再考し、会全体の意識を高めなければならない、と。修道士像は会全体に影響を与えるので、この会議は、修道士だけではなく会全体による、修道士についての会議でなければならないのでした。
1972年の会憲で、第36条と第37条は、現在の1984年版会憲における第45条と同じ役割を果たしています。そこでは、修道士召命の信徒的次元は、第二バチカン公会議の公文書、教会憲章Lumen Gentium第31節「この世の事柄を、神の国に向けて秩序づける」から発想を得たものではありません。しかし、特別総会文書は、明確に教会憲章の第31節を喚起し、この召命の固有な信徒的次元を確立させています。(SGC149)
会議では、マリオ・ミダーリ神父が特別総会と第二バチカン公会議の指針にのっとって、明確に、神学的に修道士のアイデンティティーを取り扱いました。同神父は、より未発達の形の1883年のドン・ボスコによるサン・ベニグノの講話、「司祭にできないこと(この世の事柄という意味を含む)」や1972年の暫定版、第37条ではなく、むしろ明らかに、特別総会文書149の教会憲章第31節の線、「この世の事柄を、神の国にむけて秩序づける」という考えを採用しています。
特別総会は、やはり第二バチカン公会議に従って、修道奉献の理解において二つの革新をもたらしました。
私たちのイニシアティブや働きではなく、神のイニシアティブと御業への奉献。私たちはそれに応えるもの。(特別総会文書107、ルカ4・18に引用されたイザヤ61・1-2参照)
修道奉献は、教会が聖なるものになり福音を告げ知らせることができるように助けるためにある。(特別総会文書111、教会憲章43、44a、46b参照)会員を完全な者とするためだけでなく、教会全体の聖性のためである。
私はこの二つを、修道生活のサレジオ的理解の「コペルニクス的転回」と呼びます。地球が太陽の周りを回るのであって逆ではないという考えと全く同じくらい重要な考え方の変革であるからです。
私たちは使命に呼ばれています。私たちはキリストのようになるために、すべてを後にします。1972年会憲第68条。そこで与えられるのは、奉献と使命の統合、神への愛と隣人への愛の統合、統合の恵みです。(特別総会文書127参照)修道生活は、福音に基づいた生き方であり、神の国を告げ知らせます。1972年会憲第69-70条。
1972年の会憲第37条には、このような考えがほとんど見られません。実際、コペルニクス以前の言い方に戻っています。修道士は「自分の人生・命を奉献するため……神の呼びかけに応える……」
再び世界会議で、ミダーリ神父は真実の方向へと導きます。ミダーリ神父は、使命は教会によって共同体にゆだねられる、と言います。奉献は神の業であり、統合の恵みの下に与えられます。(AWCSB110参照)
AWCSBでは、修道生活の預言的価値についてはあまり語られていません。
2.3. 第21回総会
第21回総会の目的は、特別総会の結果である1972年の試行的会憲の見直しでした。この会憲は、いくらかの修正を施された上で採用されました。(第21回総会文書5)この総会には、五人の修道士が議員として参加し、オブザーバーとして7人が参加しました。
第21回総会は、完成した形で、簡潔な、サレジオ会修道士の召命アイデンティティーを提示します。
修道士はむしろ、キリストにおいて全面的に自己を神に捧げるよう、そしてサレジオ会において「信徒修道者」として神に仕えるよう、神から呼ばれた、洗礼を受けたキリスト者である。サレジオ会の中で、サレジオ会司祭と一致し、修道士は、ドン・ボスコのインスピレーションの下、若者たち、特に最も貧しい若者たちの全人的なキリスト教的教育の促進という固有な使命を実現する。(第21回総会文書172)
ごく簡単に要約すると、この節は、修道士は信徒修道者であるサレジオ会の教育者であると言っています。第21回総会は、教会憲章39に従い、すべてのキリスト者が共通に呼ばれている聖性への呼びかけに、より強調点を置いています。
修道士は明らかに神学生や司祭ではありませんが、ここで取り組まれているより難しい問題は、教会のほかの信徒とどう違うのかという問題です。違いは、修道士の修道生活にあります。第二バチカン公会議は、信徒とは、司祭でも修道者でもない者であると述べ、また叙階された聖職者とは何者であるかを述べています。(教会憲章28、31参照)それならば、サレジオ会修道士とはどのような人なのでしょうか。公会議は信徒ではない、と言いますが、明らかに彼は司祭でもありません。第21回総会は、この定義を詳細に考察しながら、修道士の召命の修道的、また信徒的な特質を調和させます。信徒的次元(総会文書178)は、教会憲章31「この世の事柄を、神の国に向けて秩序づける」のそれであり、第21回総会は特別総会文書149を引用しており、1972年会憲第37条ではありません。それは修道士の生活のあらゆる局面に影響を与えます。修道奉献によって(総会文書177)、修道士は、そのメンバーが霊魂の救いのために全面的に人生・命を捧げる共同体の一員です。総会文書190で、修道士は、その貞潔で謙遜な生き方がキリストに倣うものであるマリアに献身しています。ここに、後のアイデンティティーの表現に見られる「預言的-カリスマ的」考え方へのアプローチがあります。
第21回総会は、このような召命が持つ霊的な意味を詳しく描き出しています。
霊的アイデンティティー:
霊的生活と言うとき、ここでは、キリスト者としての、またサレジオ的な聖性の理想を理解し、実践し、それにおいて成長し、それを生きる、具体的な道を意味する。修道士は、サレジオ会共同体の中で、自らの固有な召命と生き方の身分によって、その信仰の体験および教会の体験を生き、あかしするように呼ばれている。このこともまた、修道士の召命アイデンティティーに含まれる。(第21回総会文書186)
霊的アイデンティティーが召命アイデンティティーの一部であることに注目してください。チャーベス神父は、2002年の総長として最初の書簡で、この考えを再度、取り上げています。
2.4. ヴィガノ神父の1980年の書簡:一つの共同体における信徒、司祭、それぞれの次元
ヴィガノ神父は、一見、サレジオ会修道士についてのようでありながら、実際は会全体のためのサレジオのアイデンティティーについて取り上げた書簡を書きました。
第21回総会後まもなく、ヴィガノ神父は、動きを止めることのないその筆を取り出し、修道士のアイデンティティーについて取り組みました。修道士のアイデンティティーは危機に直面しており、それと共にサレジオ会全体のアイデンティティーも危機に直面していました。実にそれは、彼の主たる洞察でした。その書簡は、単に修道士に「あてた」、あるいは修道士「について」の書簡なのではなく、会全体にあてた、会全体についての書簡でした。まさにその信徒的次元が危機に直面しているために、会全体も危機に直面しているのだ、と。(Egidio Viganò, サレジオ会共同体における信徒的要素, 最高評議会報1980年10月-12月)
ヴィガノ神父は書簡の冒頭から、直截に、一人ひとりのサレジオ会員が自分の共同体を理解するため、サレジオ会修道士とサレジオ会司祭の両方を理解しなければならない、と断言します。召命は共同体の中で生きられます。司祭召命と信徒の召命は、共同体が使命を果たすために共に働きます。私たちに共通の司祭的、また信徒的使命は、ドン・ボスコの創立の英知から私たちが受け継いでいる「見事な現代性」と共に、サレジオ会の顕著な特質です。修道士と司祭のお互いの協力は、予防教育法においても有効です。予防教育法は共同体によって実践されます。その共同体は司祭によって導かれます。(同書簡5-7参照、また第21回総会文書194、196、212-239参照)
ヴィガノ神父は指摘します。現在の危機は、ただ司祭、あるいは修道士の危機であるというのではなく、私たちのサレジオ的自己理解の、司祭、信徒両面における危機である、と。時には、信徒的側面があまり注目されないこともありました。そのため、神学的土台に不均衡がありました。しかしながら、第21回総会は、修道士の召命を、信徒であることにおいて固有な、完成された、独自の、意味深いものとしてとらえられるように、私たちを助けるものでした。(同書簡7-11、第21回総会文書172-180参照)
人数においても危機がありますが、もっと重要なのはアイデンティティーにおける危機です。私たちが信徒サレジオ会員のアイデンティティーを理解しないならば、サレジオのアイデンティティー全体が不利をこうむることになります。私たちはまさに同じ理由から、司祭サレジオ会員のアイデンティティーをも理解しなければならないのです。世間で用いられる、また教会の文書でさえ用いる不明瞭な言葉遣いは、助けになりません。
ここでヴィガノ神父は、「信徒修道者」における「信徒」と、教会憲章31の言うところの単なる「信徒」の身分とを区別します。サレジオ会修道士は、教会憲章31が「信徒」と結びつけている意味で「この世にある」ものではなく、修道者であり、したがって彼は、「真福八端の精神なしには、この世界を変容し、神に捧げることはできないということを、見事な無二の方法であかしします。」(教会憲章31参照)ここに、以前よりも明瞭に示された、修道生活の「預言的-カリスマ的」価値が見られます。
共同体の次元は修道的アイデンティティーに影響を与えます。修道士は「奉献された在俗者」ではなく、世間ではなく、共同体の中に暮らします。修道士のアイデンティティーは共同体に影響を与えます。それは、福音と文化を融合させ、地上の都を刷新するよう、共同体を導きます。このことがいくらか信徒的に響くとすれば、ヴィガノ神父はすぐに認めるでしょう。特別総会のテーマを思い起こしながら、共同体は、福音化と人間性向上の促進の両方を行う、とヴィガノ神父は言います。(同書簡13-14、特別総会文書60-61)会全体は、福音化と人間性向上の両方に取り組むのです。
したがって、サレジオ会共同体の全員は、兄弟的交わりと責任の共有のために努力しながら、それぞれ自分の生活の一部として、一種の「信徒的感性」と、特有の「司祭的感性」を体験しなければなりません。(同書簡15)
これは、一部で今だに「サレジオの神父たち」と自分たちサレジオ会を総称して呼ぶような、窮屈なものの見方とはずいぶん違います。ヴィガノ神父は繰り返して言います。実際に、信徒的次元を理解しないならば、私たちは修道士を理解せず、また協力者、あるいは実にサレジオ会もサレジオ家族も理解しないでしょう。(同書簡15-18参照)
それでは、総長は信徒的次元をどのように見ているのでしょう。彼はそれを三つのレベルで考えています。被造世界において、教会において、そしてサレジオ会共同体においてです。
信徒的メンタリティーは、創造されたもの、知識、科学、技術が善いものであることを確認します。神と被造物とは一つです。それは汎神論的な意味でではなく、被造物が神から来るものであり、神から善を受けているからです。誇張された信徒主義は、創造されていることを否定し、狭い聖職者主義は創造されたものの善を否定します。(同書簡19-21参照)被造物の善についてのこの霊的な見方は、修道士の霊性にふさわしい行動のスタイルを生み出します。
この意味で、「信徒的メンタリティー」は客観的真理に関わるものだと言えるでしょう。物事がどんなに複雑でも、どれほどの研究、科学、技術、忍耐、実験が要求されても、信徒的メンタリティーは、客観的真理のために尽くします。それは、事実の評価における注意深さと尊重する姿勢、深い職業専門的感性、仕事のあらゆる側面の重要性と問題への意識、現実への事実に基づいたアプローチ、計画への真剣な姿勢、自然に身についた協力的姿勢、組織的働きへの深い理解を培います。実に、宇宙はよい教師です。
これらの資質は、世俗的価値はいらないと考える人のうちにはなかなか見いだせないものです。直観、詩的感性、善意、祈りだけでは飛行機は飛ばないのです。(同書簡21。善意と祈りは、飛行機をどこまで飛ばすかを決めるのに役立ちます。)
教会における信徒的メンタリティーは、信徒修道者にとってさえ、教会憲章31の意味と共鳴するものではありません。信徒は、修道者であろうとなかろうと、恵みの必要を感じます。彼は、自分がこの世の事柄をそれに向かって秩序づけようとしている神の国を知り、その神の国を生きなければなりません。信徒の召命は、歴史を作るようにとの呼びかけです。(同書簡22-23参照)明らかに、これがサレジオ会修道士の働きの場です。
彼は洗礼によって、神の民の預言的、王的司祭職に属するので(教会憲章34-36参照)、この世界を主の真の神殿とし、人間の数限りない活動を、聖体のキリストと溶け合う、意識的な生き生きとした典礼に変容させるため、働きます。こうして被造物は、救いの歴史を通して神と人との愛の対話となり、世界はこの相互の交わりの秘跡的仲介の装いのうちに眺められるようになります。
このような召命によって、信徒は「世俗の不浄(profane)」の中から聖性の豊かな鉱脈を掘り出すことができ、特別な福音的企画を率先した聖なる創立者たちによって道を示された、霊的高みに届くことさえできるのです。その創立者たちの中でも、産業革命の始まった時代に、聖職者、修道者、信徒、すべての人にふさわしい使徒的活動の特別な霊性を人類に差し出すため、ドン・ボスコを興してくださったことを、私たちは聖霊に感謝します。(同書簡23-24)
ヴィガノ神父は、「生活の典礼」という考えを発展させます。この世界は、事実上、神の人類との対話の秘跡です。キリストを受肉した共同体は、自らを、そして自らの世界を御父に捧げます。神の御言葉は、記念する(celebrating)共同体の神殿の中に、また宇宙の137億年のささやきのうちにあります。私たちの賛美は、作業場から、また祭壇から神へと上ります。
修道生活における信徒的次元は、共同体の中で実現します。ここでヴィガノ神父は、信徒修道者の生活は、世間の中で生活しない点で一般信徒の生活と異なると説明します。家族の中、世俗の事柄に浸って生活するのではなく、生活のあり方によって福音を告げ知らせる共同体の中で暮らします。ここで再び、修道生活の預言的考え方が見られます。(同書簡25-27参照)
このような共同体の中で、どのような霊性が成長しうるのでしょうか。世俗的であるため、共同体は信徒を活性化し、職業の世界とつながることができます。司祭的であるために、共同体はどの方向へと活性化したらよいかを知っています。
この世俗的なスタイルは、柔軟な構造、個人による物の所有、簡単な修道服か、あるいは全く着用しないこと、適応性、家族的精神、修道院的でない普通の言葉遣いに表れます。最も重要なのは、それが私たちの共通の霊性に表れることです。
私たちの活動の本質そのものが、世俗に対して開かれたあかしと奉仕へと傾いたものです。聖フランシスコ・サレジオの「活動-霊性」は、明らかにこの世界の価値に関心を持つものであり、観想の次元と修道誓願の豊かさを、人々の中に愛の社会を築くことを目指す教育へと翻訳するものです。私たちが予防教育法のなくてはならない信念をその中で生き抜く、若者と大衆の中での使命は、サレジオ会の福音化への取り組みを、この世の文化と社会教育という経路に沿って導きます。それは、なくてはならないキリストの神秘へと人間の成長を開く道です。(同書簡33)
聖フランシスコ・サレジオがこの世で生活を営む人々のために聖性の計画を作ったように、ヴィガノ神父はドン・ボスコについてのリナルディ神父の言葉を引用します。「修道的完成を、社会のあらゆるレベルで手に届くものとした。」
信徒的メンタリティーは、霊的体験の場としての世界というビジョンに関わるものです。被造物は善いものであり、霊的価値を教えることができます。司祭と信徒のそれぞれの次元を合わせて、共同体は神の国としての世界を夢見、より神の国に似たものになるようこの世界を築き、生活の典礼の中で神の国を祝います。修道共同体の目で見た信徒の霊的ビジョンであり、世界を見て、世界を知る目、愛をもって世界を見る目です。
ヴィガノ神父は、動揺を引き起こすような数値を書簡で報告しています。修道士の数の減少と、会員の中に修道士全員の占める割合の減少に焦点が当てられています。次の表とグラフは、より全体的な視野を与えてくれます。修道会としての会の全体を表すものです。これはヴィガノ神父の結論を裏付けています。1970年以降、修道士の数とパーセンテージは減りつつあります。
表1:サレジオ会修道士の人数と割合
グラフ1:サレジオ会修道士の人数と割合
どうしたらいいのでしょうか。ヴィガノ神父は、解決は、すべてのサレジオ会員の養成の刷新にある、と主張します。すべての修道士が教育者、霊的な人として十分な養成を受けるだけでなく、会全体がその信徒的次元を再発見しなければならないということです。
ヴィガノ神父は、50年以上かけて発展した教えである、養成の基本的な一致についてサレジオ会員に思い起こさせます。初期養成は、同じ諸段階、同じサレジオ的内容を持ちます。共同生活は、それ自身、養成的です。養成の一致によって、司祭と修道士は、共に働くことへと備えるように求められています。
これらをふまえてさらに、修道士は聖なる者であることによって召命をひきつけなければなりません。
2.5. 第22回総会と会憲(1984)
ヴィガノ神父の書簡の四年後、新しい教会法が発布されて一年後に、サレジオ会は第22回総会を開催しました。この総会は、第19回総会によって始められ、第二バチカン公会議によって命ぜられた刷新の過程を締めくくりました。
総会を召集する書簡がはっきり述べているように、この総会の主な目的は、会憲会則の最終的な版を出し、第二バチカン公会議の命に応えて特別総会で作られた試行的な版と替えることでした。また、総会は、総長の「会の現状」報告を考察し、新しい総長と最高評議会を選出することになっていました。
ローマで1984年1月14日に始まった総会には、四人の修道士が議員として選出されていました。さらに四人のがオブザーバーとして参加しました。総長ヴィガノ神父は開会のあいさつで次のように言いました。
私たちは、研究、調査、見直し、再構成を行った長い期間を終えようとしています。それは二つの重要な総会、第20回の特別総会と第21回総会のうちに熟しました。私たちは何もないところから始めるのではありません。たどってきた道の終わりに近づいているのです。私たちは神の恵みによって、時のしるしと第二バチカン公会議によって示されたことに知的な注意を払いながら、また私たちの起源の霊的遺産への忠実を保ち、これに新たな命を与えたいとの真摯な望みをもって、この道をたどってきました。(第22回総会文書18、Roma, Editrice S.D.B. 1984)
この少し後で、ヴィガノ神父は、ドン・ボスコがバルベリス神父に言ったことを想起しています。「私は会の大まかな写しを作っています。後から来る人によい写しを作る仕事を任せましょう。」(第22回総会文書22、バルベリス神父への言葉はMBⅩⅠ,309からの引用)
この研究の主題により特定的に結びついたもう一つの問題を、ヴィガノ神父は4月17日の発言で取り上げています。彼の考えでは、会の信徒的構成要素が危機にあるとき、会全体のアイデンティティーが危機に瀕します。この考えは、ヴィガノ神父の1980年の手紙に見られます。彼がそのときに書いた信徒と司祭の補完性は、それまでの過去三回の総会が言及しているものですが、共同体が牧者の愛の中心、使者となるために必要です。ヴィガノ神父は、共同体の奉仕職における牧者の愛のこの中心的働きのために、責任者の司祭職が必要であるとも付け加えています。(第22回総会41)
アイデンティティーの危機に関連するのは、人数的な危機で、総長はその「会の現状」報告書の中で「警告」を発しています。「信徒の時代」にあって、信徒的次元を刷新することのできた男子修道会はないかのようです。私たちにとって修道士の不足は、特に、第三世界における取り組みに痛手を与えるものでした。特にヴィガノ神父に動揺を覚えさせたのは、新たに誓願を立てる会員の中で修道士の占める割合でした。1978年から1983年にかけての6か年では11パーセントでした。80年代後半には13パーセントに上がりました。「警告」は、少し効果がありました。
今度は、1984年の新しい会憲を見てみましょう。
刷新の過程は、新しい会憲を生み出しただけでなく、新しい会則も生まれました。より大切なことは、会憲会則やそのほかの私たちの法が、「生活の規則」として捉えられるような視点がもたらされたことでした。
「生活の規則」は、会憲と全く同じではありません。1984年の会憲会則の序文は次のような言葉で始まっています。「愛する会員の皆さん、わたしたちの生活の規則がようやくここに刷新され、認可されました。」同書にはもちろん、会憲だけでなく会則も収録されており、1972年の版に収められたのと同じドン・ボスコの霊的著作も収められています。
「生活の規則」は、単なる文書の寄せ集めではありません。それは生き方であり、心に書かれた「規則」です。このことは、サレジオ会員は三誓願だけでなく、会憲を生きることも誓願するということです。端的に言えば、「生活の規則」は、ドン・ボスコがバルベリス神父に語ったところの「よい写し」を作ることなのです。(第22回総会文書90-92)
第22回総会は、会憲会則の1972年版の材料とその基本的方向性を残すことにしました。それは、私たちの使命、交わり、奉献について取り扱い、それから養成や組織に取り組むことを意味していました。同時に同総会は、そういったことすべてに先立ち、第1部で「教会とドン・ボスコのサレジオ会員」、すなわちアイデンティティーについて取り上げることにしました。1972年版と同じように、1984年版の会則は、特に第5章以降、1984年版の会憲の構成におおまかに従うものになっています。
ヴィガノ神父は、会憲会則がサレジオ会のアイデンティティーの基本的文書であることに疑いの余地を残しません。序文を次の言葉で始めます。「愛する会員の皆さん、わたしたちの生活の規則がようやくここに刷新され、認可されました。会員が身分証明書(idenntity card)として携帯すべき手ごろな小冊子のかたちで、この規則書を皆さんにお渡しします。」
第1部は三つの章に分かれています。一つは聖フランシスコ・サレジオ会について、それからサレジオ会精神について、そしてサレジオ会員の誓願についてです。
初めのほうの条項がアイデンティティーの問題をどのように提示しているかを見てみましょう。第1条は、聖霊の働きによる神のイニシアティブが、マリアを通して、貧しい青少年の救いのためにドン・ボスコを興したことを明らかにします。奉献は神の御業です。神はまた、サレジオ家族を創立するようにドン・ボスコにインスピレーションをお与えになりました。
第2条は、私たちのアイデンティティーを初めて巨視的に眺めたものです。聖霊がドン・ボスコに始めるようにと促されたのと同じ計画を遂行するため、私たちは教会の中にあるのです。教会の使命と聖性に奉仕する修道生活という考えが、ここに種蒔かれています。ドン・ボスコにこのような計画の考えを与えた聖霊が、その遂行のために私たちを助けてくださいます。聖霊は、私たちが「若者たち、特に貧しい若者たちへの神の愛のしるし、運び手」となるのを助けてくださいます。愛を届ける愛のしるとは、まさに秘跡です。教会はそのようなものであり、サレジオ会共同体も、また実に一人ひとりのサレジオ会員も、皆、洗礼によってそのようなものなのです。したがってこの条項は、サレジオのアイデンティティーの基本的構造として、ドン・ボスコの使命によって特定化されたキリスト者共通の召命を示しています。
第3条は会憲第2部の構成を前もって示しています。
主の弟子としてのわたしたちの生活は、御父の恵みである。御父は、ご自分の霊の賜物によってわたしたちを聖別し、青少年の使徒として派遣される。
キリストに従って歩み、神の国の建設をめざしてキリストとともに働くため、わたしたちは修道誓願によって自分を神にささげる。使徒的使命・兄弟的共同体・福音的勧告の実践は、わたしたちの聖別奉献の分けられない要素であって、神と兄弟への愛に生きるただ一つの行為をなしている。
わたしたちの生活全体を特徴づけるものは使命であり、これが教会におけるわたしたちの役割を明確にし、修道諸家族内でのわたしたちの位置を決める。
神の御業としての奉献ということは、第1条から取り上げられています。そこでは、奉献が使命、交わり、修道生活を統合するものとされています。互いに切り離すことのできないこの三つの要素は、会憲第2部の四つの章のうち三つ題を飾っています。
私たちの使命は、キリスト者としてのより一般的なアイデンティティーの下の、特定化するアイデンティティーです。交わりと福音的勧告の実践は、そのように扱われていません。それらは、すべての修道者に共通するものです。第3条が、アイデンティティーの特定化のために二つの方法を用いていることに注目してください。全体的影響を与えるもの(使命)と、ほかのアイデンティティー(ほかの修道会のアイデンティティー)との比較による特定です。
すでに第3条は、神の国を建設するためにキリストに従うよう求めながら、サレジオ会アイデンティティーの司祭的受肉と信徒的受肉の一致が垣間見えるものになっています。私たちは自分の人生・生活と仕事の贈り物を、永遠の大祭司イエスと共に、御父に捧げます。それは、聖霊の賜物が、宇宙万物の贈り物の上に降りて来られる(epiclesis)ようです。私たちの使命と私たちのエウカリスチアに影響を与える信徒的次元がここにあります。神の国の建設は信徒的働きです(教会憲章31)。私たちは「すべての現世的な働きが、絶えずキリストに従って行われ、発展し、創造主とあがない主の賛美になるように、それらすべてに光をあて方向づけ」ます。時の終わりに、大祭司キリスト、頭とその体は、感謝と栄光を帰し、賛美する司祭的な行いとして、その神の国を御父に引き渡されます。贈り物を用意し、それを捧げることは、神への愛、また私たちの兄弟への愛の一つの運動です。これが「生活の典礼」です(「ドン・ボスコのサレジオ会員の生活の計画」Francis Marracani編、1986年ローマ、p.173-179)
第4条は、会の形について取り扱います。その形は、司祭的であると同時に信徒的なものです。それは、1858年の草案から1966年版会憲の第12条に至る第二バチカン公会議以前のすべての版にあるように、単に会員を教役者と信徒に分けることによってではありません。むしろ、「教役者と信徒……は兄弟として補い合いながら、同じ召命をともに生きる。」この補完性は、私たちのアイデンティティーの一部です。私たちの解説者チームは、ヴィガノ神父が1980年の書簡で示唆したことをここに見とめ、第22回総会の閉会に当たり、次のことを大胆に述べました。サレジオ会員一人ひとりの心に同時に存在する信徒的次元と司祭的次元についてです。共同体全体は、司祭的次元、また信徒的次元で行動します。(同書簡5-7、第22回総会80)
第5条は、サレジオ会をサレジオ家族と結びつけるだけでなく、個々の会員を、そのうちにあるはっきりとした召命によってサレジオ家族と事実上結びつけています。サレジオ家族の諸グループが、「同じ精神と相互の交わりによって生きながら、それぞれ異なる固有の召命をもって、ドン・ボスコが始めた使命を受けついでいる」なら、サレジオ会共同体における司祭と修道士の補完的関係は、サレジオ家族の中のさまざまな召命の関係と似ています。
先に、1972年版の会憲を起草する際に、第20回総会は次のように述べました。
サレジオ会精神は、私たちの世界とキリスト教における秘義(何よりも、福音、教会、神の国など)の諸側面や諸価値の複合である。ドン・ボスコの息子たちはそれらに対し、聖霊のインスピレーションを集めながら、自らの使命のゆえに、内的な姿勢におけるのと同様に、外的な行いにおいても、特に敏感である。(特別総会文書86)
簡単に言うと、サレジオ会精神は、諸価値に加え、生活と行動のスタイルから成り立っているということです。諸価値とそれに基づいた行動のあり方の全体的編成は、1984年版においても用いられています。ここで、サレジオ精神のスタイルやインスピレーションがそこにどのように詰め込まれているか、見てみましょう。
第10条は、「サレジオ会精神」という言葉の意味を会憲がどのようにとらえているかを示しています。
ドン・ボスコは神の霊感を受けて独創的に生き、そして働き、その方法をわたしたちに伝えた。これがサレジオ会精神である。
この精神の中心と総合は牧者の愛であり、その特徴は、創立者の中に、また、本会の草分けの時期にきわめて顕著に示されていた若々しい活力である。それは、霊魂を求め、神のみに仕えさせる使徒的情熱である。
したがってそれは、牧者の愛の価値を表現する、若々しくダイナミックな生活と行動のあり方です。その中心的価値(会憲第10-13条)は、特定のあり方で関係を築くこと(会憲第14-17条)、特定のあり方で司牧奉仕すること(会憲第18-20条)へと私たちを動かすものです。
サレジオ会精神は、現行の会憲の12の条項において次のように編成されています。
表2 1984年版会憲におけるサレジオ会精神
中心的価値である牧者の愛
基本的レベル:牧者の愛、私たちの精神の中心
基本的レベル:神の父性
個人的レベル:神の御旨に注意深いこと、活動における観想者。三位一体的祈り。(第85-95条の祈り)
教会的レベル:教会の感覚、神の国のために働く人々の中心。
関係性のスタイル
青少年の優先
慈愛、貞潔、霊的父性
家族精神
楽観性と喜び
教育の司牧活動のスタイル
仕事と節制
イニシアティブと柔軟性、質の管理
霊的体験としての予防教育法
模範であるドン・ボスコ
第11条は、基本的な模範として、父の使徒、キリストの聖心を提示します。サレジオ会精神が牧者の愛に基づくものであるなら(会憲第10条)、善き牧者イエスを指し示すのはもっともなことです。福音をサレジオ的な読み方で読んでいます。御父への感謝、貧しい青少年への愛、御国への情熱、善き牧者がとられる方法、一致へと一つになる望みなどです。
第12条は、第85-95条における私たちの祈りのスタイルに方向を提供してくれます。その神学的土台と私たちのアイデンティティーにおけるその位置とがここで示されています。
青少年を救うために働くとき、サレジオ会員は父なる神のこころを体験し、活動の神的次元をつねに念頭に置く。「わたしを離れては、あなたたちは何もすることができない」(ヨハネ15・5)からである。
サレジオ会員は神との一致を深める。それは生きておられるキリストと、また、身近に感じる御父と、率直に、心から対話をし、絶えず祈る必要を意識するからである。わたしたちのうちにおられる聖霊に注意を向け、なにごとも神を愛するために果たしつつ、ドン・ボスコにならって、活動しながら観想に生きる者となる。
サレジオ会員の神との一致は、まさに「絶えず祈ること」にほかなりません。会員は、仕事を祈りとすることによって、あるいは「活動しながら観想に生きる者」となることによって、これを果たします。ここに、信徒の霊性へのもう一つの手がかりがあります。私たちが見てきたように、神の国の建設のためのしっかりとしたよい働きは、御父への司祭的な捧げものですが、それはイエスのうちに、イエスを通してはじめてなされます。すなわちそれは、イエスの体である教会においてです。この考えは、たゆまず働くことに関する第18条で再び取り上げられます。
第13条は、この教会的レベルにおける牧者の愛について、さらに語ります。教会においてキリストを愛することは、教皇への忠実、また司教と地方教会との交わりへと導きます。第85条は後に、共同体の教会的次元を明らかにします。共同体は、教会のイメージにほかなりません。第13条は、私たちの目的が若者を教会の中に参加させることであることを明確にします。
第14-17条は、サレジオ会精神の伝統的要素に触れます。青少年を優先すること、慈愛、家族精神、喜び、楽観性です。これらは、叙階されていてもいなくても、すべてのサレジオ会員に共通するものです。
第18条は、サレジオ会員が神と共に創造し、御国を建設するためにキリストと共に働く、と述べます。これらの活動は、すでに見てきたように、教会における信徒の奉仕職にふさわしいものです。しかし会憲は、それをサレジオ会修道士のすることだとは言っていません。それは、すべてのサレジオ会員がすることであり、できることなのです。会全体が信徒的次元を持つからです。司祭だけでなく、すべてのサレジオ会員が、自らの生活と仕事とを「生活の典礼」において神を喜ばせる捧げものとする、ということを思い出してください。それは、会全体が司祭的要素、司祭的次元を持っているからです。
第18条は、解説者チームの考えでは、ヴィガノ神父が数箇所で触れている信徒的感性の「専門職業的質の充実」を私たちに思い起こさせます。すなわち働く人は、仕事のために祈るだけでなく、自分の行っていることに注意を払うべきだということです。ヒューレット・パッカードのプリンターに装着されたキャノンのプリンター・ドライバーを直す唯一の祈りは、祈りつつ正しいドライバーを入れることです。(第22回総会文書82ヴィガノ神父による閉会のあいさつ 参照)
第19条は、質の管理を命じています。「自分の活動を定期的に点検する。」思い出されるのは、質の管理は、第3回および第4回総会で修道士に勧められた活動です。しかし1984年版の会憲は、これを正しくも共同のサレジオ会精神のうちに位置づけています……再びこれも、強い信徒的要素と感性がなければ不可能です。
ここで、第4条に紹介される補完性の問題に焦点を当てたいと思います。サレジオ会共同体の中で、司祭と信徒、それぞれの次元がどのように一緒に働くか、ということです。
第45条は、この問題の核心に触れます。強調箇所を加えて、下にこれを再び引用しました。四つの段落から成るその構成に注目してください。中の二つでは、修道士と叙階を受けた会員のそれぞれのアイデンティティーが対比されます。それを挟む形の外側の二つは、両者のアイデンティティーの一致を描き出します。最初の段落は使命について取り上げ、最後の段落は共同体について取り扱います。
わたしたちは皆、共通の使命に対して責任を負う。会員は、唯一のサレジオ会召命を共有する信徒または司祭として、各自の豊かな賜物をもってこの使命に加わる。
サレジオ会修道士は、教育と司牧のあらゆる場で、信徒固有の価値を提供する。それゆえ修道士は、青少年と労働界の現実に身近に接する者として、独自の立場でこの世における神の国の証人となる。
サレジオ会司祭または助祭は、人間の向上と信仰教育という共通の活動に、その役務をもって貢献する。それゆえ、特に福音宣教と秘跡の授与をとおして牧者キリストのしるしとなる。
サレジオ会共同体の中に教役者と信徒の会員がいて、互いに補い合う事実は意義深く、本会共同体の使徒的性格と完成に本質的な条件となっている。
外側の二つの段落はそれぞれ、使命の霊性、そして交わりへと開かれています。
中の二つの段落は見事な並列を成しています。(強調箇所はやはり筆者による)
表3 会憲第45条における補完性
サレジオ会修道士は、 サレジオ会司祭または助祭は、
教育と司牧のあらゆる場で、 人間の向上と信仰教育という共通の活動に、
信徒固有の価値を提供する。 役務をもって貢献する。
それゆえ修道士は、青少年と労働界の それゆえ、特に福音宣教と秘跡の授与をと
現実に身近に接する者として、独自の おして牧者キリストのしるしとなる。
立場でこの世における神の国の証人と
なる。
各段階で、信徒サレジオ会員と司祭サレジオ会員のアイデンティティーの違いが相まって、一種の複合的行動、あるいは押す人・引く人のチームワークのようなものを構成していることに注目してください。修道士は、この世がキリストの御国に形作られるように押し、善き牧者イエスは、愛をもってこの世を御父へと引きます。
特に第2条、第3条に見られるような使命の神学的意味を説明しながら、ヴィガノ神父は、第22回総会の閉会のあいさつで、私たちが、「青少年に対して、神の愛のしるしとなり、伝え手となろうとする」(会憲第2条)者であると述べました。
この意味で、私たちが行うことは何でも、たとえそれ自体はこの世の秩序に属するものであっても、私たちの奉献生活のうちに入る(これこそが大いに革新的なことです!)ものとなります。私たちが教会を通して受け取った使命に、またその共同体的次元に、その特別な福音的あかしに、それが覆われているためです。(第22回総会文書62)
それからヴィガノ神父は、1980年の「信徒的次元」についての書簡で述べた考えを発展させ、会憲第45条を守ろうとするならば、一人ひとりのサレジオ会員が両方の次元を理解しなければならないことを示します。
そのためには、会員一人ひとりの人格の特別な養成が求められます。一人ひとりの聖職者であるサレジオ会員の心に、共同体の信徒的次元に結ばれ共に関わっているという親密な感覚があるように、そして一人ひとりの信徒サレジオ会員の心には、共同体の司祭的次元について同じ感覚があるように。
その一人ひとりのメンバーにおけるサレジオ会共同体こそが、こういった感性をあかしし、「司祭的」であると同時に「信徒的」であるような取り組みを遂行するのです。(第22回総会文書88)
この信徒的次元を皆の心に植え付けることによってこそ、まさに「警告」に答えが与えられる、とヴィガノ神父は続けています。1980年の書簡から、いくつかの信徒的姿勢を想起しています。それは、具体性、専門性、適応性、着実さ、連帯性、仕事の霊性などです。(第22回総会文書81-82、また1980年書簡17、28-34参照)
2.6. 名称
1984年の会憲会則は、coadjutor、「信徒サレジオ会員」、「サレジオ会修道士」という名称を使うに当たって興味深い選択をしています。また、イタリア語版と英語版の間に違いもあります。
英語版の語彙表にはCoadjutorとSalesian Brother(サレジオ会修道士)の記載があります。イタリア語版の語彙表にはCoadiutoreとSalesiano coadiutoreの記載がありますが、英語のSalesian Brotherに対応するSalesiano fratelloという言葉はありません。イタリア語では、brotherという言葉が全く用いられないということにすぐ気づきます。
英語の語彙表のCoadjutorの項を見ると、Salesian Brotherの項参照とされています。その項は、正確には補足があり、Salesian Brother(Coadjutor)となっています。こうして英語はcoadjutorから離れていきます。実際にこの言葉は、語彙表以外には見当たりません。しかし、イタリア語版では、Coadiutoreの項はSalesiano cadiutoreを指し示し、英語のようにcoadjutorを捨ててbrotherを採用することはありません。実際のイタリア語の項にも補足があります。それはSalesiano coadiutore(laico信徒)となっています。イタリア語では、修道士のアイデンティティーにおける信徒的要素が英語よりも明確に打ち出されています。
どちらの語彙表も、Salesian brotherあるいはSalesiano coadiutoreという用語を含む条項として、会憲第45条、第106条、第116条、会則第98条、第169条を挙げています。しかし、会憲第106条と会則第98条を見ると、英語はlay Salesians(信徒サレジオ会員)となっています。イタリア語では、同じ箇所でsalesiani laiciとなっています。これらの用語は語彙表に記載がありません。同様に会則第169条ではclerical and lay members(教役者会員と信徒会員)、laici e chiericiとなっています。会憲第45条はlay SalesianとSalesian brother、あるいはsalesiano laicoとsalesiano coadiutoreという二つの形を含んでいます。同様に、イタリア語の会憲第116条は、salesiano coadiutoreとsalesiano laicoという二つの形を含んでいます。しかし英語と比べるとその使われている位置は逆です。本文の中でcoadiutore、そして見出しの中でlaicoが使われています。
語彙表は会憲第62条のLay members、あるいはsoci laici(信徒会員)という用語は取り上げていません。この用語は、「補完性」の項にも見られます。その項は、「サレジオ会召命と使命における、教役者と信徒会員の相互補完性」に関する内容を含むものとして、会憲第4条、第45条、会則第169条を挙げています。ここでは、英語はイタリア語をそのまま正確に訳しています。
会憲第113条は、lay SalesianあるいはSalesiano laicoという語句を用いていますが、やはり語彙表には載っていません。会憲第4条も見過ごされています。そこには、サレジオ会がclerics and laymenあるいはdi chierici e di laici(教役者と信徒)から成っているとあります。
Lay Salesianあるいはsalesiano laico(信徒サレジオ会員)という語句を含む条項を見るならば、次の五つが挙げられます。会憲第45条、第106条、第113条、第116条、会則第98条です。このリストに、lay membersあるいはsoci laici(信徒会員)という語句を用いている会憲第4条と62条を加えることができるかもしれません。Salesian brotherとsalesiano coadiutoreについても同様に、語彙表に頼らず、正確に問題の語句を用いている箇所を注意深く選ぶなら、二つしかないことがわかります。会憲第45条と第116条です。英語版でもイタリア語版でも、より頻繁に用いられているlay Salesianとsalesiano laicoが語彙表に記載されていないのは不思議です。
Lay Salesian(信徒サレジオ会員)とそれに等しい語句が、神学的により正確である、というのが私の立場です。私たちのアイデンティティーをよりよく表していると思います。しかし若い人々には、その説明が必要でしょう。
サレジオ会修道士の霊的アイデンティティーの適用
私たちにはアイデンティティーがあります。それをどうしたらいいのでしょうか。
まず、それを使いましょう。人にその価値を認めさせることができるでしょうか。若い人々にそれを理解させ、考えさせ、それを生きるようにさせることができるでしょうか。会憲会則の刷新後の総会文書に加え、活性化を担当する部門から出された文書は、基本的にそれを行ってきました。それらは、召命・養成計画を生み出すために、例外もありますが、会憲第45条に見られるアイデンティティーを用いてきました。
次に、それを試します。その一つの方法は、そのアイデンティティーを明らかな成功例と比較してみることです。この提示されたアイデンティティーは、本当に事実と合っているでしょうか。つまり、聖なるサレジオ会修道士の人生・生活に当てはまるでしょうか。もう一つの方法は、会憲第19条の精神において召命・養成計画を見直すことです。
適用のための最終的な行動は、試験結果を用い、立ち返ってアイデンティティーをさらに練り上げることです。
3.1. 模範:アルテミデ・ザッティ
アルテミデ・ザッティ修士が最近、列福されました。ベッキ神父は最後の方の書簡で、奉献された信徒サレジオ会員の召命の模範として、彼を指し示しました。ここで私たちはアイデンティティーを試してみることができます。ザッティ修士の生涯は、サレジオ会修道士のアイデンティティーとして提示されているものに当てはまるでしょうか。
アルテミデ・ザッティは北イタリアのレッジオ・エミリア州のボレットという町に、労働者階級の両親の子どもとして1880年に生まれました。この州はロマーニャ地域にあり、ポー谷のすぐ南に位置しています。パルマから北東に12マイルほど、ボローニャからは北西に60マイルほどのところで、ポー川のほとりにあります。
ザッティ修士は1897年に家族と共にアルゼンチンに移住しました。両親、ルイジ・ザッティとアルビーナ・ベッキは、ブエノスアイレスの南、コロラド川のほとりのバイーヤ・ブランカに一家を定住させました。そこは、サレジオ会宣教師たちがパタゴニアの奥地に入り始めていたカルメン・デ・パタゴネスからそう遠くありませんでした。またそこは、彼の甥の息子フアン・ベッキ神父が生まれたヴィエドマからも近いところです。そのあたりの移民は圧倒的にイタリア人が多く、思想的には反聖職主義、労働者階級の人々でした。
一家は、サレジオ会に任されていたあがないの聖母小教区に所属するようになりました。こうしてアルテミデは私たちの網にかかった訳です。そこには高校と職業訓練校もありました。一家の大切な友人となったカルロ・カヴァッリ神父は、若いアルテミデにとってはドン・ボスコの写しでした。そのときから1900年まで、青年ザッティはサレジオ青年労働者の会で活動しました。
ザッティはドン・ボスコの伝記を読み、カヴァッリ神父のうちにその生きた姿を見ました。この霊的指導者は、サレジオ会司祭を目指して勉強するよう、ザッティを励ましました。そこで、彼はベルナルの志願院へ行き、そこで二年間勉強しました。
しかし、1902年にザッティは結核を患いました。世話をしていた若い司祭から移ったのでした。そこで、会は彼をヴィエドマに送りました。そこでザッティは、やはり結核を患う若いインディオの青年、ゼッフェリーノ・ナムンクラに出会っています。
5千人ほどの人口のその町では、サレジオ会と扶助者聖母会がそれぞれ高校を運営していました。サレジオ会は職業訓練校、農業学校、聖ヨゼフ病院も運営していました。ザッティは、免許を持たずに医師の仕事をこなしていたエヴァジオ・ガッローネ神父の下、病院の薬局で働きました。彼の健康状態は改善し、司祭を目指して勉強を再開することも考えられるほどになりました。彼は薬剤師の仕事をよく覚え、まもなくガッローネ神父の右腕になりました。
当時、結核は不治の病でした。せいぜい抑えることができる程度でした。そのことと、貴重な協力者として彼を手元に置きたいと願ったガッローネ神父の訴えとにより、長上たちは、サレジオ会修道士の召命を彼に提案するに至りました。1904年から1906年にかけてのある時点から、アルテミデはその道を歩み始めます。彼は、健康が回復されるならば、貧しく、病を患う隣人たちに身を捧げることを聖母に約束したようです。彼はそのことを、少し前に(1911)亡くなったガッローネ神父の聖性を証言するために書いた1915年の手紙で、はじめて明らかにしています。
ザッティは1908年に誓願を立てました。彼にとって、司祭職と修道士の召命は、ただ神と隣人に仕えるための二通りの道でした。
彼の健康は回復し、ガッローネ神父が亡くなった後、薬局の責任を引き継ぐことができたほどでした。彼は昼も夜も、病院の患者たちを見舞いました。彼はあの有名な自転車に飛び乗り、助けを必要とする人を探したり、彼が人を助けるのを助けてくれる人々を捕まえたりするために町を走り回りました。
病院は、1915年に新しい敷地に移り、ザッティ修士が管理責任者になりました。彼はメンテナンスを監督し、職員を養成し、雇用を管理し、物品の購入をこなし、手が足りないときは手術助手までしました。
ザッティの典型的な一日は、次のようなものでした。
4時半あるいは5時に起床、それから黙想、ミサ。
7時ごろ病棟へ。「みんな、まだ生きてる?」「生きてるよ、ブラザー・ザッティ!」彼は確かめるために患者一人ひとりを見回ります。薬の必要な人もいて、手配をしたりします。
朝食、その後、再び患者一人ひとりを見回り。
自転車に飛び乗り、自宅にいる患者のところを回ります。主な仕事の内容は、抗生物質を与え、注射をすることでした。
正確に12時に共同体で昼食を取り、bocceをして遊びました。これは決して逃しませんでした。
2時から4時は、再び自転車で外出。
午後4時、共同体でお茶。これも決して逃しませんでした。
午後遅くなってからデスクワーク。仕事がないときは、病棟を訪ねるか、あるいは自転車で外を回りました。
午後6時、霊的読書、時には兄弟たちと一緒に聖体降福式。これも決して逃しませんでした。それから病棟へ行き、夕食時の患者の見回り。8時少し前に患者たちにボナノッテ。
8時、兄弟たちとの夕食。
9時ごろ、自室で、デスクワークあるいは個人的な勉強。彼は、登録正看護士にだいたい相当する、診療士としての政府発行の資格を取得していました。また、ラプラタ大学から薬剤師の免許も得ていました。
彼は夜間、いつでも呼び出しに応じていました。
1950年7月、ザッティ修士ははしごから落ち、起き上がりましたが痛みは消えませんでした。数ヵ月後、医師たちは治療不可能な肝臓癌を発見しました。ザッティは体が動くかぎり働きつづけました。自分の死亡診断書を自らほとんど記入した後、1951年3月15日、待ち望んでいた天国へ旅立ちました。町中の人が葬儀に繰り出しました。
ベッキ神父は、サレジオ会召命とキリスト者としての生き方という観点からザッティ修士の生涯の霊的意味を、そして書簡の後の方で、修道士の召命の姿を表すものとして読み取っています。
ドン・ボスコは、どのようにしたらイエスに似た者となれるか、アルテミデ・ザッティに示しました。それは多くの若者にとり、聖性への道となってきました。
ドン・ボスコとザッティは、青少年と貧しい人々への使命に全面的に献身しました。ベッキ神父は特に、ザッティの生涯が何であったかを説明するために、善きサマリア人の姿を好んで用いました。ここに、関連する使命の教会論と共に、特別総会が1972年に描き出した(特別総会文書23-30参照)使命の霊性の適用が見られます。それはその後、いくらか交わりの教会論の陰に隠れてしまっていますが。
ザッティは、患者たちをイエスと見なすことで知られていました。「10歳のイエスさまのために温かいスープと服がありますか?」「シスター、75歳のイエスさまのために衣類とベッドを用意できますか?」
この霊的ポートレートの中心にあるのは、牧者の愛です。ザッティは、神への愛を隣人への愛と統合させていました。それは、da mihi animas, caetera tolle を行動に表したものでした。
イエスは、そしてイエスの模範に倣うザッティも、癒し、教えたということに注目してください。イエスも、ザッティも、最も助けを必要とする人々に愛をもっていつでも応えました。イエスもザッティも、言葉と模範によって教えました。ザッティの場合、その言葉は、神の愛を思い起こさせるひと言、家族の間で言い交わされる冗談、死を前にしても神の御旨に従うようにとの励ましなどでした。
修道士や職人、これがフィリッポ・リナルディ神父の最も好んだテーマだったことを先に見ました。それは、ドン・ボスコの職業訓練校に根ざしていました。ベッキ神父はこのテーマを取り上げる際に、リナルディ神父の教皇ピオ十一世との出会いについて語っています。ベッキ神父はまた、そこから引用はしていませんが、ヴィガノ神父の1980年の書簡に影響を受けているようです。次の点を考えてみましょう。
人間的価値にはそれにふさわしい固有の尊厳がある。
自然の法則や現実には正当な自律性がある。
愛徳は、賢い計画と勤勉な働きに照らされなければならない。
ザッティは、霊的成長と職業専門における成長を、聖性への計画のうちに統合させました。
愛をもってよく働きなさい。働くことの助けとして、科学や技術を信頼すること。
ベッキ神父が指摘した危険は、職業的専門性が霊性を窒息させてしまうことでした。ベッキ神父は特に指摘していませんが、ヴィガノ神父が指摘する危険は、次の言葉に表れています。「善意によって飛行機を飛ばすことはできない。」ベッキ神父は、解決策を示しています。「統合の恵み」です。
ベッキ神父は、列福調査書から統合された霊的ポートレートを読み取ります。ここに、円熟した人格の、実際的であると同時に霊的な人がいます。彼は医療の専門的提供者であり、管理運営責任者、共同体の人、病気の人々が歩まなければならない死の暗い谷を導く優しい案内者です。
ザッティはドン・ボスコのように、多くの複雑な「この世的」な事柄に忙しく関わりながらも神と一致していられる人として、私たちの注意を引きつけます。
ベッキ神父は書簡の中で何度か、ザッティの聖性の共同体的次元を指摘しています。冗談やゲーム、食事、祈りなどに喜びにあふれて加わり、共同体の行事にいつもあずかっていることです。
ここに、ドン・ボスコのように、多額の資金を取り扱いながら、自分のためには一銭も取らない人がいます。ここに、イエスのように、御父が示された道を歩んだ人がいます。たとえ自分からは、その道を選ばなかったとしても。
ザッティ修士の生涯の霊的意味を考察した後、ベッキ神父はさらに、特に修道士の召命についてそこから学ぶことがないか、考察します。それが、この召命の神学的理解のためにこの書簡が果たした貢献です。
書簡のこの部分は、共同体における修道士と司祭の関係を中心に構成されています。会憲の第45条が多かれ少なかれ同じように構成されているように。しかし、ベッキ神父は、この条項よりも共同体を強調しています。それは、来る第25回総会を視野に入れているだけに驚くことではありません。実に、ベッキ神父は次のように問いかけています。「信徒の身分は、修道士が奉献されたサレジオ会員であることにどのように貢献するのでしょうか。また、奉献されたサレジオ会員であることは、信徒であることにどのように影響するのでしょうか。」そしてベッキ神父は、サレジオ会共同体のユニークな性格をその答えとして提示します。それは、司祭と信徒が共にある共同体です。
第24回総会が第25回総会と結びつくのはこの点です。サレジオ会修道士は、「神の国のために全面的に神に献身することの価値」を見ることができるよう、信徒を助けます。(BAZ38, 第24回総会文書154参照)共同体の中では、修道士は叙階された兄弟たちがこの世を愛するのを助けます。(第24回総会文書154を取り上げる第25回総会文書137参照)修道士の職業専門的な、あるいは「この世的」な活動はすべて、兄弟であるすべての人々の善、展開する神の国に入ることであるあの最高の善に向けられています。
ベッキ神父は言います。司祭と信徒奉献生活者が同じ共同体に暮らすのは決して新しい現象ではありませんが、私たちサレジオ会員は、修道士の信徒としての召命が、若い人々を三位一体との秘跡的関係へと引きつける共同体になるため、独特の道を可能にする、と提起するのです。それからベッキ神父は、ヴィガノ神父の「信徒的要素」の書簡についていくらか紙面を割いて語っています。
第24回総会は、現在の「聖職者的」捉えられ方よりもむしろ、サレジオ修道会の可能な「混成的」形を研究しようとしました。同総会は、「奉献生活」(使徒的勧告「奉献生活」61参照)が、全教会のためにまさにこの問題を研究する特別な委員会を呼びかけたことに目をとめました。もちろん、混成の修道会になっても、私たちはドン・ボスコのサレジオ会でありつづけるだろうかという問題に、私たちは自ら答えなければなりません。(ここに明らかな教会論的傾向があることに注目してください。実に、私たちの共同体と使命に関するサレジオ的な神学にはすべて、その傾向があります。私たちは教会との類比によって私たちの共同体について考えます。第3回・第4回総会が、教会における信徒の位置づけとの類比によって修道士のアイデンティティーを構築しはじめたことを思い出してください。教会も、修道生活も、本質的に「聖職者的」あるいは「信徒的」であるわけではなく、「教え、癒す」仕事を果たすために、両者とも必要なのです。私たちは常に、自分たちをこのように見なしてきました。第3回・第4回総会が使徒とその信徒の助け手について述べていることを思い出してください。)
ベッキ神父は(またほかの会員も)、しばしば尋ねられます。「第24回総会が信徒と協力して働くようにと言ったなら、なぜ修道士が必要なのか」と。ベッキ神父の答えは、同じ第24回総会から取ったものです。共同体の中の修道士の存在は、まさに信徒のメンバーが共同体にいるからこそ、共同体が活性化の中心となることをより容易にしているのだ、と。(第24回総会文書154)この流れで、ヴィガノ神父の1980年の書簡が思い起こされます。信徒修道者、彼らは信徒との関わりを築くことができるのです。信徒修道者、彼らは霊的に活性化を行うことができるのです。
ザッティについての書簡の最後の方で、ベッキ神父は養成の問題に注目します。現行の会憲は、第106条で、パウロ・アルべラ神父が回状ですでに言い表し(Lettera Circolari #42, 1921, 「同等の期間」という考え)、第19回総会以来、私たちの特定の法の一部になっている原則を繰り返すものです。すなわち、司祭と修道士の養成は同じ段階をたどり、ほぼ同じ時間をかけながら、それぞれにふさわしい異なる内容を持ちます。
ベッキ神父は、修道士の養成のために管区同士が協力することを提案していますが、それは少なくとも第13回総会にまでさかのぼる考えです。
3.2. 聖人になりなさい!
ザッティ修士の列福以前から、チャーベス神父は、聖なるサレジオ会員の模範について考えたり書いたりしていました。実際に、総長としての最初の書簡は、次のことについてでした。「愛するサレジオ会員の皆さん、聖人になってください!」(最高評議会報379)
総長は会憲第25条を思い起こします。
サレジオ会使命をとおして実現する聖性のあかしは、至福の教えの唯一無二の価値を示すとともに、わたしたちが青少年に提供できる最も貴重な贈りものである。
総長は言います。「一つの霊性は、聖性に向かう特定の具体的な道です。」そして、第23回総会が発展させたサレジオの青少年の霊性を示し、その本質的な要素を挙げ、説明しています。しかしながら、チャーベス神父の表現は、内容も構成も第23回総会の表現とは異なっています。
表4 サレジオ青少年霊性
第23回総会文書161-180 チャーベス神父書簡19-25
■日常生活 ■日常生活
■教育的知恵
・実践的な現実主義
■喜びと楽観性 ・希望と喜び
■イエスとの友情 ・イエスとの友情
■教会における交わり ・教会の一員であること
■奉仕 ・善い働きへの取り組み
このスケッチを発展させながら、チャーベス神父は具体的な模範を示します。ドメニコ・サビオ、ミケーレ・マゴーネ、イエスの母マリアです。私たちは第23回総会とチャーベス神父の提案の中に、この人々と、ドン・ボスコの養成法とを容易に認めることができます。こうして、私たちがこの考察で先に示した試験に、これは合格しています。この提案は、実在したサレジオ会の聖人を表すものになっています。これに従えば、私たちも仲間入りができるでしょう。
書簡のさらに先の方で、チャーベス神父は、聖性におけるサレジオ会の英雄たちを考察することによって、サレジオ霊性を抽出します。
表5 聖なるサレジオ会員に見られるサレジオ霊性
霊性の要素 サレジオの英雄
仕事と節制 ミケーレ・ルア
牧者の愛 フィリッポ・リナルディ
謙遜と仕事 マリア・マザレロ
日常生活と仕事 アルテミデ・ザッティ、マンマ・マルゲリタ
観想と活動 マリア・ロメロ・メネセス
アッティリオ・ジョルダーニ
家族精神、人間関係 ヴィンチェンツォ・チマッティ
霊的均衡 ジュゼッペ・クァドリオ
犠牲 アンドレア・ベルトラミ、アウグスト・チャトリスキー、ルイジ・ヴァリアラ
殉教 アロイジオ・ヴェルシリア、カッリスト・カラヴァリオ(中国)、スペインの95人、ポーランドの14人
3.3. 第25回総会
最近の総会、特に第23回総会は、サレジオ会修道士についてわずかな結果しか出しませんでしたが、総会に参加した修道士の数は多くなりました。
第24回総会は1996年に開催され、私たちの活動における信徒の活性化について考えました。議員の中には10名の修道士が含まれ、4名がオブザーバーとして参加しました。この総会は、後の諸文書で注目される考えを出しました。すなわち、共同体における信徒サレジオ会員は、共同体の外の信徒の活性化を助ける、というものです。(第24回総会文書154)
第25回総会はサレジオ会共同体を考察しました。8名の修道士が議員に選出され、3名がオブザーバーとして招かれました。その結果は、最高評議会報の特別号に掲載されています。(最高評議会報378、2002年5月)この出版の方法は、第19回総会以来、標準として定着しています。
この最高評議会報は、共同体に関する文書の中では、サレジオ会修道士についてわずかしか取り上げていません。青少年の活性化のための指針の終わりに簡単な言及があります。すなわち、共同体の修道士と司祭は、その召命司牧を助けるということです。(「サレジオ会共同体」48参照)もう一箇所は、初期養成後の修道士への配慮についての指針の中にあります。(同60参照)この文書は、信徒サレジオ会員の存在によって助けられ、教育・司牧共同体の活性化の中核となるサレジオ会共同体、という第24回総会の考えを使っていません。(同37と48参照、この考えを挿入する可能性のある箇所は70の後。)
文書がサレジオ会修道士について語っている箇所は、ほとんど最後のメッセージの部分に集中しています。実際、その中ですべてのサレジオ会員に向けられたメッセージは、ザッティの列福の意義と共同体における修道士について、全面的に語るものになっています。修道士のアイデンティティーについて述べているところは、簡潔で正確です。奉献された信徒サレジオ会員である、と。第24回総会の考えは、ここに明らかに姿を現します。(同137)
第25回総会は、私たちの会の可能な「混成」の形(「聖職者的」でも「信徒的」でもない)についての研究という第24回総会の要請については、何も行動を起こしませんでした。このことは総会ではなく、総長と最高評議会にゆだねられました。下記の「活性化の計画」を参照してください。「奉献生活」によってこのことを研究する任務を受けたバチカンの特別委員会は、2001年半ばまでにその仕事を終えていませんでした。そこでベッキ神父は、ザッティについての書簡の中で、第24回総会の指針がそのまま有効であると述べました。不確実さの中でも、それぞれの会のカリスマへの忠実が規範となります。
3.4. 計画:召命を見いだし養成する
どうしたらサビオ、マゴーネ、ザッティ、ジョルダーニ、ルア、ヴェルシリア、その他のような召命を見いだせるのでしょうか。私たちに手がかりを与えてくれるのは、最近改訂された養成の手引書、「ドン・ボスコのサレジオ会員の養成」と、より特定的に、許可についてのその補遺、「規範と基準」です。(「サレジオ会召命識別のための規範と基準 許可について」修道士召命の可能性の特定のために85-86、司祭候補者の特質として87を参照)
「規範と基準」は、アイデンティティーについての段落をもって、サレジオ会修道士の召命の特定のしるしに関する短くまとめられた部分を始めます。それは、この召命についての刷新された神学を手際よく要約しています。その中で、繰り返し出てくるいくつかのテーマがすぐに目に付くでしょう。
「サレジオ会修道士は、信徒として奉献されている身分のため、教会の在俗的次元と奉献の価値とを同時に表すしるしである。サレジオ会共同体、教育・司牧共同体、そして教会にとり、サレジオ会修道士は、世界と歴史の在俗的次元の価値をその存在をもって示す。」(サレジオ会召命識別のための規範と基準85)
基本的なアイデンティティーの要素とその価値が、すべてここにあります。信徒としての世俗とのつながり、修道奉献の預言的価値、教育・司牧共同体と共有する青少年司牧への取り組みです。その次に、修道士の信徒としての身分に関する神学がもう少し述べられます。同書は、信徒であるということはただ何をできるか、ということではなく、どのようにそれをするか、ということだと述べます。それは、ひとつのあり方、行動の仕方であり、単なる役割、あるいは(もっと悪いことに)消去法でほかの役割が無くなった結果ではありません。教会についての第二バチカン公会議の文書、教会憲章は、実に信徒について、二部に分かれた否定文的定義をしています。すなわち、叙階されていない、そして修道者でない、というものです。しかし、その後ですぐに、役割を土台としているように見える肯定文的定義を続けています。すなわち、信徒は神の国に向けてこの世の事柄を秩序づける、というものです。(教会憲章31参照)しかし、修道士召命にについてのサレジオ神学は、修道士の霊性全体に影響を及ぼすものとして、この神の国を建設する役割を一貫して指し示してきました。行動は、存在のあり方に従います。信徒的次元に霊的に敏感な人は、この世を愛し、理解し、これを御父のもとへ導きたいと望みます。
サレジオ会修道士候補者の特質に関しては、この補遺書はヴィガノ神父の書簡と会憲から多く引用しています。(下に「規範と基準」86から引用。それぞれの箇所の出典をかぎかっこの中に記した。)この召命を生きることのできる人は、次の特質を持ちます。
・社会に近い存在であること、人間的問題に心を向けていること[ヴィガノ神父「信徒的要素」の書簡]、職業の世界への関心[ヴィガノ神父「職業の世界」の書簡、1983]と地域に対する感受性、奉仕を提供する心構え。
・すべての仕事が必要なものであることを認識しながら、専門的アプローチ[「信徒的要素」の書簡]を取る。計画に対する真剣な姿勢[会憲第19条]、人と一緒に協力して働けること。
・労働や技術的仕事を高く評価し、好みながら、知的仕事をも喜び評価し、そこから益を得る心構えを持つ[「信徒的要素」の書簡]。
・教育・司牧共同体やサレジオ家族のほかのメンバーたちの精神、使命を、自らのサレジオ会修道士としてのアイデンティティーに従って分かち合う。[第24回総会文書154]
「ドン・ボスコのサレジオ会員の養成(FSDB)」2000について少し触れましょう。その第2章は、アイデンティティーを「私たちの養成の出発点であり、目標点である」としています。そのアイデンティティーは、会憲第45条にあるように、奉献された青少年司牧者のそれです。それは27項から37項にかけて、司牧奉仕と修道生活の価値についての考察によって豊かに解説されています。そして修道士のアイデンティティーは、40項で特定されます。第24回総会文書154に従い、FSDBは言います。「修道士は自らのうちに、奉献という賜物と信徒の身分による賜物とを合わせ持つ。」さらに文書「サレジオ会修道士」から引用し、「信徒的要素」の書簡と似通った、信徒的要素の信徒的次元に関する資料を含めています。
ラツィオにとり、養成はサレジオ会アイデンティティーにおいて成長しそれを自分のものとすることを意味します。(FSDB 41参照)数箇所に、非常に短いアイデンティティーの要約があり、それらは会憲第45条に賛同します。すなわち、サレジオ会アイデンティティーとは、若者のための善き牧者であるイエスになる、ということであり(同25、27-37参照)、修道士の固有なアイデンティティーは、奉献と信徒の身分とを合わせるものです(同40参照)。
3.5. 計画:活性化の取り組み
サレジオ会の指導部が私たちのアイデンティティーを実施に移すために選んだもう一つの道具は、この前の総会に基づいた6か年計画です。この計画は、2002年から2008年の期間のためのものです。(最高評議会報380)第25回総会のいくつかのメッセージと同じように、6か年計画は、「修道士の召命のため、刷新された、特別な、特定的な取り組み」を呼びかけています。実行に移す責任は、養成部門と青少年司牧部門に与えられています。(最高評議会報380、31頁、養成の活性化の領域#6)養成部門は、第24回総会からの「混成」の会という考えについても研究します。(同;32頁、「養成のための取り組み6.1.1.3」参照)研究に当たって、養成部門は、管理や技術面の役割を過剰に強調することを避け、司牧や教育の役割を探ります。(同、「養成の手順6.2.1」参照)
3.6. 計画:チェレダ神父による指針
養成顧問チェレダ神父は、修道士のための取り組みを実行に移すための計画を作りました。それは2002年-2008年の6か年計画によって養成されたもので、最高評議会報の「指針と方針」の中にあります。(最高評議会報382「サレジオ会修道士の召命への配慮と促進」)
私たちは修道士の召命をどのように見いだし、育てらよいのでしょうか。ザッティ修士の列福を出発点として、チェレダ神父はこの仕事のために、背景となる方向性を示し、具体的な提案をしています。
まず彼は、第二バチカン公会議後に本部から出た文書にける修道士召命の発展を振り返り、主なものをまとめています。(最高評議会報382、30-32)
サレジオ会修道士世界会議文書(1975)
第21回総会文書、修道士に関する箇所(1978)
ヴィガノ神父の書簡「信徒的要素」(1980)
1984年の会憲会則とその解説「生活の計画」
サレジオ会修道士:歴史、アイデンティティー、召命使徒職、養成(1989)
第24回総会文書(1996)
ラツィオ第3版あるいは養成の手引書(2000)
ベッキ神父の2001年の書簡、ザッティ修士の列福について
第25回総会文書(2002)
総長と最高評議会による2002-2008年の6か年のための活性化と統治の計画
チェレダ神父の評論は、会憲の第45条に特別な位置を与えています。
しかしながら、今日のあらゆる考察や導きの土台となるのは、今も、会憲第45条と、「ドン・ボスコのサレジオ会の生活の計画」にあるその解説です。(同、30)
現在の状況に目を向けながら、チェレダ神父は交わりの教会論が優勢であることに注目し、直面する問題への当然の適用を行っています。信徒の召命が促進されないなら、交わりもない、と。また、修道士のアイデンティティーは、危機と言えるほどにわかりにくくなっています。チェレダ神父は、修道士の数の危機に対するヴィガノ神父の1984年の「警告」を思い起こします。
どうしたらよいのでしょうか。「活性化の取り組み」を見なさい、とチェレダ神父は言います。そこに挙げられている主な点は、次のものです。
アイデンティティー
目に見えるわかりやすさ
召命、養成のための司牧
修道士の召命アイデンティティーの意識は、まず出発点として、私たちの青少年への使命の意識、また共有する修道生活の意識から来るものでなければなりません。この研究の題に含まれる二つの全体的要素は次のものです。「奉献された青少年の司牧者」。ここで私の立場は、意識は、信徒の身分が修道士の召命アイデンティティーに与える固有な資質に移っていくというものです。チェレダ神父は、修道士の目に見えるわかりやすさについて語りながら、このことへ移っていきます。
ここに、しばしば注目されてきた第24回総会の洞察があります。まさに信徒の構成員を擁しているからこそ、サレジオ会共同体は信徒を活性化し、青少年を司牧する奉仕者にすることができるのです。(第24回総会文書154参照)若者たちと共に働く修道士は、is where the rubber hits the road(訳注:この表現はわかりませんでした。道を走る車のタイヤのことでしょうか。道をしっかりとらえて走行を可能にするという意味かもしれません)です。また、補完性も働きます。信徒サレジオ会員の固有な専門職業的特質は、司牧的取り組みや霊的体験と相助作用しています。しかし、人々の目にサレジオ会修道士が映らないなら、このことは起こりません。
また、修道士の召命が見いだされ、養成されないならば、やはり起こらない、とチェレダ神父は言います。神学校を含むすべてのサレジオ会の養成支部で、修道士たちは養成担当や教職のスタッフになるべきである、と。
ラツィオに言及しながら、チェレダ神父は、司祭と信徒のサレジオ会養成は、その各段階において基本的に一致していることを私たちに思い起こさせます。すべての志願者は、固有な養成がその上に建てられるのに必要な教育の土台を、等しく受けることができます。修練期の間、志願者たちはサレジオ会召命のどの形を生きるか、選択を行います。その選択は、実地課程の後、固有な養成が始まる前に、最終的になされます。(FSDB 2000 323、342)
信徒サレジオ会員として生きるための固有な養成は、実地課程の後に行われます。この段階は、サレジオ会神学生のための並行する段階、神学課程に比べ、最も発展の遅れているものです。しかしチェレダ神父は、まさにここで、ラツィオは新たな扉を開いているといいます。この段階は、ただ単に専門的資格を得るためのものではありません。青少年のための奉献された司牧奉仕者になるため、専門的な道による養成なのです。一般的なサレジオ会員になるための養成など、存在しないのです。
しかしながら、サレジオ会アイデンティティーへの共同の養成が、ポスト修練期における養成の焦点であることには変わりありません。そのため、チェレダ神父は、神学生と修道士がこの段階を同じ共同体で一緒に歩むことをラツィオが求めていることを想い起こします。(同、421)
修道士召命を見いだすことは、奉献された信徒青少年司牧奉仕者の召命の、二つの側面について、意識を高めることにかかっています。それは、修道士の、修道生活の預言的価値と、信徒としての召命が修道士の奉仕職にもたらす固有な貢献です。チェレダ神父は、医者や監督、教師のうち、自分の仕事を司牧奉仕と見なしている人はどれほどいるだろうか、と問いかけます。問いの意味するところは、それがサレジオ会修道士であるならば、その仕事を司牧奉仕としてとらえるだろう、ということです。(最高評議会報382)
この二つの側面が意識されている場合でも、召命司牧のための一貫した計画がなかったり、目に見えるレベルで関わっている修道士がいなかったりするかもしれません。一貫した計画は、サレジオ会召命のあらゆる形を目に見えるものにし、共通の点と違いを説明し(一致と多様性)、それぞれの形への明確な道を示すような条項を含まなければなりません。
結論
サレジオ会修道士とはどんな人々でしょうか。ここで考察した会憲会則やそのほかの文書から、一貫性のある、三つの要素から成る召命アイデンティティーの輪郭が得られます。サレジオ会修道士は、信徒の奉献された青少年の司牧奉仕者なのです。すべての要素、すなわち、青少年への司牧奉仕、信徒であること、修道者であることは、修道士が召命をどのように生き抜くかということに影響を与えます。すべての要素は、実践に還元され、修道士の霊的アイデンティティーに寄与します。修道士の固有なアイデンティティーと、サレジオ会神学生あるいは司祭の固有なアイデンティティーとは、共同体の霊的アイデンティティーに寄与します。
私たちの改訂された諸文書、そして特に会憲の第45条が、どのようにサレジオ会修道士と司祭のそれぞれのアイデンティティーを、その適切な文脈、すなわちサレジオ会共同体の中で提示しているかを、次のように示すことができるかもしれません。
表6 サレジオ会司祭と修道者の召命アイデンティティー
修道者によるサレジオ会共同体(第25回総会)は、教育・司牧共同体による青少年司牧奉仕(第23回総会)の活性化の中核である(第24回総会)。サレジオ会共同体は、信徒的次元と司祭的次元を持つ(ヴィガノ神父、1980年の書簡)。
司祭:善き牧者イエスの似姿における、 修道士:世界を神の国に向けて変容させ
青少年の牧者、教育者。 るため、青少年を活性化する牧者、教育
(FSDB2000、会憲第45条) 者。(FSDB2000、会憲第45条)
サレジオ会修道士とはどんな人々でしょうか。ユースセンターの卓球台では、このような図式を書いたり、信徒の召命にふさわしい在俗の傾向とは、などと論じたりしないでください。シンプルにいきましょう。「私たちは、福音が活かされるようにするんだ。司祭たちは、福音をわかりやすく伝え、パーティーをして祝う。私たちはそれを、自分たちの生活にする。ドン・ボスコのように。」