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私はジプシーのサレジオ会員
私の名前はサルヴァトーレ・ポロチーノ、27 歳です。私はイタリアのヴァスト出身で、サレジオ会員に
なって6年です。私はアブルッツィ地方出身で、ジプシーとしては、ドン・ボスコの足跡をたどりなが
らイエスに従うことを初めて選んだ人間です。私の両親はジプシーです。両親は主の助けによって、人
生を愛という土台の上に築くことを決めました。私と妹は、この「愛の
計画」の分け前をたっぷりもらいました。
私は生まれて数か月後に洗礼を受けましたが、私と教会との間には距
離ができてしまいました。それは 15 年くらい続きました。中学 1 年生
のとき、一人のサレジオ会員に出会いました。サレジオ会員がどんな人
たちなのか私は知りませんでしたが、ほかの神父さんたちとは、確かに
違っていました。彼は、福音書を読み上げながら、毎日イエスについて
語りました。でも結局、彼は司祭であって、当時の私は司祭や教会、祈
りなどに興味ありませんでした。その何年か、暇があると、エネルギー
いっぱいのジプシー仲間らと街中をさまよい歩きました。私は他人に対
する暴力、粗暴さ、疑い深い抜け目なさの産物である栄誉の神話に従っていました。いちばんのモットー
は「騙される前に、隣人を騙せ!」でした。何年もの間、街中をさまよい、それに伴う苦しみを受けた後で、
私はオラトリオへ行きました(すでに 15 歳になっていました)。
オラトリオで、私は中学のときに知り合ったサレジオ会員と、若いブラザーに出会いました。私の心を
打ったのは、彼らが本当に私の人生に関心をもっていたことです。人種的な偏見なしに、彼らは私がど
ういう人間なのか、なぜまっすぐに生きることが私にとって難しいのか、知りたがりました。
オラトリオでは、ジプシーに対する偏見は世間とそう変わりませんでした。何か物がなくなると、私が
最初に疑われました! それにもかかわらず、人生を改善し、一致に向けて歩み、多様な文化の良いと
ころを集めるため、オラトリオは落ち着いた雰囲気を与えてくれました。
数年のうちに、私は要理の勉強に追いつきました。17 歳で初聖体を受けたので、周りとは違っていまし
たが。一年間、週に一度、院長と面談しました。それは私にとって、ジプシーの文化の体験を分かち合
う機会になりました。院長は、福音の視点から文化を理解するように助けてくれました。
主の目に何が喜ばれるか、何を手放さなければならないのか、私は識別するようになっていきました。
18 歳のとき、堅信の秘跡を受けました。教会の主任司祭でもあった院長は、大人のためのカテキズム・
コースで準備したほうがいいと判断しました。それはヨハネ福音書を継続的に読むものでした。この経
験は、福音の光の下で自分の人生を見つめるようにしてくれました。その後、要理の勉強の最後の年に
将来について考えていると、サレジオ会員たちが、管区の召命グループに参加しないかと誘ってくれま
した。サレジオ会員になることが神のみ旨かどうか、私が真剣に探っていることを知った両親は、たい
へん喜び、平和な様子でした。そこで私は 2001 年 9 月 11 日、修練準備期を開始し、今は、終生誓願を
立てたサレジオ会員になっています。今、真剣に、司祭となる準備をしています。
ヨーロッパのサレジオ家族のために
 2010 年、ヨーロッパのサレジオ家族が、ジプシーやそのほか社会的に疎外
された人々への偏見を乗り越えるため、広報の手段を通して貢献できますよ
うに。
サレジオ宣教の日 2010 のキャンペーン 「ジプシーの人々と共に歩むサレジオ会」 は、
広報 (ボレッティーノ・サレジアーノ、 ウェブサイト、 各事業の機関紙など) を通して、
数世紀にわたりヨーロッパに暮らすこの最も人口の多い少数民族に対する偏見を乗り
越えるために、 貢献したいと望んでいます。 同時に、 ヨーロッパのさまざまな国 (ア
ルバニア、 ブルガリア、 ドイツ、 イタリア、 チェコ共和国、 スペイン、 ハンガリー)
でサレジオ会がジプシーと共に、 ジプシーのために宣教に取り組んでいることを、 教
会と社会に知らせたいと望んでいます。
問い合わせ ・ ご意見は、 cagliero11@gmail.com へ。